胡蝶の夢とドリームケーキ(その6) ※全7部
「そうです! 味方です! だったら、味方の言うことは聞いて下さい!」
「も、もう、わかったわよ。それで何かしら?」
観念したように、フゥと溜息をついて藍蘭さんは言う。
「それはですね……」
ピロロロ、ピロロロ。
あたしのスマホが鳴る。
慈道さんからだ。
ナイスタイミング!
「あ、ちょっと待ってください」
「んもう、話を聞けと言ったり、待ってと言ったり、何なのかしら」
少しふてくされる藍蘭さんを横目に、あたしはスマホをポチッ。
『珠子殿であるかな?』
「はい! どうでした? 資料は見つかりましたか?」
『東京の若い門弟を使って病院のカルテを調べさせましたぞ。珠子殿の記憶の通りでしたな。有栖院アリスという患者の病名は”急性前骨髄球性白血病”ですな。よかったですな』
「はい、よかったです」
やった! あたしの記憶が間違えてなかった。
「ちょっと、白血病で良かったってどういうことよ!?」
会話を漏れ聞いてたのか、藍蘭さんが声を荒げる。
『詳しくは珠子殿に聞くとよかろう。では拙僧はこれから般若湯の続きを……』
ブッ
切れた。
「どういうこと珠子ちゃん?」
「病名の確認ですよ。アリスさんの病名は急性前骨髄球性白血病だと確認しました。これには有効な治療法があったはずで……、詳しい人に聞きますね」
あたしは昔、友人のアスカからその話を聞いたことがある。
かつての難病だった急性前骨髄球性白血病が劇的に改善する薬が開発されたってエピソードを。
ピポパッっと。
夜中だけど出てくれるかな?
『こんな夜更けに何の用。珠子』
「ごめんね夜中に。ねえ、アスカって昔白血病やってたから、それに詳しいわよね」
『ええ、そうよ。今は治ったけどね』
「で、ちょっと聞くけど、”急性前骨髄球性白血病”って治る?」
『治るわよ。昔よりかなり高確率でね』
やった!
「聞きましたか藍ちゃんさん! 治りますって!」
あたしの声に藍蘭さんの目が丸くなる。
「で、でも、それってかなり強い抗ガン剤とかを使うんでしょ。髪の毛とか抜けちゃうくらいの。そんなの嫌よ!」
「……と言ってますけど、そこんとこどう?」
あたしがスマホにそう語り掛け、そこからの返事をフンフンと聞く。
へー、そうなんだ。
「抗ガン剤はサブで使うだけですって。メインはレチノイン酸という別の薬で、それは……ビタミン剤みたいなものですって!」
藍蘭さんの口がポカンと開いた。
「まって、まって、ちょっと考えさせて……」
藍蘭さんが額に指を当てて考える。
「そうよ! 再発よ! そこんとはどうなの!?」
「と言ってますが」
あたしは再びスマホから帰って来る答えにフンフン。
「亜ヒ酸による投薬治療で、再発が起きても、かなり効果的に治療が出来るみたいです。10年生存率は8割を超えるそうです! やったー!」
10年生存率とは癌などの予後経過の指標で、その患者が10年後も生存しているかを示す確率。
「私も調べました。いくつかのサイトで確認しましたが、珠子さんの言っていることは正しいようですね。レチノイン酸の薬の認可が取れたのが1995年、亜ヒ酸による治療薬の認可が出たのが2004年ですか……。なるほど、得心しました。」
歩きスマホで近づきながら蒼明さんがフォローを入れる。
「そうです! 人類の叡智が四半世紀も足踏みするはずがありません! アリスさんが夢の中に行った1993年では間に合いませんでしたが、今なら有効な治療法があるんです! 10年生存率8割! 勝率8割であれば、十分乗れる賭けじゃないですか! そして、残りの2割は笑いと幸運でカバー! なんと! 笑いには免疫力を高め、ガン細胞への抵抗力を高める効果があるんですよ!!」
