八百比丘尼とクワイ(その1) ※全4部
ああ、いい日和です。
天国のおばあさま、夢の中でもポカポカ陽気ってのはあるもので、あたしはアリスさんと峠の茶屋で休憩中。
夢の中でもお店があるなんて思ってもいませんでした。
きっと、あたしのように夢に迷い込んだ人が経営しているに違いありません。
イヤッホー! 久々のあたしの想像力で生み出さないご飯だー!
「おねーさん、こっちに注文よろしいですか?」
「はい、ただいま」
店員さんがニコニコ顔でやってくる。
あたしのお目当ては、のぼりにも書いてある”名物クワイ団子”
「クワイ団子を2人前お願いします」
「はい、24銭になります」
へ? 銭?
「お、おねいさん、もう一度、ワンモアプリーズ」
予期せぬ事態にあたしの頭が混乱して、思わず英語が出る。
「あら、外国の方? 24銭になります。銭というのは円の下の単位で100銭で1円に……」
へー、そうなんだー。
じゃなくって! あたしの知ってるお金と違う!
アリスさんの昭和どころじゃなくって、この人ってば戦前の人なの!?
「こ、このお金ではダメでしょうか……」
あたしは想像力を使って諭吉さんや慣れ親しんだ百円玉を創りだす。
「あら、外国のお金? うーん、いいかもしれないけど、外国の人には気を付けろって村の寄り合いでも……」
お店のおねえさんの顔が少し曇る。
やっぱ未来のお金じゃダメみたいです。
でも、あたしの想像力じゃここまでが限界。
あーん、食べたいけど、食い逃げなんて夢の中でもダメ。
神様仏様、あたしにお金を投げ銭を!
「なんだいアンタ。金を持ってないってのかい。だったら、私がごちそうするよ。これも贖罪さ」
「おやおや、昔の俺の時みたいだね。八百」
「えっ!?」
突如の天からの恵みの声にあたしが振り向くと、そこにはふたりの人物が立っていた。
ひとりは尼頭巾をかぶった凛々しい女性。
そして、もうひとりは精悍な顔立ちの美青年。
美しさの中に強さが垣間見える、蒼明さんとはちょっと違う、逞しい男性。
なんだろう、どこかで見覚えがあるような……そんな青年でした。
◇◇◇◇
名物だけあって、ここのクワイ団子は絶品だった。
クワイをすりおろして、水切り木綿豆腐と混ぜ、つなぎの小麦粉か片栗粉で団子状にする。
それを揚げるか蒸して、あんをかけたのがクワイ団子。
精進料理で人気のボリューミーな一品。
この峠の茶屋のそれは絶品で、あたしの見立てではジャガイモ由来の片栗粉ではなく、その名の通りカタクリ由来のデンプンで片栗粉を作っている。
豆腐は国産大豆と天然にがり、あんに使っている鰹節と昆布が上物なのは当然として、砂糖が精製の荒い黒糖で独特の風味がおいしさに拍車をかけていた。
「おねーさん! クワイ団子、もういっちょう!」
「珠子ちゃんったら、すっごい食欲。 お店のクワイ団子を全部食べちゃうくらいだわ」
「だって久しぶりのあたしの想像以上の味なんですもの。あー、心と胃が洗われるようだわ」
「胃洗浄は苦しいわよ。おすすめしないわ」
「いやいや、これはものの例えでして」
そんな会話をしながらもクワイ団子はミヨーンと伸びてあたしのお腹に入っていく。
うーん、おいしー、こんなときは冷えたビールでもあれば最高なんだけど……。
創っちゃおうかな。
「うまいねぇ。ここでこないだのビールがあればいいのにな。八百」
あたしたちの隣で同じようにクワイ団子に舌鼓を打っている青年が、あたしと同じ考えを口にする。
「僧職に酒を進めるんじゃないよ。だけど、あれはうまかった。乙姫も喜んでいたし」
