首吊り狸とタヌキケーキ(その5) ※全7部
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橙依ちゃんの持つあの日をもう一度は、1日だけ時間を戻せる能力。
規格外の超絶能力だと誰もが思っているけど、橙依ちゃんはあまりその自覚がない。
理由は『どうしようもない方が多いから』だって。
でも、アタシは少しその気持ちがわかる。
きっとこれも、どうしようもないやつなんだわ。
「……前の周は今回とほぼ同じ。駅前で死にそうになったアリスさんを助けようとして、兄さんは能力を使い続け、その結果、彼女は死ぬ。その時の大きな嘆きを家で感じた僕は、彼女の亡骸を抱えて泣き続ける兄さんの姿を見て、事情を聞いて、あの日をもう一度を使った」
詳しい説明を求めるアタシに橙依ちゃんは淡々と語る。
「……そして、2周目に入った僕は、どうして兄さんの”活殺自在”の能力で彼女を救えなかったのか原因を調べてた」
「理由は、わかったの?」
「……うん。彼女の病名は急性前骨髄球性白血病、要するに白血病。血液のガン。異常に成長してしまった白血球のせいで、血小板や赤血球が正常に作れなくなる病気。テレビでよくある不治の病」
白血病……、それはアタシも知っている。
ドラマでよく登場するし、現実でも有名な女優がそれで死んだニュースも見た。
だけど。
「そんなものが何だってのよ。アタシの活殺自在の能力ならアリスの細胞全てですら活かすことだって出来るわ」
「……ダメ。兄さんの能力は死んだものを生き返らせる能力じゃない。そんな事が出来る存在はどこにもいない。兄さんの能力は弱っている相手に活力を与える能力」
「そうだとしても、アタシの能力で彼女の細胞を活かし続ければ……」
そこまで言葉を続けたアタシだったけど、そこでハッと気付く。
白血病は異常に成長した白血球のせいで、他の血液成分が正常に作れなくなる病気だって。
「……気付いたみたいだね。そう、兄さんがどれだけ彼女の細胞隅々まで活力を与えようと、生まれてくることが出来なかった血中細胞に活力は与えられない。この病気の症状は貧血と出血。原因は赤血球と血小板不足」
「治す方法はあるの?」
「……治療法は抗がん剤で骨髄内で異常成長する白血球を殺すこと。殺し尽くすまで身体がもてば助かる。もたなければ助からない。殺し尽くせなかったら再発する。だから治療は困難」
アタシはその説明に頭をぶん殴ぐられた気がしたわ。
「ひょっとして、アリスが飲んでいた薬は……」
「……そう、異常成長する白血球を殺す薬。だけど……」
「あ、アタシは、アタシが彼女に与えていた活かす能力は、異常な白血球まで活かしてしまってたってわけ!?」
「……そう。だけど、気にしなくていい。元から薬はあんまり効いてなかったみたいだから。何度も再発しているのがその証拠」
そうだとしても、アタシの心は絶望に落ちていた。
「……大丈夫? あと何回かならやり直せるかもしれないけど」
アタシを心配して、橙依ちゃんが優しい声をかける。
だけど、アタシは気付いていた。
これがどうしようもないことだってことに。
「いいのよ、ありがと」
「……そう」
「お願い、しばらくひとりに、ううん、ふたりっきりにさせて」
「……わかった」
パタンとドアが閉じる音がして、また音が聞こえなくなる。
しばらく無音が続いて、やがて、彼女の口と目が開いた。
「おはよ、ランラン。あたし、まだ生きてるみたいね」
「ええ、安心して。きっとよくなるから。よくするから」
アタシの口から出たのは嘘と本当の気持ちが込められた言葉。
気休めにもならなかった。
「いいのよ。あたしの身体がどうなってるかくらいわかるわ。自分の身体だもんってカッコよく言いたいけど、先生が教えてくれたおかげ。もう、だめみたいね」
「そんなことはないわ!」
「嘘。でも嬉しい。そして嬉しいわ。あたしは言ったことを守れそうだもん。あたし言ったよね、あたしの命に『のしつけてあげる』って。さっきのがのしね」」
それは、室内スキーに行った時のアリスの台詞。
「そんなのいらないわよ」
アタシは涙で顔を濡らしながら、それを拒絶する。
「あら、色の方がよかった? いいわよ、何でもあげる、全部あげる。お返しなんていらないわ。だけど、ちゃんと受けってくれなきゃイヤよ」
アタシの涙を見て、おどけるようにアリスは言うけど、それが、それが……
悲しかった。
嬉しくもあった。
涙が出た。
涙をのみ込んだ。
誰かに祈った。
アタシの中を必死に探した。
彼女の望みを叶えたかった。
叶って欲しいと思わなかった。
”死”を殺したかった。
”今”を活かしたかった。
光と闇
正と邪
裏と表
男と女
陰と陽
それら全てがアタシの中で混ざり合い、混沌の中から何か形のあるものを掬い出そうとして……。
彼女を、アリスを、大切な人を救いたくて……。
アタシは……、目覚めた。
活かせばアリスは死ぬ、殺せば彼女は死ぬ。
だったら、活かしながら殺せば、ううん、生きているのと死んでいるのを混じり合った状態にすれば……。
出来るかしら?
ううん、やれるはず。
アタシがママから受け継いだこの”太極”の権能なら!
