桂男と月面食(その1) ※全5部
天国のおばあさまお元気ですか。
珠子は今、紫君と橙依君と上野動物園に来ています。
「うわー、みてみて珠子おねーちゃん。すごい人だかり」
「……フハハハハハすごいよ! 人がゴミのようだ! 略して人ごみスゴイ」
お目当てはパンダの赤ちゃん”シャンシャン”。
去年生まれた動物園の人気者です。
長い行列に沿って進むと、やっとお目当てのパンダが見えてきました。
「みてみて、やっと見えた! ジャイアントパンダのシャンシャン! タケノコ食べてるよ。かわいー!」
「……笹じゃなく筍も食べるんだ」
透明なアクリルの檻越しには筍を食べるパンダの姿。
「まだ子供だからね。柔らかい筍の方が好きなんでしょ。そろそろ大人と同じ物を食べるようになるってニュースで言ってたわよ」
パンダの主食は笹や竹。
だけど、シャンシャンはまだ1歳と少し。
乳歯から永久歯に生え変わるころなので、まだ柔らかい筍の方が好きみたい。
「ああ~、もういっちゃう」
「……ちょ、人ごみが激し過ぎる」
「はぐれないで、もし、はぐれたらゾウの前で合流だからぁぁぁあ~~」
パンダの展示は人気満点。
だから、歩きながら流れるように見るのだけど、今日は特に人出が多かった。
あたしたちは人波に押され散り散りになりそうになる。
トンッ
「あっ、すみませ……蒼明さん!?」
「まったく、何をやっているのです」クイッ
「いやいや、ちょっと流されて、うぉっととっと」
「あー、まだ見たいのに~」
「……もう見えない」
紫君はそう言ってジャンプするけど、パンダは後方。
蒼明さんくらいの長身だったら、まだ見えるかもしれないけど、小柄な紫君や橙依君、それにあたしはもう見えない。
「まったく……、しょうがありませんね」クイッ
「え? 蒼明さん何を? きゃぁ!?」
グイッというGの後に浮遊感を感じると、あたしはトンッと何かの上に座らせられた。
「……これなら見える」
「うわーい! たかーい! パンダ―!」
座ったのは蒼明さんの肩。
逆の肩には橙依君、頭頂には紫君が座っている。
「これならあと少しは見えるでしょう」
「ありがとー! はい、クイッ」
手がふさがっているので代わりに紫君に眼鏡の位置を直してもらいながら、蒼明さんは事も無さげに言う。
細身の割に怪力だなー。
いや、あやかしだから当然だけど。
そして蒼明さんはノッシノッシとゆっくり歩く。
「あ、ありがとうございます。そろそろ降ろして頂けませんか?」
パンダエリアは遥か後方。
それでも蒼明さんはあたしたちを乗せたまま歩き続ける。
乗っているのが紫君だけなら、仲の良い親子や兄弟に見えなくもないけど、さすがに3名も乗っていると人目を引く。
「これくらい軽いものです。しばらくこのままで行きましょう。紫君も喜んでいるみたいですし」
蒼明さんの言う通り、紫君は肩車状態でバンザーイと喜んでいる。
でも、このままじゃちょっと恥ずかしい。
「ですが……、貴女が『いやいや重たいはずです』と正直に言えば降ろしましょう。重たくなっていますよね、最近」
くっ、しかもこの蒼明さんは相変わらずの鬼畜ムーブをしやがってますし。
そりゃ夢の中に囚われていた時の栄養を取り戻さなくっちゃとバカ食いしていたら、少し増えちゃったけど。
この鬼畜眼鏡の前でそれを認めるのはちょっと悔しい。
「お、重たくなってませんから! ませんよ! 本当に!」
なので、強がることにした。
別にすれ違う人に『まぁ、仲良しさんね』って小声で言われることくらい何ともありませんから。
「……珠子姉さん、素直に認めた方がいい」
逆の肩に乗っている橙依君が諭すように言う。
いーえ! あたしは認めませんから!
たとえ本当のことでも、敗北を認めない限り負けじゃないんですからね!
