濡女子とカタパン(その3) ※全4部
「それじゃあ、お食事を用意しますです」
ヒュンと髪が空を切り、遠くでポチャっと音が聞こえ、またヒュン。
「はい、召し上がれです」
ピチピチと岩の上を跳ねるのは魚。
「……これほどいて」
「いいですよ。どうせ逃げられませんから」
シュルシュルと髪が緩み、僕はやっと拘束から脱出。
僕はポケットからスマホを取り出し、ライトを点灯。
”あやかし”だから闇の中でも見えなくもないけど、こっちの方が鮮明。
ピチピチとまだ跳ねている魚はブラックバス。
そういえば、ガイドブックにもこの満濃池にバスが生息と載ってた。
「ふひっ、面白い物を持っていますね。ここ10年くらいで人間が持つようになった物じゃありませんか」
「……スマホ知らないの? 便利だよ」
今は電波が届かないから、あまり便利じゃないけど。
「知らないです。自分はずっとひとりで暮らしていましたから。”あやかし”は湿っぽい女って近づきません。たまに人間のふりをして里に出ますけど、あまり居心地が良くないです。たまにあの方と話すだけです」
魚の一匹を手に取り、彼女はバリバリと食べる。
正直、うわぁ……。
生魚を頭から齧る女の子はどうかと思う。
「ひひっ、どうしました? 食べないのですか? この魚、最近増えた種類ですけど、大きくておいしいですよ」
ブラックバスは外来魚。
元々日本には生息しておらず、生態系の破壊が心配されるが、きちんと処理すれば味はいい……らしい。
だけど、いくら大蛇の僕でも、生魚を頭から丸かじりは勘弁。
「……このままじゃ、美味しくないから、僕が料理する」
僕は異空間格納庫から調理道具一式を取り出す。
包丁で頭を落として内臓を除去。
三枚におろして、さらに皮も剥ぐ。
「くひっ、すごいです、あなた。それ、どこから取り出したんですか? ううん、それだけじゃありません。お料理がとってもお上手ですのね。お料理が出来る”あやかし”なんて自分は聞いたことありませんよ」
「……家で練習しているから」
酒で身を洗って、塩を振って、その間に蒼明兄さんの電子レンジと災害用バッテリーを取り出す。
僕の異空間格納庫は移動型物置じゃないんだけどって言った事もあるけど、この時だけは感謝。
塩で呼び出された水をキッチンペーパーで拭けば、下ごしらえ完了。
あとはレンジで魚が焼けるシートに乗せて、チン。
これは、いつか珠子姉さんと一緒に料理するための練習の成果。
「……はい、君もどうぞ」
ほんのりと湯気を上げるブラックバスグリルの一切れを彼女に進呈。
「えっ、ええっ、いいですよ。自分は別にこれで」
もう尻尾だけになったバスを彼女はガリガリと食む。
「……いいから、おいしいよ」
僕が突き出した皿の上のブラックバスグリルを彼女は凝視。
そして、数秒の躊躇いの後、そっと受け取った。
「わかりました。でも、怒らないで下さいね」
「……そんなことしない」
ハムッ
ガブッ
彼女とほぼ同時に僕もバスを口へ投入。
それは淡泊な白身魚の味、スズキやカレイに類似。
味が薄めなので、塩味が強めなのもいい。
でも、珠子姉さんなら、もっと美味しく作れるんだろう。
隣で、お手本を作ってもらいたい。
「うぅ……つっ、うう、ううぅぅ……」
そんな珠子姉さんのことを考えていた僕の前から、彼女の声が聞こえる、多分、嗚咽。
「……どうしたの」
「やっぱ、やっぱダメです。これ、とってもおいしかったけど、ダメです。いつもこうなのです」
「……おいしいならいいじゃない」
「ダメなのです。じ、自分は、自分は……、いつも、いつも……、こうしちゃうんです」
段々とか細くなっていく彼女の声を聞き、僕はその顔を覗き込む。
「……なんだ、こんなこと」
僕が見たのは彼女の髪から滴り落ちる水でビシャビシャになったブラックバス。
せっかくの温かさも、おいしそうな焦げ目もびっしょり。
「こんなことって言わないで下さい! 自分はあなたの料理を台無しにしたんですよ!」
「……僕は気にしないし、怒ったりもしない」
『酒処 七王子』の客の中には人間のテーブルマナーどころか食器の使い方とは無縁の”あやかし”も来訪。
手づかみだったり、チュウチュウと吸い込んだり、中には犬のように食べたり、様々。
この程度は平気。
