蛇女房とブホブホグレゴリザンス(その4) ※全4部
◇◇◇◇
”ゆけ! 酒蛙酒蛙!”
そのネーミングはともかく、味は絶品でした。
香草焼きと麹焼きはおそらく牛蛙を使ったものですが、その淡泊な味わいにハーブも麹も良く合いました。
そして何よりも……。
「この葡萄酒はおいしゅうございますです。苦みと渋みはありますが、それ以上の甘さと鼻を抜ける芳香! あの強い洋風蛙料理の味を一気に消して、また食べたくなってしまうのでございます」
「オゥ! シャンパーニュ・サケ! フルーティなのにスッキリ! このコウジ・ヤキがドントコイでーす!!」
蛇女房さんとフランス人の彼女の食欲がその見事さを物語っています。
少し、盛り上がり過ぎかもしれませんが……。
私も少し酔っています。
ほろ酔いくらいですね、でしょう、であるはず。
…
……
………
□□□
□□
□
いけない、少しウトウトしていたようですね……おや?
私の前に広がっているのは田園風景と田舎の家屋。
その庭の丸いテーブルに私は、私と蛇女房さんフランス人の彼女は座っていました。
ふたりは机に突っ伏して眠っているようです……。
……ですが、妙ですね。
家屋はレンガ造り、空の色が違います。
これは夏場を思わせる抜けるような青空です。
なるほど、そういうことですか。
私は得心しました。
「起きて……ではなく、気付いて下さい」
私はそう言いながらふたりをユサユサと揺すります。
「ああ、おなかポンポンでございます……あら?」
「うーん、もう食べれまセーン。オゥ?」
ふたりは顔を上げると、辺りを見回して首をかしげます。
「ここは、どこデスか? 私は『サカドコロ ナナオウジ』でグルヌイユを……」
「夢ですよ。ここは夢です」
「ああ、そうだったのですか。どうりでフランスの家っポイと……、どうかしましたか?」
周囲を見渡していたフランス人の彼女が、前に座る蛇女房さんの異変に気付きます。
「見えます。見えるのでございます」
そう言って蛇女房さんは閉じられた瞳を開き、そこから大粒の涙を流す。
そう、ここは夢の世界。
かつて私が迷い込んだ精神の世界。
肉体という軛はこの夢の中では何の枷にもなりません。
たとえそれが、失われた瞳であっても。
「夢ですものね。アア、ワタシのフルサトの風景が見えマス。まだ半月しか経っていないのに。もう、ホームシックなのデショウカ。見えますか? ここがフランスですよ」
「見えます、でも、今は貴女の顔を見ていたいのでございます」
「アラ、おじょうずデスね。いいですよ、タップリ見て下さい。ここは夢なのデスから」
フランス人の彼女が解放的なのは、彼女の性格からでしょうか。
それとも、料理人というのはこういう気質なのでしょうか。
あけっぴろげの珠子さんのような。
「もしよろしければ、貴女のアリアリグランパの写真を見せてくれませんか? タブレットを思い浮かれべれば出てくるはずです。ここは夢ですから」
「いいですよ。ワタシのレストランの創業者、アリアリグランパの自慢をしちゃいマース!」
彼女が空中に手を上げると、そこにタブレットが出現し、そこに彼女の店のHPが映し出されます。
私が珠子さんに見せてもらったレストランの歴史のページ。
彼女のひいひいお爺さんがレストランを経営する家族と撮った銀板写真です。
「ああ、ああ……」
涙の量が増えていきます。
「ど、どうしました? そんなにナいて?」
「いえ、とても懐かしくって、夢にまで見た顔と面影が似ていて……」
「? よくわかりませんが、すごい偶然デスネ」
「はい、奇跡のようでございます」
私は想像力を使ってハンカチを取り出すと、それをそっと蛇女房さんに渡します。
「ちなみに、貴女のアリアリグランパのお名前は? 日本からの移民と聞きましたが」
