桂男と月面食(その3) ※全5部
◇◇◇◇
「よーし、それじゃぁ蒼明さんとの料理勝負こなしつつ、呉剛さんの胃袋をガシッと掴むような料理を考えよーっと!」
呉剛さんの去った国立科学博物館のスカイデッキであたしは伸びをしながら思考を巡らす。
「私との勝負をこなしつつとは余裕ですね。勝負の”月の住人のための月面食”ですが、貴女は月宮殿のことを知っているのですか?」クイッ
「伝説ですと、月宮殿は月と同じで真っ白で綺麗な世界だけど生態系に乏しく、月の住人の他は兎とヒキガエルと蛇、あとは不死の木の”桂樹”くらいしかないという話ですよね。しかも、兎とヒキガエルと蛇も呉剛さんの眷属なので、食べるのは憚られるって話じゃなかったですか」
「なるほど、最低限の知識はあるようですね。その通りです」クイッ
やっぱりそう。
月の世界は綺麗だけとも桃源郷ではない。
あそこは中国の神話では流刑地なのだ。
「でも、素直に『その通りです』って教えてくれるなんて、蒼明さんも正直ですね。ここはあたしを罠に嵌めようと『月の名産は兎です。ここは兎料理がいいいでしょう』なーんて嘘八百を教えた方が勝負に有利になる場面なのに」
「そんな勝ち方をすれば呉剛先生に失望されます。先生は高潔な方ですから」
「へー、その言い方ですと、呉剛さんの伝説の正解はいいもんの方なのですね」
「当たり前でしょう。呉剛先生があんな真似をするはずがありません」クイッ
桂男の呉剛さんの伝説にはいくつかパターンがある。
あの穏やかな物腰の美形さんが悪人なはずはないと思ったけど、やっぱりそうみたい。
「ねー、ねー、珠子おねえちゃん。いいもんって、どういうこと? わるもんのごごうさんもいるってこと?」
「そうよ。呉剛さんには”呉剛伐桂”という伝説があるの。これは呉剛さんが月で桂樹という木を切り続けるという罰を受けるようになった伝説ね。この伝説がざっくり2パターンあるの」
「バツってことは何かわるいことをしたの?」
「それが二通りあるのよ。”こりゃ罰を受けて当然”というわるもんのパターンと、”彼は自らを犠牲に罪をあえて被った貴人なのだ”といういいもんのパターンが」
「おもしろそー、おしえて! おしえて!」
「……僕も興味ある」
「いいわよ、まずはわるもんの方からね」
あたしがそう言うと、紫君と橙依君はベンチにちょこんと座り、わくわくしながらあたしの声に耳を傾ける。
「では始めるわよ。呉剛伐桂の伝説 その1 ~わるもんへん~」
パチパチパチ
「ある所に仙人を目指す呉剛という若者がいました。彼は熱心に修行を続けていますが、そのために家を空けることが多かったのです。そして彼が修行で留守の間、彼の妻はとある男と浮気をしてしまうのです! 浮気が発覚し、怒った呉剛は男を撲殺!」
あたしは手にした巾着袋を地面に置き、そこを拳でボコスカボカ。
「しかし、そこで問題が起きます。そのとある男は中国の神”炎帝”の孫、伯陵だったのです! 炎帝大激怒!」
あたしの精一杯の怒り顔に紫君は『へんなかおー』と笑う。
「だけど悪いのは妻を寝取ろうとした伯陵。非は伯陵にもあります。本来なら死罪にもなりかねない所でしたが、炎帝が呉剛に下した罰は月宮殿の桂樹の伐採。伐採が終わるまで、地上に戻ることは許さぬ! 呉剛は地上に帰ろうと一所懸命に斧を振るいます」
あたしは巾着袋を斧に見立ててエア木こり。
「けれと、切り込みを入れても入れても、その切り込みは再生するではありませんか! そう! 月の桂樹は無限に再生する不死の木だったのです! こうして呉剛は今でもずっと地上に帰ることを夢見て、桂樹をに斧を振るい続けてのです。おしまい」
パチパチパチ
「……妻を寝取った相手、死すべし! 慈悲はない! イヤァァァーー!! だけど、相手が悪かった」
「いくら”ぷんすかぷん!”でも、ころすのはよくないよね」
「そうね、気持ちはわからなくもないけど、ちょっとやり過ぎよね」
これがわるもんの呉剛さんの伝説。
「ねー、それじゃいいもんの方は?」
紫君の言葉にあたしはコホンと咳払い。
「では続けるわよ。呉剛伐桂の伝説 その2 ~いいもんへん~」
