濡女子とカタパン(その2) ※全4部
◇◇◇◇
満濃池の南側の湖畔、そこは鬱蒼と木々が生い茂る森。
もう少し南に行けばゴルフ場とかメガソーラーとかがあるけど、基本的に人が入らないエリア。
「いやーん、ここってばぬかるみがおおいー。泥だらけになっちゃう」
「嫌なら帰るんだな。人間のお前がここまで関わる必要などなかろう。ま、あたしは常に純真な橙依についていくけどな」
「私とヒーローは運命で結ばれた間柄なんだから、どこまでも付いて行くわ。そしてヒーローに助けられるためにピンチになるの」
「……足手まとい宣言はどうかと思う」
本当は僕ひとりで罠に嵌りたかったんだけど、九段下さんと若菜姫さんの説得するのは僕には無理。
なので、成り行き任せ。
いざとなったら、どこかの駅か渡雷の所への亜空間回廊に放り込もう。
「あーん、ヒーローのいけずぅ。私だって役に立てるんだから。『十秒後にエンカウントするわ』」
九段下さんの声に僕たちの気が引き締まる。
「上だ!」
ギギィー
人ならざる者の声が響き、子供ほどの黒い影が僕達を襲撃。
猿でもない、小鬼。
「こんな有象無象で、あたしを止められると思うな!」
若菜姫さんは掌から糸を噴出し、襲い来る小鬼達を捕らえては地面に叩きつける。
「やりますわね」
九段下さんも半身をよじり、落下してくる小鬼に裏拳でカウンター。
若菜姫さんのような大立ち回りじゃなく、相手の動きを読んでいるような最小の動作。
いや、きっと読んでいるのではなく、視ている、予言の残滓で。
僕だってこの程度には負けない、蒼明兄さんとのトレーニングや渡雷との修行の賜物。
でも、この小鬼だけだと困る。
珠子姉さんの救出にはこんな下っ端じゃなく、幹部が持つ情報が必要。
「ぐふっ、人間が迷い込んで来ただけかと思ったら。”あやかし”でしたか」
森の暗がりから女性の声が聞こえる。
来た、僕の目的。
「うへへ、ここで立ち去れば追いかけはしません。でも、これ以上進むというなら自分が相手になりますですよ」
ピチャリピチャリと音を立てて現れたのは、和服に長い黒髪の女性。
音の正体は彼女から滴り落ちる水滴。
「……僕の目的はひとつ、ここに囚われた女性がいるはず。それを渡してくれれば、すぐ帰る」
もちろんこれはブラフ。
これで相手が『いない』と返事をすれば、目的の半分は達成。
僕の祝詞の権能の一端、捧げものの真贋を判定する能力。
これを使えば、相手の言葉が嘘か本当か判別可能。
僕はそれを発動させて彼女の言葉を待つ。
これで、彼女がどう返事しようとも、ここに珠子姉さんが囚われているかどうかが判明。
「えへっ、気が変わりました。あなたたち、逃がしません」
これは真実。
どうやら当たりみたい。
なんて冷静に真贋判定をしている場合じゃない!
彼女はその長い髪を振り回し、僕達に接近。
ドガガガガガッ
彼女の頭から髪が長く伸び、僕達が盾にした木に衝突。
その幹は大きく抉れ、バリバリバリッっと音を立てて倒壊。
「あらぁ~、自然破壊はよくありませんよぉ」
破壊した本人は君だろうにというツッコミをする暇もなく、彼女はこっちに詰め寄る。
「猪口才な!!」
再び襲い来る髪に若菜姫さんが糸を噴出。
「髪にトリモチってのは厄介なものさ! あたしの糸の粘着に総毛立つがいい!」
「うへぇ、そんなのまっぴら御免です。ですから、あなたの糸を絡め取ってあげます」
直線で伸びてくる髪の毛が生物のように挙動。
その先端の形状が鉤のように変化し、蜘蛛の糸を一本の太い縄に結束。
「蜘蛛の糸と髪の毛では髪の方が強度が弱いって話、自分は嫌いなんです。だって、強さは糸の強度だけで決まるわけじゃありませんから。それが繋がる土台も考慮するべきだと思います」
彼女が頭を少し動かすと、彼女と縄で結ばれた若菜姫さんが分銅の錘のようにブン!と振り回される。
ドンッ!
