隠神刑部と珈琲(中編)
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「さて次だ、王にふさわしき女とは?」
あれから数時間余、まだ問答は続いていた。
「それは一にして全、全にして一。王にふさわしき女と問われたら”王に選ばれたことを誇りに思い、その誇りが愛へと変わる女である”」
「ふむ上々」
やれやれ、そろそろ終わらぬものかな。
だが、そろそろかもしれぬ。
そう思いながら我は問いに答え続けた。
「次で最後にしよう」
ここまでの問いは様々というか、女中らしく言えば、味がとっちらかってる。
王の心構えかと思えば、他愛のないもの、答えの無いもの、一貫性も必然性も見られぬ。
『王の金玉袋とはどうあるべきか』という女中がムッフーと鼻息を荒くしそうな問いは正直どうかと思った。
ああ、『王の目玉焼きには塩か胡椒か?』というのもあったな。
無論、塩と答えておいた。
ShiO。
王たるもの、調味料にも王たる姿を示さねばならぬからな。
そして、やっと最後の問いだ。
「では、最後の問いだ。吾輩の一連の問いの総意を答えよ」
このとっちらかった質問の数々の総意とは?
愚問もここに極まれりといった所か、そんなものは最初に懸念として浮かんでおる。
その懸念は途中で確信となった。
最後には仕方なく付き合った。
ここまでされれば気付かぬはずがない。
「決まっている。”時間稼ぎ”よ」
半ば投げやりながらも、自信と確認に満ちた我の答えを聞いて、
「クククッ、ハッハッ、はーはっはっはっ。いやいや、文句なしの答えよ。それがわかっていて最後まで付き合ったのも好ましい」
この大古狸は腹をポンポコと叩いて笑った。
◇◇◇◇
「いやはや、すまなかったな。老骨の暇つぶしに付き合わせて」
「隠神刑部殿も狸が悪いのじゃ。時間稼ぎをして何を企ててるのじゃ」
「なぁに、何も企んではおらぬよ。歓迎の料理の準備の時間が欲しかったのよ」
讃美の問いに隠神刑部は軽く答え、その肉球をプニップニッと打ち鳴らす。
「はい、ただいま」と声が聞こえ、着物姿の二足歩行雌狸が足付きの膳を運んでくる。
「吾輩たち狸の一族も、食にはそれなりの見識があると自負しておる。だが、食については高名な『酒処 七王子』の大蛇の長兄を招くのだ。それに負けぬ料理を準備させるために時間を要した。先ほどの問答はそのためだ。さ、さ、お召し上がり下さい」
膳に並ぶは銀杏の炊き込みご飯、炒り銀杏に、銀杏と里芋の味噌汁。
「銀杏尽くしであるな。色と香りから察するに、これは御膳味噌の味噌汁であるかな」
「さすがは長兄殿の配下、知恵者であるな。その通り、これは四国で有名な御膳味噌の味噌汁だ。こ、こ、こ……」
「米麹の割合が多く、甘くっておいしいんですわよ。ほほほほ」
隠神刑部の隣に座る雌狸が袖で口元を隠しながら笑う。
「なるほど、これはうまそうだ。しかし隠神刑部殿の膳が見当たらないようだが」
「吾輩は銀杏の実より果肉の方が好みなのでな。それをここで食べると匂いが気になろう。吾輩のことは気にせず、お召し上がりなされ」
ふむ、どうしたものか。
我は少し思案する。
ここでこれを食しても問題ないが、やはり同盟であるからには対等であることを示さねばなるまい。
やれやれ、女中が『こんなこともあるのではなかろうと!』と言って大枚をはたいた経費で購入したアレが役に立つとは。
ま、ここはアレを使って讃美に進物を準備させた我の達観を褒めるべきだろうな。
「いやしかし、我らだけ食事をするというのは気が引ける。幸い、隠神刑部殿へのスイーツの進物がある。それを供しよう」
「まあ! スイーツ!」
雌狸が嬉しそうに手をプニッと鳴らす。
「鳥居、例のものをおふたりへ。讃美は珈琲の準備を」
「ははっ」
「わかったのじゃ」
鳥居が白い箱の包みを持って進み、讃美は手荷物の中から珈琲を淹れる道具一式を取り出す。
「こちらが隠神刑部殿への進物のひとつ”ティラミス”にございます」
茶と白の層が美しく映えるよう、ひとり分ずつ透明な器で作られたスイーツがふたりの前に差し出される。
「まあ! わたくし、ティラミスを食べるのは初めて!」
「これはよい物を。娘も喜んでいる。ありがたく頂こう。それはそうと、冷めぬ間にお召し上がりあれ」
”あやかし”の世界は人間の流行より遅れるという話はよくあること。
人間の間では四半世紀前の流行のティラミスであっても、狸たちにとっては最先端のものなのであろうな。
「これも一緒に飲むといいのじゃ。主殿特選の豆から淹れた珈琲は、ティラミスの甘さとバッチリなのじゃ」
鼻孔をくすぐる良い香りを漂わせながら、讃美は珈琲をふたりの前に置く。
「これは良い香り。ありがたく頂こう。ささ、お客人たちもお食べなされ」
「うむ、ありがたく頂戴しよう」
鳥居と讃美が席に戻ったのを確認すると、我は悠然たる態度で銀杏尽くしの膳を口にする。
ホロッ