パチパチパチチ
「ここは中国の咸寧地方。そこに親孝行の呉剛という若者がいました。ですが、ある時、咸寧地方で疫病が流行し、彼の母も病に倒れてしまったのです!」
あたしは地面にパタンと横たわり苦しみだす。
「病を治す方法はひとつ! 月宮殿の桂樹の花を浸した水を飲むこと! それを知った呉剛は艱難辛苦を乗り越え、ついに月宮殿にたどり着き、桂樹を見つけました! ハァハァ」
あたしは立ち上がり、肩で息を切らす。
「だけど、もう花を摘んで帰る時間の余裕はありません、それに病に倒れているのは母だけではないのです。故郷のみんなが病に苦しんでいるのです。そこで呉剛は一計を考えたのです。彼は桂樹の枝を大きく揺らしました。その花が故郷の河に落ちるように……」
あたしは巾着袋を揺らし、その中身が地面に落ちるような仕草をする。
「呉剛の計略は上手くいきました。桂樹の花は全て地上に落ちていきました。故郷の河は花で金色に染まり、その水を飲んだ人々は彼の母も含め病から救われたのです。これにてハッピーエンド!」
あたしはバンザーイと天を仰ぎ、そして、その手をガックリと降ろす。
「ですが、呉剛の行いで困ったことが起きました。これまた中国の神”天帝”の大好物は桂樹の花が入った月餅だったのです! 大好物の月餅を今年は食べれなくなってしまった天帝は大激怒!」
あたしが両手をLの字に上げ、ガニマタで怒りを表現すると蒼明さんは『見事なオコリザルですね』ニヤッと嫌味に笑う。
「ですが、天帝とはいえども、犯人の呉剛を強く罰することは出来ません。彼には許可なく月宮殿の桂樹を荒らした罪がありますが、それは母を故郷の人々を救うためだったのですから。それを”月餅が食べれなかった”という理由で強く罰すれば天帝の度量が知れるというものです。しかも、捕らえた呉剛は『もう、あの病で苦しむ人がいなくなるよう桂樹の枝を持ち帰りたい』と懇願するではありませんか。なんと私心の無い澄んだ若者でしょうか! 内心、天帝は彼に関心しました」
あたしはエア顎髭を撫でるポーズを取りながら”ほほう、やりおる”といった顔をする。
「そんな天帝が彼に下した裁きは”月宮殿の桂樹の伐採を行うこと”。切っても切っても再生する桂樹の伐採は無限に終わることのない懲罰労働です。こうして、呉剛は今でも月宮殿で桂樹を切り続いているのです」
再びあたしはエア木こりになって、斧を振るうポーズを取った。
「ちょっとかわいそう。いいもんなのに、ずっと働かせられるだなんて。それにびょーきはどうなったの?」
「……大丈夫。この話にはちょっとだけ続きがある」
あたしの心を読んだのか、橙依君が少し不満そうな紫君をフォローする。
「そう、この伝説には続きがあります。桂樹を幹を切り倒して伐採することは不可能です。ですが枝を少し切り落とすくらいは出来たのです。呉剛はその枝を地上に落とし、それは大地に根付きました。やがて桂樹の分身は花を咲かせ、中国語で桂花と呼ばれる樹となりました。そして、その花を浸したお茶を飲むようになった人々は再びあの疫病にかかることはなくなったのです。 ~Happy End~」
あたしは満開の花びらをまき散らすようなバンザイのポーズを何度も取りながら小躍りした。
パチパチパチチ
「よかった。これでハッピーエンドだね」
「ちなみに、桂花は日本語で金木犀のことよ。金木犀のお茶は甘くてリラックスできる香りを放つの」
金木犀のお茶”桂花茶”は世界的にも人気のハーブティのひとつ。
「これでわかったでしょ。さっき逢った呉剛さんは、きっといいもんの方の呉剛さんなのよ」
ふふっ、初めて見た時からそうじゃないかと思っていたけど、あたしの予想は間違ってなかった。
あの呉剛さんはいいもん。
け、決して美形だから信用できると思ったわけじゃないのよ、本当よ。
それにいいもんだとしたら、この伝説の続きの通りだとすれば、彼の好感を得れば……
ぐふふ。
「あれ? なんだか珠子おねえちゃんが変なわらいかたをしてる? あれって、ごうつくばりなことを考えている時の顔だよね」
「……珠子姉さん。伝説は終わっていない。まだ終わりじゃないぞ、もうちょっとだけ続くんじゃ」