「うーんと、漢字はわかりませんが、確かフランスでは”ロック”とよばれてたみたいデスヨ」
「禄太……」
「そうですか、いい名前ですね。隣の方は奥さんですか」
「ハイ! アリアリグランマとアリアリグランパはとってもラブラブでした! 5人もベビィがいたんデスよ。ワタシもシンセキがいっぱいデス」
「禄太……、いいえロックさん、貴女のアリアリグランパは幸せだったのでございますね」
「ええ、モチロン!」
彼女の笑顔はとても素敵でした。
そして、涙を拭いた蛇女房さんの笑顔も、とても晴れ渡っていました。
夢の中のフランスの青空のように。
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カタッ
「あら? どこかにいかれますの?」
私がテーブルから立つのを見て、蛇女房さんが問いかけます。
「ちょっと尿意をもよおしました」
「ここは夢ですのに」
「夢だからですよ。生理現象には逆らえません。ふたりはもうしばらく寝てて下さい。楽しくおしゃべりをするといいでしょう」
「ハーイ」
私はレンガの家に、いいえ家のように見えるレンガの壁に身を隠します。
家の中はフランス人の彼女の夢の範囲外ということでしょうね。
「いるのでしょう、珠子さん、赤好兄さん」
「へへ、バレてましたか」
「ま、蒼明なら気付くと思ってたけどさ」
壁の暗がりからふたりが姿を現します。
「あと、出て来なさい。”夢のせいれい”」
私は少し語気を強め、虚空に向かって言い放ちます。
「ふぇふぇ、やはり気付いておった……、おられましたか」
姿を現したのは杖を持った老人。
私は少ししか遭遇しませんでしたが、かつて大悪龍王に扮した狐者異と手を組み、日本を悪夢の恐怖で支配しようとした”あやかし”です。
「あなたも藍蘭兄さんと同じ異榻同夢が使えるのですね、誰かと誰かに同じ夢をみせるという」
「ふぇふぇ、儂は”夢のせいれい”じゃからの。じゃが、鍵となる者が目覚めたら、この夢は終わりじゃ。今はそこの珠子……様の夢に間借りさせて頂いています」
なるほど、この夢の基本は珠子さんですか。
「幽世に逝かなかったとはしぶといですね。ですが、かなり、妖力を失っているようですね」
「ふぇふぇ~、もうあんなのは懲り懲りじゃわい。今でも夢の中で”あやかし”たちに追い回される毎晩なのじゃ」
そう言って”夢のせいれい”は身体を震わせます。
「珠子さん、この前、店の裏手で話をしていた相手はコイツだったのですね」
あの時、珠子さんが怪しい素振りを見せた夜に微かに感じた”あやかし”の気配。
取るに足りないと思っていましたが、”夢のせいれい”だったとは。
「で、よくも私の私達の前に姿を見せられましたね。藍蘭兄さんや緑乱兄さんがここにいたら、またぶっ飛ばされてましたよ。今度こそ幽世まで」
”夢のせいれい”との最終決戦、その顛末を私は知っています。
夢の中に持ち込める伝説の武器、水破と兵破、そして退魔僧の夢違観音によって”狐者異”と”夢のせいれい”は倒されたと。
「ふぇふぇ、そうなんじゃ。そう思うと儂は夜も眠れないほど行き場がなくっての」
「で、こいつは珠子さんと俺の所に助けを求めに来たってわけさ」
「あたしもびっくりしましたけど、もう反省しているみたいですし、許してやってもいいんじゃないかと」
「まったく、ふたりとも甘いにもほどがあります」クイッ
あの時、赤好兄さんは夢の世界に入りませんでした。
珠子さんが甘いのはいつものこと。
たから”夢のせいれい”はふたりにコンタクトを取ったのですね。
フゥ
私は軽く溜息を吐きます。
「得心しました。珠子さんが自身たっぷりに『あたしに任せて下さい』と言ったのは、この策があったからですね。目の見えない蛇女房さんにフランス人の彼女が血族だと確信させるには、夢の中で引き合わせるしかないと」
