亀姫とチュクチュク(その3) ※全5部
◇◇◇◇
時刻は朝、午前7時。
普段ならこんな時間から営業しているカフェカーは少ない。
小規模経営のカフェカーでは要員の調整や仕込み、そして客数の問題で効率的ではないから。
でも、そこを狙えば勝機、いや商機はある。
「いらっしゃいませー! 南国の朝食”チュクチュク”と”ナシ・レマ”のセットでーす! コーヒーやお茶との相性バッチリですよー!」
「とっても美味なのでございますー!」
あたしたちは早めに出社される仕事熱心な方に声をかける。
そしてその隣で、
「山口名物”ゆうれい寿司”! これを食べないのはおバカなんだからー!」
コタマちゃんもお弁当を持ちこんで販売している。
「珠子様がおっしゃっていた”ゆうれい寿司”でございますよ。大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫ですよ。それに願ったり叶ったりです。あれなら売れ行きは上々でしょう」
コタマちゃんって本当に料理の知識も腕もスゴイのね。
”ゆうれい寿司”はこの亀姫様のトンでもないお米の山の消費にバッチリだもの。
そして、それを出すってことはあの”ゆうれい寿司”はオリジナルに近いんじゃないかしら。
でも……
「どうしてそっちばっかり売れてるのよ! こっちの方がおいしいのに!」
売れ行きは”チュクチュク & ナシ・レマ”の方が上。
こっちは半分くらいのお客がドリンクとセットで買っているのに、コタマちゃんの方は数個売れただけ。
「心配しないでコタマちゃん。ランチの時はきっと”ゆうれい寿司”の方が売れると思うわ」
「なによ、わかった風な口ぶりをして」
「わかってますから。コタマちゃんがとってもお料理が上手ってことは」
あたしがフフフと笑ってそう言うと、コタマちゃんは「そ、それはそうだけど」とムーとふくれながら視線を逸らす。
可愛い。
「でも珠子様。あの”ゆうれい寿司”って人気が出るほど美味しいのでございましょうか。私にはただの白飯に見えるのでございますが」
亀姫様が指さすお弁当のパックはスーパーなどで売られている”白飯”と同じもの。
具もおかずも漬物さえ添えられてない純白の白。
「あれが”ゆうれい寿司”ですよ。山口宇部の吉部村のハレの日の伝統寿司です」
「あれがハレの日の料理でございますか? 正直、貧相に見えるのですが」
「食べればわかりますよ。そうですね、10時頃はお客さんも減りますので、そこでお互いに食べ合いっこしませんか?」
「わたしに敵と馴れ合えっての?」
あたしの申し出にコタマちゃんが少し反抗的な口調で応える。
「敵の戦力や力量を知るのは勝負で重要ですよ」
「……一理あるわね。いいわ、食べたげる。そっちも、わたしの料理に震えて待ってなさい」
「ええ、楽しみに待ってますよ」
そう言ってあたしはフフフと笑った。
◇◇◇◇
「これが”ゆうれい寿司”ですか。見た目はただの白飯、いや酢飯でございますわね」
「そうです。この白いケースの上ですと、まるで姿が消えたように見えるでしょ。だから”ゆうれい寿司”」
真っ白なお皿の上にのった”ゆうれい寿司”は保護色でその姿を隠す。
”ゆうれい寿司”は幽霊のように白い姿をしているのだ。
ちゃんと白い容器や皿を用意しているなんて、コタマちゃんもそこはわかっているわね。
「こっちの”チュクチュク”と”ナシ・レマ”は花柄のケースね。簡素だけどそれなりじゃない。確か南蛮の料理だったわね」
「マーシャル諸島とマレーシアの料理ですよ」
「南の方なんてどれも一緒じゃない」
コタマちゃんの言う南蛮とは、戦国時代と江戸時代のポルトガルやオランダを指す南蛮ではなく、きっと古代中国の意味での南蛮。
中国の中央の王朝に属さない南の国を指す言葉。
マレーシアは確かに南蛮だけど、オーストラリアの北東のマーシャル諸島はちょっと遠いと思う。
「ではいただきますわ」
「いただくわ」
亀姫様とコタマちゃんの箸が動き、”ゆうれい寿司”と”チュクチュク”と”ナシ・レマ”が皿から消えていく。
あたしも”ゆうれい寿司”をパクッ
「おいしいです! ただの酢飯に見えて、ただの酢飯なのにこんなにおいしいだなんて!」
「ええ、見事な昔ながらの”ゆうれい寿司”ですね」
あたしの口に広がったのは、まず柚子の香り。
酢のツンと来る香りではなく、柑橘の爽やかな芳香。
そして深みのある塩味、最後にお米の旨味と甘み。
”ゆうれい寿司”は押し寿司の一種だけど、そのギュッと圧縮されたお米が、見た目以上の満足感を胃に与えてくれる。
「ふふん、おいしいでしょ。でも、そっちもやるじゃない。椰子の乾燥胚乳をまぶしたおむすびに、胚乳汁と生姜で炊いたおむすびなんて。酸味は檸檬……少し違うわね。何の味かしら?」
