胡蝶の夢とドリームケーキ(その4) ※全7部
□□□□
「ふぃー、終わってみれば大したことない相手だったな。おや、俺っちはもう戻れるみたいだぜ。覚の声が聞こえらぁ」
一仕事終えて、さっぱりとした表情の緑乱おじさんの姿が薄くなる。
これって、遺言幽霊の時に現実から来た人と同じ状況よね。
「そのようだな。我のミスでピンチになった時はどうなるかと思ったが、最終的に勝てば官軍。女中よ、助かったぞ。休暇明けからもよろしく頼む。今度は祝勝の料理でな」
「はい! というか、あたしはそっち担当なんですけど」
「そうだな、慣れない業務に巻き込んですまなかった。許せ」
「いいですよ。特別業務手当で許してあげます」
「ハハハ、変わらぬようで安心した。では、また現世でな」
黄貴様も同じように消えていく。
「……じゃ、僕たちも帰るから。本当はここに残りたいけど、天野が許してくれないみたい」
「あっちもひと段落付いたようでござるな。身体がユサユサされている感触があるでござるよ」
「最後まで諦めなかったお前は頼もしかったぞ。流石はあたしの認めた澄んだ心の持ち主だ。主役であるこの若菜姫のヒロインに相応しい」
「……ヒロインは女の子だと思う」
「いやいや、美少年がヒロイン役というのも舞台では映えるものだ。似合いそうだしな」
「私のヒーローを倒錯した道に誘い込まないで! 私を体を張って守ってくれたヒーローはやっぱり素敵だったわ。惚れ上書きされちゃう。あ、意味はもっと好きに……」
「くひっ、さあ、アナタ。帰ったら一緒に祝賀パーティするですよ。そのまま祝言までいっちゃ……」
橙依君とそのお友達も和気あいあいとしながら姿を消す。
お友達が増えたみたいでよかった。
「では、儂も帰るとしよう」
「はい、林先生、夢の中までお越し頂き、ありがとうございました」
「偉人が夢の中で若者を導くのは当然のこと。このことを吹聴してまわるといいぜよ。はっはっはっ。いいか、しっかり喧伝するのだぞ!」
「はい、あることないこと、尾ひれはひれ、デマゴーグも付けて、林先生の偉大さを宣伝します! 先生がやられたように!」
あたしは知ってる。
林有造は自由民権運動の先導役でもあったけど、ちょっと強引な選挙活動もしてたってことを。
「はははっ、よく勉強しちょる。いや、愉快愉快」
英霊さんにとって自分が理解されているということは心地良いようで、林先生は豪快な笑い声を響かせながら、帰っていった。
「大悪龍王さん、ありがとうございました。この夢の世界で最初に貴方に出逢わなければ、どうなっていたのかわかりませんでしたよ」
「はつはつはつ、氣にする事はない。乃公も老眞珠王に大きな貸しを作れたからな」
「儂も不覺を取つた。ましてや、大惡龍王に助けられるとはな」
「はつはつはつ、禮は眞珠國の領土の半分でいいぞ」
「其れと此れとは話が違ふぞ」
「なら、次の機會に全部奪ふとしよう」
ふふふ、なんだかフック船長とピーターパンのような仲良しライバルみたいですね。
でも……。
「ねぇ、大悪龍王さん。この夢が醒めたら、どうなります。おふたりは消えてしまうのですか?」
「はつはつはつ、そふではない。夢に棲む”あやかし”は不滅なのだ。どこかで誰かが乃公の夢を見れば、乃公はいつでも甦る。今回の一件で乃公の認知度も上がつたやうだしな。さうだな、まづは手始めにお前の夢から支配してやらう」
「じゃあ次は、あの髪菜蠔豉とは別の小さな貝に入った親指ほどの食物をご用意しますよ。実はあの記述から導き出した料理には、別の候補もあるんですよ」
「其れは樂しみだ。風よりも早く蹂躙してやらう」
あれ? でも夢に棲む”あやかし”は不滅ってことは……。
「心配いらぬ。あの狐者異と夢の精靈は妖力を殆ど失つた。それにこの終はらない夢が存在する状況も奇蹟のやうなもの。あれほどの惡さをする事は最早なからうよ」
「ありがとう、老真珠王さん! 安心しました!」
あたしの表情から心配事を読み取ってくれるだなんて、お話の通り親切な方です。
「さて、では乃公たちも去るとしよう」
「ああ。次は戦場で會はうぞ」
ふたりは顔を見合わせると、逆の方向へと飛び去っていった。
そして……残ったのはあたしたちだけ。
「ごめんね珠子ちゃん。あたしのせいで」
「いいえ、結構楽しかったですよ、この夢の冒険も」
「ふふっ、アタシの中のアリスが言ってるわ『夢冒険ね』って。あらやだ歌まで歌いだしちゃったわ」
全てが終わってハッピーエンドのように藍蘭さんは笑うけど、あたしは知ってる。
ううん、予感している。
これで終わりじゃないってことを。