「せいかーい! 料理とお酒でウトウトさせて、夢の中で感動の対面! うまくいったでしょ」
「ええ、そして、だからその礼として、この”夢のせいれい”を私の庇護下に入れろと」
「さっすが蒼明さん! その通りです!」
「ふぇふぇ~、助けて下され。もう、夢の中で追い回されるのは勘弁じゃわい」
杖を置き、地面に土下座して”夢のせいれい”は懇願します。
「蒼明の所には”串刺し入道”って悪さをしたやつもいるって話じゃないか、いいだろ?」
「必ずお役に立ちますですじゃ」
確かに、”夢のせいれい”は有用です。
今回のように、心のケアの面では役に立つでしょう。
「しょうがないですね。ですが、次に尊大な野望を持ったら、次は私が直々に幽世に送ります。いいですね」キラーン
「ふぇふぇ~、ありがとうですじゃ。アリスのような眠り続ける人間もいない今、もう、あんなことは出来ないし、しないのでございますじゃ」
地面に頭をこすりつけて”夢のせいれい”は感謝の意を示します。
やれやれ、他の”あやかし”への説明は大変ですが、ま、いいでしょう。
「ところで赤好兄さん、どうして兄さんまで夢の中に来たのです? 今の珠子さんの身体を守っているべきだと思いましたが」
「身体の守りは黒龍に任せているから安心さ。俺がここに居る理由は単純、夢で珠子さんに逢えたらロマンチックだと思ってな。素敵なことだろ?」
「んもう、赤好さんったら」
思ってもいなかった返しに私は軽く笑い、珠子さんは照れたのか兄さんの背中をバンバンと叩きます。
「そうですね、とてもロマンチックです。誰もが」チラッ
私が視線を庭に移すと、そこでは笑い合うふたりの姿が見えました。
まるで、長い旅をした家族が帰ってきたような……。
そんな家族を迎えて笑う蛇女房さんの姿が。
◇◇◇◇
奥多摩の森深く、蛇女房さんの棲む、いや護る沼に私たちは立ちます。
「それでは、お願いします」
「かしこまりました。わたくしの望みに誠実に応えて下さいました貴方を信じます。この日本に迫る危機。それは早期に対応しなければなりません。たとえ、厄災のひとつを解き放ってでも」
蛇女房さんが沼の水面に軽く手を触れると、そこから沼の毒気が引いていきます。
いや、ある一点に集まっていきます
「あちらでございます。あれが”殺生石”の大欠片でございます」
”殺生石”
それは九尾の狐、玉藻前の伝説に登場する存在。
平安の世、宮中からこの国を傾けようとした大妖狐”九尾の狐”が正体を見破られ那須の地で討ち取られた時、その身体は岩へと転じたと伝えられています。
その岩はそこに在るだけで人も鳥獣も”あやかし”さえも、その命を脅かした。
ゆえに、それは殺生石と呼ばれた、と。
伝説の最後では、南北朝時代に殺生石の悪名を聞いた玄翁という高僧によって殺生石は砕かれ、その欠片は全国に飛び散ったと伝えられています。
その毒気の塊、いや瘴気の源が私たちの前に鎮座しています。
「迷い家さん、あれを」
『はい、蒼明様』
迷い家さんの核より出でたのはガラガラと音を立てる革袋。
「蒼明様、それは、もしかして……」
「はい、これも私たちが全国から集めた殺生石の欠片です。かなり小さいですが、この数を加えれば……」
私は沼の水面を滑るように進み、革袋の中身をジャラジャラと殺生石の大欠片へと振りかけます。
『蒼明様! 沼が!』
「ええ、ここの気を吸い上げているのでしょう」
黒く濁った沼は、月の光を美しく反射する泉に姿を変え、その代償とばかりに目の前の岩が闇の深淵へと姿を変えていきます。
「ぷっはー! 久々の娑婆だぜ! ふー、スッキリスッキリ!」
岩は褐色の肌の”はしたない女”へと姿を変え、その女が私の前に仁王立ちします。
全裸で。
「おっ、手前がオレを復活させてくれたのか? サンキュな、お礼に見逃してやんよ。とっとと失せな」
