首吊り狸とタヌキケーキ(その6) ※全7部
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「フェフェフェ……久しぶりじゃの」
「どういう風の吹き回し。あれだけアタシから逃げ回っていたのに」
「なあに、やっとのことでお膳立てが整ったのでな、仕上げにかかろうと思ったのよ」
初めて会った時より、もっとイヤらしい感じね。
「”夢の精霊”が”木魅”ですか。なるほど、言われてみればそうですね」
「……何か知ってるの珠子姉さん」
「ええ、”夢の精霊”は江戸時代中期、佐脇嵩之に描かれた妖怪絵巻『百怪図巻』に載っている”あやかし”です。人に悪夢を見せると伝えられています。この百怪図巻は後の妖怪絵巻とほぼ同種の妖怪が描かれていたことから、後世の手本となる作品だったと伝えられています。有名な鳥山石燕の『画図百鬼夜行』もこれを参考にしたと考えられてます。ですが……」
そう言って珠子ちゃんは”夢の精霊”をじっと見る。
「”夢の精霊”は画図百鬼夜行には登場しません。それに相当するものとして描かれたのが”木魅”ではないかという説があるんです。これは”夢の精霊”が”草の精霊”と誤記されて、木の精霊、木魅となったのではないかと伝えられています」
「フェフェフェ、さすがは『酒処 七王子』の看板娘。かなりの知識よな。その通り、儂は夢の中では”夢の精霊”、現実では”木魅”。その二面性を持つ”あやかし”よ。普段は夢の中でも”木魅”と名乗っておるがの。だが、もう隠す必要もあるまい。お前たちは、もはや儂の許しなくては、この夢から逃れられぬしな」
逃れられない。
その言葉にアタシたちに緊張が走る。
「そうかな。試してみねばわかるまい。夢の精霊よ『我らを解放せよ』」
黄貴兄さんが発したのは王権の権能による力ある言葉。
だけど、それが効かないのはアタシも十分知ってる。
「くっ、なぜ……」
「当然よ。大蛇の長兄。お前の王権による強制は王として下知を出さねば意味はない。ここは夢の世界。声は聞こえるようでも実際に音を聞いているわけではないのだ。心で考えただけで命じることが出来るはずなかろう。他のヤツらも同じよ。心で思っただけでは能力は十全には発動せぬよ。フエッフェフェフェ」
カンラカラカラと夢の精霊は高笑い。
「さて、どこから話そうかの。儂は悪夢を見せ、悪夢と糧とする”あやかし”よ。悪夢を見る人間の夢を渡って暮らしておった。ところがある日、儂は極上の悪夢を感じ取ってな、そこに行ったのだ。そこが……」
「藍ちゃんさんとアリスさんの所ですね」
「そう、藍蘭はアリスという娘の肉体を止めた。だが、精神までは止めなかった。するとどうなると思う?」
「きっと……夢を見続けるんじゃないでしょうか」
「その通り! アリスという娘は生と死の狭間で夢を見てたのだよ。だが、夢というのは記憶や経験を土台にして想像力で構成されるもの。病で苦しむばかりの人生を歩んだ娘が見るのは当然悪夢じゃ」
「そうよ、あの時、アリスの精神が苦しんでいた原因は悪夢を見ていたからよ。終わらない悪夢をね。アタシはそんな状態に耐えられなかった。肉体の苦しみから解放されても、精神が苦しみ続けるなんて最悪じゃない。だから、アタシはこの”夢の精霊”と手を組んだの。そして、アリスに良い夢を見せてとお願いした」
それが大悪龍王の一連の事件の原因。
でも、後悔してはいないし、間違ったとも思っていない。
「それに儂は応じたのよ。アリスという娘に良い夢を見せる方法はひとつ、それは……」
「アタシとアリスの夢をつなげることよ」
「そんな事出来るのか!? 夢ってのは個々で見るものだぜ。いや……、俺っちたちの今の状況を考えると出来てるのか……」
緑乱ちゃんがビックリしたように言うけど、すぐに何かわかったかのように考えこむ。
そうよ、その通りよ。
「フェフェフェ、大蛇の四男よ。同床異夢という熟語は知っておるか?」