橙依君がリビングで見てたアニメにそんな話があったのを、あたしは憶えている。
「そんな素敵な加護を、ちょっとお酒をふるまうだけで与えてくれる”あやかし”さんも味方にいらっしゃいますし」
「……”はらだし”の原田さん」
「そうそう彼女なら、ふたつ返事で快諾間違いなしですよ!」
とんとん拍子に進む話に藍蘭さんはこめかみに両指を当てて、さらに考え込む。
「まって、まって、まって! まだ問題はあるわ! アリスはもう限界なのよ! その治療法が効果的だとして、それが効果を発揮するまで彼女の身体は持たないわ!」
「ふふーん! それくらいあたしが考えてないとでも思いましたか! あ、アスカありがと、今度、四国土産持っていくから」
『はいよ。楽しみにしてるわ』
ピポッとスマホを切り、あたしはピポパと次の相手に電話をかける。
『へいへい、こちら大江山緊急避難所や。あ、珠子ちゃんか。えろう難儀やったみたいやなぁ。でもま、おかげでこっちもひと段落したで』
「ご心配をおかけしました茨木さん。実は、折り入ってご相談がありまして、神便鬼毒酒って残ってません?」
これがあたしの最後の切り札。
人に薬となり、”あやかし”に毒となる神仙の薬。
その効果はあたし自身で実証済なの。
これがあれば、一時的に持ち直すくらいできるはず。
『残念やけど残っとらんよ。この前の『酒処 七王子』のお披露目の時に全部つこうてもうた』
「え!?」
あてが……外れた!?
「ちょ、ちょっとだけでいいんです! 残ってませんか!?」
『そないなこと言われても……、あ? え? 酒呑がいなくなった!? ちょ、珠子ちゃん、またかけ直すわ』
ツー、ツー、ツー
うう、自信たっぷりに言ったもんだから、背後からの視線が痛い。
「だ、大丈夫ですよ。要するに神仙の薬があればいいんです。白澤様と連絡を取って、別の薬を分けてもらえばいいんです。白澤様はがめついですがお金で解決出来ます。連絡を取るまで少々日数が必要ですが、それまでは現状維持ってことで」
「そ、そうね。それがいいわ」
少なくともアリスさんを救う算段が付いたことに安心して、藍蘭さんは落ち着きを取り戻す。
うんうん、みなさんも『ま、それならいっか』みたいな雰囲気になってるし、これでオッケー!
「ダメだ。許さん」
その空気を重たい声が破る。
声の主は巨大な狸、隠神刑部。
「か、怪狸王、隠神刑部殿。しばしの時を待っては頂けないか。同盟者たる我の顔を立てて」
「ならぬ。黄貴殿の下の弟と、そこのアリスなる娘は吾輩の眷属を恐怖に陥れた原因のひとつ。黄貴殿と他の弟たちの活躍でここまで譲歩しているのだ。今にも第二第三の”夢の精霊”のような”あやかし”が入り込まんとも限らん。そこのアリスなる娘から異榻同夢の能力を今すぐ解け。それが絶対条件だ」
有無を言わさぬ圧で隠神刑部は藍蘭さんへと言い放つ。
んもう、折角、あたしが和やかにした空気が台無しじゃないの。
「いいわよ」
あ、藍蘭さんが引いた。
「交渉決裂でも」
引いてなかった!!
どちらも一歩も譲らないムードに、あたしはオタオタしながら、藍蘭さんと隠神刑部を見る。
「待ちな、その必要はないぜ兄貴。イテチテテ」
「赤好さん! 生きてたんですか!?」
「ひっでえ言い草だな、ジョッキー珠子さん。見ての通りボロボロさ」
お友達の黒龍さんに肩を支えられながら、赤好さんは力なく手を振る。
「赤好おにいちゃーん、もってきたよー!!」
「荷物をお持ちしましたわ。赤好さん」
あの声は紫君!
