蛇女房とブホブホグレゴリザンス(その2) ※全4部
◇◇◇◇
ふむ、今日は少し騒がしいですね。
『酒処 七王子』の裏手、居住館への道を歩きながら、私は店舗から聞こえてくる喧騒を耳にします。
先日から珠子さんが企画した”カエル しゃあしゃあ フェア”が実施中ですから、そのせいでしょう。
蛙を好んで食べる生き物は多い。
蛇、狐、狸は言うに及ばす、鳥や魚、果てには大型のカエルまで。
鳥獣由来の”あやかし”からすれば”カエルフェア”は人間で言うところの肉バルフェアみたいなもの。
蛇女房さんに渡したカエルの唐揚げも、そのテイクアウトメニューのひとつでした。
ま、商売繁盛は結構なことです。
ガサッ
ん、この気配は珠子さんと……
厨房裏手に”あやかし”の気配を感じ、私はそこに向かいます。
理由は、その”あやかし”の気配あまりにも小さいからです。
ちっちゃくでキュートな動物の”あやかし”でちょうか。
「珠子さん、どうかしましたか?」
厨房の裏手でひとり佇む珠子さんに私が声をかけます。
「ひょっ!? ひょうめいさん!?」
彼女はちょっと変な声をあげました。
「な、なんでもありません。なんでもありません。いやぁ、今日は生ゴミがいっぱい出て」
「生ゴミがいっぱい出るのは当然でしょう。飲食店ですから」
「そうですね、そうでした、いやぁ、そんなことに気付くだなんて、蒼明さんは相変わらず頭がいい」
少し怪しいですね。
「どなたかと一緒でしたか? 珠子さんの他に小さな気配を感じたのですが……」クイッ
「だ、だ、だれとも一緒ではありませんよ。さっきまではひとりっきり、今は蒼明さんとあたしのふたりっきりです。ロマンチック・ド・ストライク!」
……なんでしょう、ものすごく怪しいです。
「そ、そうだ! 今日はちょっと面白いお客さんが来たんですよ。なんと、本場フランスで星を持つレストランのコックさんです!」
私の視線をよそに珠子さんは早口で話を続けます。
「その人は色白美人の方で、日本の郷土料理を研究しに来日したそうですよ。駅前で配っていた”カエル しゃあしゃあ フェア”のチラシを見て来店されたそうです。知ってます? フランスではカエルはGrenouilleと呼ばれて、カエル料理も一般的なんですよ。そうだ! 蒼明さんに聞きたいことがあったんです! 立ち話も何ですので、中でお話しましょ、そうしましょ!」
そうまくし立てた後、珠子さんは私の腕を取り店内に引き込みます。
怪しいことこの上ありませんが、まあ、いいでしょう。
「みっなさーん! この店No.1の知恵者を連れて来ましたよー!」
「おっ、蒼明、いい所に帰ってきたぜ。お前って大学でフランス語をやってたよな」
カエルの串焼きを手に赤好兄さんが私に問いかけます。
「ええ、第二外国語で」クイッ
「よし、そこで聞きたいんだが。”ブリブリ悪魔ザンス”って料理に心当たりは?」
「は?」ズルッ
私の眼鏡が橙依君の読んでいるギャグ漫画のように大きくずり落ちました。
◇◇◇◇
「なんですか、その”ブリブリ悪魔ザンス”という珍妙なメニューは? 本当に料理なんですか?」
「料理さ。だけどよ、その正体がまったくわからないから困ったもんさ」
「料理なら珠子さんの方が得手なのでは? あえて言うなら悪魔風というソースが欧州にはあったはずです」クイッ
ピリ辛風の味付けを悪魔風と呼ぶことを私は知っています。
「それがあたしにも分からないんです。こんな料理名は見たことも聞いたこともありません。幕末のころの日本料理のフランス語名なんじゃないかという話なんですが……」
「幕末ですが……、今日はやけに昔の難題に直面しますね」クイッ
「おや、お前さんも別の問題を抱えてるのか?」
「ええ、蛇女房さんからの難題です」
「へー、偶然ですね。どういう内容なのか話をしてくれません。正直、こっちは煮詰まってしまって思考をちょっと変えてみたい所なんですよ」
頭をムムムと抑えながら珠子さんが言います。
そうですね、このふたりに助力を求めるのもアリかもしれませんね。
こちらも手詰まりですから。
「いいですよ。話は単純ですが、解決は難しいです。それは蛇女房さんが夫と息子を別れて……」
…
……
………
「なるほど、別れた息子の子孫が元気でいるか知りたいという望みですか」
「ええ、彼女の信頼を得るために、その難題を解決したいのですが……、まあ無理でしょうね」
「そりゃそうさ。子孫を見つけるだけじゃなく、目の見えない蛇女房さんでも子孫ってわかんなきゃいけねぇんだろ。夫や息子なら声とか抱き心地とかでわかるかもしれねぇが、子孫となると無理さ」
赤好兄さんはお手上げとばかりに手を挙げて左右にヒラヒラと振ります。
「そちらも難問ですね。ちなみにその”ブリブリ悪魔ザンス”というのはどこから来たんです?」
