遺言幽霊とハンバーグステーキ(後編)
「ね、ねぇ、珠子ちゃん、それって本当に大丈夫なの? 表面が真っ黒で焦げてるよ」
「さっきのおじいちゃんのも焦げ気味だったけど、これはそれ以上だわ」
アリスちゃんもお孫さんも不安そうにお皿を見つめる。
「大丈夫ですって、むしろこれこそが美味しさの源なんですよ。気になるのでしたら、ソースを多めにかけちゃいましょ」
あたしはブラウンソースをダバダバと真っ黒なハンバーグステーキにかける。
その色が黒さを覆い隠していった。
「おお、これはいいのぅ。これなら見た目もバッチグーじゃ」
おじいさんも指を丸くして、ハンバーグステーキを褒める。
「なんだいなんだい、最近の若い子ったら、ちょっとの焦げくらい気にしなさんなよ。これくらいガブッっといったらいいのさ」
「そうそう、ウチらは先に頂くとするかのう」
「やっぱケチャップだな」
「いやいや、塩だけでもいいぞい」
「何も付けない素のままの姿が一番さ。裸の大将ってね」
「おれたちゃ裸がユニフォーム♪ ヘイ!」
「ヘイ!」
まだ心配そうな顔をしている娘さんとアリスさんを横目に、遺言幽霊さんたちはハンバーグステーキを楽しそうに食べ始める。
そして、彼らの手のナイフでハンバーグステーキが切られた時、
ブシュ、ジュジュヴァー
その断面から吹き出すように肉汁があふれ出した。
「えっ!? なにそれ!」
「うわっ!? ものすごい肉汁!」
その姿にふたりの視線は釘付け。
「ふふん。どーですか、このハンバーグステーキは! これは最初に両面を強火力で焼き固めることで、旨みと肉汁を大量に内部に閉じ込めるんですよ」
あたしは少し自慢げに胸を張って言う。
「ハンバーグの作り方には焼き加減を確かめる方法としてこう書かれています。『楊枝で表面を刺して、澄んだ肉汁が出てくれば中まで火が通った証拠』と。それは言い換えれば、見事に焼きあがったハンバーグステーキには、穴を開ければあふれる出すほどの肉汁が閉じ込められているということなのです! そして! このあたしの腕をもってすれば、分量と火力と時間を計算して、穴をあけずともベストな焼き加減に仕立て上げるくらい造作もありませんっ!」
パチパチパチー
そんなあたしの言葉に遺言幽霊さんは称賛の言葉ではなく拍手でそれに応える。
だってお口はハンバーグステーキでいっぱいなんですもの。
「そ、それじゃあ」
「あたしたちも……」
娘さんとアリスさんも、美味しそうにハンバーグステーキを頬張る遺言幽霊さんたちを見て、その手をハンバーグステーキに伸ばす。
カリッ、ジュバァー
「あっ、これってすごく美味しい! 表面はカリッと香ばしく、中身はとろけるように肉汁たっぷりで!」
「ホントにホント! これって真っ黒なのに焦げ臭さなんて全くないわ! むしろ、表面のカリカリ感と中身の柔らかさが食感を引き立ててる!」
「だから言ったじゃないですか。この表面が真っ黒なのがいいって。このハンバーグステーキの焦げてるのは表面の一部だけで、焦げ臭さが残ってたり、カチカチに硬くなってたりしていないんですよ。そして昭和40年代ではこれがハンバーグステーキの標準だったんです」
そう言ってあたしが想像力を働かせると、手の中に一冊の料理雑誌が現れる。
「それは?」
「当時の主婦のバイブル、女子栄養大学が出版している『栄養と料理』です。昭和10年に創刊され、今も続いている老舗の料理雑誌です。これはその昭和45年10月号ですね」
そして、あたしは時代を感じさせる装丁の本を開く。
「この頃の『栄養と料理』には基本カードという切り離して台所においておけるレシピのページがありまして、当時の主婦はこれを参考に流行りの料理を作ったんですよ」
昭和20年の戦後復興から高度経済成長期にかけて、日本の食文化は大きく変化した。
それまで外食が主であった洋食が食卓に上るようになり、そのレシピ本や料理雑誌が花開いた時期でもあったのだ。
その中でも信頼と実績があり、味だけではなく栄養と健康までも考慮した料理を紹介する『栄養と料理』は大人気だったのだ。
「この号の基本カードは”ハンバーグステーキ”です。見て下さい、この写真を」
「あれっ!? まっくろ!」
「ほんとだ! このハンバーグステーキと同じ」
あたしが開いたページに載っている写真はハンバーグステーキ。