つらら女さんたちに連れられて、巨大なリュックをしょった紫君がトテトテと歩いてくる。
「ありがとな。えっと……確かこのあたりに……、あった」
赤好さんはリュックをガサガサと漁り、ひとつの小瓶を取り出す。
「いいか、藍蘭の兄貴、こいつは貸しだからな。そして、俺に借りを作る意味はこいつらから後で聞きな。俺はもう限界だ」
そう言って赤好さんは小瓶を藍蘭さんに投げ渡す。
「これなあに?」
「珠子さん、その神便鬼毒酒ってあれだろ。新生『酒処 七王子』の開店パーティの飲み比べ勝負の時に酒呑童子のやつが俺たちに盛ったやつだろ」
「そ、そうです。そこで使った分が最後のだと……」
「……ったく、俺の能力ってのは便利だが具体性に欠けて困るぜ。これは弱った珠子さんを元気付けるためだと思ったのによ」
ブツブツと文句を付けながら赤好さんはイテテテと体を押さえる。
「赤好ちゃん。ど、どういうこと?」
「まだ気づかないのかよ。あの飲み比べの時、俺たちは酒呑童子から神便鬼毒酒入りの酒を盛られたろ」
「ええ、アタシには効かなかったけど」
「ひどい目にあいました」クイッ
「あれは王すら毒殺されると思ったぞ」
「……あの後、三日は寝込んだ」
あの時の事を思い出したのか、みなさんが神便鬼毒酒の感想を口にする。
あたしも憶えている、盛られたみなさんはゲーゲー吐いてたり、青い顔してたわ。
「で、憶えてないのかよ。その時、毒を盛られたやつで、ひとりだけ飲まなかった色男がいたってことに」
あ!
ああ!
ああああああああ!!
あたしが、七王子のみなさんが、あのパーティ会場に来ていた橙依君のお友達が、赤好さんのお友達が、みんなが、全てを理解したような顔で、このラブトレジャーハンターを見る。
「しゃ、赤好ちゃん! これって!?」
「そうさ、俺が何かの役に立つと見定めて保管していたやつさ。」
ガバッ
「んもう、最高よ! 赤好ちゃんはアタシのキューピットだわ!!」
「うるせぇ! そして痛ぇ! 兄貴に抱き付かれても嬉しくもねぇ! まったく、感謝しろよ、恩にきろよ、そしてとっとと彼女を迎えに行け。この幸せ兄貴」
赤好さんに笑顔で突き飛ばされながら、藍蘭さんは小瓶を大切そうに抱え、アリスさんの所へ向かう。
うん、これで万事解決っと。
あたしの身体を見つけてくれたり、神便鬼毒酒を取っといてくれたり、実は今回の騒動のMVPは赤好さんじゃないかしら。
「お疲れ様でした赤好さん。これでもうハッピーエンドのエンドロールですね」
「いや、まだ、残ってるさ。エンドロールの後の第二幕への予告がな」
そう言って赤好さんはリュックをガサガサと漁る。
「悪いな兄弟。ここまで身体を張ったんだ。ちょいと抜け駆けさせてもらうぜ!」
そう高らかに宣言すると、赤好さんはあたしの前に掌に納まるサイズのリボンの付きの小箱を差し出す。
「30歳の誕生日おめでとう。ハッピーバースデーの珠子さん」
え、ええ?
ええええええええええ!?
そ、そういえば、すっかり忘れてたけど、日付が変わって今日は、11月11日!
あたしの30歳の誕生日じゃないの!
こんな時にも、こんな時なのに、憶えててくれたんだ!!
想定外の展開に、あたしの顔が上気する。
「それと……、好きだ! 俺とつきあってくれ!」
「は、はひっ!? はひはひはひいっ!?」
想像以上の話の飛躍に、あたしの顔が真っ赤になってるのがわかる。
「やりましたね赤好さん!」
「一番乗りですよ! 一番乗り!」
「サプライズな告白、素敵ですわぁ!」
「天がもたらす慈雨のように、赤好さんの言葉は珠子さんの心に沁みてるでしょう!」
え、いや、その、え、どうして!?
いや、理由はわかるけど、TPOというか場の雰囲気というか。
Tはあってるけど、さっきのギスギスした空気より、こっちの方があたしの好みだけど。
ど、どうしよう、返事返事、しなきゃいけないの!? した方がいいの!? それともふたりっきりの時!?