あたしの最後の敵になるかもしれない相手が目の前に立っていることを。
「そうだわ、家に帰ったらお礼をしなくちゃ。珠子ちゃんのおかげで勝てたんですもの。アタシ何でもしちゃうわ」
「お礼はいいです」
「そう? 珠子ちゃんにしては謙虚ね」
「ですが、藍ちゃんさん。ひとつだけ覚えてて下さい」
そう言ってあたしは両手で自分の頬をパンと叩く。
そして、その手をそのままパンと藍蘭さんの両頬に叩きつけた。
「あらやだ、気合注入かしら」
「おまじないみたいなものです。いいですか、あたしは何があっても藍ちゃんさんとアリスさんの味方です。おふたりにハッピーエンドを迎えて欲しいと思っています。これを忘れないで」
両手で藍蘭さんの頬を挟み、その視線をあたしから絶対に外さないように、その瞳があたしの真剣な目を忘れないように、あたしは彼の顔をじっと見つめる。
「……わかったわ。約束。絶対に忘れない」
「ええ、それじゃ、また現世で会いましょう。いいですか約束ですよ」
「ええ」
あたしたちがそう誓い合うと、藍蘭さんの姿は次第に薄くなる。
彼もまた、現実で目が覚めつつあるのだ。
そして、その姿が消えると、入れ替わるように、ひとりの女の子が現れる。
「おかえりなさい、アリスさん」
「ただいま珠子ちゃん。うふふ、なんだか変な気分だったわ。夢の中で夢を見ているような感じで」
姿を現したアリスさんはそう言ってクスクスと笑う。
「珠子ちゃんもここからいなくなるの? 寂しくなるわ」
「そうですね。でも、もうちょっとだけ」
あたしの身体が覚醒しようとしているのはわかる。
今、この時も『おい、どういうことだよ。寝ぼすけ珠子さんが起きねぇぞ』って赤好さんの声が聞こえるもの。
あー、あー。
あたしは見えない第三の口を動かすような感じで、心の外で口をひらく。
『うーん、むにゃむにゃ、あと10分』
心の外から『はぁ!?』と呆れたような声が聞こえた。
「さ、これでちょっとだけ時間が出来ました。アリスさん」
「なあに、珠子ちゃん」
「最後にお茶会をしましょう!」
あたしの申し出に、アリスさんは「まぁ、素敵」と微笑んだ。
□□□□
あたしの前で珠子ちゃんがせわしなく動いてる。
卵をボウルでシャカシャカ泡立てて、ケーキの型に入れて、白い何かをふりかけて、オーブンに入れた。
「ふぃー、これで仕込みはOKです。さ、お茶会、お茶会っと」
彼女の前には、おとぎ話の中で見るようなテーブルと椅子、そしてオシャレなお茶のセットが現れたわ。
「夢の中だとロココ様式のテーブルセットにデンビーの茶器も簡単ですね。さ、どうぞ」
「ええ」
あたしは素敵な飾りの椅子の上に座り、シックな感じの黒い大理石調のカップを手にする。
紅茶の琥珀色の水面に揺れる光がとっても素敵。
「さて、時間もないので単刀直入に聞きます。アリスさん、あなたは藍蘭さんの事を好きですか? 愛してますか? 結婚したいと思ってますか? 新居は広い一戸建て? それとも互いの息が聞こえるくらい狭いアパート? 子供は何人? エロいことは毎日して欲しいですか!?」
ブバッ
琥珀色の水面に津波が起きたわ。
「ちょ、ちょっと、いったい何を言ってるの?」
「何って恋バナですよ。恋バナ! お茶会に付き物の。こういうの好きでしょ」
困ったわ、恋の話は好きだけど、鼻息の荒い珠子ちゃんには少し引くわ。
でも、珠子ちゃんは色々お世話になったから、これくらいはお返ししないといけないわね。
「ええ、好きよ。大好き」
「どうしてです?」
「そうね、あたしに夢を与えてくれたからかしら」
「藍蘭さんがアリスさんをずっと夢見る状態にしてくれて、さらに藍蘭さんとアリスさんの夢を異榻同夢の能力で繋げ、良い夢を見せてくれたからですか」
ランランが何だかスゴイ力で、あたしを病気から助けてくれて、彼と同じ夢を見せてくれていた事を、さっき知ったわ。
夢の中の夢で。
太極だったかしら。
それってキョンシー映画に出ているマークよね。
こんな勾玉みたいなマーク。
☯️
…
……
あっ、そっか、そうだったのね。
「どうされました?」
「今、気づいたの。彼は、ランランはあたしの中華の勾玉マークの黒い部分の白い丸だったんだわ」
「ああ、陰中の陽ですね。ここです」
珠子ちゃんが太極図を空中に描いて、勾玉マークの黒い部分の白い点を指す。
へー、陰中の陽って言うんだ。
珠子ちゃんって本当に物知り。
きっとモノリスさんだわ。