だけど、その姿は今風のちょっと焦げ目がついたハンバーグとは違い、真っ黒なのだ。
「うわー、なつかしー」
「せやねー、あのころのハンバーグステーキのお手本はこんな風やったねぇ」
あたしたちの横から雑誌を覗き込んでいた遺言幽霊さん(きっと元主婦)が、その写真を見て懐かしそうに言う。
「とまあ、このおじいさんが作ろうとしていたハンバーグステーキは焦げ焦げの失敗ではなく、昭和40年代風のレシピに則った美味しいハンバーグステーキなんですよ。じっくり焼くからハンバーグではなく、ハンバーグステーキなのです!」
「そうだったんだー、珠子ちゃんったら物知りね。やっぱモノリスさんみたい」
「ごめんなさい、私ったらあんなことをしてしまった。でも、このハンバーグステーキ本当に美味しいわ。お店で食べるよりもずっと。どうしてかしら?」
「そうね、最近はこの味を出すお店はほどんどお目にかかれないわね」
「せやな、なぜやろか?」
モグモグとハンバーグステーキを食べながら、娘さんとアリスさん、遺言幽霊さんたちは疑問を口にする。
「理由のいくつかありますが、そのひとつは食文化の変遷ですね。時代と共に柔らかい物を好む傾向になったのと、やはりこの焦げの見た目が悪かったのだと思います。焦げはガンの原因となるという話もありましたから。ま、実際にガンになるには焦げの部分だけを毎日どんぶり一杯食べ続けなければ影響はないという話ですけど」
焦げには発がん性がある、それは真実。
だけど、実際にガンとなる摂取量は現実的ではない。
しかし、人は少しでも危険を避けようとする。
その結果、この表面だけが焦げたハンバーグステーキは消えていったのだ。
「あとは素材ですね。今回使ったのは和牛の赤身です。昭和40年代は牛肉自由化以前でしたから、牛ひき肉といえば和牛の赤身でした。しかも霜降りといった脂身の多い肉が好まれる以前でしたから、脂身が少ない品種が主だった時代です。溶けた脂が肉汁の主体のハンバーグも美味しいんですけど、赤身から出るうまみ成分アミノペプチドが主体の肉汁も違った美味しさがあります」
高度経済成長期からバブル期を越えて日本人の食文化や嗜好は大きく変化した。
中でも牛肉はその最たるもの。
平成3年の牛肉輸入自由化の前と後では別物といってもいいのだ。
「へー、そんなことがあったんだ」
「せやせや、当時は結構大問題だったんや」
あたしの説明を聞いて、現代を生きる夢の中の人は歴史を学ぶように、当時を生きた遺言幽霊たちは懐かしそうに言う。
「……このハンバーグステーキが焦げ焦げの失敗作じゃないのはわかったわ。だけど、どうして死ぬ前も、そして死んだ後もこれを作ろうとしたの?」
そう、このハンバーグステーキは失敗じゃない。
それを説明するまではあたしの領分。
だけど、それを作ろうと固執したおじいさんの気持ちはあたしの領分じゃない。
そこは、このおじいさんに説明してもらわないと。
そう思って、あたしたちはじっとおじいさんの目を見る。
…
……
数秒の沈黙の後、そのおじいさんは真剣な顔で口を開いた。
「これはな、お前の母さんが、儂の娘が好きだった料理じゃった。幼いあの子はばあさんが作ったこれを食べて『あたしも子供が生まれたらこの味を伝える』と言っておった。だが、それは叶わぬまま、あの子は事故で他界してしまった。ばあさんも先に逝ってしもうて、幼いお前を引き取った儂は男手ひとつで懸命にお前を育て上げた。いつかはこの味を儂が代わりに伝えようと思ってたんじゃが……」
「じゃが?」
「いやぁ、あの子が『この味を伝える』って言ってた事をとんと忘れてしもうてな。それを思い出した時には儂は既に軽くボケが始まっておったんじゃ。だめじゃのう、ボケが始まると若い頃の記憶ばっかり思い出すってのは本当じゃったんだのう」
おじいさんはそう言って、ちょっと愉快そうに笑う。
まるで、自分のボケなんて笑い倒すものだと言わんばかりに。
「プッ、そうだったの。それならちゃんと説明すればよかったのに。この夢の中でも『男は黙ってサッポロビール』みたいな事を言わないでさ」
「せっかくお前と再び逢えたのだから、ちょっと愉快にしたかったのじゃよ。それに、最近のお前はストレスが溜まっているみたいだったからのう。そんな時は肉と酒じゃ! あの子が好きだったハンバーグステーキの味だけじゃなく、それも伝えたかったのじゃよ」