見られていることを全く気にしていないように、その”はしたない女”はウーンと伸びをして関節をコキコキと鳴らします。
「いえ、それは遠慮します」クイッ
「ん、なんだ? それはオレ様と戦いたいってことか? やめとけやめとけ、オレはそれなりにやるぜ」
「それも違います。私の望むお礼は、そうですね……」
そして私は軽く溜息を吐き、ひとつの紙袋を彼女に渡します。
「まずは服を着て下さい」クイッ
◇◇◇◇
私が適当に服飾店で見繕ったTシャツとGパンを身に着け、彼女は軽く体操をしながら、その着心地を確かめます。
しかしなぜ、シャツの下半分を破り、ジーンズも股横で破るのでしょうか。
ま、彼女なりのファッションだと思って黙っていましょう。
「当座の服としてはまずまずだな。んじゃ、そういうことで、消えな」
彼女の妖力が膨れ上がり、その圧に押されたのか蛇女房さんが「ヒッ」と悲鳴を上げて岩陰に隠れます。
「そういうわけにはいきません。まだお礼を頂いていませんから」クイッ
「はぁ、お前は見かけによらず身の程知らずだな。いいぜ、聞くだけは聞いてやるよ何が望みだ? 誰か殺して欲しいやつでもいるのか? いい男じゃなけりゃ殺してやるぜ」
「違います。私の名は蒼明、八岐大蛇の五男で妖怪王候補のひとりです」
「はあ、そんで」
八岐大蛇にも妖怪王という単語にも全く興味なさそうに彼女は言います。
「貴女には私の客将なってもらいたい。私の目的には貴女が必要なのです。それが私の望むお礼です」
「ぷっ、ぷっ、てめえごときが!? いやいや、面白い冗談だぜ! 手前にオレを扱う器量も度量も力量もあるようには見えねえがな!」
私の胸を指さし、大口を上げて彼女は笑います。
「私の最大の長所はこの智にあると思っています」クイッ
私は自分の頭を指さし、それに反論します。
「へぇ、おかしこいことで。で、その”智”で何が出来るってんだよ」
彼女の問いに私は真剣な顔で答えます。
「私は足し算ができます」クイッ
彼女の顔が愉快そうな顔になりました。
「ぎゃ、ギャハッハッハ、そりゃいいや! おかちこいちゅね! かちこい、ああ、かちこい!」
腹をかかえ半涙目になりながら彼女は笑い続けます。
「殺生石に封じられたと伝ええられている”白面金毛九尾狐”、貴女はその分身ですね」
「ああ、そうだぜ」
「その分身は基となった殺生石の大きさによって尻尾の数が違う。ですが、分身の尻尾の合計は九。分身全てが集まった時、九尾の狐が復活する。ここまではいいですね」クイッ
「ああ、その通りだぜ。オレは一尾、褐色臍出随一狐、おタマさ」
なるほど、Tシャルを破っていたのは臍出しのファッションポリシーからでしたか。
どうでもいいことですが得心しました。
「今、この日本には”白面金毛九尾狐”の分身と思われる妖狐の活動が確認されています」
「へぇ、オレより先に復活したヤツもいるのか。そろそろ完全復活の時かもな」
「その分身は4体」
そう言って、私は4本の指を立てます。
「一体目は『白面黒髪万死狐』、四尾の玉藻」クイッ
私は指をひとつ曲げます。
「二体目は『幼面短髪無二狐』、二尾のコタマ」
私はふたつめの指を曲げ、彼女はつまらなそうに欠伸をします。
「三体目は『覆面吟唱三友狐』、三尾のミタマ」
指をみっつ曲げた所で、おタマさんの表情が変わり、そこから笑みが消えました。
「おい、それは、どういうことだ……」
「だから私には貴女が必要なのですよ。混じり毛なしの本物の九尾の狐の分身が」
そして、私は最後の指を曲げ、言い放ちます。
「最後に貴女、『褐色臍出随一狐』、一尾のおタマ」
もう、彼女の顔からは私を小馬鹿にするような表情は消えていました。
「もう一度、言いましょう」クイッ
私は少しの間を置き、深く、鋭く、真実を告げるような重さで彼女に向かって口を開きました。
「私は、足し算ができます」