「それくらいは知ってるぜ。同じ布団で寝たとしても、見る夢は違うってやつだろ」
「その通り。夢の世界は個別のものじゃ。普通は完全に分離していて、同じ夢なぞ見れぬ。だが、それの対極の言葉があって、相反するものを共存させる能力を持った者がおったとしたらどうかの?」
「同床異夢の対義語なら、あたしわかります。異榻同夢。榻は腰かけを意味し、違う場所や立場に立っていても、同じ夢を見るという意味です」
「なるほどな。藍蘭兄の権能は”太極”。本来、同床異夢であるべき夢に、異榻同夢を加えて太極を描くことで、アリスちゃんの夢と藍蘭兄の夢をつなげたってわけかい」
「その通りよ。今、アリスはアタシの中でアタシと同じ夢を見ている。そうすれば、アタシが夢を見ている間は悪夢を見ない。最初はうまくいったわ」
そう、最初はうまくいってたの。
アタシも頑張ったし。
「そうか、我が復活して最初に藍蘭から金を、『酒処 七王子』のリフォーム代を要求されたのもそのためか。酒や出来合いのつまみを”あやかし”に供する店だった『酒処 七王子』を賑やかで楽しい店にしたかったのであろう。幼きころは勝手気ままだった藍蘭が、率先して店の経営をしたり、人間のアルバイトを雇っていたのも、全て夢見を良くするためであったか」
「そうよ。現実で楽しいイベントがいっぱい起きれば、その経験はアタシの夢にフィードバックされて、楽しい夢になるわ。そしてそれはアリスも見ることになる」
「へー、あたしが『酒処 七王子』で働くようになった背景に、そんな事情があったんですね」
珠子ちゃんには本当に感謝してるわ。
彼女が来てから、今まで以上に面白いことが目白押しだったんですもの。
「フェフェフェ、儂はアリスという娘から生じる悪夢の安定供給を受けれるでな。WIN-WINという関係だったのじゃよ。儂らのような夢の中に棲む”あやかし”にとっては、ここは天国じゃ」
「天国……、そうね、特に大悪龍王ちゃんや真珠王ちゃんみたいな知名度が低くて夢に棲む”あやかし”にとってはここは天国だったでしょうね。ここは誰でも入れて終わらない夢なんですもの」
「なるほど! この夢に”不思議の国のアリス”の他のキャラクターが居ない理由がわかりました! チェシャ猫やハートの女王みたいなメジャーな存在だったら、別の人の夢に棲めますけど、永代静雄版にしか登場しない超ドマイナーなキャラはこの夢くらいにしか棲めませんもんね」
超ドマイナーは言い過ぎかもしれないけど、その通りね。
アタシだって、大悪龍王が夢の中にやってくるまで、彼のことは知らなかったんですもの。
「やがて、アタシの見ている夢の経験がアリスの経験にもなって、悪夢も減り出したわ。アタシは、このままずっとアリスに覚めない素敵な夢を見せたかった。だけど……」
「……誰でも入れて、鯖落ちもしない。定期メンテもない。この夢はそんなMMOオンラインゲームみたいなもの。そこには必ず来るものがある。それは”荒らし”」
橙依ちゃんがゲームに例えて、的確に問題点を指摘するわ。
「……しかも、本来、悪夢が大好物の”夢の精霊”が運営に携わっているなんて、クソゲーもいいとこ。責任者、仕事しろって感じ」
「耳が痛いわね」
そう言ってアタシは”夢の精霊”をキッと睨む。
「フェフェフェ、仕方ないじゃろ。儂の好物の悪夢をアリスという娘が見なくなったんじゃから。この夢に入ってきた来訪者に悪夢を見せるしかあるまい。安心せい、アリスという娘には悪夢を見せていないぞ」
「そうなったら、アタシが真っ先に気付くからでしょ。おかげで気付くのが遅れたわ。あたしの知らない間に狐者異を引き込んで、他の”あやかし”を恐怖の悪夢で支配し、妖怪王にまでなろうとしていたなんてね」
「フェフェフェ”狐者異”は恐怖を司るあやかし、悪夢を司る”夢の精霊”と相性が良い。おかげで恐怖と悪夢をたらふく喰らって、儂らの妖力は、もはや無敵!」
そう言って夢の精霊はサッと杖を高く掲げる。
ドゥーン!!