「そうなの? ナイショなんてずるーい! さいごまでおしえてよ~」
くっ、やはり橙依君がいると隠せないか。
ま、隠すようなことでもないし。
「それじゃ、呉剛伐桂の伝説 その3 ~ばんがいへん~」
パチパチパチパチ
「千年、万年の間、呉剛は桂樹を切り続けました。桂樹を切り倒すことは出来ませんでしたが、呉剛は既に仙人と呼べるくらいの力を身に着けていました。話は変わって、地上では仙酒娘子という山葡萄酒造りで生計を立てている女性がいました」
ワインの起源は中東のメソポタミアで、そこから古代エジプトやギリシャ、ローマで発展した。
だけど、実は古代中国でもワインが入っていたと推察される土器が出現していたり、紀元前2世紀の漢の武帝の時代には葡萄酒造りが始まったという歴史の記述がある。
その後の唐の時代に葡萄酒は貴族の間で大人気となったの。
唐の皇帝太宗は葡萄酒好きで有名。
なんと、8種もの葡萄酒を選定し愛飲したというエピソードを持ってるの。
「ある日、彼女の家の前にみすぼらしい老人が倒れていました。仙酒娘子は老人を介抱し、家にしばらく住まわせていましたが、ある日老人は忽然と姿を消しまいました。またある日、山で仙酒娘子は柴刈りの途中で喉が渇いて動けなくなっている老人に出逢いました。辺りにはどこにも沢や泉はありません」
あたしは地面に横たわり、水を求める老人のふりをする。
「何とか老人を助けようと、仙酒娘子は自分の指を切り、その血で老人の喉を潤しました。すると、老人は再び消え、そこには一本の枝と一枚の紙が落ちていました」
そこであたしは一呼吸おく。
「紙にはこう書かれていたのです。
月宮賜桂子 月宮より桂を贈る
奨賞善人家 善き人に報奨を授けよう
福高桂樹碧 桂樹の碧は高く生い茂り
寿高満樹花 長寿の樹は花で満ちるであろう
釆花釀桂酒 花を釆み桂酒を作り
先送父和母 まずは父と母に送るがいい
呉剛助善者 呉剛は善人を助け
降災奸詐滑 悪奸や詐欺を行う者に災いを降らす」
詩を詠い終え、あたしは再び大きく息を吸う。
「そうです! その老人は仙人となった呉剛だったのです! ジャジャーン! その枝を仙酒娘子が地面に植えると、そこには桂花の樹がみるみると育ちました。その桂花の花を山葡萄酒に浸して作ったお酒は味と香りが素晴らしいと評判になり、仙酒娘子の造る酒は大繁盛したそうです!」
あたしはエア瓶を右から左へ売って売って、大繁盛を演出する。
「桂花は日本語で金木犀のこと。仙酒娘子が金木犀の花を浸して作ったお酒は、現代では”桂花陳酒”と呼ばれ、中国を代表するリキュールのひとつとなったのです! うまし! うまし! Tasty End!」
あたしはスマホの画面に桂花陳酒を映し、それをみんなの前に見せながら礼をする。
パチパチパチパチ
「なるほど、昔話によくあるパターンですね。現代のお酒のルーツの説明とは貴女らしい」クイッ
「さっすが珠子おねえちゃん。お酒にくわしいよね。あれ? ということは、さっきの”ぐふふ”わらいって……」
「……そう、珠子姉さんはあわよくば呉剛さんからご褒美をもらおうと考えている。だから、いきなり兄さんとの勝負を持ち出した」
「せいかーい! へっへっへっ、あたしは呉剛さんからのご褒美目当てでーす!」
あたしの正直な宣言に、みんなの顔が”うわぁ”。
「まったく、この人は……欲張りばあさんが昔話ではどんな結末を迎えたかは知らないふりをしているのでしょう」クイッ
「そうだね。よくばるとわるいことになるよね」
「……そして、僕たちがフォローするハメになる」
そう言って、橙依君はハァと溜息。
大丈夫だって、きっと呉剛さんなら『欲望に素直なのも美徳ですよ』って笑ってご褒美をくれるに違いないから。
そんなあたしの心の声を聞いて……。
橙依君はまた『ハァ』と溜息を吐いた。
◇◇◇◇
今宵は名月、月齢は上弦から少し大きくなったころ。
本日、11月17日は旧暦の10月10日にあたり、これは十日夜とも呼ばれる。
これは収穫祭の面を持ち、天と大地に感謝を捧げる日なのだ。
要するに、秋の新物を食べながらお月見しようの会!