「八百が乙姫さんの『変わったものを食べたい』ってリクエストを”風変りなもの”と”変化したもの”のふたつの意味だと見抜いたおかげさ。夷狄の文化が日本に入って、酒の種類もこんなに変わったってね。八百は流石だね」
「年季が違うからね。それくらいは思いつくさ」
「乙姫だけじゃない、八百は今まで沢山の”あやかし”を救ってきたって話だろ。河童とか雷獣とか十六夜姫とか。道中で色んな人と”あやかし”から八百の武勇伝……じゃなく救世伝はいっぱい聞いたぜ。俺も八百に救われたひとりだしな」
「私は罪を償っているだけさ。贖罪さ」
「またまた、謙遜しちゃってさ。どんな罪を犯したか知らないけど、1000年以上も救済を続ければ、そんな罪なんてもうチャラだと思うぜ」
「だといいけどね」
あれ? どっかで聞いたような話……。
「でも、ここのクワイ団子は美味いね。クワイは湿地でも育つし、稲と違って洪水で全滅する事もない。あの時これがあれば……」
「クワイがどうかしたのか?」
「いや、ちょっと昔を思い出してただけさ」
八百と呼ばれた尼僧さんは、そう言ってクワイ団子をじっと見る。
「しかしアンタ、いい食いっぷりだねぇ。じゃ、次は焼きクワイにするかい?」
「焼きクワイ! いいです! 食べたいです! ありがとうございますっ!」
この菩薩よりも優しいスーパーワンダホーでビュティホーな尼僧さんに、あたしは口と心でお礼を言う。
ありがとうございます! ごちそうさまですっ!
あたしたちの前にはふたつの七輪が並べられ、その上でクワイが焼かれている。
そこで、尼僧さんとお連れの青年、そしたあたしとアリスちゃんは焼きクワイを眺めているのだ。
焼きクワイは、よく洗ったクワイを遠火でじっくり焼くだけ、ちょーちょー簡単!
パチパチと爆ぜる音がして、ブシューとクワイの皮が破れたころが頃合いなの。
「うわー、あたし焼きクワイ食べるの初めて~、さっきのクワイ団子も美味しかったけど、こっちも素敵においしそう。どんな味なのかしら?」
「ホクホクしてほろ苦くって美味しいですよ。お芋に近い味ですね。あたしの田舎ではよく食べてました」
「へー、珠子ちゃんってイモっぽい所出身なんだ」
「そうなんですよ」
さっきのクワイ団子もそうだけど、この店の料理はあたしの想像力で創ったものじゃない。
この夢の世界での食べ物は、それを生み出した人物の想像力が活かされる。
だから、あたしの想像力で創った料理は、他の人には”珠子印のおいしい料理”になるけれど、あたしにとっては想像通りの味で、味はあるけど味気ない。
夢の中ではみんな心に浮かんだ物を創るけど、料理を創り出す人が少ないの!
みんな食べる専門! 作る人はあたしだけ!
このお店はあたしが夢の中で初めて出会った、あたしが生み出した以外の料理を出す店なのだ。
「さて、戦の前の最後の腹ごしらえとしようぜ」
「いや、どうやらここまでのようだね。夷狄の”あやかし”が来るよ」
尼僧さんはそう言うと、古銭をチャリンと置いて立ち上げる。
「おいおい、待てよ。焼きクワイが今、焼きあがったとこだぜ」
「ヤツらは待ってくれんさ」
「ちぇっ、すまねねな、こいつは後のお愉しみにするか」
そう言って青年はまだ焼いてないカゴのクワイを鷲づかみにすると、その懐に入れる。
「金はここに置いとくから。あとは適当に食ってくれよな」
「あっ、ありがとうございます」
「いいってことよ。嬢ちゃん」
青年はスックと立ち上がり、尼僧さんの後を追う。
ああ、天国のおばあさま、地獄に仏ではありませんが、夢の中でも気前のいい人はいるみたいです。
珠子は夢の中でもハッピーエンドですっ。
さー、あたしも食べよ食べよっと。
「待ってくれよ。八百」
「とっととしな、緑乱」
え?