「あたしね、あの日、あたしが病院に行って意識を失ってから、出口の見えないトンネルをずっと通っているみたいだったの。ずっと悪夢の中にいたんですもの。痛みの記憶があたしを蝕み、、大切な人がいなくなった記憶が心を締め付け、いっぱいもらったのに何も与えられないあたし自身に涙してたわ。ずっとよ」
それは、きっと、あたしが見ていた悪夢。
「でもね、その中にもちょっとだけ光があったの。それがランランとの記憶。それがあったから、あたしは悪夢の中で自分を保てたと思うの」
「なるほど、藍蘭さんが太極の権能でアリスさんの肉体を生きながら死んでいる状態にした時から、夢の精霊が現れるまでの悪夢。その中でも光があったということですね」
「そう。テレビの中でしか見たことがなかった夢のような体験。それがあったから、あたしの心は死ななかったんだわ」
「でも、藍蘭さんはアリスさんの心を持ち上げて突き落とす目的でデートしていたんですよ」
「そうね、薄々気付いていたわ。だけど、それでも良かったの。いい夢が見れたから。彼はあたしの”死”をも受け取ってくれるって感じてたから。ねえ知ってる? 誰にも必要とされなくなるって、とっても怖いのよ」
あたしはカップに残った紅茶をコクッと飲む。
スゴク爽やかなのに深みのある素敵な味。
「なるほど、光のアリスさんの中にあった闇が、闇の中に光を求めた藍蘭さんと合致して太極を描いたのですか……」
「どうしたの珠子ちゃん。何だか納得したような顔をしているけど」
「いえ、何でもないです、何でも。アリスさんと藍蘭さんはお似合いだなーって思っただけで……す。『もう5分延長追加!!』」
ちょっとビックリしたわ。
珠子ちゃんったら、急にガタッと椅子から立ち上がって、拳を突き上げるんですもの。
ゲーセンで流行っていた”しょーりゅーけん”みたいなポーズだったわ。
「失礼しました。外野がうるさくって」
「そうね、そろそろお別れね。寂しくなるけど、平気よ」
「本当に?」
「ええ、あたしはあんなことを招いた原因のひとつですもの。今までと同じようにはいかないと思うわ。この誰でも入れる夢も、きっともうおしまい。これからはあたしだけの夢になるくらい覚悟しているわ」
あたしは覚悟はいっぱいしてきたもの。
得意だもの。
平気よ。
「この夢がアリスさんだけの夢になったら、あたしが道中にお話した、夢が広がっちゃうようなお酒や料理も、知らないままになりますよ」
「それでもいいわ」
少しよくない。
「この夢がアリスさんだけの夢になったら、藍蘭さんと同じ夢をみることも出来なくなりますよ。きっともう藍蘭さんと逢うことも出来なくなりますよ」
「彼からは、いっぱい思い出と夢をもらったもの。平気よ」
うん、平気。
何度でも何度でも夢の中で思い出せば、新しい思い出が欲しいだなんて、きっと思わないわ。
たぶん……。
「アリスさんが生死の混じった状態で夢を見続けると、アリスさんが藍蘭さんと交わした『”死”をあげる』って約束も反故になりますよ」
「それは……少し嫌だわ」
珠子ちゃんってばちょっと意地悪だわ。
そんなに言われると、あたし、気付いてしまう、言ってしまう。
「あたしは凄く嫌です! このままだと、これからあたしはアリスさんを想って溜息を吐く藍蘭さんを毎日見かけたり、夢の中でぼっち飯を食べるアリスさんを想像する日々を送るんですよ。そんなのはまっぴらごめんですっ! 気が滅入り続けます! アリスさんはそれでもいいんですか!?」
「もう止めてちょうだい! なんでそんなことを言うの!」
「それを聞かないと、夢見が悪くなるからですよ!」
「でも、どうしようもないじゃない! あたしは夢から醒めると、きっとすぐに死んでしまうんだから!」
……言っちゃった。
「やっぱり。アリスさんの壊れた心は治っていたみたいですね。”死”を受け入れるような心は」
「そう……。あたしね、やっぱり怖くなっちゃったの死ぬのが」
そう、あの時、あたしは死ぬのなんて怖くなかった。
ううん、我慢できた。
いいえ、そう思わないと狂ってしまいそうだった。
でも、この夢の中で、ランランと同じ夢を見続けて、あたしは……。
憧れを持ってしまった。
願いを持ってしまった。
希望を持ってしまった。
夢想を持ってしまった。
ひとつになって同じ夢を見るよりも、その隣に居たいと。
「その言葉を聞きたかったんですよ。それがないと治るものも治りませんから」
「どういうことなの?」
「いいですか、アリスさん。あたしが、ううん、あたしなんかよりずっと凄い、人類の叡智がアリスさんを救います」
「救えなかったら?」
「その時は、藍蘭さんがアリスさんとした約束と同じことをするまでです」
?
