置行堀(おいてけぼり)とバカになる料理(中編)
◇◇◇◇
ここは錦糸町駅から歩いて数分の錦糸公園。
晴れた日は芝生でピクニックをする人間も多い、大きな公園だ。
雨が降ってなければ、今も居ただろう。
俺たちはそこのテーブル付きベンチに座っている。
男女3組。
素知らぬ顔で通る人間からはトリプルデートにも見えるかもな。
でも、俺たちの恋愛のベクトルは、全て外側に向けられてるんだぜ。
「よかったですね、赤好さんがキャンプ用のタープを持っていて」
「最近のキャンプ用品にはこんなに便利な物があるんですね」
タープとは撥水性のある大きな布で、棒やロープで屋根のように張って雨や日差しを防ぐアウトドア用品だ。
サイドがオープンなので密室型のテントと違い、野外調理や食事などに向く。
珠子さんを見つけた時、役に立つと思って持って来たんだが、いきなり役に立つとはな。
「まずは状況を教えるぜ、どうして俺たちが遅れたのか。雨女さんがどうしてふたりになったのかをな」
そして、俺と黒龍はみんなにこれまでの事情を説明した。
「なるほど、つまり、このふたりのどちらかの正体がタヌキで、置行堀の正体ってわけですね」
「しかし見事に化けましたね。見分けが全然付きませんわ」
「すみません、わたしが油断してしまって……」
「ごめんなさい、もっとわたしが注意していれば……」
俺たちはふたりの雨女さんをじっと観察したが、どちらが本物かはわからない。
姿も声も仕草もそっくりだ。
この置行堀は化け狸としての力量はかなり高いな。
「しかし敵も見事なものですね。化ける相手に雨女さんを選ぶとは」
「大悪龍王の手下かもしれないんでしょ。ちょっと怖いわ」
「そうだな。俺たちの情報は筒抜けかもな」
あの時、あの狸が化ける候補は3つ。
あかなめとつらら女さんと雨女さん。
その中で雨女さんを選んだことを俺たちは評価する。
「どういうことです?」
黒龍がわかってなさそうに聞いてきた。
「化ける相手が俺やお前だったらどうやって見分ける?」
「えっと……、本物と偽物を殴り合わせみればいいんじゃないでしょうか。勝った方が本物ってことで」
「そうさ。姿形や声は完璧に化けられても、中身は違う。俺やお前のような、それなりの戦闘力があれば偽物と直接対決させればいい。所詮、狸だからな。龍や大蛇には勝てないだろうよ」
「わたくしのように氷雪の特殊能力を持っていれば、それを見せてみろと言うだけで本物かどうかわかりますわ。タヌキにはこんなことは出来ないでしょ」
つらら女さんがタープの端から滴り落ちる雨粒にフゥーと息を吹き付けると、そこに見事なつららが出来上がった。
「なるほど、それではあかなめさんに化けた場合は……」
「あかなめの野郎に化けた場合は……」
あかなめは垢が好きだ。
そして、食事の好みが顔に出る。
なら、それを確かめるには垢をなめさせて旨そうな顔をした方が本物で……
ここに居るヤツの身体をその長い舌でまさぐらせれば……
女性陣の身体をまさぐらせるわけにはいかないので、必然的に俺と黒龍の……
「うげぇ~」
「グウェェー」
俺と黒龍は脳内の絵面に吐き気を覚えた。
「雨女さんに化けた狸の判断は的確だったな! な!」
「ええ! その冷静な判断力、敵ながら天晴です!」
ん? 敵?
