濡女子とカタパン(その4) ※全4部
◇◇◇◇
「なるほど、それで橙依殿はそうなっているのでござるか」
「望み通りの展開だな。万事順調、順調」
あの後、僕達は洞窟内で渡雷と天野と合流。
そのまま、濡女子さんの案内で奥へ侵攻。
「ひひっ、あなた、ちょっと確認しますけど、あの女の子に危害を加える気はありませんのよね」
「……うん、僕は彼女を助けに来たんだ」
「くひっ、よかったです。あの方からはあの女の子を守れって言われてたんですけど、それなら問題ありませんです」
そう言う濡女子さんは、少し安心したような口調。
やっぱり彼女も大悪龍王に脅かされて従っていたんだ。
「いひっ、着きました。ここです」
到達したのはおそらく洞窟の最深部。
広さから、この満濃池の龍がその身を休めたと思われる空間。
その奥の祭壇のような所で、半透明の棺に横たわる人間。
「珠子姉さん!!」
僕はダッシュでそこに駆け寄る。
そして、僕は見た。
そこに横たわる人間の顔を。
小柄な身体に長い黒髪、透き通るような白い肌。
生きてる? 死んでる? いや、生きてる!?
どこか見覚えのあるその顔は……。
「あら、侵入者を感知したから急いで戻ってきたら、知った顔ばかりじゃないの」
僕の後ろから声。
知った声。
「お、お姉様、ご、ごめんなさい。でも、自分はどうしても彼の力になりたくって……」
「いいのよ、濡女子ちゃん。橙依ちゃんはいい子だから、ほだされるのも無理ないわ。もし、他のカワイクない”あやかし”を案内してたら、許さなかったけど」
その心と言葉を僕は権能で知っている。
敵じゃない。
でも、完全な味方でもない。
「……教えて、藍蘭兄さん」
コツコツコツと靴で石を鳴らしながら近づく藍蘭兄さんに向かって僕は疑問を投げかける。
「どうして死んだはずのアリスさんがここに居るの!?」
◇◇◇◇
ああもうっ! サイアク!
心の中でそうつぶやきながら、あたしは来た道を引き返す。
三目八面が蒼明ちゃんにトドメを刺しに行くって聞いたから、助けに行こうとしてたけど、あんなコトが起きるなんて。
大悪龍王がここまで勢力を拡大した責任を感じたアタシは、それを削ぐべく、ここ四国で地道に活動してたけど、思ったより事態は深刻だったわ。
今まで少しずつだった勢力拡大を一気にしちゃうなんて、アイツらアタシに内緒で妖力を貯めていたのね。
ついには蒼明ちゃんまで大悪龍王、ううん、現実世界での大悪龍王の役を演じる三目八面に負けちゃったって話じゃない。
だからトドメなんて絶対許さないわ! って蒼明ちゃんの加勢に向かってたんだけど、そんな時にスマホに通知が来たの。
満濃池の龍の棲み処に設置した防犯センサ。
あそこには誰も侵入させちゃいけない。
術と人間の機械の二重で警戒していて正解だったわ。
濡女子ちゃんに番を頼んでいたんだけど、んもう、何をやってるのかしら。
さらに間の悪いことに、雨まで降って来たじゃないの。
ファンデが流れちゃうわ。
天気予報では今晩は晴れだったから、これって三目八面の仕業ね。
蒼明ちゃん、無事だといいけど……。
でもゴメンね、アタシはそれより大切な子が居るの。
アタシは流れたお化粧をハンカチでグイッと拭って洞窟の最深部へと降りる。
いったい誰が侵入しているのかしら。
人間が迷い込んだり、探検に来たのかしら。
それとも退魔僧や陰陽師かしら、彼らは人間を救う事を第一に考えているから有り得るわ。
大悪龍王の手下だったらサイアクね。
そんなことを考えながら、アタシは彼女の下へたどり着いた。
「あら、侵入者を感知したから急いで戻ってきたら、知った顔ばかりじゃないの」
正直ホッとしたわ。
侵入者は橙依ちゃんとそのお友達だったんですもの。
