亀姫とチュクチュク(その1) ※全5部
天国のおばあさまお元気ですか。
今日も珠子は労働に勤しみました。
もちろん、もらう物はもらってます。
時間外に特別対応費、出張手当に果ては設備費まで。
前の会社だと、そういう申請をすると嫌な顔をされたものです。
でも、こういう各種手当や残業代は正当報酬だと思いません?
いや、正当なはずです。
法律でも決まっていますし、本来なら笑顔で支払うべきです。
ですが、世間の企業の大半はそうなっていないのが世知辛いですよね。
今の職場はそんなことありません。
いつもニコニコ現金払い!
この前のボーナスなんて茶封筒が立ったんですよ!
これが伝え聞く昭和の伝説!
いやー、よかったよかった。
黄貴様はちゃんとあたしを見てくれますし、あたしが働きやすい環境や働く意欲を与えてくれます。
ありがたいことです。
あたしは”妖怪王”に推すなら迷わず黄貴様を選びます。
黄貴様もそうですけど、”あやかし”の方って金銭にこだわりがある方ってあんまりいらっしゃらないんですよね。
お会計の時、いつもチップを付けて支払ってくれる方もいらっしゃいます。
”あやかし”を助けた人間が、最後にお宝ざーくざくとなる昔話が多いのも納得です。
でも、その中にもとある理由でお金を欲しがる”あやかし”さんもいるようで……。
え、あたしですか?
珠子は今日も”金の亡者”です。
いえ、いいんですよ、あたしがこう呼ばれているのも無理のないことですし、あたしの目的はあたしが勝手に決めたのですから。
決しておばあさまのためじゃなく、あたしが、あたしの城をあそこにしたいと望んでいるのです。
あやかしに チップをもらい 小鉢サービス
店のものでも あたしからだと
それにつけても金の欲しさよ。
(21世紀初頭のあやかし酒場の店員による狂歌)
◇◇◇◇
ときに球は金を指し♪
時越え、解き請え、鬨の声♪
人波、ひと呑み、あなたのみ♪
秋の実りは飯なるか♪
王の道とは如何なるか♪
みなが望むこの先は、値千金の物語♪
米百俵と千里の道と一歩前進の物語♪
貴種流離の物語♪
ポロロン♪
今日も『酒処 七王子』は大盛況です。
もちろんあたしの料理の腕が”あやかし”の中で知れ渡っていることもありますが、最近はそれに加えて新しい名物がこの『酒処 七王子』に生まれました。
覆面吟唱三友狐のミタマさんが店内で素敵な歌を弾いてくれるようになったのです。
タダ飯とタダ酒と引き換えに。
「相変わらず上手ねミタマ」
「コタマも料理の腕は上がりましたか?」
「上がってるのは間違いないわ。でも学ぶことが多すぎて大変よ。ちょっとー! バラちらしまだー!」
「はーい! 今おもちしまーす」
紫君のクラスメイトの幼面短髪無二狐のコタマちゃんは、同じ妖狐つながりでミタマさんと仲がいい。
『あら偶然、コタマもこちらに来てたの』
『そうよ奇遇ね、ミタマもいたんだ』
なんてやりとりがあったから、昔からの知り合いみたい。
「おまちどうさま。本日の海鮮バラちらしです」
「ありがと。錦糸卵にエビにマグロにサーモンに胡瓜……ふーん、酢じゃなくて柚子で酸味をだしているんだ」
「今日は寒いですからね。ご飯は温かいままにしました。その場合、酢よりも柑橘の方が合うんですよ」
「そうみたいね。いい味だわ」
コタマちゃんは料理研究に余念がない。
ここ『酒処 七王子』を何度も訪れてはメニューの秘密を探っている。
ま、秘密にすることでもありませんので気楽に教えていますけど。
「女中よ。少しよいか」
厨房の奥から黄貴様の声が聞こえる。
「はい、ただいま」
黄貴様の下へ行くと、少し真剣そうで悩みでもありそうな顔をしていた。
いつもだったら自信たっぷりの笑い顔なのに。
「女中よ。そなたに頼みたいことがある。とある”あやかし”の助けとなって欲しいのだ」
「それはかまいませんが、あたしで力になれそうなことですか?」
「……その通りだ。彼女のトラブルを解決できる者は女中を除いて他あるまい」
うーん、なんか含みのある言い方。
でもまぁ、あたしに話が来るってことは料理関係だと思うけど。
「わかりました。それでどなたを助ければいいんです? 女性の方みたいですけど、ひょっとして黄貴様の意中の相手ですかぁ?」
ちょっとからかうような声であたしは黄貴様に彼女の正体を尋ねる。
「そのような言い方はよせ。その”あやかし”は街のオフィス街にキッチンカーでカフェを営んでおる。ここに行けば逢えるだろう」
そう言って黄貴様は一枚の地図と写真を取り出す。
写真にはキッチンカーからビジネスマンたちにドリンクを差し出すひとりの女性の姿が映っていた。