何かが俺の頭に引っかかる。
「つまり、この中で雨女さんだけが化けてもバレない相手として適切だったということですね」
「お、おう。雨女さんの特殊能力は雨を降らすことだからな。この雨を降らしているのがどっちの雨女さんか俺たちに判断する術はない」
「ごめんさない。わたしの妖力が常時発動型でごめんなさい」
「すみません。地味な特殊能力ですみません」
「いや、雨女さんが悪いってわけじゃないさ。ただ、黄貴の兄貴の配下や蒼明や橙依の友人の情報だけじゃなく、俺の関係者の情報が敵に知られていたことが少しまずいかもってことさ」
狸が大悪龍王の手下だとしたら、他の妖怪王候補とその仲間の情報を持っているのはわかる。
だが、妖怪王争いに参加していない俺とこいつらの情報まで調べ上げているとしたら、それはマズイ。
思ったよりも大悪龍王の手の者が東京に侵入しているってことだからだ。
「さて、どうしましょうか」
俺たちは腕を組み、頭を抱えて唸る。
「こんな時、珠子さんだったらどうするんでしょ」
「きっと料理で何とかしちゃうんだろうよ。『これを食べれば正体がわかります』とか言っちゃってさ」
「ありそうですねー」
今、ここに居ない珠子さんだったらどうするかを想像して、俺たちは少し笑う。
もし、ここに居てくれたら、もっと笑っただろう。
名探偵珠子さんだったら、ここでキャンプ料理のひとつでも作って、偽物の雨音さんをあぶり出すんだろうな。
俺にはそんな真似は出来ないけどさ。
俺の唯一の特殊能力、対象の幸、不幸を見極める眼で見ても、ふたりの違いはわからない。
俺に出来そうな珠子さんの真似事は、せいぜい近場でテイクアウト料理を持ってくるくらいさ。
だけど、彼女の心を理解したいなら、彼女になった気持ちで……。
俺の中で様々な情報が錯綜し、頭の中でピースが形作られていく。
珠子さんを助けるために動き出した兄弟たち、家で俺の眼に留まった数々のアイテム、狸と置行堀と違和感。
そして、俺の眼にはふたりの雨女さんの違いが映らない……。
カチッ
俺の中でピースが噛み合った。
なるほど、こんな気持ちか、珠子さん。
「よっし、本物の雨女さんを見定める前に食いしん坊な珠子さんよろしく腹ごしらえでもすっか。実はここら辺の店は珠子さんとのデート用にチェック済なんだぜ。いい創作料理の店があるんだ。テイクアウトで買って来るから、ちょっと待っててくれよ」
「えっ!? あ、ああ、行ってらっしゃい」
いきなりの俺の行動に面食らう仲間たちを後目に、俺はちょいと駅前に向かって歩き始めた。
◇◇◇◇
「待ったかい?」
「ううん、今きたとこ」
俺が買い出しから公園に戻ると、黒龍が可愛らしいんだろうなポーズを取って返事をした。
「そういうのはメイちゃんにでも言いな。野郎から言われても嬉しくねえよ」
俺は軽い溜息を吐いて、ビニール袋をテーブルに置き、ふたりの雨女さんの対角線上に座る。
「ハハハ、すみません。ちょうどユーモアがある男の小粋なジョークについて談義していたとこでして」
「黒龍さんは真面目ですからね。こういう練習も必要じゃないかと思って」
大悪龍王の手下が雨女さんに化けているかもしれないってのに、こいつらは相変わらずの恋愛脳だな。
「実はですね、わたくしたち雨女さんの彼氏の話とかをしていたんですよ。そうすれば偽物があぶり出せるかと思って」
つらら女さんが小声で俺に耳打ちする。
なるほど、そういうことか。
「で、わかったのか?」
「いいえ、雨女さんの彼氏との馴れ初めとか、プロポーズの時の状況とかも聞いたんですけど、ふたりとも見事に答えました。偽物は相当な情報を持っているようですね」
「だな」
俺たちの恋愛惚気話は『酒処 七王子』で何度も会話しているとはいえ、身内か常連でもなければ詳しくは知らないはずだ。
妖怪王争いとは無関係のこんなことまで知っているってことは、やっぱあっちか。
「それで、どんな料理をテイクアウトして来たんですか? 創作料理のお店って言ってましたけど」
「ああ、これさ」
俺はビニール袋の中からいくつものフードパック容器を取り出し、机に並べる。
蓋を開けると、サラダとグラタンと肉野菜炒めがテーブルに彩りを与えた。
「うわっ、おいしそう!」
「つらら女さんの分はこっちな、いくらでも冷ましていいからよ」
「ありがとうございます。赤好さんは気配り上手ですね」
「これで珠子さんのハートが射止められないのが残念ですね」
「ホント、惜しいですわ。いい方どまりなのが」
「雨女さんも、偽雨女さんも随分な言いようだな。ま、いいけどよ」
個別のパックをもらったつらら女さんは嬉しそうに料理に息を吹きかける。
秋の雨の中で真っ白な湯気を上げていたグラタンと肉野菜炒めは一気に冷たくなった。
「んじゃ、出発前の腹ごしらえといこうぜ。ほい、取り皿な。雨女さんたち、すまないが取り分けてくれないか?」
そう言って俺が割り箸を渡すと、少し和み気味だった場の空気に緊張が走る。
理由は明確さ。
元々人間と同じ姿の雨女さんと、狸が化けた偽雨女さんとでは器用さが違う。
本物の雨女さんだったら簡単なことだが、狸が箸を上手く扱うには相当な訓練が必要だからだ。
「わかりましたわ」
「はい、僭越ながらわたしが」
ふたりの雨女さんは箸とスプーンを器用に使い、スイスイと料理を取り分けていく。
「これではわかりませんね」