「……珠子姉さんは何かにかこつけておいしいものを食べたいだけじゃん」
「いいじゃないの。ほら、今年の新酒よ新酒! これを飲みながらおいしい料理を食べて、月を見るなんて最高じゃない」
毎年11月下旬になると酒蔵には杉玉が吊るされる。
これは”今年の秋に収穫されたお米で造った新酒が出来上がりました”のマークなの。
つまり日本酒のボジョレー・ヌーヴォーが出来上がりましたの印。
今日はその新酒を用意したの。
ああ、今年はどんなお酒なのかしら。
”今世紀で十指に入る出来”よねきっと。
「おやおや、勝負の前だというのに余裕ですね」クイッ
「おねーちゃん。今日のごはんはなーに?」
「栗とキノコの炊き込みご飯ですよ。デザートは栗蒸し羊羹。おかずはあたしたちの勝負で作ります」
献備台の上にはお酒とご飯、そして甘味。
その間には隙間がポッカリ。
あたしと蒼明さんの”月の住人のための月面食”の勝負料理がそこに奉られるのだ。
「……来た」
献備台の上に鎮座された月からの隕石に月光が降り注ぎ、そこに人影が映し出される。
『数日ぶりですね。蒼君に橙依君、紫君君に珠子美女』
「はい、今日は成長した蒼明さんの腕をご堪能下さい」
『ええ、楽しみにしています』
桂男の呉剛さんの笑顔がとっても眩しい。
月の光は人の心を狂わせるという言い伝えが西洋にはあるけど、今なら納得できるわ。
「今日は負ける気はありません。私にはこの日のために用意した特選食材があります!」クイッ!
そう言って蒼明さんはひとつの箱を取り出す。
あれは……海外からの空輸便!?
「蒼明さん、それってもしかしてイスラエルからの輸入便ですか!?」
「流石は珠子さんです。これをご存知でしたか。そう、これは|Redfine Meat社のALT-STEAKです!」キラーン!
薄赤色の肉の塊がドンッと作業台の上に置かれる。
その肉をあたしは知っている。
時代の最先端、まさしく宇宙時代にふさわしいということを。
「……あれってスゴイお肉なの?」
「ええ、スゴイです。あたしも食べたことはありません」
「……それはスゴイ」
”未知との遭遇”、いや”味知との遭遇”を前にあたしはゴクリと喉を鳴らす。
「珠子さんの食材は何です? まさかカップ麺なんて底の浅いものではないことを期待しますよ」クイッ
カップ麺というかインスタントラーメンは昨今の宇宙ステーションにも持ち込まれた、れっきとした宇宙食。
宇宙向けにカスタマイズされたそれは宇宙飛行士に大好評だった逸品。
だけど、そんなものじゃこの未来鬼畜眼鏡に敵わないくらいはあたしも予想済。
「あたしの食材はこれですっ! ナイルティラピア! 別名”いずみ鯛”! 中国語名”呉郭魚! エジプト出身の淡水魚ですっ!」
少し黒味がかった鯛のような中型の魚。
特徴はヒレにある黒と白の縞模様。
それがピチッと作業台の上で跳ねる。
「ティラピアですか……なるほど、珠子さんも本気のようですね」クイッ
「超えるべき壁ですもの。そしてお忘れですか? 今日の審査員は呉剛さんなんですよ! 食べてもらう方の好みを考えてこそでふ」
少しかんだ。
「動揺の色が見えますね。いくら貴女でも未知の味が相手では勝てる確信が無いのでしょう」クイッ
ぐっ、痛い所を。
確かにいっぱしの料理人ともなれば、相手の食材と調理法を基に知らない料理でも味を想像することが出来る。
だけど、あの肉の味は完全に未知数。
「だとしても、ここに至ったなら、あたしの最高の料理を捧げるまで! さあ! 始めましょう!」
「ええ、”月の住人のための月面食”対決! 開始です!」キラーン
蒼明さんの眼鏡が月光を受けて輝いた。