「くっ、こいつ、なんて馬鹿力……」
木に叩きつけられた若菜姫さんから、くぐもった声。
「ヒーロー、少しヤバいわ。私、あの髪の毛がどこから来るのかわかるけど、避けられそうにないの」
九段下さんが小声で僕に耳打ち。
「……わかった。僕が隙を作るから若菜姫さんをお願い」
僕がそう言って若菜姫さんを見ると、彼女もわかったように僕にウインクで返信。
九段下さんが小走りで若菜姫さんに近づくのを見て、僕は帯電開始。
友達の渡雷の技”雷鳴一閃”は森のように障害物のある場所に不適。
ぶつかっちゃうから。
だけど! 隙間が無いわけじゃない!
バリバリバリッ
「え!? なんですそれ!? 雷の技ですか!?」
「……知らないだろうから教えてあげる。雲から地面に落ちるものだけじゃなく、地面から電荷が天に昇る現象でもあるんだ」
ラノベで読んだ知識を僕は披露。
「昇雷招来!!」
電荷の流れに乗って僕は急上昇!
そして、天空から目標をロックオン!
僕の祝詞の権能は捧げる権能。
現世から遥かに離れた神界の神にだって捧げ物を届ける権能なら、この程度の距離を補足するのは余裕。
長い髪の彼女の視線が僕を見上げる。
そして、当然だけど雷は落ちるもの。
ゴロッ、ゴロゴロゴロッ!!
帯電し続ける僕の身体から雷のような音が響き渡る。
「……七十二候のひとつ、春分末候、雷乃発声」
きっと誰も聞いていないだろうけど、僕は渡雷と佐藤と考えたこの技の前奏曲を奏でる。
ネーミングは中二病を発症した佐藤の立案。
僕も結構お気に入り。
刹那後には、僕はそのまま雷光と化し、目標に向けて雷獣の如く降雷。
僕の意図を理解した長い髪の彼女は僕の落雷から回避しようと、その場から逃げるべく……。
ビンッ
「そうはいかないぜ。舞台でこの若菜姫から目を背けるなんてな」
「一瞬の隙が命取りですわ」
彼女の髪と繋がっていた若菜姫さんがその縄となった糸をグイッと引っ張る。
九段下さんもその綱引きに加勢。
見えた! 隙の糸!!
「落雷一閃!!」
バリバリバリバリッ! ドゥーーーン!!
僕の一閃が轟雷の音を立て、目標を断裂。
そしてすかさず亜空間回廊形成!!
「えっ!? ちょっと、まっ!?」
「ど、どうして!? なっ!?」
僕が断ったのは長い髪の彼女じゃない、彼女と若菜姫さんとの綱引きの縄の蜘蛛の糸部分。
縄の突然の断裂に若菜姫さんと九段下さんは後方に転倒。
そこが地面だったら、ふたりは大きな尻餅で済むはずだけど、そこにあるのは僕の瞬間移動用の亜空間回廊。
「お前、自分だけのこ……」
「ヒーロー、必ず助け……」
亜空間回廊に吸い込まれた、ううん倒れ込んだふたりは、そう言い残して転移。
残ったのは僕と尻餅をついた髪の長い彼女。
「どうして、自分を倒すなら今の攻撃で出来たはずです……」
そう言って目を丸くする彼女に僕は手を伸ばす。
「……僕の目的は囚われている人間の女性を助けることなんだ。だから君を傷つけたり殺したりする気はない」
これは真実。
彼女を殺してしまったら、珠子姉さんの手がかりが無くなってしまう。
そして、彼女との交渉にあのふたりはちょっと邪魔。
だから僕は彼女とふたりっきりになるように仕向けた。
「それに、君の髪はとっても綺麗だったから、それを斬りたくなかったんだ」
僕は顔に笑顔を浮かべて発言。
これはお世辞。
赤好兄さんが『女の子を褒めれば褒めるほど、事は上手く行くぜ。恋愛に限らずな』って言ってたから。
「そ、そうですか、えへへ、褒めてくれて嬉しいです……、だったら」
彼女は髪を指でクルクル回し、少し下を向く。
「あなたを、自分の髪の虜にしてあげますっ!!」
彼女の手が僕の手をがっしりと握り、その乱れ舞う髪が僕をグルグル巻きにする。
あれ? 赤好兄さん、少し話が違わない?
