ひだる神とカシューナッツ炒め(その4) ※全4部
◇◇◇◇
「紫君。本当にここあたりなのか?」
「うん、このあたり」
あたしの背中から紫君の声が聞こえる。
”ひだる神”の気配を探って、あたしたちは山に入った。
ここは、山道から入って5分程度の緩い傾斜の山肌。
「こんなに落ち葉があると、探すのもひと苦労だぜ」
地面を覆い尽くす落ち葉を見て、緑乱おじさんがぼやく。
「なら、わたしに任せて。狐妖術、大風!!」
コマタちゃんの頭から耳がピンと立ち、尻尾が2本ピョンと生えたかと思うと、ヒュゴーと突風が吹き荒れる。
その風に乗って、落ち葉が吹き飛ばされていく。
あ、2本尻尾の狐の”あやかし”だから、猫又ならぬ狐又なんだ。
「これで探しやすくなったでしょ」
「見事な風の術だな。俺っちは水の術しか使えないから助かったぜ」
「風だけじゃないわ。狐火のような火の術も、狐の嫁入りのような水の術も、狐礫のような地の術も、地水火風、全部使えるのよ」
「そいつはすげぇや。さてと、あとは白っぽい骨みたいなのがあればっと」
地面を見ながら緑乱おじさんは”ひだる神”の本体を、おそらく行き倒れになった人の遺骸を探す。
あたしも、狐又ちゃんも地面を探すけど、それらしいものはない。
「おっかしいな。これで見つかると思ったんだけどよ。なあ、紫君。本当にここあたりなんだろな?」
「うん、そーだよ」
背中の紫君から声が聞こえるけど、少し元気がない。
「紫君。これ食べて」
「まって、しーちゃんにはこれをあげるわ。君だけの特別クッキーよ」
「やったー。ボク、偽豚肉よりこっちの方がすきー」
紫君の口は、あたしは偽豚肉のカシューナッツ炒めではなく、横から出てきた手作りクッキーの方へ。
「うん、おいしー。おなかがへってるから。いつもよりおいしー」
「うふふ、そう。だったら、また君だけに作ってあげるわ」
狐又ちゃんの手作りクッキーを食べさせてもらって、紫君はちょっと嬉しそう。
うーん、やっぱり紫君には甘いお菓子の方がいいのかしら。
ま、おこちゃまだからね。
「おっ、うまそうじゃないか。俺っちもひとつもらうぜ」
ぐぬぬ、おじさんもそっちですか。
フフン
ぬぬぬ、何だか狐又ちゃんがドヤァといった顔をしている気がする。
いいもん、あたしは偽豚肉のカシューナッツ炒めでも食べてますから。
ポリッ、ミチッ
カシューナッツの香ばしさと食感が口の中に広がり、タピオカデンプンで作った偽豚肉の弾力は歯と舌を喜ばせ、偽豚肉の中からは吸い込んだベジ出汁と醤油の旨みが絞り出され、ネギの代わりに使った紫蘇の香りがそれをスッキリとさせ、食を進ませる。
うーん、我ながらいい味。
本物の豚肉と比べて、冷めても脂が固くならず、ほどよい弾力を保っているのが素敵だわ。
「ちょっち休憩にするか。そろそろ日も傾き始めたし、ここで最後の補給をして、ラストスパートといこうぜ」
「賛成だわ。わたしはこのお稲荷を」
「俺っちもそれを。ひだる神には米の飯ってね」
「ボクからあげー」
うーん、このカシューナッツ炒めは人気がない。
これも自信作なのになー。
「しかし、見つかりませんね。ひょっとして見つからないよう地面深くに埋まっているのでしょうか」
「仏さんだけに、ほっとけってか」
うわぁ、相変わらずのオヤジギャグ。
「だけどよ、その可能性は少ないぜ。こういった傾斜のある地形は雨で表土が流れ落ちやすい。そこまで深くは埋まらないはずさ」
「なるほど」
「ま、もうちっと辛抱良く探せば……」
ガクッ
そう言って立ち上がろうとした緑乱おじさんの膝が折れる。
「なんだ!? さっきより腹の減りが激しく……」
「わ、わたしも。ちょっと、これはクるわ」
「ボク、もうだめー」
紫君や狐又ちゃんも!?
あたしだけ平気?
ううん、平気じゃないけど、限界じゃない。
ひだるほどじゃない。
でも、このままだと、みんながピンチ!
何とかしなくっちゃ!
考えろ、考えるのよ珠子。
地面に倒れ込もうとするみんなを見て、あたしは思考を巡らす。
”ひだる神”は行き倒れなどで餓死した人の魂で、それと同じように近くを通る者を空腹にする。
なので、最期にその人が食べたかった物を食べると、症状が緩和する。
握り飯が効果的と伝えられているのは、米の飯が最期に食べたかった物の場合が多いから。
でも、今回は違う。
目の前の紫君や緑乱さんや狐又さん、それに山道で待っている子供たちが食べた傾向を分析すると、症状を緩和したのはサラダとかこの偽豚肉のカシューナッツ炒め。
でも、カシューナッツやタピオカデンプンで作った偽豚肉なんて、日本では現代まで登場しない。
行く倒れの人は、現代人?
