首吊り狸とタヌキケーキ(その7) ※全7部
□□□□
◇◇◇◇
ある程度の範囲さえ絞りこめれば、右か左の選択肢さえあれば、俺は迷うことはない。
……はずだった。
だけどよ、蜃気楼のような幻だけではなく、精神に干渉するような幻覚はやっかいさ。
どうやってかは知らないが、俺のスマホに偽情報のスパムメールまで送られたら、迷いもするさ。
それが不正解の情報とわかっていても、確認せざるを得ないだろ。
おかげで時間を食っちまった。
だけどよ、苦労した分だけわかるぜ。
ここが正解だと。
俺は宿毛市街から少し離れた和風旅館の入り口に立つ。
出迎える従業員も居なければ、受付の女の子も居ない。
人っ子ひとり居ない、なのに手入れは行き届いている。
俺は旅館に入り、そこの一番立派な部屋の襖をゆっくりと開ける。
いた。
いやがった。
「あら? わっちはルームサービスは頼んでいないのでありんすが」
部屋の奥、海をの見える欄干に座った女性が俺の姿を見て微笑む。
「サービスはそこのお嬢さんからです。お迎えに上がりました」
部屋にはもうひとり。
畳の上の布団に横たわる、スリーピングビューティーな珠子さん。
「まあ、この子ったら、いつの間に?」
「眠っている間にでしょう」
「クスス、面白い御方。ねぇ、わっちと少しお話しない」
セミロングの黒髪にまぁるく無邪気そうな瞳。
白いワンピースのシルエットから見える豊満な肉体。
だけど太めには見えない。
それはスラリと伸びた手足の細さからだろうか。
女性向け雑誌と男性向けエロ本のいいとこ取りの美女。
彼女の姿を見た俺の感想は、まさにそれだった。
「いいぜ、少しだけなら」
本当なら囚われの姫を救いに来たヒーローよろしく颯爽とヒロイン珠子さんの腰を掴んで、窓から脱出と行きたい所だが、迂闊に動けない。
俺の幸不幸を見極める能力もそう告げている。
「どうしてここがわかりましたの?」
「怨念鬼が向かう流れに沿って来たのさ。それと、君が仕掛けた幻惑の罠。いかにも怪しいじゃないか。ここが正解だってのは誰でもわかると思うぜ」
「それがわかっても、よくここまで辿り着けたでありんすねぇ」
「ほとんどは脱落したさ。さすがは玉藻さん。いい腕してらっしゃる。俺がここまで来れたのは対象が俺にとってラッキーかアンラッキーかを見極めるこの眼のおかげさ」
俺は紅く光る眼を指さして言う。
黒龍もあかなめも、つらら女さんも雨女さんも、この旅館に行く過程で姿を消した。
俺は幻覚から正解を見つけ出せるが、俺が『あれは罠だ!』と言う前に幻覚に惑わされたらどうしようもない。
あいつらに不幸は視えなかったから、迷っているだけだと思いたいぜ。
「フフフ、わっちの名を知ってたのでありんすね」
「有名だからな、玉藻さんは。その玉藻さんがここで何をしてるんだい?」
「わっちはここで宿毛の怨念鬼を夢へと送るバイトをしてただけでありんす。せやけど、それが見つかった原因やったみたいねぇ。ま、さっき変なモノも混じってたし、ここらが潮時でありんすか」
「玉藻さんは大悪龍王の手下じゃないのかい? それともいい関係なのかい?」
「ああ、あんなんダメやダメ。あいつらが妖怪王になって現世を荒らし回れば人間の英雄はんが出てくると思うたけど、”あやかし”の中ですら天下を取るのに難儀しているようじゃ話にならんでありんす」
手をハの字に開いて、彼女はかぶりを振る。
耳から垂れるスクウェアバーのアクセサリーがチリンと音を立て、光の反射と合わせて、いやでも彼女に視線を集中させる。
「そっか。君みたいな素敵な女性にはあんなヤツらより、そのピアスの方が似合ってるぜ」