りょ、りょくらん?
緑乱おじさん?
緑乱おにいさん!?
えー!?
あたしは今にも去りそうな青年の顔と、『酒処 七王子』の飲んだくれのおじさんの顔を脳内で比較する。
ぴかーん!
完全じゃないけど、微妙に一致!
「追うわよ! アリスさん!」
「でも、まだ、食べてないよ?」
「ぐっ、しかし現実に戻れそうなチャンスを逃すわけには……ご、ごめんなさーい! テイクアウトでー!」
夢の中でやっと出会えたあたし以外の誰かが創ったクワイ。
夢から脱出はしたけけど、これを逃したくもない。
クワイのカゴを抱え、あたしはアリスさんと一緒にふたりを追いかけ始めた。
□□□□
「ちょちょちょ、ちょっと~、なんですかこれは?」
「うわぁー、妖怪大戦争みたーい」
ヒュンと音がすると大風が巻き起こり、ドシンと響きが渡れば大地が割れる。
時には閃光、広がる怒号と嬌声、その渦中の外れにあたしたちは居た。
渦中の真ん中にいるのが、さっきの尼僧さんと緑乱おじさん、いやお兄さん。
常人とは思えない速さで歩くふたりを必死に追いかけて、あたしたちが追いつこうとした時、ふたりの前に異形の大群が現れた。
「お前らが、この国の妖怪王とその側近だな」
「そうさ、私が妖怪王、八百比丘尼さ。こいつは大蛇で通っている」
「たったふたりで我らの侵攻を止めるつもりか!? このちっぽけな島国の”あやかし”を総動員しても我らには敵うまい」
「ま、やってみるさ。そのために俺は八百と日本中を回って己を鍛え上げたからさ。妖力と権能を」
「鍛えたぐらいで我らに勝てると思うたか!?」
「勝てるさ、少なくともここでならね」
シャリンと尼僧さんが、八百比丘尼と名乗った方が錫杖で地面を突くと、異形軍団とふたりと岩陰に隠れているあたしたちを囲むように光の壁が現れた。
「これは!?」
「神と仏と妖怪の混合結界さね。この国は開国したけど、夷狄の”あやかし”を迎え入れる気はないんでね。友好的でないならなおさらさ」
「ちょいと前に流行った攘夷ってやつだ。人間は路線変更したみたいだけどな。文化や技術交流なら歓迎だが、俺もこの国の良いヤツらを喰いもんにしようってヤツを見過ごせないんでね。母ちゃんに怒られちまう」
「ぬかせ!」
異形の群れの中心となっている山羊頭の”あやかし”が咆哮を合図に、ふたりに異形が殺到した。
そして始まったのが”あやかし”大戦争。
見た所、古代中国の服を着ていたり、日本に生息しない動物の顔をした”あやかし”が居る所を見ると、相手は中国や東南アジア、西洋の”あやかし”たち。
蝙蝠の化物や山羊頭の悪魔、腹に顔のある腰蓑男に、動く岩石巨人、橙依君のゲームに登場するような様々な”あやかし”がふたりを襲う。
だけどふたりは一歩たりとも引かず、外国の”あやかし”を打倒していく。
シャンと錫杖が鳴れば獅子頭の怪物は地面に叩きつけられ、緑乱お兄さんが拳を振るえば、狗の顔の怪物が吹っ飛ぶ。
圧倒的な数の差にもかかわらず、ふたりは優位に戦いを進めていた。
ふたりが振るう力の威力もさるものながら、この戦いの妙はふたりがほとんど傷を負わないという所。
「あぶねぇぞ、八百」
「すまないね、緑乱」
肝心の所で緑乱お兄さんが八百比丘尼をかばい、緑乱お兄さんに当たるはずの攻撃は、目標を失ったかのように逸れる。
うーん、あたしはバトルは素人ですけど、なぜか緑乱お兄さんには攻撃が当たらないみたい。
「ええい、ちょこざいな奴らめ! ならばこれはどうだ!?」
山羊男の合図で岩石巨人が天空に大きく跳びあがると、その身体が無数の岩石に分裂し、加速して降り注ぐ。
その目標はふたりだけでなく、辺り一面に。
ていうか、隠れてるあたしたちも危険!