その姿は黒髪ロングの清楚な佇まいの女性。
雪のように白い肌なのに、それに不自然さを感じないのはそれが天然なのかナチュラルメイクなのかはわからないけど、椿のように鮮やかな紅はとても印象に残る。
時代劇のお姫様がお忍びで現代にやってきたようなそんな雰囲気。
ん? というか本当にそうなんじゃないかしら。
「彼女の名は亀姫」
やっぱり。
普通の店員さんの姿に扮しているけど、写真からも気品が感じられるなんて、本物の姫以外にありえない。
でも、これってやっぱり……ニヒヒ。
「どうした? 何か思う所でもあったか?」
「なんでもありませーん。なんでも」
あたしは心の中にニヒヒ笑いをしまいながら言う。
「そうか。ならよい。あと、もうひとつ注意して欲しいことがある」
そう言って、黄貴様はその口の前で指を一本立てた
「彼女には女中が我の指示で来たことは内密で頼む」
あら、これってやっぱりそうなのかも。
◇◇◇◇◇
時刻はお昼前、あたしは黄貴様から頂いた地図の場所に赴く。
あった、あのキッチンカー。
コンクリートジャングルに咲く花、あれが亀姫様の今の城ね。
といっても、一輪の花じゃなくって、あちこちで花は咲き乱れて競争は激しい。
彼女のキッチンカーはちょっとしたお菓子とコーヒーやエスプレッソなどのドリンクがメインのカフェカーだけど、お弁当や手土産用の菓子の販売をしているキッチンカーもたくさん。
それが意味する所は、ここは通行量の多い路上販売の激戦区だってこと。
黄貴様の話だと亀姫様には何か料理関係の悩みとかトラブルがあるはず。
まずは観察してそれを見極めなきゃ。
そう思ってあたしは彼女のカフェカーに向かった。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
「エスプレッソをひとつ。ホットで」
「はい。かしこまりました」
エスプレッソマシンが機械音を立て、彼女がカップにミルクを注ぎフタをする。
ん? 今の動き、もしかして……。
「はい、お待たせしました」
じー
「あの……、何か?」
「いえ、なんでもありません。お上手ですね」
「ありがとうございます。またご贔屓に」
店員さんはあたしに向かってニコリと笑う。
きっと営業スマイルだけど、人によっては勘違いしてしまうような素敵な笑み。
見た感じ閑古鳥が鳴いているようにも見えないし、香りからするに味も上等。
お店の経営に問題がありそうには思えないな。
そんな事を考えながら、あたしは広場に設置されているテーブルセットに腰を下ろす。
さて、それじゃ彼女の腕前を観るとしますか。
パカッ
あたしがカップのフタを開けると、そこには濃い茶と白のミルクで描かれたリーフ模様が浮かんでいた。
これはラテアート
ラテアートはミルクを注ぐ時に左右に揺らしたり円を描くようにしてもリーフやハートを描く技。
しかも移動の振動にも負けずに模様が残っているだなんて、これは彼女のミルクの腕前がスゴイという証拠。
ラテアートをフタで隠して出すなんて小粋じゃない。
ズズッ
うん、味もいい。
ハッキリ言って、接客も含めて彼女の腕前やカフェカーの経営に全く問題は見えない。
いったいどこが悪いのかしら。
◇◇◇◇
「あ、あの~」
日はすっかり落ち、会社員の方も家路を急ぐころ、あたしは店じまいをしている亀姫様に声をかける。
「申し訳ありませんが、当店の営業は……あら? あなたは昼間のお客様ですわね」
「はい、あたしは『酒処 七王子』の珠子と申しまして」
「貴女が珠子様!? あなたの活躍は風の噂で聞き及んでおりますわ! お会いできて光栄です!」
そう言って亀姫様は嬉しそうに手を合わせる。
思い悩んでいる様子も感じられないし、一体何が問題なのかしら。
ま、考えてもしょうがないよね。
こういうのは単刀直入に行きましょ。
「実はですね、あたしも風の噂で聞いているのです。貴女が猪苗代城の裏の主、”亀姫様”だと。そして亀姫様が料理に関係する悩みを持っていらっしゃると」
黄貴様のことは秘密だから”風の噂”にしちゃったけど、ちょっと信憑性がないかしら。
「そうだったのですか! 私たちって風の噂友だちですわね! なんて奇遇なんでしょう!」
あれ? あっさり信じちゃいましたよ、この方。
「そ、そうですね奇遇というか奇縁というか……、ともかく善良な一市民であるあたしは、亀姫様が困ってると聞いては居ても立っても居られなくなって、助けに馳せ参じた次第ですっ!」
あたしはクルリと回転しながら芝居がかった口調で声を上げる。
うわー、我ながら怪しいことこの上ない。
チラッ