「……認めないと、蒼明兄さんはきっとあそこに行くつもり」
「おや、察しがいいですね。その通りです」
橙依君が指さす先は”体重を量って動物と比べてみよう!”のコーナー。
「……ちなみに僕たちの体重を兄さんは把握しているから」
えっと……それって……、このままあの体重計に乗られてしまうと引き算であたしの正確な体重が……。
「……すみません。重たくなっていますから降ろして下さい」
「素直で結構」
蒼明さんはあたしを降ろして、その空いた手で満足そうに眼鏡をクイッを上げた。
◇◇◇◇
「ごはんだー!」
ここは上野動物園の隣、国立科学博物館のレストランMOUSEION。
MOUSEIONの意味はラテン語で博物館を示すんですって。
橙依君が教えてくれた。
「……ラテン語は厨二の第二外国語。ちなみに第一はドイツ語」
そんな偏った知識で教えてくれたの。
「んもう、蒼明さんが『もう一度、パンダを見ましょう、見るべきです』なんて言うからランチが遅くなっちゃいましたよ」
「でも、おかげでいいものが見れたでしょう」クイッ
「シャンシャン、ママといっしょだった!」
「確かにその通りでしたけど」
あたしたちが最初に見た時、パンダは幼い子供のシャンシャンしかいなかった。
だけど、お昼過ぎに行くと、そこには母親のシンシンに甘えるシャンシャンの姿があった。
「シャンシャンは今、独り立ちの練習中なのですよ。午前中は独りで部屋にいますが、午後になるとシンシンが同じ部屋に入って来ます。この再会を喜ぶキュートな姿を見ずしてパンダを見たとは言えません。親離れのこの時期しか見れない光景ですから」クイッ
蒼明さんの可愛い物好きは筋金入りだなぁ。
「それで、注文は何にします? 蒼明さんが『ここにしましょう』グイッって主張したからには、何かお目当てのメニューでもあるんですか?」
「フッ、私が何もプランも無しに貴女をここに連れて来たとお思いですか? 私は貴女とここに来たかったのですよ」クイッ
えっ!?
橙依君や赤好さんだけでなく、蒼明さんもあたしに積極アプローチを掛けて来たのかしら!?
あたしの魅力で、蒼明さんの理性が阻止限界点を突破し始めたみたいですね。
フッ、あたしって罪な女。
「店員さん。この限定50食のパンダプレートはまだありますか?」
「はい、ございます」
「よかった。それを4つ。いいですよね」キラッ
蒼明さんの真剣な目に「いいよー」「……うん」「え、ええ」とあたしたちは同意する。
「フッ、様々な”あやかし”の加護で幸運を身に着けている珠子さんと一緒なら、限定50食が残っていると思いましたが、私の計算は正しかったようですね」クイッ
「……幸運の加護は”はらだし”の原田さんのおかげ」
お酒をふるまうと”はらだし踊り”で笑いと幸運を授けてくれるあやかしの”はらだし”。
それが橙依君のクラスメイトの原田 椎ちゃんなのだ。
最近はアリスさんの治療に幸運を授けるためにと、頻繁に『酒処 七王子』を訪れているの。
そして、あたしもその幸運のおすそ分けをもらっている。
「ご存知ですか珠子さん。ここのパンダプレートはお子様ランチのような子供だましではなく、大人も楽しめるパンダオムハヤシがキュートなんですよ。パンダを観に上野に来たなら、これを食べずしては帰れません。帰しません。いいですね」クイッ
有無も反論も許さない物言いの前に、あたしたちは「はい」という選択肢しかありませんでした。
天国のおばあさま……。
蒼明さんは想像以上のパンダガチ勢でした!