───数日後、ひとりの患者が病院から行方不明になったってニュースが出たわ。
でも、そのうち誰も気にしなくなった。
アタシは橙依ちゃんから『アリスさんはどうなったの?』という問いに、こう答えたわ。
『彼女は死んだわ』
半分本当で半分嘘の言葉を。
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「……そうだったの。理解」
「なるほどな、俺っちの知らない間にそんな事があっただなんてな」
「いやー、夢の中に急に藍ちゃんさんたちが現れて、緑乱おじさんの時のようなドラマが始まった時は何事かと思いましたが、すっごいロマンスですね」
頭に少しまどろみが残るけど、アタシは目覚めた。
夢の中で目覚めるってのもおかしい話だけどね。
どうやら、アタシは夢の中で昔の夢をみてたみたい。
「珠子ちゃん、久しぶりね」
「はい、お久しぶりです。藍ちゃんさん。藍ちゃんさんとアリスさんにあんな過去があっただなんて、ハラハラドキドキもんでしたよ」
「あら? ドキドキはともかく、そんなにハラハラもんだった?」
「ええ! 橙依君の前で、いつ18禁エロシーンが始まるのではないかとハラハラして見てました!」
「……さっきから事あるごとに僕を目隠ししていたのはそのせいだったの」
ふふっ、珠子ちゃんたら相変わらずね。
元気そうで良かったわ。
「いやぁ、でもよかったよかった。怨念鬼から必死に逃げてる途中でみなさんが降ってわいた時には何事かと思いましたが、これだけのメンバーが揃えば心強いです」
珠子ちゃんが安心したように周囲を見回す。
確かにかなりの数ね。
珠子ちゃんに緑乱ちゃん。
満濃池の洞窟で一緒に戦ってた橙依ちゃんと、そのお友達。
それと……黄貴兄さんまで。
「すまぬ。これは……我のミスだ。まさか我の権能ある言葉を逆に利用されてしまうとは、不覚」
アタシたちはアリスの肉体を守ろうと満濃池の洞窟で戦ってたんだけど、そこにアイツが乱入してきて、よりにもよって、黄貴兄さんの権能を使った。
その『眠れ』という言葉にアタシたちはやられちゃったみたいね。
「いいのよ。起こってしまったことはしょうがないわ」
「あれ? ところでアリスさんはどこですか? 追憶ドラマが終わったら彼女も藍ちゃんさんのように意識を取り戻すと思ったんですけど」
珠子ちゃんはキョロキョロとアリスを捜して辺りを見渡す。
だけど、誰の目にも彼女の姿は映らない。
映っているんだけどね。
「アリスならここに居るわ。アタシの中よ」
トントンとアタシは自分の胸を叩く。
きっとこの感触も、この光景もアリスは感じている。
「どういうことです?」
「……僕も知りたい。アリスさんが死んでない理由はわかったけど、大悪龍王とか、なんで僕たちが同じ夢の中に居るのか、そこを教えて」
「いいわよ。教えるって約束したからね」
珠子ちゃんを、ううん、みんなを巻き込んだのはアタシの責任。
だからキチンと説明する義務がアタシにはある。
「じゃあ、教えるわ。アタシの権能は”太極”。太極図を想像してもらうのがわかりやすいかしら」
「あ、白黒の勾玉がふたつ合体したようなやつですね。火鍋のデザインにも使われています。ほら、こんな風に」
珠子ちゃんが想像力を働かせて、その手に間にS字の仕切りの入った銀色の鍋を取り出す。
「こっちの半分には白湯ベースの白いスープを、こっちの半分には豆板醤と唐辛子ベースの赤いスープを入れて鍋にします。刻んで黒っぽくなるまで炒めた唐辛子を入れると、白黒の陰陽っぽくなりますよ。ちなみにこの鍋は別名鴛鴦鍋とも呼びまして、オシドリ夫婦に代表されるような仲のいい恋人を象徴している鍋なんですよ。藍ちゃんさんとアリスさんにピッタリですね」
「あ、ああ、そうね」
久しぶりだけど珠子ちゃんの何でも料理と結びつける思考には面食らうわ。
あの子、この恐怖の夢の中でも平常運転ね。
ちょっと尊敬するわ。
「その”太極”の権能でアタシはアリスを生きていて死んでいる状態にしたわ。相反するものを見出したり共存させたりするのがアタシの権能よ。これでアリスの肉体の動きを止めたの。傍から見ると、死んだように眠り続けているようだったわ」
アタシはその時の記憶をイメージしてスクリーンにでも映すように空中に投影する。
「あの時、アタシはこれで成功したと思ってた。たとえ、言葉を交わせなくても、握った手を握り返されなくても、彼女が苦しみから解放され、そばに居てくれれば満足だったわ。だけど違ったの」
「何が違ったのですか?」
「アリスの肉体は動きを止めたわ。だけど、止まらなかったものがあったの。それは彼女の精神。その精神が苦しんでいることが、アタシにはわかったわ。そんな時、アイツが現れたの」
「どなたですか?」
「それは……」
アタシは知っている。
ソイツが全ての元凶で、大悪龍王の一連の野望の黒幕。
「それはな、儂じゃよ」
突然現れた声の主に、アタシたちの視線が集中する。
それは白い和服を着て杖を持った老人の姿。
「お前はあの時の!? 満濃池で我の言霊を返した……」
「木魅! あの時、大悪龍王の側にいた!?」
やっぱり来たわね
「違うわ。木魅はコイツの現世での姿よ。夢の世界から現世に写った影みたいなものね」
「……藍蘭兄さん、するとアイツは……」
橙依ちゃんがアタシを心配そうに見上げる。
きっと、あの老人がここで遭遇する最悪の相手だって気付いてる。
「そう、こいつは”夢の精霊”よ」
アタシの言葉に応えるように、”夢の精霊”はニタァとイヤらしく嗤った。