「さっき話をしたフランスのコックさんからです。『日本にそういう郷土料理はアリマせんか?』って。その方のひいひいお爺さんが日本人だそうで、彼が開いたレストランの当時の看板メニューがが”ブリブリ悪魔ザンス”だったそうです」
幕末の時期、徳川幕府はフランスから近代兵器を買い付けていたという歴史があります。
その取引の中でフランスに骨を埋める決心をした日本人もいたでしょう。
日本人がフランスで開いたレストランのメニューに日本料理を取り込んだのがウケたのでしょうか。
「これが彼女のフランスのお店のHPです。フランスにはこういった民家風のレストランがいっぱいあるんですよ」
そう言って珠子さんが見せたスマホ画面には、年季の入ったレンガの壁を持つ民家風レストラン。
このシェフとして紹介されている女性が来店した方なのでしょ……!?。
「この女性は?」
「その人が件のフランス人のお客様です。どうかしましたか?」
「この人には蛇女房さんの面影があります!」キラッ
北欧系を思わせる色白でスラリと伸びた鼻筋。
日本人らしからぬその顔は、蛇女房さんにかなり似ていました。
「どういうことだ? まさか、あのフランス美人さんが蒼明の話の蛇女房の子孫だと言うのか」
「わかりません。他人の空似という可能性もあります。珠子さん、彼女が話をしていたひいひいお爺さんの写真はありませんか?」クイッ
「は、はい、このHistorieのページに……」
彼女がHPのタブをクリックすると、そこにお店の前で仲良さそうに立つふたりのフランス人の男女。
「これは銀板写真ですね。それもかなり年季の入った」
HPの画像の元となっていたのは、ダゲレオタイプと呼ばれる初期の白黒写真。
日本でも、幕末から明治にかけての偉人の写真を撮影した方法です。
「はい、銀板写真だと思います。そして、これがはレストラン創業時の写真です。男性がひいひいお爺さん、女性が現地で結婚したフランス人の方だそうです」
「この男性が移民した日本人なのですか!?」
私が驚いたのも無理ありません。
そこに写っていた男性は、フランス人と見間違うほど日本人離れした顔でしたから。
「ええ、彼女の話ではこの日本人離れした顔が現地で受け入れられた理由のひとつだそうですよ。そう、まるで日本人以外の血が混じっているくらいの……」
私と珠子さんはハッとなって顔を見合わせます。
「この方がひょっとして!?」
「そうかもしれません。おや、ここは……」
私が注目したのはお店に掛けられている小さな黒板。
そこにはメニューとおぼしき文字が綴られています。
”Bu…ri…Bu…ri… G…r…g…rizans”
擦れてはっきりとは見えませんが、そんなアルファベットが何とか読み取れます。
「それですそれ! 彼女が話をしていた”ブリブリ悪魔ザンス”。彼女はそれを『ブリブリ グリゴリ ザンス』と書かれているのではないかと言っていました」
「Grigori……確か旧約聖書の偽典のひとつ、”エノク書”に登場する堕天使の一団、つまり悪魔の一団ですね」
「さっすが蒼明さん。博識ですね。あたしも彼女から聞いて知ったんですよ。彼女はzansは日本語で山々を示し、大量の悪魔の一団。つまり大盛を示していたのではないかとおっしゃってました」
なるほど、確かに遠目にそう読めなくもありません。
ですが、何か違和感が……。
それに、もし、このフランスに移民した男性が蛇女房さんの息子か孫だとしたら……。
スチャ
これは眼鏡の位置を正す音ではありません。
私がタブレットを取り出す心の擬音です。
「どうした蒼明? 何か気づいたのかい?」
「この”ブリブリ悪魔ザンス”に何か心あたりでも?」
「あります、あるから調べているのです」クイッ
私が調べるのは蛇の食性、蛙の生息分布、そして蛇女房さんがつぶやいた言葉。
『ごとうべ……』
牛蛙を食べた彼女がつぶやいたその言葉、それが決め手でした。
そして、私はある仮説にたどり着きます。
仮説とは言っても、根拠も論理もあり、あとはそれを立証するだけの仮説へと。
「なるほど、得心しました」クイッ
タブレットのとあるページを開き、私はふたりにそれを見せます。
「これは……ひょっとして?」
「おいおい、そういうことかよ」
タブレットを見て、ふたりは私の意図を汲み取ります。
「そうです、おそらくこの古い写真に書かれていたのは”ブリブリ グリゴリザンス”という悪魔の料理ではありません! これは日本語でごとうべい、すなわち!」
私は眼鏡の弦に手をかけ、少し言葉を溜めます。
「”ブホブホ |グレゴリザンス《Gargarizans》!」キラーン
◇◇◇◇
チリン
『酒処 七王子』の扉が開き鐘が鳴ります。
「気を付けて下さい。段差がありますから」