空から落ちてきたそれは巨大な八つの首を持つ大蛇と人型の”あやかし”。
「あっ!? この前襲ってきた、悪い大悪龍王と老真珠王!」
「げっ、またこいつらか! あいつらを視るな! 身体が縮こまっちまうぞ!」
珠子ちゃんと緑乱ちゃんの言い方だと、ふたりは既に遭遇してたみたいね。
「……それに怨念鬼がたくさん」
続けてワラワラと現れる鬼たち。
満濃池でアタシたちが戦った怨念鬼の群れ。
ここにも居たのね。
「話は終わったか。夢の精霊よ」
「フェフェフェ、おうともさ。もう、その姿に擬態する必要もないぞ狐者異」
「そうか、俺公もそろそろ飽きた頃だ。作戦とはいえこの姿を取るのもな」
八ツ首の大蛇はそう言うと、その外皮にピシピシとヒビが入り、脱皮するようにその真の姿を明らかにする。
丸く大きくギョロリとした目。
ザンバラとした髪に牙のように尖った歯。
薄青色の着物からは細く伸びた腕と爪。
そう、それは江戸時代に描かれた『絵本百物語』に登場する恐怖の化身。
狐者異。
その姿を見るだけで身体が強張り、身動きが取れなくなる。
「吼えよ老真珠王! ヤツラを恐怖に突き落とせ!!」
「ヴォヴォヴォヴォッヴォーーーーーー!!」
狐者異に並ぶ真っ黒で鬼のような恐怖の気配を持つ”あやかし”が大声を上げる。
「くっ、これほどの圧を我に与えるとは」
「ちくしょう! 身体が思うように動かねぇ」
「……恐怖の声。ゲームでもやっかいだけど、現実でもやっかい」
「ここは夢の中でござるよ橙依殿。でも、拙者も少しでも気を抜くと負けそうでござる」
狐者異の姿と、老真珠王の恐怖の咆哮に兄さんや弟ちゃんとその友達も顔をしかめる。
「さあ! 最後の仕上げじゃ! こやつらを恐怖の支配下に置けば、現世でも儂らは無敵! あの大蛇の五男も敵ではないわ! フェフェフェフェフェ」
勝ち誇ったように夢の精霊が高笑いする。
悔しいけど、かなりヤバイわね。
アタシも少しは動けるけど、これから始まる終わる事のない暴力に負けないとは言い切れないわ。
「な、なあ、藍蘭よ」
「何? 兄さん」
「ここは一時撤退出来ぬか? 太極の、異榻同夢の能力を解除すれば、この夢はアリスという娘のみの夢となるのであろう。我らは現実で目覚められるのではないか?」
「アタシが現実に居ればそれが出来るんだけどね。夢の中では”夢の精霊”の方が上手よ。アイツが許可しない限り現実には戻れないわ。もしくは、アイツを倒せればいいんだけどね」
「夢の中で”夢の精霊”を倒すってどうやりゃいいんだよ!!」
「……無理ゲー。だけど、やるしかない! ここで僕たちが負けたら現実世界の赤好兄さんや蒼明兄さん、紫君も危険!」
あら、少し逞しいこと言うようになったじゃない。
アタシも負けてられないわ。
「フェフェフェ、、無駄じゃ無駄じゃ。お前らは儂らに嬲られて降参するしかないのじゃよ。ほれ、さらに強くなるぞ」
夢の精霊の合図に「グヴォヴォヴォヴォヴォーーーー!」と老真珠王の叫びがさらに強くなる。
「キャーーーー!! こわいわ、ヒーロー! 私、もういや! ここから出して!」
「情けないことを言うな! 恐怖に負けたら、もう終わりだぞ!」
「負けてもいい、負けでいい! だから、もう止めて!!」
橙依ちゃんのお友達の件憑きの女の子が既にギブアップ宣言。
無理もないわ、人間の女の子に耐えられる恐怖じゃないもの。
珠子ちゃんも、きっと同じに違いないわ。
ザッ
そんなアタシたちの前に立ちふさがるひとつの影。
え!?