「ですね。いいアイディアかと思いましたのに」
「ま、仕方ないさ。食おうぜ」
俺たちは取り分けられた料理に向かって箸を伸ばそうとした時、
「ちょっと待って下さい! 私にいい考えがあります!」
黒龍がそれを制止した。
「どうした黒龍。本物の雨女さんを見分けるいい方法でもあるってのか?」
「はい、このタバスコをですね、たーっぷりと料理にかけて、それをどちらかの雨女さんに食べさせましょう!」
ナイスアイディアとばかりに黒龍はテイクアウト用のタバスコ小パックを全部手に取る。
「食べたのが本物の雨女さんだったら、辛さのあまり雨足が乱れるはずです。偽物だったら、辛くて身悶えても雨には変化がないはずです」
「ええ……」
「それはちょっと……」
2分の1の確率で激辛料理を食べさせられる展開に、雨女さんたちがちょっと引く。
「却下だ」
俺は黒龍の提案を一瞬で切った。
雨女さんたちも少し安心したように胸をなでおろす。
「どうしてです?」
「女の子にそんな真似出来るはずがないだろ。それに料理を台無しにしたって珠子さんにバレたら嫌われちまう」
「えー、珠子さんはここに居ませんが、それでもダメですか」
「居ても居なくてもだ。日頃の行動が大切な彼女の前でうっかり出ちまうってのはよくある話さ。お前も気を付けておかないと、メイちゃんの前でうっかりドン引き発言なんてしちまうぞ」
こいつは、いつもうっかりしてそうだけどな。
「ぐっ、そういえば、たまに彼女の視線が痛くなる時があるような……」
「あったのかよ……。俺はお前の恋路がたまに心配になるぜ。ま、それよりも冷めないうちに食おうぜ。冷めちまうと、つらら女さんに食べられちまうぞ」
「あらやだ、わたくしはそんなに食いしん坊じゃありませんのよ」
フフフと笑いながら彼女はそう言うが、既に料理は半分くらいになってる。
こりゃ俺も早く食べなきゃな。
シャクッ
「あっ、このサラダ、トマトとチコリかと思いましたが、チコリの代わりに茗荷が入っているんですね。シャキッとしていて美味しい!」
「この苦みと独特の香りがいいですね。僕は蕾系の食材も好きなんですよ。ああ、新陳代謝の味がするなぁ」
あかなめの言う新陳代謝の味ってのはわからないが、このサラダは美味い。
トマトの酸味とオリーブオイルの甘味に茗荷のほろ苦さがアクセントになっていて、食が進む。
店の料理人に茗荷を使った料理はないかと尋ねたら、このサラダをおススメされただけはある。
「こっちのトマトと牛肉のニンニク炒めも美味しいですわ。冷えても油が固まらないのは赤身肉を使っているからですね」
「そうさ。こいつは面白い名前でね”バカのアホばっか炒め”って料理だぜ。有名な女性料理人が名づけたらしい」
「なんですか? そのケッタイな名前は?」
「スペイン語らしいぜ。スペイン語でVacaは牛肉を、Ajoはニンニクを意味するってさ。ばっかは……なんだったけかな」
「あっ、わたし分かりましたわ。それはトマトですね。トマトは江戸のころ蕃茄とも呼ばれていましたから」
「赤茄子とも呼ばれていましたね。それに蕃茄は中国語でトマトの意味です」
雨女さんたちが俺の代わりに解説してくれた。
そういや雨女さんは中国に縁のある”あやかし”だったな。
「へー、とするとこの”バカのアホばっか炒め”は、”牛肉とニンニクのトマト炒め”ってわけですか。なんだか珠子さんが作りそうな料理ですね」
「きっと赤好さんは、珠子さんが興味を持ちそうなお店の下調べをしていたんですね。いやぁ、涙ぐましい努力ですね。すると、こっちのグラタンは……」
一声多い黒龍が俺が買った最期の料理、魚のグラタンに手を伸ばす。
俺がテイクアウトしたのは、野菜、肉、魚のエキスパートで有名な3人の女性コックの店。
野菜、肉、魚の三位一体セットがおススメの店だ。
「これは、棒鱈のグラタンですか。昔の信州では御馳走の味ですね」
「昔は少し内陸に入るだけで新鮮な魚は手に入りませんでしたからね。わたくしも冬ごもりの時に棒鱈をよく食べてました。あっ、これも冷めても美味しい。嬉しいな」
俺も熱さの残るグラタンを口にすると、ホフホフと熱を冷まそうとする息に合わせて、チーズの風味と鱈の旨みが口に広がる。
ホワイトソースの中に溶け出した鱈の風味とマッシュルームの食感がいい味だ。
「こいつも面白い名前なんだぜ”バカリャウグラタン”ってやつさ。バカリャウってのはポルトガル語で塩漬け干しダラって意味らしい。このバカリャウはポルトガルのソウルフードなんだとさ」
「なるほど、わかりました! この料理を買ってきた赤好さんの意図が!」
黒龍が何かに気付いたように口を開く。
「大丈夫ですか? また変なことを言うんじゃないでしょうね」
夏からの短い付き合いだが、俺たちは黒龍の性格がわかってきた。
誠実で素直だがデリカシー無し。
悪いヤツじゃないがひと言多い。
そんな男さ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと考えましたから」
ひょっとしたら、俺が偽雨女さんをあぶり出すために、この料理を買って来たってことわかったのかもしれない。
こいつバカっぽいが無知じゃないからな。
「赤好さんはこのバカリャウを珠子さんに食べさせて、『こんなにおいしい料理をご馳走になったらバカににゃるう~』って言わせたかったんでしょう!」
訂正、やっぱバカだ。