「現代ではココナッツフレークとココナッツミルクと呼ぶんですよ。使ったのはレモングラスです。レモンのような香りが出る草ですよ」
「ふーん、南蛮か天竺あたりにそんなのがあるって聞いたことがあるけど、これがその味なのね」
懐から手帳を取り出し、コタマちゃんはメモを取る。
勉強熱心だなー。
「昨晩も食べましたけど、このチュクチュクとナシ・レマは甘いのに不思議と後を引く味でございます。コタマさんの幽霊寿司も、お米の味がしっかりしていて美味でございます」
「でしょ! わたし、日本では素材の味を引き出すのがウケるって知ってるのよ! それにボリュームもあるし。ランチでは絶対に逆転するんだから!」
ランチ用の用意した”ゆうれい寿司”弁当の山を見ながらコタマちゃんが言う。
「うーん、あたしも負ける気はありませんけど……」
「なによ、その含みを持った言い方」
コタマちゃんの声を聞きながら、あたしはスマホをチェック。
「多分、そんなことを言ってられなくなりますよ」
スマホの画面にはSNSの通知が鬼のように並んでいた。
◇◇◇◇
「ちょ、ちょっと、これ、いくらなんでもひどすぎない!?」
「だから言ったじゃないですか! はい、次の方。ゆうれい寿司とチュクチュクとナシ・レマのセットにコーヒーですね。ありがとうございまーす!」
「ひー、手がおいつきませーん!」
ランチタイムは戦場になった。
朝食で”ゆうれい寿司”と”チュクチュク & ナシ・レマ”を買った人がSNSにそれを投稿。
あたしがそれを拡散。
珍しいお弁当が販売されていますよってな感じで。
最初は『これを見た人が少し遠出をして買いに来てくれたらいいなー』くらいのつもりでやったのだけど……。
なんと、マーシャル諸島大使館職員とかゆうれい寿司の故郷の山口観光協会まで巻き込んで、再拡散されてしまったのだ。
「た、珠子様! 追加はまだですか!?」
「さっき『今、店を出たぜ』って出前みたいなことを言ってたから、もうすぐ……、あー! こっちこっちー!」
弁当の山を載せたリアカーを引く緑乱おじさんの姿を見て、あたしは大声を上げる。
「はい、ごめんなさいよ。ちょっと通してくださんせってな。ほい、待たせたな、追加の弁当100丁!」
「ありがとうございます! でも、足りないからもっと追加で作ってってお願いしてくださーい!」
SNSの情報が人を呼び、その人が列を呼び、果てには列が列を呼んでしまった。
あたしとコタマちゃんが用意していた200食ずつのお弁当、計400食はもう完売間近。
なので急遽『酒処 七王子』で追加を作ってもらって、運んできてもらったのだ。
”ゆうれい寿司”も”チュクチュク&ナシ・レマ”も米さえ炊けていれば、さほど手間がかからないのが幸いした。
「あと、橙依からこいつも預かってきたぜ。きっと役に立つだろうって」
緑乱おじさんの手に握られたそれを目にして、あたしは彼の気配りに感謝する。
きっと、あたしの心の叫びを学園で感じて、授業の合間で作ってくれたんだわ。
「ありがとう! でも、それを受け取るわけにはいきません!」
「だよな。こいつは俺っちがしかるべきヤツに渡しておくぜ」
そう言って緑乱おじさんは空のリアカーを引きながら、長い行列に沿うように進んでいった。
おじさんの肩には『最後尾』と大きく書かれた看板が乗っていた。
◇◇◇◇
「ひー、ひー、やっと一息つけそうですね」
「疲労で手の震えが止まらないのでございます」
「なによだらしない。でも、こんなに大勢に攻められたのはあの時以来だわ」
ランチタイムを越え、おやつ時を抜けてやっと人の列は消えた。
普通はランチタイムが終わったら、どんな弁当の繁盛店でも人の波は止まるのだけど、今日はオフィス街の人だけでなく、物珍しさから来た人が多かった。
結果、こんな時間まで大忙し。
あたしも亀姫様も疲労困憊で、コタマちゃんだけは何とか気を張っている。
「あ、あと残りはどれくらいでしょうか?」
「チュクチュク&ナシ・レマが10、ゆうれい寿司が12ですね」
「ふんだ! 今は負けてるけどこれから逆転するんだから。だって帰宅する人にはわたしの方が売れるはずなんだから」
コタマちゃんはまだ勝負にこだわっているみたいだけど、あたしは正直もうどうでもいい。
あたしのミッションはお米の山を売りさばく算段を付けることで、この調子なら明日以降も売れ行きは順調確実。
「かなりの商売繁盛したようだな」
「左様。これも珠子殿とコタマ殿の卓越した腕の功績」
「あ、黄貴様、鳥居様。いらっしゃいませ」
あたしが亀姫様の所に来ることになった切っ掛けの黄貴様がお供の鳥居様と共に現れた。
「へっへっへろ~、あたしの手にかかればこれくらい、朝飯前ですよ」
少し疲れた声であたしは黄貴様に返事をする。
「頼もしいな。その分ならば、この繁盛を長く続ける算段も出来ているのであろう」