あれ? 亀姫様の目がキラキラと輝いてるぞ。
「そうでしたか! ご助力感謝いたしますわ! 私も少々困ったことがありまして、どうしようか思い悩んでおりましたの」
そう言って亀姫様がギュッとあたしの手を握る。
街灯の光に照らされた店員さんの笑顔は、昼に見た時よりもゾクッとするような美しさで、男だったら絶対勘違いする。
その上でこんなに純粋な素振りを見せたなら、悪い男なら彼女をどうにかしちゃうかもしれない。
むしろ、今までそうならなかったのが不思議なくらい。
「それで、どのようなお悩みなのですか?」
「それはですね……、口で説明するより実物を見せた方がいいですわ! さ、乗って下さいな」
「え、あたしは車はちょっと……」
そう言って亀姫様はあたしの手を引くけど、あたしの歩みは鈍い。
実はあたしは昔の心的外傷のせいで自動車が苦手なのだ。
どうしてもでなければ絶対に乗りたくない。
「え、そうですか……、やはりちゃんとした車じゃないとダメなのかしら。こまったわ」
そういう彼女がカフェカーから引っ張り出したのは空のポリタンクがいくつも載ったリアカー。
「あ、これなら平気です」
あたしはリアカーを見て安堵の息を漏らす。
あたしは自動車じゃなければ大丈夫なのだ。
「よかったわ。それではお乗せ致しますわ」
彼女はヒョイっとあたしをリアカーに乗せ、持ち手をギュっと握って走り出した。
具体的には100mの世界記録並のスピードで。
「ちょ、ちょっと、速いんですけど!?」
「大丈夫でございますわ。ちゃんと制限速度は守ってますから。ご存知でいらっしゃいます? リアカーって自転車と同じ軽車両なんですって」
リアカーが軽車両なのはその通り。
だけど、このスピードは想定されていない。
「それは知ってますけど、それって人間のルールですよ」
ガタガタ揺れるリアカーの中で舌をかまないように踏ん張りながら、あたしは亀姫様の背中に語りかける。
「その通りでございますわ。私、人間たちとは仲良くしたいと思っていますから。社会のルールは出来るだけ守らないと」
「へえ、そうなのですか。”あやかし”にしては珍しいですね」
”あやかし”は人間の慮外の存在。
人間社会全体のルールを守りたいと思っている”あやかし”は稀なのだ。
人間の恋人がいる雨女さんとかつらら女さんとかは比較的人間のルールを守るけど、それは大切な人のため。
ひょっとして亀姫様にもそんな人がいるのかしら。
「人間社会のルールを守りたいっておっしゃいましたけど、何か理由があるのですか?」
「んー、時に珠子様は私のことをどれだけ知ってらっしゃいます?」
その問いにあたしは事前に調べた亀姫様の情報を思い出す。
「えっと、亀姫様は福島県の猪苗代城に棲む”あやかし”で城の裏の主。城主が挨拶にこなかっただけで祟り殺す。そんな、ちょっと怖い”あやかし”だと伝えられています。でも本当は違うみたいですね」
亀姫様は超有名な姫路城の刑部姫の妹。
そして亀姫様には姉の所に遊びに来る時に、人間の首を手土産にしちゃうような怖いエピソードもある。
でも、今あたしが会話している亀姫様は伝説にあるような高慢な感じもしないし、怖そうな気配もない。
「うふふ、実はその伝説は正解ですの。でも、今は違いますわ」
「そうなんですか!? 何か心変わりの切っ掛けでもあったのですか? 素敵な恋人が出来たとか」
「残念ながら私にそのような相手はおりません。欲しいとは思っていますが人にも”あやかし”にも良縁に恵まれませんでしたの」
「なら、どういう理由で?」
「私の城、猪苗代城の再建のためでございますわ」
「ああ、戊辰戦争で焼け落ちた」
そういえば、今も名城として姫路に君臨する刑部姫の姫路城とは違い、亀姫様の棲む猪苗代城は戊辰戦争の会津戦線で焼け落ちたとネットに載ってた。
「その通りでございますわ。ですから、私の今の夢はお金を貯めて猪苗代城を再建することですわ。なので人間とは仲良くしたいのです。手抜き工事とかされたらたまりませんから。うふふ」
そう言って亀姫様はチラッとあたしの方を振り向いて笑う。
洗練されたその所作からは、見返り美人の絵画がシンクロするほどの気品が感じられる。
「素敵な夢ですね。それで、どこに向かっているのですか?」
こんな会話をしながらでも、リアカーは軽快に道を進む。
たとえリアカーを引く姿であっても、やっぱり姫、品がある。
庶民のあたしとは格が合わないわね。
「行先は今の私の棲み処ですが、その前に明日に使う水を仕込みに甲州街道の蛇滝口の湧水を採りに寄らせて下さいな。うふふ、水道代が節約できて嬉しいですわ」
でも、馬は合いそう!