「えろうお上手やねぇ。おべっかでも嬉しいわぁ」
「こいつは手厳しいね。ばれちまったか」
「ええ、わっちくらいの才女なら、心からの称賛と形だけの賛辞くらいはわかるでありんすよ」
「そうか。なら、俺のこの言葉が真実だとわかるだろ。彼女を、珠子さんを返してくれ。彼女は俺の大切な人なんだ」
「あら、やけにこの子にご執心やのね。昔の腐れ縁の女に似た雰囲気だと思って捕まえてみたら、異常に大蛇の兄弟が釣れるでありんすなぁ。そんなにこの子がいいん?」
「ああ。彼女は最高さ」
「あらまぁ。あんたはんみたいな色男にそないに言われるやなんて妬けるでありんす。でも、わっちの方がよくしてあげれます。愛想よく、心地よく、気持ちよく。どないでありんす?」
他の男だったら一発でコロリといきそうな魅力的な表情で女狐は俺を見る。
俺もこの眼を使ってなかったらヤバかった。
「おあいそはお高くつきそうだし、居心地も、気味も、後味も悪そうだから遠慮しとくわ」
「ぬかせ小僧! 調子こいくといてまうど! ……なーんてねっ」
最後の語尾は軽かったが、最初の部分は腸まで凍るようだったぜ。
やっぱ関わらない方がいいタイプの女だ。
「頼むから引いてくれ。でないと、俺は君を傷つけてしまうかもしれない。女の子にそんなことはしたくない」
少し申し訳なさそうに俺は言う。
もちろんフリさ。
「ぷっ、くすすっ。はははっ! はは、かここんこんっっ!」
俺の言葉に女狐は一瞬目を丸くすると、両手で口を抑えて笑い出す。
「これはゆかいゆかい。ゆかいでありんす。大蛇の兄弟の中でも一番の小物のお前が、どうやってわっちを傷つけるんでありんす」
「そうか。名乗ってなかったが、やはり俺が誰かくらいは調べていたようだな」
「ええ、赤好はん。ついでにでありんすが」
「なら、俺の眼についても知ってるかい?」
「しっとります。対象の幸不幸を、対象が自分にとって幸いか災いかを見極める眼でありんしょ。さっき、聞きましたし、ここまで来れたってことは本物みたいやねぇ。ま、どうあがいてもダメな状態に追い込めば、余裕綽々でありんす」
口元を押さえて、女狐はカラカラ笑う。
「その目に君はどう映ってると思う」
「せやねぇ。大災の女神やろうか?」
口の端をニヤァーと裂けるように広げ、彼女は嗤う。
見えてきたじゃねぇか、女狐の本性がよ。
「違うね」
「ならどういう風に見えはるん?」
俺の能力はそれが俺にとって+か-か判別出来る。
実は見たものだけじゃない。
俺が話そうとする台詞についても、それがわかるのさ。
今、俺の口から出ようとする台詞は最悪の言葉さ。
でも、俺の能力はこれが最善だと告げている。
「俺の眼にはな……」
俺は少しのタメを作り、言葉を続ける。
決して女性には言いたくない言葉を。
「あんたが、究極のさげまん女に見えるね」
「ガキがっ! 殺すっ!!」
速いっ!?
ちっくしょう! 讃美のやつめ! 何か玉藻は戦闘タイプじゃないだよ!
何が、砕かれた殺生石の欠片で完全体じゃないだよ!
俺なんか一撃で殺されるくらいの速度と妖力じゃねぇか!!
その鋭い爪が、俺の反射神経よりも早く胴体に触れようとする。
普通のやつならここで終わりさ。
だが、俺は違う。
俺の能力は俺にとってのラッキーアイテムを見つけ出せる力。
酒処七王子を出発する時、そのラッキーアイテムを目いっぱい持ち出した。
瓶詰や缶詰、スマホの充電器に酒は当然として、ムッツリスケベな珠子さんの秘蔵本まで。
中でも、こいつは必ず役に立つと確信したやつ!
笑顔が素敵な珠子さんが毎日笑いかけてるやつさ!!