「アリスさん! あぶない!」
「きゃぁ!?」
あたしはアリスさんの小柄な体を抱きかかえ、その岩の雨から逃れようとする。
ズガガガガッ、ズガガガガガガッ、ズドドドドッ!!
雹が落ちる音を何倍にもした轟音が鳴り響き、緑の草原が茶色の土の色に代わり、凹凸が生まれる。
「やったか!?」
山羊男の声が聞こえるけど、あたしは知っている。
ここに橙依君がいたら、それは『……フラグ乙』って言ってしまいそうな台詞だってことを。
「ヒュー、今のはちっとばかし焦ったかな。俺に感謝だろ八百」
「ああ、そうさね。あの程度なら私は平気だけど、やっぱ痛いもんは痛いしね。助かったよ緑乱」
緑乱お兄さんは八百さんの上に覆いかぶさっていて、ふたりは無傷。
大地はドーナツのように凹み、その中心が、ふたりの周りだけが、岩の雨が避けたように草原が残っていた。
緑乱おじさんは、昔はすごかったみたいな話を聞いたけど、こんなに凄かったんだ。
「ありがと、珠子ちゃん」
あたしの下からアリスさんの声が聞こえる。
「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」
「うん大丈夫。でも、地面の草はボロボロね。ちょっと可哀想だわ」
アリスさんの言う通り、あたしたちは無傷。
だけど地面には岩で出来たボコボコの穴が見えた。
あれ? これって……ひょっとして。
「珠子ちゃん! あぶない! 横!」
「えっ!? ぎゃぁ!」
あたしが横を向くと、そこにはあたしたちに向かって吹っ飛ばされる腹に顔のある腰蓑男が!?
ぶつかる!?
あたしは何とかアリスちゃんを守ろうと立ちふさがり、両腕でガードを固める。
スカッ
あれ?
あたしが後ろを向くと、腰蓑男が吹っ飛ばされて遠くなっていく姿が見えた。
あっ、光の結界に当たってジュババババって感電しているようなエフェクトが見える。
「アリスさん、今、あたしぶつかりましたよね?」
「うん、そう見えたわ。不思議ね」
アリスちゃんは首を横にかしげて?のポーズ。
これはもしかして……
あたしは再び吹っ飛ばされてくる牛顔男の進路に立ちふさがる。
「珠子ちゃん、あぶないわ!」
アリスさんはそう言うけど、きっと大丈夫。
なぜなら……
スルゥー
やっぱり。
あたしの身体をすり抜けた怪物を見て、あたしは確信する。
これは……風景。
これは誰かが過去を思い出して夢見ている、ただの風景なんだ。
風景はあくまでも風景。
夢の中にやってきた人や”あやかし”でもなく、夢の中に棲む”あやかし”でもない。
だから、実体がないんだ。
夢の中で実体というのも変な話よね。
「珠子ちゃん、本当に大丈夫なの?」
「ええ、これは誰かが見ている夢、幻のようなものですから」
「へー、不思議ね。でも誰が見ている夢なのかしら」
「きっと、あのおふたりのどちらかですよ」
この怪物のように誰かの思い出の風景なら、夢の中のあたしたちも干渉できない。
でも、さっき峠の茶屋であたしたちは、あのふたりにおごってもらった。
だから、ふたりのどちらかが夢を見ていて、この世界に入って来た者のはず。
よしっ、んじゃ確かめましょ。
ちょうど戦いも終わったみたいだし。