「お、お姉様、ご、ごめんなさい。でも、自分はどうしても彼の力になりたくって」
濡女子ちゃんが少しすまなそうに言うわ。
いつもより表情が少し明るいわね。
きっと橙依ちゃんが何かしたんだわ。
「いいのよ、濡女子ちゃん。橙依ちゃんはいい子だから、ほだされるのも無理ないわ。もし、他のカワイクない”あやかし”を案内してたら、許さなかったけど」
アタシがそう言うと、濡女子ちゃんの表情が一気に明るくなる。
彼女のこんな顔を見るのは初めて。
「……教えて、藍蘭兄さん。どうして死んだはずのアリスさんがここに居るの!?」
死んだはず。
そうね、橙依ちゃんはそう思っていてもしょうがないわ。
でも違うわ、それは間違い。
「彼女は死んでないわ」
「……じゃあ、生きているの? でも、彼女は白血病で……、ううん、それが治ったとしても、どうしてあの時の姿のままなの」
「いいえ、生きてもいないわ」
「……そんなシュレーディンガーの猫みたいなこと言わないで。ちゃんと説明し、ううん、やっぱ説明はいい」
橙依ちゃんの目から動揺の色が消えたわ。
彼ったら自分がやるべき事を理解しているのね。
アタシと同じだわ。
「兄さん、教えて。珠子姉さんはどこ?」
「珠子ちゃんに何かあったの!?」
「……身体は行方不明、岡山から高知の路線のどこかで攫われたのが濃厚。知ってる?」
「知らなかったわ」
「……そう、わかった」
困ったわね、やることが多すぎるわ。
大悪龍王の力も削いでおかなきゃいけないし、蒼明ちゃんも心配、それに何よりもアタシはここを守らなきゃいけない。
その上、珠子ちゃんの行方まで捜さなくっちゃいけないってなったら、身体がいくつあっても足りないわ。
「……あと、珠子姉さんの魂か精神は夢の中に居るみたいだけど、それも何か知ってる?」
夢の中!?
ひょっとして!?
「知らないわ」
アタシは出来る限り心の動揺を隠して言ったわ。
「嘘。知ってるんだね。お願い教えて。珠子姉さんが現実世界で意識を取り戻せれば、僕達に連絡が出来るかもしれない。そうしたら僕が助けに行く」
ああもうっ、そんな真剣さと決意と哀願が入り混じったような目で見ないでよ。
どうして珠子ちゃんが夢の中に居るかわからないけど、責任の一端はアタシにあるんだから。
「わかったわ。全部話す。要点だけをかいつまむ形でいい?」
「……そっちの方がいい。時間が惜しいから」
「オーケー、それじゃぁ話すわね。おそらく珠子ちゃんが居るのはアタシの夢の中よ。ううん、正確には……」
ザッ
「正確にはお前とそこの娘の夢の中じゃろ」
こんな時に一番聞きたくない声が聞こえた。
「……誰? 兄さんの友達には見えないけど」
「拝竜よ。愛媛の拝竜権現。三目八面のお友達。大悪龍王の手下で、現での作戦参謀っていった所かしら。いったい何の用」
きっとロクな事じゃないわ。
アタシは正直、コイツ嫌いよ。
「ありがたい説明じゃの。三目八面が情けなくってな、状況が悪くなる前に仕上げに来たのじゃよ」
「……仕上げって?」
「お前は大蛇の六男か。いいだろう教えてやろう。夢の世界の大悪龍王を現に降臨させるのよ。真なる大悪龍王としてな」
「本物の大悪龍王ちゃんは夢の中の登場人物よ。そんな事出来るわけないわ」
大悪龍王ちゃんはアタシの四半世紀にも及ぶお友達。
アリス物語の中に登場する夢に棲む”あやかし”で、アリスちゃんの夢に引かれてやってきた。
決して現実に出られるはずがないわ。
「違うな、狐者異様が真・大悪龍王として降臨するのだ。そして狐者異様は人間を恐怖に陥れ、再び人間は”あやかし”を畏れ、儂らに生きた人間を捧げるようになるだろう! クックックッ」
嫌な嗤い。
それに狐者異を真・大悪龍王とするですって!?
