貧乏神と貧乏料理(後編)
「はやるな若いの。知らぬなら嬢ちゃんを信じるがよい。知っておるなら黙って見ておるがよい」
貧乏神が落ち着いた口調で我をたしなめる。
我は知らぬので、とりあえず女中を信じる事にした。
まあ、我の配下であるからな、配下を信じぬ王などおらぬ。
「さすがです貧乏神様! この料理をご存知でしたのね!」
「ふむ、儂が貧しさの名を持つ料理を知らぬはずがなかろう。これが出て来るとは思わんだなけどな」
少し嬉しそうに貧乏神が言う。
「はい、これは『乞食鶏』です。かつての中国で鶏を手に入れたが調理器具を持たなかった乞食が、鶏を泥にくるんで焚火で焼いたと言われている料理です。まあ、今回はオーブンを使いましたが」
「アタシも最初に聞いた時はビックリしちゃったわ。さあ! 食べましょう!」
ガッガッガッ
藍蘭が木槌で泥を側面から叩き、泥の塊を割っていく。
泥の中から熱で茶色に変色した葉が現れた。
女中はそれを丁寧に取り出し、大皿に載せる。
「これは蓮の葉です。乞食鶏は内臓を抜いた丸鶏に詰め物をして蓮の葉でくるんで、泥でくるんで焼くんですよ」
蓮の葉が開く。
蓮の花が開いた時には爽やかな香りがするものだが、この葉が開いた時には濃厚な肉の香りがした。
「これは旨そうな匂いじゃ! 察するに詰め物とは……」
「はい、想像通りです。先ほどのスープの乾物の貝柱と椎茸と筍と余った隙間にはもやしを詰めました」
もやしの部分でてへへと笑いながら女中が言う。
「そうか、詰め物はみな鶏の旨みを吸っておるのであろう。おおう、想像しただけで喉が鳴るわい」
同意見だ、我もゴクリと喉が鳴る。
切り分けられた乞食鶏が4名の皿に並べられる。
どうやら女中も食すらしい。
まあ良い、これを前に我慢するのは心の弱い女中では無理であろう。
「いただきまーす」
そして我らは乞食鶏を口にする。
「おおっ!」
「まあっ!」
「ほほぉ!」
「うぴょー!」
最後の奇声が女中だ。
「これは旨い! 鶏の旨みと詰め物の旨みが全体に染みわたり調和しておる!」
「ほんっとおいしいわー」
「これは美味い! 我が王国の宮廷料理にしても良い」
「あたし、またこれ作りたい! というか作る!」
この美味さは想像以上だった。
水で戻ったはずの乾物には再び鶏の旨みが染みこんで、鶏は蓮の香りでくどくないのに旨みだけが味わえる逸品に仕上がっていた。
4名はしばらく我を忘れて乞食鶏をむさぼり食った。
「いやはや、旨い料理であった。今日の献立は安い食材を使った高級料理という所かの」
貧乏神の言葉に女中は少々考え込んだ。
そして数秒後、女中は口を開いた。
「あたしはね、貧乏って心だと思うんです」
「何を言っている? 貧乏とは金だろ」
我は至極当然の言葉を女中に返した。
「いーえ違います。この黄金炒飯も卵白スープも乞食鶏も材料費で言えばとても安いんです。特に黄金炒飯なんてそう」
確かに、卵黄とごま油と米だけの具無し炒飯の材料費は安かろう。
「でもね、お店で食べると本っ当に高いの! もう普通の炒飯の方が安いくらい。きっと味と肩書がお値段に加わっているのね」
女中が見せてくれたスマホ画面に映された高級中華料理店のメニューを見ると確かに高い。
「さらにね! この乞食鶏なんてね、こーんなに高いのよ!」
さらに別のページでは乞食鶏が万越えの金額で表示されていた。
他のメニューと比べても桁が違う。
「だからあたしは今日の料理を手作りしてみたの! やっぱりスゴクおいしくって、そして儲かった気がする! たとえ貧しくても高級料理を食べた気になれば心が豊かになった気になる!」
目をキラキラさせて女中が言う。
こいつがこんなにハイテンションなのは初めて見た。
「本当の貧乏なのは、自分が貧乏だと思ってしまう事じゃないかしら。日常の中の喜びとして、贅沢な食事が安い材料費で出来たら素敵じゃない」
「そうじゃな、儂も色々な家に居ついてきたが、死によって別れたのは貧乏に心が負けた者じゃった。嬢ちゃんとは正反対じゃな」
うむ、少なくともこの女中の心は貧乏に負けぬと思う。
「そうね、あたしは一番不幸な人は自分がどうしてこうなっているのか、どうすればいいのかわからない、知らないまま、命を散らす事だと思うわ」
女中の言葉に我は心の中で思い出す。
我が今まで見た中で最も心が痛んだのは、母の胸に抱かれながら虚ろな目をしている子供を見た時だ。
あの時……我が立ち上がらねば。
いや、思いだすのはよそう。
「お嬢ちゃんの言う通りじゃな、じゃがこれは王侯貴族が食べるような貧乏料理ではないの」
そう言って貧乏神はさらに乞食鶏を口に運び、その旨さに口をほころばせる。
「貧乏神さんの言う通りね。ごめんなさい」
何!? あの女中がお題で間違いを犯しただと!?
「これはね王侯貴族が食べるような貧乏料理じゃないの。たとえ貧乏でも王侯貴族にも負けない、そんな知恵と知識と意志を持った貧乏人が『王侯貴族になった気分になる』料理なの!」
そう言われれば、確かに女中の言う通り。
これでは『王侯貴族が食べるような貧乏料理』にならない。
ならば、きっと今日の料理には続きがある!