「アハハッ、死んでも伝えたかったことがそれ? 肉とお酒でストレス解消だなんて、やっぱり私のおじいちゃんね。死んでも愉快、ううん死んだ後の方が愉快だわ。あー、面白い、ちょっと涙が出ちゃった」
そう笑いながら娘さんが目尻を拭う。
涙なんて、笑い飛ばすのが一番だと言わんばかりに。
やっぱりこのふたりは祖父と孫ですね。
似た者どうしです。
だから、あたしもちょっとそれを助けましょ。
「おじいさんの言う通りですよ。精神安定に必要な”セロトニン”はお肉に多く含まれる”トリプトファン”という必須アミノ酸から作られます。適度なアルコールはストレス解消につながります。肉と酒! これはストレス社会を生きるあたしたちに必須アイテムですっ! へいっ! お肉のお代わりはいかがですか!」
そう言ってあたしはバーベキュー台で追加のハンバーグステーキを焼き始める。
「おっ、それじゃあ、お代わりをくれ!」
「和牛ハンバーグなんて贅沢、滅多に出来ないわ、こっちにも!」
「うちも!」
「わいも!」
ジュジューと香ばしい匂いを上げハンバーグステーキに遺言幽霊さんも、夢を見ている人たちも手を伸ばす。
「あら、珠子ちゃんったら張り切っちゃって。よーし、あたしもお助けマンになっちゃいましょ。ビールのお代わりはこちらでーす!」
アリスさんがそう言うと、テーブルにビールの缶がいくつも出現する。
「『男は黙ってサッポロビール』なんで遅れてるわ。男は度胸、女は愛嬌なんてのもダサいわ。今は女性も社会進出する時代よ。ううん、男も女も関係なくひょうきんに笑うのが一番よ。そんな時にはこれ!」
そう言ってアリスさんはビールをみんなの手に渡す。
そのラベルを見て、みんなは何かを理解した。
「美味しい食べ物を食べる時は、しんみりとするよりも明るく! 何よりも笑顔でっ! はいっ、みなさん、ご唱和下さい!」
アリスさんはそう言うと、にっこりと笑ってビールを掲げた
掲げるのはに鯛と釣り竿を持った七福神のラベルのビール
サッポロビールのブランドのひとつ、エビスビールだ。
「みんなエビス顔でエビスビール!」
「「「「「みんな笑顔で! エビスビール!!」」」」」
笑顔が夢の中にあふれた。
□□□□
朝が来て、夢を見ていた人たちは消えていった。
きっと、現実世界で目が覚めたのだろう。
だけど、やっぱりあたしは夢の中。
うーん、現実のあたしがどうなっているか心配だわ。
そして、あたしたちは遺言幽霊さんと一緒に不気味な”叶わなかった夢”の町を通り抜けた。
「夢破れた者の”妄執”なんて、なんぼのもんじゃい!」
「そうそう、天寿を全うした儂らの敵ではなか!」
「ごちそうと素敵な会場のお礼に、ウチらが守ってやったるぜー!」
生前に言えなかった遺言を夢枕で伝え、もはや成仏を待つだけの遺言幽霊さんたちだけど、その姿は頼もしく笑顔に満ちていた。
「ありがとなー!」
「気を付けていけよー!」
不気味の町を抜け、再び路に立つあたしとアリスさんに半分消えかけた遺言幽霊さんたちが笑顔で手を振る。
その笑顔を見て、あたしは思い出す。
『絵本百物語』の遺言幽霊の画も、どこかコミカルで笑顔だったことを。
きっとその笑顔の理由は、その人が心から優しい人だったから。
死してなお、大切な人を想って遺言を伝えようとする人が優しくないはずがありませんから。
「うふふ、面白い人たちだったわね。でも、珠子ちゃんったら素敵だわ。あの町をこんなに気持ちよく通れるようにしちゃったんですもの」
「あはは、他の目的ありましたから。それより、よくエビスビールを知っていましたね。アリスさんは未成年ですのに」
アリスさんは15歳(昭和53年生まれ)。
エビスビールはメジャーとはいえども、ビールの銘柄に詳しくないと思われる未成年がそれを知っていたことには、ちょっと違和感がある。
「それがね、不思議なの。あたしはエビスビールなんて知らなかったけど、あの時、なぜかあれを思いついちゃったの。うふふ、あたしったら悪い子みたい。どこかでこっそり飲んでたのかしら」
「へぇ、不思議なこともあるもんですね」
あれ? そういえば、あのおじいさんとお孫さんの物語に重要な人物が欠けてたような……。
もしかして!?