「お忘れですか? 藍蘭さんとアリスさんの、キ、キスシーンでの一幕ですよ」
あたしは思い出す、さっき夢の中の夢でも観た、あたしのファーストキスの光景を。
===========================
『ふふ、病気がうつっちゃうかも』
『その時は一緒に寝込んであげるわ』
『治らなかったら』
『そうなったら一緒に死んであげるわ───』
===========================
「珠子ちゃん。貴方、まさか!?」
「ええ、安心して下さい。その時は『アリスさんと約束しましたよね』と藍蘭さんも道連れにしますから。実はあたし死神さんとか黄泉の方々と面識があるんですよ」
そう言って珠子ちゃんはフフンと自慢げに胸を張る。
いくらなんでも、死神とか黄泉の方々とお知り合いだなんて、ホラ吹きにもほどがあるわ。
ひょっとして珠子ちゃんて少し頭がおかし……、残念な人なのかしら。
あたしのために頑張ってくれている人にそう言うのは良くないので、あたしは心の中で思い直したわ。
「でも、そこまでしてもらっても、あたしには何もお返しするようなものを持っていないわよ」
「いいえ、アリスさんは持っていますよ」
「何を? あたしには”死”の他にあげれるようなものはないわよ」
お金もあまり残ってないわ。
身体だって貧弱だもの。
「大丈夫です。あたしは料理人ですから」
「料理人とお返しと何の関係がるの?」
「料理人にとって、料理の対価で欲しいものはひとつ! ”感想”です! 具体的には『おいしかった』の一言で十分。ううん、それじゃなくても、『イマイチだった』でも、『コスパ悪りぃ』でも、『女将を呼べい!』でも何でもいいです。率直な感想が欲しい! それをもらえないと、恨みます怒ります心が荒れます。孤独と無関心がアリスさんの心を蝕んだように、あたしにとっては無感想こそが何よりも恐ろしいっ!」
「そ、そうなの」
「はい、アリスさんが元気になったら、いっぱいご馳走を振舞いますから、いっぱい返して下さい。約束ですよ」
「ええ、約束」
珠子ちゃんが伸ばした小指とあたしの小指が重なる。
「まずは手始めに、あのオーブンに入っているケーキを食べてもらいましょう。あれはドリームケーキというデンマークのケーキです。チンと音が鳴ったら食べて下さい。あ、そろそろ限界みたいですね」
そう言う珠子ちゃんの姿が段々と薄くなる。
この夢から醒めた人たちと同じように、珠子ちゃんも現実に戻ろうとしているのね。
「残念だわ。お茶会もまだ始まったばかりなのに。でも、また……」
「ええ、もう一度出逢ったら……」
その言葉を最後まで告げることなく、あたしたちは微笑みながら別れた。
再会を信じて。
…
……
………
フゥー
あたしはひとり溜息をつく。
彼女は嵐のような人だったわ。
でも、とっても楽しくて素敵な人。
あたしは残ったテーブルに座り、ここ数日の出来事を思い出す。
チン
オーブンが音を立てたわ。
彼女が言ってたドリームケーキが出来たみたい。
珠子ちゃんはとってもお料理が上手だから、これもきっと美味しいに違いないわ。
あたしはオーブンから薄い茶色のケーキを取り出すと、それをカットして食べる。
ん?
さらにパクッとひと口。
んん?
んんん?