「黄貴様も鋭いですね。メニューが1品、いやコタマちゃんのと合わせて2品だと飽きられるのではないかと危惧されているのですね」
「うむ。そして同時に女中を信頼している」
”信頼している”。
そう言われると、少し嬉しい。
前から思ってたんだけど、黄貴様って、やっぱり”王”なのよね。
自身が出来なくても、部下にそれを任せ、さらにその能力を引き出したり、やる気にさせるのが上手い。
自分で何でもやっちゃう鬼畜眼鏡とは大違いだわ。
「その期待に応えますよ。実は”チュクチュク&ナシ・レマ”にココナッツフレークの他に抹茶やベリー、ココアパウダーをまぶしたバリエーションを考えています。朝食やランチだけでなく、間食ならぬ甘食もターゲットにしています」
「あら、わたしの”ゆうれい寿司”だって負けないわよ。今日のはオリジナルの米と柚子と塩だけだけど、今風のハモやエソの白身魚のベースとを混ぜた物や、かやくご飯を下の段にした二層構造の物や、季節に合わせて菜の花や桜でんぶでカラフルにした段との三層構造の季節物まで、一年中男を……、ううん人間を飽きさせない工夫を考えているんだから」
「やりますね。もしコタマちゃんがそこを考えてなかったら、あたしがアドバイスしようと思っていた所ですよ」
「みくびらないで、この程度は余裕よ、よゆー」
そう、あたしたちというか亀姫様の商売はまだ続く。
今日はSNSのおかげで成功したけど、人気を継続させるのは難しいのだ。
だから飽きさせない工夫が必要だと思っていたけど、コタマちゃんも同じことをちゃんと考えていた。
すごいなー。
”あやかし”の中なら料理は一番じゃないかしら。
「女中よ、勝負というのはどういうものだ?」
「どちらのメニューが先に売り切れるかの競争です」
最初は200食を早く売り切る競争だったけど、いつの間にかそうなっていた。
「なるほど、残りは?」
「あたしが10食、コタマちゃんが12食です」
「よし、わかった。なら我が決着を付けよう」
そう言って黄貴様は手にした扇子をパッと開く。
あ、なんか次の展開が読める。
あたしも黄貴様のことがわかってきたみたい。
「注文だ。在庫を全て買おう! これで勝負は引き分けだな」
「左様。見事な沙汰でございますな、殿。頼豪殿を呼びましょう」
ほら。
こういう所が”王”なのよね。
「引き分けなんて納得いかないわ! わたしの”ゆうれい寿司”は最後に逆転するし、何よりこっちの方が値段も高くって消費する米の量も多いんだから!」
コタマちゃんの言う事には一理ある。
あたしの”チュクチュク&ナシ・レマ”はカフェで売っているドーナツやサンドイッチのような軽食をイメージしている。
対してコタマちゃんの”ゆうれい寿司”はちゃんとしたお弁当。
亀姫様の大量のお米を売りさばくという意味ではあっちの方が上。
でも、それでも、あたしには”ゆうれい寿司”を選ばなかった理由がある。
うーん、言うべきかなー。
でも、このまま負けたと認めてもいいし。
「なによ、黙ちゃって。いいのよ、明日また延長戦をしても」
ふふんと小ぶりな胸を張りながらコタマちゃんは挑戦的に言う。
「コタマ殿。少々よろしいかな」
鳥居様がコタマちゃんに近づき、そっと耳打ちする。
あ、鳥居様も気づいたんだ。
あたしが”ゆうれい寿司”を選ばなかった理由に。
「え、そ、そうなの?」
「左様。珠子殿が黙っているのもそれ故かと」
コタマちゃんがあたしの方を向き、あたしは軽く頷く。
「きょ、きょうのところは引き分けにしておいてあげるわ! 次は必ず勝ってみせるんだから!」
コタマちゃんは少しバツの悪そうな顔をすると、そのままダッシュで帰っていった。
「コタマさんはどうしたのでしょうか?」
「我も不思議だな。女中よ説明してくれぬか」
「うーん、説明してもいいですけど……。亀姫様、彼女に腹を立てたり、”ゆうれい寿司”の販売を取りやめるなんて言わないで下さいね。料理に罪はないのですから」
「ふふ、当然でございます。彼女は私のために力を尽くしてくれたのでございますし、”ゆうれい寿司”の売上は城の再建費用の一部になるのでございますから」
知らぬが花とはこういうことを指すのだろう。
花のような笑顔を湛えながら亀姫様は言う。
「なら、ご説明しますね。”ゆうれい寿司”は山口宇部の吉部村発祥の郷土料理で、山口県の郷土料理のひとつです。そして、山口県は江戸時代までは長州藩と呼ばれていました」
「ソウ……、チョウシュウハン……」
あっ、やっぱり顔が曇った。
その表情の理由は山口県と亀姫様の猪苗代城との因縁。
戊辰戦争の会津戦線で亀姫様の猪苗代城が焼かれる原因は明治新政府軍の会津藩侵攻にあった。
そして、そこには長州藩、つまり山口県の軍も加わっていたのよね。