銀杏の実は口の中でホロッと崩れ、僅かな苦みを伴った風味と米の甘味と共に喉に流れていく。
炒り銀杏の実は表面はパリッと香ばしく、中はホクホクと、塩と良く合う。
米麹が多いと聞いた御膳味噌とは、白みそにも似た風味で甘味噌系。
その甘さが銀杏の風味と相まって良い塩梅。
だがしかし、普通の味であって、肥えた我の舌を満たすには力不足。
やはり、女中の料理の方が良い。
しかも、あの狸たちの嗤いを見れば納得というもの。
「いい笑顔でございますな。隠神刑部殿とそのご息女殿もティラミスが気に入ったと見えまする」
「はい、それはもうおいしくて。クスス」
「この珈琲の苦みとも良く合いますなぁ。ククク」
「気に入ってもらえて嬉しいのじゃ。主殿、妾たちもデザートにティラミスを頂いてよいかの」
讃美が予備のティラミスを見ながら我に問いかける。
「ああ、そうしよう。よろしいですな、隠神刑部殿」
「もちろん。この美味は吾輩たちだけで楽しむのはもったいない」
よほど嬉しいのだろう。
ウキウキ顔で隠神刑部は快諾する。
間をおかず、ティラミスとコーヒーが我らの前にも並べられた。
「このティラミスは妾の自信作なのじゃ。試食した時にはその美味に惚れておっての。思わず予備を用意してしまうほどなのじゃ」
「まあ! 貴方様の手作りでしたのね。わたくしはてっきり噂の珠子殿が作ったものかと」
「珠子は現在休暇中であるからな。だが、このティラミスは珠子が選び抜いた極上の珈琲豆から作ったエスプレッソを材料に使っておる。その飲んでいる珈琲と同じ豆をな」
夏の京都旅行から女中が戻った折、
『黄貴様、京都でスッペシャルな珈琲豆を仕入れてきましたよ。へへへ、こいつの生豆が売っている店は極めて少なくってですね。京都の”ニシナ屋”はそのひとつなんですよ。フヘヘ』
などど言いおって我にそのスッペシャルな豆で作った珈琲を淹れおった。
ついでに珈琲焙煎機とエスプレッソマシーンを新生『酒処 七王子』に仕入れたのもその時だ。
このティラミスの材料となるエスプレッソと珈琲は、そのスッペシャルな豆を使っている。
我が讃美に『この豆を使え』と命じたのだ。
「まあ! 同じ豆を使っているのですね。それでこんなに相性がバッチリなのですね!」
「吾輩は珈琲はミルクと砂糖を入れて飲む派であるが、これは苦みが少なく花にも似た良い香りが口に広がる。これが濃厚なティラミスの甘味とコクを洗い流して、スッキリと次の一口への食を進めますな」
ニコニコ顔でふたりはティラミスと珈琲を交互に食べ進める。
我らも、供された膳をほとんど平らげようとしていた時、今まで以上の笑顔で隠神刑部が我らに問いかける。
「時に皆さま方、吾輩の膳はいかがかな?」
「美味にございます」
「おいしいのじゃ」
本心か社交辞令なのかは不明だが、鳥居と讃美が称賛の言葉を述べる。
「長兄殿はどうであるかな?」
「これは貴重な体験をさせてもらった。この感想を口で言うのは野暮というもの。結果で示すのがよいと存じます」
我が示したのはデザートのティラミスと珈琲だけになった膳。
それを見た時、彼らのニコニコ顔が邪悪な笑みに変わった。
「それは素晴らしい! 実はですな。その銀杏は吾輩たちの糞から取り出したものなのですぞ!」
やはり。
我の予想通りであったか。
珠子が言っていたな『狸が銀杏の果肉を好む証として、その糞には大量の銀杏の核が含まれている』と。
それを再利用して作ったのが、この膳だ。
だが、左右のふたりは予想と違っているようだ。
その目を丸くパチクリさせ、胸のあたりを叩いている。
「やーい、ババ食った、ババ食った!」
「狸のババくったー!」
これぞ狸の真骨頂とばかりに、隠神刑部とその娘狸は囃し立てる。
見事な狸囃子だ。
「ゲホッゲホッ。これは隠神刑部殿も人が悪い」
「グゲー、食べてしまったのじゃ。主殿も早う口直しを」
鳥居と讃美は嫌なものでも食ったかのように顔と口を歪める。
いや食ったのだが。
「さすがは東の大蛇の長兄殿は冷静でございますな」
「まあ! 何事にも動じないのは良い事ですが、狸の糞から取った銀杏を食べたのは紛れもない事実。ほほほほ」
「身に余る評価でございます隠神刑部殿、ご息女殿。ああ、鳥居、讃美、お前たちに言っておくことがある」
「な、なんでございましょう?」
「あ、主殿、今はちょっと待って欲しいのじゃ。あの銀杏の味を珈琲で消したいのじゃ」
ふたりは大慌てで銀杏の余韻を消そうと、残ったティラミスを口に運び、珈琲で口を洗おうとする。
「そのティラミスに使ったエスプレッソと、その飲んでいる珈琲の豆だがな」
我の言葉を話半分に聞きながら、ふたりは口直しとばかりに珈琲をゴクゴク飲み、二匹の狸は勝利の芳香とばかりに珈琲に鼻を鳴らし、それを口にする。
「それも狸の糞から取ったものだぞ」
ブゥーーーー!!
ふたりはひどい粗相をした。
ダーーーーーーー
狸たちも粗相をした。