確かにアイツなら現に出られてもおかしくないけど、いったいどうやって……。
まさか!?
「拝竜、あなたひょっとして!?」
「察しがいいのう。そうだ、夢の中で人間や”あやかし”の恐怖を喰って、今や無敵となった狐者異様を降臨させるのは容易いことよ」
そして、拝竜は厭らしい目でアタシの大切な人を見る。
「そう! そこの娘を目覚めさせるだけでいい! さすれば、その娘の夢の中に居る者たちは現へと戻るであろう。寝ている人間なら目を覚まし、夢の中にしか棲めない”あやかし”は他の夢へと移るだろう。だが、夢でも現でも存在出来る狐者異様なら、そこで蓄えた妖力を持って降臨出来るのだ!」
「そんな事はさせないわ! 絶対に!」
「するのだ! ついでにお前たちの始末もまとめてな!」
拝竜はそう言うと、その杖を振るう。
ついに本音が出たわね。
アタシはコイツらと仕方なく一時的に手を組んでいたけど、ここに来てアタシを切り離しに掛かったってわけね。
ピチョン
洞窟の天上から水が滴り落ちると、そこから、黒く深く昏い、そんな何かで構成された人影が何体も立ち上がる。
「ここ満濃池は歴史的に水害が多発し、無念のまま死んだ人間がごまんとおる。つまり怨念鬼がいくらでも生成出来るのよ。お前は確かに強いが、これだけの数を前に、その娘を守り切ることが出来るかな。少し派手な音や振動を与えてやれば、その娘は目覚めてしまうのであろう」
ヤバイわね。
こんな魂の籠っていない怨念鬼なんかにアタシは負けないわ。
でも、拝竜の言う通り、あの子を、アリスちゃんを起こすのは簡単。
大きな音や振動があればいい。
だからアタシはとても静かなここに彼女を安置したのに。
アリスちゃんを守りながら、アタシはどこまで戦えるかしら。
「……兄さん、僕も、僕たちも力を貸す」
そんな時、少し弱気になっていたアタシの隣に橙依ちゃんが立った。
「よいのか、大蛇の六男。その娘が目覚めれば、その夢の中に居る珠子とやらも目覚めるぞ。嘘ではないぞ」
「うん、わかった。わかってる、それが真実だって」
「いいの?」
「……いい。珠子姉さんには目覚めて欲しいけど、そのために兄さんや”あやかし”たちや人間が大変な事になるのは僕も嫌。……それに」
「それに?」
「寝ている緑乱兄さんの心の声を聞いて、珠子姉さんの様子を僕は知ってる。夢の中で珠子姉さんはアリスさんと楽しそうにしていた。このアリスさんと同一人物だったのは意外だったけど。そんな楽しい夢を真・大悪龍王降臨みたいなラストにしたくない。そんな事をしたら、珠子姉さんの寝覚めは悪い」
ま、言うようになったじゃない。
「じ、自分もお姉様とあなたのために戦います」
「無論、あたしも戦うぞ。蜘蛛の糸で防壁を作ろう」
「敵の侵攻ルートは私が予言します」
「機動力なら拙者に任せるでござるよ」
「なんだか橙依のスマホゲームみたいだな。拠点攻略シミュレーションだっけ」
「……違う、これはタワーディフェンス」
それにお友達も沢山出来たみたい。
昔はたったひとりでファミコンばっかりしていたのに。
これも珠子ちゃんのおかげかしら。
「わかったわ。まずはここを乗り切りましょう。終わったら、全部話してあげるわ」
「乗り切れなどせんよ。この数の前ではな」
「どうかしら? アタシって結構体力あるのよ」
「かかれ」
ヴォォォォヴォオヴォ
怨念鬼たちが、嫌な唸り声を上げて襲い来る。
そしてアタシたちは、池の全てを水滴にしたような大量の怨念鬼に対して戦い続けた。
力尽きるまで。
いいえ、力尽きようとも。