◇◇◇◇
パンダオムハヤシはあたしの想像以上の美味だった。
こういう観光地はお値段はそれなりなのに味はイマイチってケースも多いけど、ここは違って味もバッチリ。
「ふぅ。おいしかったー」
「……結構いけた」
「料理にはビジュアルが必要というがよくわかるメニューですね。パンダ君が一緒ですと、味も良くなるというものです」
蒼明さんがパンダオムハヤシを最後に食べたのはそういう理由があったからですね。
「さて、君たちはこれからどんな予定なのです? 私はこれからこの国立科学博物館を見学する予定ですが」
「あ、、あたしたちも同じですね」
「キョウリュウみたーい」
「恐竜なら地球館の地下1階ですね。そこに数多くの恐竜の化石や標本が展示されています。ですが注意して下さい。フタバスズキリュウは日本館に展示されていますから。あ、こっちは恐竜ではなく首長竜でしたか」クイッ
ガチです。
蒼明さんはパンダだけでなく、博物館もガチです。
「……恐竜、翼竜、首長竜、魚竜は全部違う、今やこれ常識」
「ボクも知ってるよー! 学級文庫のキョウリュウずかんで読んだもん」
「みんなスゴイわね。あたしはそこらへんは全然わからないわ」
海亀料理とか鰐料理ならわかるんだけど。
「……大丈夫。大きくて強い絶滅古代生物はみんな恐竜でいい」
「そうなの?」
「……そう。恐竜戦隊は実は恐竜の方が少ない。プテラノドンはまだしも、マンモスやサーベルタイガーがレギュラーなのはどうかと思う。追加戦士もドラゴンだし」
「おそらく、あれはワザとでしょう。そういう隙を作って興味を引かせているのだと推察されます」クイッ
そう言って蒼明さんは食後のコーヒーをクイッと飲む。
「なるほど……、誘い受けってことですね」
ブバッ
蒼明さんが吹いた。
「……珠子姉さん。その表現はどうかと思う」
ひとりだけ意味のわかってない紫君だけがキョトンとしていた。
◇◇◇◇
子供の体力はスゴイ。
モロサーのあたしじゃ、ついていけないわ。
恐竜標本がいっぱい並ぶフロアや、鯨の骨格標本が並ぶフロアとか、様々なフロアを回ってあたしはクタクタ。
下の展示と上の標本を観るために首を動かし過ぎたせいで、肩から首の筋肉が痛い。
コキコキと肩と首を動かしながらあたしはベンチに座る。
「おねーちゃん、はやくー、こっちこっち」
紫君はそう言うけど、あたしはもう付いていく元気はない。
「あたしはここらへんに居るから。勝手にみててー」
「わかったー」
あれ? そう言えば蒼明さんは?
さっきまで一緒に居たのに。
「……蒼明兄さんなら下のフロアに行ったよ」
あたしと同じベンチにちょこんと座って橙依君が言う。
下のフロアか、確か地球と宇宙とかのフロアだったっけ。
あたしはあまり興味ないけど、あの鬼畜博識眼鏡がどんなものに興味あるかは少し気になる。
それに下のフロアは人が少なそうだし、ひょっとしたら誰かと逢引きとかしてるかも!?
『貴女の全てを知りたい』とか言っちゃて。
「……きっとそれはない」
「あら、わからないわよ。蒼明さんって浮いた噂のひとつもないでしょ。ああいうのに限って、裏ではムッツリなことをしているのに違いないわ」
あたしはニヒヒと笑いながら立ち上がる。
「……また碌でもないことを考えて」
「禄なことを考えているわよ。あの鬼畜助平眼鏡への脅しになるようなネタがあれば……ぐふふ」
「……やっぱ碌でもない」
「いいから行くわよ」
あたしは下への階段を慎重に降りると、橙依君もゆっくりと付いてくる。
そして辿り着いた地下3階。
人の気配は無し、だけど”あやかし”の気配がひとつ……いやかなり弱いけどふたつかな。
やっぱり秘密の逢引き!? 証拠を押さえてゆすらなくっちゃ!
「……乙女の思考じゃないよ、それ」
橙依君の物言いなんて気にしなーい。
柱の陰からこっそり覗くと……、いた! 蒼明さんと金髪美女!
光を放つような金の髪に通った鼻筋、長い睫毛を蓄えた瞳は見る者全てに電撃すら与えるくらいの百万ボルト!
服装は古代中国っぽいから仙女の”あやかし”かしら。
蒼明さんと何かを話しているみたいだけど、ここからじゃよく聞こえない。
携帯のカメラはシャッター音が鳴るので最後に取っておくとして、会話の内容は気になる。
あたしは身をかがめ、そろりそろりとふたりに近づく。
「……ぅ」
「………ぶ」
うーん、まだよく聞こえないな。
もうちょっと、もうちょっと近くへ。
「……もう少しれちゅ。いぢゅれ、あなたのもとへ」
『……待ってますよ。蒼君』
はひっ!?
ガタッ
「誰ですっ!?」スチャ
しまった!
久しぶりの蒼明さんの赤ちゃん言葉に動揺したあたしの足が展示物とぶつかり音を立てた。
でもなぜ? あの”あやかし”は蒼明さんの好きそうなキュートなやつじゃないのに。
「にゃ、にゃーん」
「なんだ、キュートなにゃんにゃんでしたか……とでも言うと思いましたか?」キラッ
「にゃ……、にゃおーん」
蒼明さんはあたしを見てもキュートとは言わなかった。