「お気遣いありがとうございます。でも、平気でございます。わたくし、実は熱を感知できますので」
私に手を引かれた蛇女房さんがウフフと笑いながら店内に入ります。
「いらっしゃいませー! お客様が蛇女房さんですね。うわー、すっごい綺麗な方」
「こいつは別嬪さんだな」
いつものカジュアルな服ではなく、給仕服に身を包んだ赤好兄さんがヒューと声を上げます。
赤好兄さんの言う通り、蛇女房さんは綺麗でした。
月光の静かな光でもその美しさは認識していましたが、灯りの下ですと、それがもっとハッキリわかります。
「ふふふ、面白い方。今日は特別な蛙料理をごちそうして頂けるそうで。楽しみでございます」
「ええ、それだけではありません。他にも特別な蛙料理に関心のある人が来店される予定なんですよ。もうすぐ来ると思います」
珠子さんがそう言って蛇女房さんを席に案内すると、チリンとドアの鐘が鳴ります。
来たようですね。
件のフランスの方が。
「コンバンワ、ブリブリ グリゴリ ザンスの正体がわかったと聞いてキマシタ」
これは…。…
私は彼女の顔を見て、息を飲みます。
理由は明白。
彼女の顔は写真よりも遥かに蛇女房さんに酷似しているのですから。
「アラ? ワタシの他にも外国の方がいらっしゃるみたいデスね。どこの国のかたデスカ?」
蛇女房さんの姿を見て、フランスの彼女が話かけます。
「いえ、わたくしは日本の者です。奥多摩より参りました」
「オクターマ!! そこはワタシのアリエ-アリエル-グランペールのふるさとデース。キグウ!」
「ありありぐらんぺ?」
「アリエ-アリエル-グランペールはフランス語で高祖父、ひいひいお爺さんを示す言葉ですよ。彼女の高祖父も奥多摩に住んでいたそうです」クイッ
私の説明に蛇女房さんの気配が変わるのが分かります。
「補足しますと、貴女とフランスの方の容姿はかなり似ていますよ。肌や髪の色や顔立ちまで」
「ソウデス。ダカラ、ワタシまちがえました。アナタもユーロのどこかのヒトかと。でも、ワタシのアリアリグランパも日本人ばなれしたカオでしたから、ナットクです。んふふ、ワタシたち遠いファミユかもしれませんね」
「彼女は貴女のことを遠い親戚じゃないかもって言っていますよ」
「そ、そうですか。ですがお恥ずかしいことに、わたくしはこの通り盲ですのでこの方の顔がどれだけ似ているかわからないのです」
目の前に居る彼女が求めていた子孫かもしれない。
蛇女房さんがそう考え始めているのは明白でした。
だけど、その目はそれを確かめられないのも事実。
「目がワルイのですか?」
「はい、昔の怪我で、御見苦しいでしょうが……」
「そんなことアリマセーン! そのケガはアナタがガンバって生きた証デース! ハズカシクも! ミグルシクも! ゼンゼンチガイまーす! アナタはとってもビューティーです!」
フランス人の彼女は蛇女房さんの隣に座り、その手を軽く握って語り掛けます。
どうやら彼女は良い人みたいですね。
「ソレデ、アナタもブリブリ グリゴリ ザンスを食べに来たのですか? タマコさんのスペシャリテを」
「いいえ、わたしくは久しぶりに”ごとうべい”を」
「ゴトウベイ? 日本のイソベイヤキみたいなモノですか?」
「いえ”ごとうべい”は……」
ドンッ
その会話を遮るように、ふたりの座るテーブルの前に調理台が置かれました。
日本料理などで板前さんが客の前で実演調理する、そんな台です。
「さて、おふたりとも今日は『酒処 七王子』の”カエルしゃあしゃあフェア”にようこそ! これよりお店しますのは、かつてフランスに渡ったひとりの日本人が現地に開いたレストランの看板料理!」
調理台に立った珠子さんは、そう言って本日の特選食材を台の上に置きます。
それは、私と赤好兄さん、そして珠子さんが必死になって山や畑や乾いた田を探して見つけた食材。
「あら、その気配は……」
「はい、これは”ごとうべい”です」
「まあ、やっぱり!」
「そして、これはお客様のアリアリグランパのスペシャリテ。古い写真の擦れた文字だとブリブリ グリゴリ ザンスとも誤読してしまう食材」
生きているが動かない、その食材を見てフランス人の彼女は目を丸くします。
そして、実物を見て、正しい綴りに、正しい学名に到達したのか、その口を大きく開けて叫びました。
「ワカリマシタ! あれはブリブリ グリゴリ ザンスじゃなかったデスね! それはアジアのコモントード! ブホブホ |グレゴリザンス《Gargarizans》!!」
私と同じ結論に達し、フランス人の彼女が叫びます。
そう、あの謎の響きを持つ文字は、正確には料理名ではなく食材名だったのです。
その正体はToad。
日本では”ごとうべい”とも呼ばれる両生類。
一般的にはこう呼びます。
”ヒキガエル”と。