珠子ちゃん!?
「事情は大体わかりました。でも、ひとつ教えて下さい」
これだけの恐怖の圧で普通の女の子のアナタが何で動けるの!?
「フェフェフェ、『酒処 七王子』の看板娘は人間の割に度胸があると聞いていたが、これほどとは。いいぞ、その無謀さに免じて答えてやろう」
「どうして大悪龍王なんて名乗ってたのです? それに、どうして老真珠王が貴方たちの手先になっているんですか?」
「ひとつと言ったのに、まあいいじゃろう。儂は”夢の精霊”。その名の通り夢の中ならそんじょそこらの相手に遅れを取ることはない」
珠子ちゃんの問いに、ゆっくりと、もったいつけるように夢の精霊は言う。
少しでも長く、恐怖にさらそうとしているのだ。
ひと思いに楽にしてくれとアタシたちが根を上げるように。
珠子ちゃんは真剣な表情でそこまで聞いて、
「なるほど、わかりました」
「は?」
話の腰を折った。
「つまり、貴方たちの弱点は同じように夢に棲むあやかしなんでしょ! 少なくとも、同じフィールドに立つ存在なら対抗出来るはずですっ! 具体的には本物の大悪龍王さんとか!」
「そ、その通り。じゃが、儂らはそれへの対応策も……」
「ええ、わかってます。だから老真珠王を手先にしたんですね。どうやってかはわかりませんが。老真珠王は大悪龍王を一捻りに出来るキャラクターですから。彼を手下にすれば、安全だと思ったのでしょう」
「そ、その通りじゃ」
自信たっぷりの珠子ちゃんに少し気圧されるように夢の精霊は答える。
「でも、ざーんねーんでした! お勉強が足りませんね! ちゃんと永代静雄版の”アリス物語”を読むべきです! このニワカ!!」
そう言って、珠子ちゃんはフフンと薄い胸を張る。
「何を世迷言を!」
「世迷言じゃありません! 人類の叡智を! ううん、人類の想像力をナメないで下さい! いいですか、永代静雄版の”アリス物語”にはこうあります! 『老真珠王に不正の矢を放つものは神々の怒りに触れる』と! 言い換えれば、不正じゃなく、大義名分さえあれば、大悪龍王は老真珠王にだって勝てるんです!!」
「へ?」
あまりにもの論理展開に、一瞬みんなの顔がポカン。
「小娘が何をほざいている! キサマに何が出来ると言うのだ!!」
「あたしには何もできません! 料理くらいしか! いつか『酒処 七王子』に訪れた時には御馳走しますとしか言えません! でも、助けを召ぶことくらいは出来ます!!」
そして、珠子ちゃんは夢の世界に似つかわしくない物を取り出す。
それは、スマホ。
「話は聞いてたでしょ! 大悪龍王さん! 貴方の理解者、同じ釜の飯を食った友、珠子がピンチです! 助けて! お願い! ヘルプミー!!」
わめくように、でもちょっとおどけるように、珠子ちゃんはスマホに向かって叫ぶ。
『よからう。友の助けならば、応じぬわけにはいかぬ。それに、この世界を荒らし回るのは乃公の領分だからな!!』
スマホの先から、ずっと昔に聞いた声が響き、そこから何かが現れ出でる。
「乃公こそは、この世界を荒らしまわる恐怖の大魔王!」
その姿は中華風の鎧を来た人型の龍。
その名は、この終わらない夢が生まれた最初期にやってきた”あやかし”。
夢の中にしか棲めない、夢物語の創作物。
「大悪龍王だ!!」
彼は轟き響く大声で、その名を名乗る。
だけど、どうして珠子ちゃんとお友達なの!?
「た、珠子ちゃん、貴方、この夢の中でいったい何をしてたの!?」
そんなアタシの問いに、
「もちろん! いつも通り! お料理してました!!」
とってもいい笑顔で彼女は応えた。
アタシの中から『珠子ちゃんって、とってもお料理が上手なのよ』というアリスの声が聞こえた。