「あなたがどうかじゃないんです! 自分が嫌なんです! これを料理してくれた君の気持ちを無下にしたことが、たまらなく嫌なんです!」
「……なるほど、わかった」
「わかっていません! きっとわからないと思います! 自分は今まで何度か人間に化けて町に食事に行きましたけど、どの料理も台無しにしてしまいました! 作ってくれた人の気持ちを蹂躙してしまいました。温かいご飯も、スープも、肉も魚も野菜も、全部水びたしにしちゃうんです!」
「……なるほど、わかった」
「だから、わかってないって、言ってるですよ!」
「……わかるよ。君が優しい心を持っているってことは。町の人間はきっと料理が水浸しになっても君を責めなかっただろ」
「それは……、優しくていい人ばかりで、笑って『いいよいいよ』って言ってくれた人たちばかりだったですけど……」
「……君はその優しい人たちが一生懸命に作ってくれた料理への想いを汚すのが嫌だったんだね。やっぱり君は優しいよ」
「いひっ! それはそれで嬉しいです。でも、嫌なものは嫌なんです!」
よかった彼女が涙目から少し元気を回復。
最初は少し距離があるように感じたけど、この姿を見ると、普通の女の子。
「……なんだ、そんなこと」
「あなたにとっては、そんなことでも、自分にとっては重要なことなのです!」
「……違う」
「ひひっ、どこがちがうっていうんです?」
「……そんなことは君の気持ちの方じゃない。食べ物が水に濡れて台無しになる方」
そう言って僕は異空間格納庫内を捜査。
「……こういう時、僕の知っている人ならこう言うんだ。『人類の叡智、料理が水に濡れちゃうなら水に濡れて美味しくなる物を食べればいいのよ』ってね」
「くひっ!? そんなのがあるんですか!?」
「……あるよ、ここから2駅くらいで」
あった。
僕は皿の上のそれを出す。
カラ、コロ、カラン
乾いた音を立てて、それは皿の上に鎮座。
「なんです、これ? 玉砂利ですか?」
彼女はそう思うのは当然。
これは打ち付ければカンカンと音がするくらい硬質。
「……これは”石パン”、善通寺の熊岡菓子店で売ってるカタパンの中でも一番堅いやつ」
「はひっ!? パンなのですか!? まるで石みたいです」
カチンカチンと彼女は石パン同士を打ち付け合う、その様子は火打石。
「……そうだよ、食べてみて」
「食べれるのですか……」
ガキッ
「はひぃ! か、かたぁい!」
石パンの堅さに彼女の口と顔が歪む。
「……そうじゃない、これは飴のように口の中で転がして、唾液でふやかして食べる。こう」
僕は石パンのひとつを口に入れ、コロコロと口の中に保留。
「こ、こうですか?」
彼女も僕を模倣。
「ふひっ、これって生姜飴みたいな味でおいしいかもです、あっ、段々と柔らかく……」
この石パンの表面は生姜で風味付けされた砂糖でコーティング。
その中からビスケットのような小麦の香りと甘さが浸出。
おいしい。
しばらく舐めたり軽く噛んだりを続けると、唾液で柔らかくなった石パンは歯で割れ始める。
ガ、ガガッ、ガリッ!
すると一気に小麦の味が拡大。
ガリッ! ガリッ! ガリガリガリリッ!!
一度決壊すれば、後は簡単。
心地いい歯ごたえと甘露な味を口腔内に広げ、石パンは粉砕。
「ぐひぃ! これ、おいしいです! この歯ごたえと甘さが素敵ですっ!」
彼女も気に入ったみたいで、目を輝かせる。
「……まだ、あるから、いっぱい食べよう」
「はいです! あ、これって水浸し……」
彼女の手の皿には石パン。
そこには、彼女から零れた水が浸水。
「……ありがと、柔らかくしてくれて。さすがに最初はちょっと堅すぎると思ったんだ」
僕は石パンのお代わりを取り、口へ投入。
ガリッガリリッ
「……うん、ちょうどいい」
石パンの表面は少しふやけていたけど、中心はしっかりと堅さが残留。
食べやすい。
「へ、平気なのですか?」
「……平気さ、君も食べなよ」
「う、うん!!」
そう言ってお代わりを食べる彼女の表情は快晴。
うん、これなら彼女の嫌な気分も晴れたと思う。
「おいしいですー、自分、こんなに美味しい食事初めてです」
「……そう、よかった。この石パンはね、カタパンっていう保存食の一種なんだ。水分が殆どないからカチカチで、唾液や水でふやかして食べるんだって。昔は軍隊でも食べられていたらしいよ」
ガイドブックに記載の情報を僕は彼女に披露。