ううん、それなら死体は行方不明として捜索隊に発見されるはず。
ここは子供でも安心して楽しめるハイキングコースからちょっとしか離れていないから、発見されるのは必然。
ひょっとして、アレルギーで米とか麦が食べられない人が行き倒れた?
ううん、近代ならともかく、昔は食物アレルギーなんて周知されていなかったし、そういった人は幼くして亡くなるケースが多かった。
だとしたら、もっと古い江戸時代とかに、ここでカシューナッツやキャッサバの原産国である南米ブラジル人が行き倒れた!?
いやいや、そんなバカな。
「ちっくしょう、まさか本当にミイラ取りがミイラになっちまうとはよ……」
ミイラ!?
みいら!?
木乃伊!
「それだ!!」
「うっさいわね。お腹がペコペコなんだから、大声出さないでよ」
狐又ちゃんはそう言って目を瞑ろうとするけど、ダメ!
彼女が”ひだる神”の本体を見つける鍵なんだから。
「わかったんですよ! ”ひだる神”の見つけ方が! 狐又ちゃん、さっき話していた狐礫って、天狗礫のように石をたくさん投げつける術ですよね! それをここら一帯にして下さい!」
「それでどうなるってのよ。地面がちょっとへこむだけじゃない」
「いいから! このカシューナッツを食べて、最後の力をふりしぼって下さい!」
「もがッ!?」
あたしの容赦のないスプーンが彼女の口にねじ込まれる。
もちろん、その上にはカシューナッツ。
「ちょっと! 乙女の口に突っ込んでいいのは男の……、あれ? 少し妖力が回復した!?」
「さあ! 狐又ちゃんは石の雨を! 紫君もこれを食べて! 緑乱おじさんは役に立たないから寝ていて下さい!」
あたしは『そりゃないぜ』という声を聞き流しながら、残った偽豚肉カシューナッツ炒めを紫君の口に運ぶ。
そして、やがてくる音に備えて耳を澄ました。
調理で音はとても重要。
炒め音の変化や食材が焼けるパチパチという音の変化など、良い料理を作るには、音を聞き漏らさないことが、肝要なのだ。
鍛え抜いたあたしの耳なら出来るはず!
目覚めよ! 珠子イヤー!
「いいわね! いくわよ!」
「はいっ!!」
狐又ちゃんの声に合わせて、空中に小石が出現し、辺り一面に降り注ぐ。
ゴンッ
ゴゴッ
ドンッ
ガッ
ゴトッ
コンッ
聞こえた! 地面に石が落ちる重たい音の中で、唯一の乾いた音!
地面の下に空洞がある音!
「紫君! 仏様を見つけたら、あとはお願いっ!!」
「う、うん」
カシューナッツ炒めを食べて少し元気を取り戻した紫君を後目に、あたしは走り出す。
目標は乾いた音を出した地面!
「トォォォォー! 珠子! スタンピングゥー!!」
走る勢いを高さに変えて、あたしは大ジャンプ!
そして、重力加速度と脚力を加えた垂直両足蹴りを大地に!!
ベキッ!
ミリミリミシィ!!
ドスン!!
木が折れるような音が聞こえ、あたしはそのまま、地面に生まれた穴の底で尻餅をつく。
あたしがそこで見たものは、見た方は……。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ディ、まびたー!! ボボボボぼっとけさまー!!」
赤く傾いた太陽を受けて、眼窩を紅に輝かせた、餓死者。
骨と皮だけになった木乃伊。
そう、それは……、厳しい断食修行の果てに生入定した、仏の道の求道者。
そうです。
即身仏です。
◇◇◇◇
「しっかしまぁ、奇怪なこともあるもんだなぁ。即身仏になっちまったやつが、”ひだる神”になっちまってたとはよ」
「ホントですよ。あたしなんて死体の第一発見者として警察署で事情聴取されるし。鑑識の方が『ありゃ200年くらい前の仏さんだな。事件性なしっ』って言ってくれなきゃ、帰るのがもっと遅くなってましたよ」
あの後、あたしたちのハイキングはちょっとしたニュースになった。
『迷子の児童を探しに山に入った弁当配達員。200年前の即身仏を発見!!』
あたしの持つ雑誌の1ページにはそんな文字が踊っていた。
”ひだる神”になってしまった、かつての高僧の魂は紫君があの世へ導いたけど、死体というか木乃伊は健在。
さすがに無かったことには出来ないので、警察に連絡。
あたしは第一発見者として、警察で事情を聞かれる羽目になっちゃったの。
他のみんなは無事に帰宅して、おうちでご飯を食べている時、あたしは”ひだる神”のせいではなく、生理現象でお腹がペコペコ。
カツ丼は出なかった。
「でもよ、あの仏さんも喜んでいると思うぜ。なんせ、本当ならありがたい即身仏として寺院に祀られるはずが、地面に埋められたことを忘れられて、そのまま埋まったままの所を発見されてさ」
「遺骸は貴重な歴史資料として博物館に収められるみたいですよ。これもまたハッピーエンドですかね」
即身仏。
それは、厳しい修行の末、自らを木乃伊と化した僧侶の遺骸。
五穀断ちなどで身体を餓死寸前の骨と皮だけの状態にした後、最後は巨大な桶、和風の棺桶に生きたまま入り、竹筒の空気穴だけを開けて土中に埋められる。
そして、最期は餓死する。
やがて、桶は掘り起こされ、その中の死体が腐らずに残っていれば即身仏の完成。
ちょー簡単、じゃない!