頭が回らない、いや回っているけど、ぐるぐるぐーるるる。
とにかく、何か言わなくちゃ!!
ガクッ
あれ?
あたしが、あたしの視線をプレゼントの小箱から赤好さんに向けた時、彼の頭が力なくうなだれ、その身体もダランと黒龍さんの肩からぶら下がる。
「あ、やっぱり限界でしたか」
「おもしろおかしい方を亡くしてしまいました」
「ちがいます、ちがいます、気絶しているだけです」
「ふふふ、続きは第二幕の公開までおあずけですね。楽しみですわ」
うわぁ、すっごくいい笑顔で赤好さんのお友達があたしを見てる。
絶対に面白がっているわね、あれ。
でも、ま、助かった……のかしら。
◇◇◇◇
透き通った小瓶から真珠のような滴がひとつ、ふたつ、アリスさんの柔らかな唇に落ちる。
その場の全員が彼女の一挙手一投足を見逃すまいと、意識を集中させ、辺りは自然と静まり返った。
「……ん、おはよ。ランラン」
待つこと、数秒。
アリスさんは、夢の国のアリスさんは、夢の中と寸分違わぬ姿で、声で、目を覚ます。
その細い身体を藍蘭さんは抱きしめた。
「あのね、アリス。あなた、助かるのよ! 白血病が治るの! 人類の叡智と”あやかし”たちの力で!」
アリスさんの両肩を掌で掴んで、その顔を、ずっと見たかったその顔を見ながら、藍蘭さんは涙を流す。
「まあ、嬉しい! 珠子ちゃんの教えてくれた通りだわ! 未来にはガン・ガナ・オールが本当にあったのね! 元気になったら、ずっとランランと一緒にいられるのね!」
「違うわ! 元気になる前も! なった後も! たとえ死んでも! これから、ずっと、ずっと、ずーっと一緒よ!! だって、アリスの”死”もアタシのものなんだから! もう、誰にも渡さないわ!」
「嬉しいわ! 全部もらってくれたのね! じゃあ、まず……、これから受け取ってちょうだい!」
そしてアリスさんは藍蘭さんの首に腕を回し、素敵な行動に出る。
ひとつとなって同じものを見ていた時には出来なかったことを。
夢の中では決して出来なかった、その行為を。
熱い口づけを。
◇◇◇◇
「よーいしょっと」
藍蘭さんの腕に捕まりながら、アリスさんは立ち上がり、そしてあたしを見る。
夢の中と同じ顔。
だけど、生きるという意志の光が、その瞳には宿っていた。
「ねぇ、珠子ちゃん。あたし、貴方に言いたい事があるの」
「はい、なんでしょう?」
「あのドリームケーキ、味がイマイチだったわ。ココナツの味がするだけのパンみたいな感じ。寝ぼすけさんのような味だったわよ」
「いきなり辛口ですね」
夢の中であたしが最後に残した作りかけのケーキ。
そのドリームケーキの感想をアリスさんは言う。
「だって、本当のコトだもの。それに、率直な感想が欲しいって言ってたじゃない。夢の中で」
「ええ、それがあたしの欲しかったものですから」
そう、どんなことでもいい。
おいしいって感想なら嬉しいし、辛辣な感想ででも次の改善や励みになる。
それが、心からのものであれば。
「実はですね、あたしはドリームケーキはレシピを大体知っているだけで、食べたことも作ったこともないんですよ。想像力だけだとやっぱだめですね。こういう知らない味は現実で体験しないと」
そう、あたしはざっくりとしたレシピは知っていたけど、デンマークの人気ケーキ”ドリームケーキ”は食べたことも、作ったこともなかったのだ。
どんな味になるかわからなかったけど、わからなかったから、想像力だけで作ったそれは、寝ぼすけさんの味になっちゃったみたい。
「じゃあ!」
「ええ、アリスさんが元気になったら、今度こそ、本物のドリームケーキをご馳走しますよ。だから……」
「うん、その時はお茶会の、ううん……」
そして、あたしたちは互いの掌を重なり合わせて言う。
あの時、最後まで言えなかった台詞を。
「「夢の続きをしましょう!」」