「……でも、今は軍事用の需要減と、保存食の発展でカタパンはあまり作られていないそうだよ。この石パンを買った熊野菓子店は明治からこれを作っている伝統のお店」
「へひぃー、君って物知りなんですね」
「……グルメや料理関係は勉強している。この他にも水に濡れても、ううん、水に濡れたら美味しくなる料理っていっぱいあると思うよ。そしたらまた一緒に食べよう」
「次も一緒に食べてくれるんですか?」
「うん」
彼女から居場所を聞き出して、珠子姉さんを救い出したら、この石パンを御馳走しよう。
喜んでくれるかな。
ううん、喜ぶのは確実。
もしかしたら、『その石パンをちょうだい、何でもするから~』なんて言うかも。
そしたら『じゃあ、あーんして』って言おうかな。
それに、他にもこんな水に濡れたら美味しくなる料理を紹介してもらおう。
そして、僕と一緒にそれを食べに行ってもらって『これってデートみたいだね』って言ってみようかな。
僕は想像の中でしか言えないような台詞を妄想して、フフッと笑う。
「あっ……、わらった。わらってくれました」
「あ、ごめん。なんだかおかしくって。でも、やっぱり楽しい食事ってのは笑顔同士でやるのがいいね」
彼女もこの美味しい石パンを食べて、笑顔になってる。
珠子姉さんもきっと僕と同じような事を言うだろうな。
『笑顔と笑顔こそハッピーでハッピーなエンディングですっ』なんて言ったりして。
ゴリッゴリッボリボリボリリッ!!
あれ? 彼女の口から石パンを噛み砕く音が聞こえる。
それに青白かった顔が何だか赤い。
ガバッ
彼女の手が僕の手を包み、その顔が急接近する。
「自分は、今、すっごい楽しいです! あなたとまた楽しく食事したいひっ!」
「……う、うん」
その迫力の前に僕の首は縦に揺れた。
でも、楽しい食事だったのは確実。
これで、あの約束の条件を僕は履行。
「……そ、それじゃあ、約束通りに」
「約束!? あ、うん、そうですね、約束ですね! あの人間の女の子の所ですよね、案内します! 今します! あなたのためなら何でもします!! だから、またお食事しまひょ!!」
「……そ、そう、ありがとう」
ま、まあ、結果オーライと思いながら立ち上がり、この洞窟の部屋の出口を見る僕の眼に、暗がりからのふたつの双眸が映る。
敵!?
「ちょっと! そこの女! 私のヒーローから離れて!」
「お前なぁ、いくらなんでも、”濡女子”の笑みに笑顔を返すなよ。純真にもほどがあるぞ」
暗がりから見えたのは九段下さんと若菜姫さんの姿。
「……ふたりとも、助けに来てくれたんだ」
「ヒーローのためなら火の中、水の中、湖底洞窟の中よ。スマホのGPS履歴を追ったの」
「洞窟の入り口からここまで到達するのに苦労したぞ。やけに入り組んでいるわ、音は反響するわ。あと、雷獣と天邪鬼も一緒にこの中でお前を探している。蜘蛛を使って連絡したから、もうすぐ合流出来るだろう」
掌から伸びるキラキラの蜘蛛の糸を弾きながら、若菜姫さんは言う。
そっか、僕はあの時、亜空間回廊の先を渡雷の所に繋げたけど、渡雷と天野と合流して助けに来てくれたんだ。
「……ありがと。あれ? でも、濡女子の笑みい笑顔を返すなって……」
僕の首が30度傾斜。
「はぁ、知らないのか。濡女子は人を見ると笑いかけてきて、それに笑顔を返すと一生付きまとわれるって言い伝えがあるってことを」
へ? なにそれ?
僕の首が横に90度回転し、彼女の、濡女子の顔へ。
「ふひっ、いやですなぁ、そんなことあるわけないじゃないですか」
あの赤くなった顔は元の青白に戻り、彼女は掌を縦に振って否定する。
ほっ、よかった。
「自分は誰でも笑いかけるわけじゃありませんです。一生付きまといたくなった相手にだけです」
彼女は顔を紅潮させて発言。
……よくなかった。
「うふふ、さあ、あなた、人間の女なんてすぐに助け出して、病院にでも放り込んじゃいましょ。さ、こっちです。他の方は付いてきたければお好きにどうぞです」
僕を見る時だけ笑顔で、九段下さんと若菜姫さんを見る時は陰気な顔で、彼女は僕の手を引っ張り洞窟の奥へ案内。
「ふぅ、私の『私達にとても良くない事が起きる』予言が当たったわ。まったく、またライバルが増えちゃったじゃないの」
九段下さんは溜息を吐いた。