文字通り命をかけた仏への道。
あたしには到底真似できないわ。
本当は死亡した後に掘り出されて祀られるはずだけど、中には埋められた場所を忘れられたり、所属している寺が廃寺になってしまったりして、埋まったままになっちゃうケースもあったらしい。
あの名も無き僧侶は、死後の名声を求めて入定したわけじゃないけど、地中に忘れられたままでいたかったわけじゃない。
だから”ひだる神”になってしまったのかしら。
「でもよ、どうして嬢ちゃんは”ひだる神”が忘れられた即身仏じゃないかってわかったんんだい?」
「それはですね。ほら”ひだる神”のもたらす空腹って、その人が最期に食べたかった物を食べると、一時的に持ち直すじゃないですか」
「そうだな。末期の望みを満たしてやるからな。だから、握り飯とかが有効なのさ」
そう、それは普通の行き倒れた人の望み。
「即身仏って最初は五穀断ちから始まって、最期は木の実とか草の葉とか木の皮、木の根だけしか食べてはいけなくなるんですよね」
「その通りだぜ。五穀、米、麦、粟、稗、豆。時代によっちゃ蕎麦もダメ。最期は胡桃とか、杉の皮とかだけを食べて、ガリガリになっちまって、やっと生入定の準備が出来るって寸法さ」
「ですから、あの”ひだる神”が最期に食べたかったのは、修行の末期に食べたもの。木の実や木の根だったと思うんですよ」
肉も米もクッキーもダメ。
そこまで制限された食事だと、穀物を大いに使用する普茶料理や精進料理ですら食べることが出来ない。
「今回は偶然だったんですよ。あの偽豚肉のカシューナッツ炒めは、木の根のキャッサバのタピオカデンプンと木の実であるカシューナッツから作りましたから。ギリギリ食べてOKだったのでしょう」
醤油は見逃してもらったのかしら。
「なるほど。俺っちたち”あやかし”にもやけに効く”ひだる神”だと思ってたが、元は高僧で、今は仏さんの魂だったってわけかい。そりゃ、あの子のクッキーなんて食べさせたら、怒り心頭で増々腹が減るわけだぜ」
「あの子のクッキーに何か秘密があるんですか?」
「大したことじゃないさ。ちょっと魅了の術がかかってるだけだ。橙依君っぽく言うなら、食ったら好感度が+3される、おまじないクッキーってとこかな」
「へー、女の子っぽいですね」
あたしが小さい時も流行ったなー。
おまじないクッキー。
「だけど、妖術が掛かった食べ物なんて食わされちゃ、仏の道を究めようとした魂にとってはたまったもんじゃねぇ。仏罰覿面みたいな感じで、ますます腹ペコになっちまったのさ」
「あらま、そうだったんですか」
うーん、あたしだけが食べれなかったクッキーが幸いだったとは。
カラン
「たっだいまー!」
「ここが、しーちゃんのお店。ふーん、内装はまあまあね」
店のドアが鳴り、学校から紫君が帰って来る。
それと、この前の女の子。
狐又ちゃん。
「この前は少しだけ助かったわ。借りを作るのはわたしの流儀ではないから、お店の売上への貢献で返しに来たの。おべんとのお稲荷もおいしかったし。五目の稲荷が良かったわ、柚子風味のやつ」
どうやら彼女は律儀にあの時の恩を返しに来たみたい。
それなら、あたしもちょいとお返しに、っと。
「秘密は中の具ですよ。五目の具の人参と蓮根を柚子と甘酢で漬けた物を使うんです」
「へー、それで柚子の爽やかな香りがするのに、具のコクを損なわないのね。勉強になったわ。ありがと」
そう言って狐又ちゃんは軽くメモを取る。
「お料理が好きなんですか?」
「普通よ。でも、男子の胃袋を掴む手段としては有効だって知ってるわ」
「なら、機会があったら、またレシピを教えますよ。狐又さん」
「コタマでいいわ。人間の時の名は狐又コタマ。”あやかし”の時の名は……」
コタマちゃんは、少し考えるように一呼吸おく。
「幼面短髪無二狐、コタマよ。よろしくね」
そう言ってコタマちゃんはあたしに手を伸ばす。
「はい、よろしくお願いします」
あたしが握手を返すと、タマちゃんは少し含みのある笑顔ではにかんだ。