◇◇◇◇
「……状況を整理したい」
「ふひっ、いいですよ」
僕の問いに髪の長い彼女が応答。
「ここはどこ?」
「満濃池の地下の洞です。昔、ここに棲んでいた龍の棲み処だった所だと聞いています。今は自分の住処。ううん、今は自分とあなたの住処なんですよ」
なるほど、天然の洞窟にしてはやけに広かったり、通路がはっきりしていた理由は判明。
「自分は誰?」
「自分は濡女子です。針女って呼ばれることもあります。やっぱり見た目からそう呼ばれちゃうんじゃないかと、自分は思っています」
ピチョンピチョンと水の滴る髪を指でクルクルさせながら彼女は自分の正体を暴露。
その髪先は夢の世界の海賊の義手のように鉤状。
「今は何時?」
時間の把握は重要。
僕のあの日をもう一度は一日をやり直せる能力。
だけど、使うべきタイミングはシビア。
万一、珠子姉さんに何かあった時、それから1日以上経過していたら取り戻しが付かない。
彼女の髪にグルグル巻きにされて、この洞窟に来たけど、間違いなく結構な時間が経過。
「夜です。夜半前くらいだと思います」
「……そう」
森で戦ったのが日没直後くらいだったから、今はあれから数時間。
思ったよりも時間が経過してしまった。
彼女が珠子姉さんについて何かを知っているのは明確。
逃げたふたりが覚の佐藤を連れてくれば、それは明白になるけど、それを待つ時間が惜しい。
僕も聞き出せるだけ聞き出さないと。
「……ねえ、ここに人間の女の子が囚われているでしょ」
「いますですよ」
「そこに案内してくれない」
「ダメです。彼女を守るのが自分の使命なのですから。あの方との約束です」
あの方とはきっと大悪龍王かその手下。
イギリスの悪い魔法使いみたいに、名前を呼ばせないのだと類推。
珠子姉さんは大悪龍王の敵対者、つまり僕たち大蛇の兄弟を斃すための大切な人質で、彼女はその守護者。
彼女から力づくで居場所を聞き出すのは悪手。
騒動を起こせば、他の手下や小鬼が珠子姉さんに危害を加えるかもしれないし、そうでなくても他の場所へ移送される可能性大。
「……お願い、何でもするから」
「ふひっ、じゃあ、自分とずっとここにいてくださいます?」
「……ごめん、今のなし」
「やっぱり嘘なんですね。自分は嘘をつかれて傷つきました」
「……でも、他のことなら、出来ることなら何でも」
「ほんとに?」
「……たぶん」
僕を見る彼女の目は疑いの眼差し。
ダメだなぁ、こんな時、兄さんたちなら上手く交渉出来るだろうに。
僕はこういうのは苦手。
「ひひっ、わかりました。では、こういうのはどうでしょう。自分の夢を叶えて欲しいです」
「……どんな夢?」
「ささやかな夢です。”誰かと楽しく食事したい”。たったこれだけです」
「……いい夢。きっとそれはハッピーエンドへの近道」
僕もずっと珠子姉さんとそれが出来たらいいと思っている。
「ありがとうです。で、できるかしら?」
「……がんばる」
「冴えない返事ですね。ま、いいです。一緒にお食事しますですよ」