「だーって『王侯貴族が食べるような貧乏料理』を食べるには、まずは気分だけでも王侯貴族になってからよねっ!」
そう言って女中は両手で貧乏神の手を握る。
「ふはっ! そうじゃそうじゃ! 儂は貧乏神じゃが、金がないだけじゃ! 心まで貧しくなっておらん! いや、貧しかったかもしれなかったが、この料理で今や儂の心は王侯貴族にも負けぬぞ」
ふたりは握り合った手を中心にクルクルと回り始めた。
「さあ! 心が王侯貴族になった所で! 真の貧乏料理をはじまりでーす!」
そう言って女中は台所から続々と料理を持ってくる。
「まずは定番のもやしから! 『もやしの鳥皮ギョーザ』。続いて余った卵白を衣に使った『豚コマのフリッター』。忘れちゃいけない冬野菜! 白菜に水と鶏油加えて茹でた『白菜の鶏風味』。豆腐百珍の絶品の湯豆腐を作る時にもやしもいっしょに茹でちゃおー! 『もやし湯豆腐』。お口直しも必要ですね! ドイツからやってきた小粋な奴、スライス大根に塩を振っただけの『涙大根』。まだまだありますよー」
出るわ出るわ、もやしに豆腐に納豆に油揚げに豚コマに鳥皮に手羽先に白菜に大根。
安い食材ばかりを使った料理の数々。
「ほほう、これは儂好みの料理じゃのう。じゃが、ちょっと多くないか?」
「その通り! いくら安く作ろうと食べ切れなければ意味が無い! ここで助っ人胃袋の登場でーす」
女中が手を上に上げると、奥から弟たちがこれまたぞろぞろと現れる。
「ハイテンションな珠子ちゃんも素敵だね」
「ふぅ『酒処 七王子』の危機だと聞いて来てみれば、ただの宴会じゃないですか」クィッ
「……珠子姉さんの手料理」
「わーい、みんなで食べるのひさしぶりー」
「で、お嬢ちゃん、酒は?」
みなが様々な事を口にしながらテーブルに着く。
「もちろんありますよ! 今日のお酒は冷凍庫で冷やしておいたジンでーす! 貧乏神さんジンはご存知ですか?」
「儂をみくびるなよ、こう見えても貧乏を司っておるのじゃ。たとえ異国の物であっても貧乏に関するものなら儂の領分よ! 貧民の酒であろう!」
「そう! 1ペニーでほろ酔い、2ペンスでグダグダになれると言われた貧民のスピリッツ! でも、今や4大スピリッツの一角を占めるまでに出世したのよ。あやかりたーい!」
そう言いながら女中はショットグラスにジンを注ぐ。
無論、我にも。
「これは良い香りじゃ。しかも凍るまで冷えておる」
「ジンは冷凍庫でも凍らないんですよ、アルコール度が40度はありますからね」
「さあ、神様のご降臨を祝して宴を開催しちゃいましょー! それでは神様! 乾杯の音頭をどうぞ!」
女中は、そそそと頭を下げ、手を伸ばし皆の視線を貧乏神に集めさせる。
「長き間、神として過ごしてきた。奉られる事もあった、畏れられる事もあった、じゃが降臨を祝われたのは初めてじゃ! これは記念すべき善き日である! この善き日と、それをもたらした一同に! 乾杯!」
「「「「「「「かんぱーい」」」」」」
「乾杯」
我はちょっと遅れて『乾杯』と口にした。
他意はない、だがちょっと我も善き日の余韻を感じたかったのだ。
そして宴が始まった。
騒がしい、我の好む荘厳で絢爛な宴とは違う。
だが、たまにはこういうのも良いだろう。
「ねぇ、黄貴様、最後にあたし言いたい事があるの」
我の肩に手を回し、酒の匂いをプンプンさせながら女中が絡んで来た。
「貧乏なのに心を豊かにする方法に重要な要素って何だと思う」
「さあ? 貧しさを知らぬ我にはわからぬ事よ」
我の声に女中はニヒヒと笑い……
「それはね、いっしょに仲良く食事をして、そして”おいしい”って言うこと。だからあたしは、それを言いやすいようにおいしい料理をつくりますから……たまには、おうちで……みんなと……」
そう言って女中は膝から力を失った。
「しょうのないやつめ」
我はゆっくりと女中を長椅子に寝かせる。
こいつは今日も幸福な一日を迎えたのであろうな。
たまにはこいつの言う通り、みなと食事でも取るとしよう。
我も善き一日を過ごせたぞ。
我は心の中で女中に礼を言った。
◇◇◇◇
「で、なぜこやつは消えんのだ」
翌日になっても貧乏神は去っておらなんだ。
「いやー、儂も貧乏神の属性が逆転して福の神にでも成れるかと思ったのだが……」
この国には八百万の神々が居る。
貧乏神がいれば、当然、福の神もいる。
そして、貧乏神は時には福の神へと転じる事もあると聞いた事がある。
我は昨晩の女中の策はそうだと思って感心していたのだが。
「心だけが豊かになった結果……」
「結果、どうなったというのだ?」
こいつの見た目は全く変わっていない。
少々みすぼらしい着物のままだ。
「儂は『ボロを着てても心は錦』を司る神になっちゃった」
てへっと笑いながら、元貧乏神は言った。
再度言おう、この国には八百万の神々が居る。
『こんな物を司る神なんているのかよ!』と思える物にも神は宿っているのだ。