「頼むぜ! 雲外鏡!!」
胸に仕込んだそいつに俺は合図を送る。
俺の胸元がはだけ、光が広がった。
「承知! 外道! 照身! 霊波光線!!」
「ウッ、ウギャァアァァァアアッッアアァーーー!!」
青白い光が一面に広がり、その光の圧に押されるように女狐が吹っ飛ばされ、クルンと欄干に着地する。
その姿はさっきまでの見た目は美人ではなく、白い毛の狐。
雲外鏡の攻撃で正体を現した玉藻の姿。
その尻尾は四本。
本来は九尾のはずだから、半分以下であの妖力かよ!?
「やってくれたな下郎。まさか雲外鏡とはな」
「いい女ってのはピンチの時にこそ美しく振舞うもんだぜ。言葉使いはもっと上品の方が男ウケはいいと思うぜ」
「ぬかせ」
「ぬけてるのは君さ。高野の秘宝”雲外鏡”を俺が持っている意味を考えな」
シャリン
チリン
錫杖と鈴の音が聞こえる。
「やっぱ来てくれたか。隙を作れば飛び出してくると思ったぜ。俺を囮にしようと思ってただろ」
俺がここに来る過程で姿は視えなかったけど、誰かが付けている感覚があった。
正体は察しがついてたけどな。
「ふん、人の命を救うには何でも利用するってのは当然さね」
「そうですな。それにこれを望んでいたのでしょう」
俺の視線の先、珠子さんが寝ている布団の前にはふたりの退魔僧の姿。
俺と同じく、彼女を捜していた築善尼と慈道だ。
「高野の僧か」
「そうさね。さて、どうするさ。あたしはここでやりあってもいいんだけどね」
コリッと数珠をすり合わせる音を立て、築善尼は女狐を見る。
「くすすっ。あー、やだやだ、今日は厄日ね。いいわ、引くでありんす。追いかけてこないでね」
「ああ、女の尻を追いかけるような男は君は嫌いだろうからな」
「まぁ、よく言うでありんすね。その通りでありんす。嫌いだから殺しちゃうわよ。バーイ」
いつの間にか人の姿に化け直した女狐は、そのまま欄干から飛び降りて消えた。
誰も追いかけやしなかったさ。
殺されるとわかってるからな。
◇◇◇◇
「寝たきり珠子ちゃんの容態はどうだ?」
「なぁに、軽い脱水症状と栄養不足さね。心配ないよ、身体は」
「はい、師匠。ブドウ糖点滴の準備が出来ました」
「ああ、やっとくれ」
プスッと注射針が彼女の腕に刺さるが、彼女は起きもしなければ身体を硬直させもしない。
そのまま静かに寝息を立てている。
「やはり目覚めませぬか」
「だろうね。夢の中から術を掛けられているようさね」
お札をベリベリと張りながら、ふたりの退魔僧は何かを確認するように相談する。
「その術を解く方法はないのかよ?」
「外からはまず無理ですな。珠子殿の精神を閉じ込めている術を、夢の中から破壊するしかないでしょう」
「そのようだね」
最悪だ。
夢の中に入れば、大悪龍王に扮した狐者異から恐怖の攻撃を受けちまう。
でも、それしかないなら……。
「じゃあ、俺が助けに……」
シャリン
身を乗り出そうとする俺の前に錫杖が立ちふさがる。
「やめときな。あんたが行っても足手まといだよ」
「それにやっとのことで見つけた身体です。誰かが守らないと。それに拙僧たちのも」
拙僧たちの。
「それじゃあ」
「ああ、あたしと慈道の精神をこの子につなげて、助けに行く。あとは頼むよ色男」
「無事に戻って来た時の祝いの席の準備もですぞ」
ふたりは軽く笑って俺を見る。
「ああ、まかせておけ」
俺が出来ることは、胸を叩くことと、ここを守ることだけさ。
でも、それでいい。
目覚めた時に御馳走があった方がお腹ペコペコの珠子さんは喜ぶだろうから。
だから、早く無事に目覚めてくれよ。
愛しのお姫様。