あたしが振り向くと、あのおじいさんの隣に若い女性の姿が見えた。
その顔はおじいさんにそっくり。
そうですか……貴方も伝えたかったのですね。
ささやかですが、とても大切なことを。
笑顔が大事という、とても単純でハッピーエンドに欠かせない真実を。
それをアリスさんの身体を通して伝えたのですね。
「どうしたの珠子ちゃん。何だかわかったような顔をして」
「いえ、何でもありませんよ。さてと、あたしたちも行きましょうか」
「ええ、でも珠子さんのやりたいことってできたの?」
「はい、バッチリです。みなさんをハッピーエンドにできましたし、あたしも現実に戻る布石を打てましたから」
「そっか、それじゃあ行きましょ。どこかはわからないけど、あたしは西の方にいかなきゃいけない気がするの」
「ええ、あたしも夢見る限り、アリスさんとご一緒します」
あたしは早く現実に戻りたい気もあるんですけど、アリスさんの旅路も心配なのよね。
現実のアリスさんってどうなっているのかな。
あたしみたいに寝ているのかな、だとしたら病院で延命中のはず。
それとも遺言幽霊さんのように死んだ魂が夢の中を彷徨っているのか。
生きているのか、死んでいるのか、それともどっちでもないのか……。
うーん、わからない。
そんな事を考えながら夢路を歩き始めたあたしの背中から、遺言幽霊さんたちの声が聞こえてきた。
ノリのいい合いの手とリズムにのって。
「風呂入れよー!」
「歯磨けよー!」
「顔洗えよー!」
「宿題やれよー!」
「風邪ひくなよー!」
「また来世!」
それを聞いてアリスさんは「テレビみたーい」とクスクス笑っていた。
あたしには意味はわからなかったけど。
□□□□
◇◇◇◇
旅行中の珠子さんからの連絡が途絶えて3日が経過した。
夏の旅行の時は電話が通じたり、SNSへの投稿があったから彼女の無事は確認できた。
でも、今回は違う。
彼女からの発信もなく、電話にも出ず、メールの既読も付かない。
もちろん、彼女のSNSも更新されない。
これは異常事態だと兄弟たちは大慌てさ。
兄弟の何人かは探索に乗り出した。
俺かい? 俺は『酒処 七王子』で留守番さ。
ロスト珠子さんは心配だが、俺の権能が告げている。
ここに残るのが吉だと。
待てば海路の日和あり、とはいうけれど、やっぱ心配だぜ。
やれやれ、好きな相手がピンチかもしれないのに、動けないってのは少し辛いね。
何をやってるのさ。
俺が夢中の珠子さん。
そう思いながら、珠子さんのSNSの更新がないかチェックしていた時、ジリリリリと電話のベルが聞こえた。
珍しいな、こんな時間に固定電話が鳴るなんて。
俺が店のレトロな黒電話を取ると、そこから若い女性の声が聞こえてきた。
「あっ、『酒処 七王子』ですか?」
「ああ、そうだぜ。だけど悪いね、今日は店のスタッフが休暇でさ、営業していないんだ」
「そのスタッフって、ううん、そこの看板娘に珠子さんって方がいらっしゃいません?」
「珠子さんについて何か知っているのか!?」
電話口から聞こえる思いがけない珠子さんの名前に、俺の言葉が強くなる。
「あの、私、夢でその人に逢ったんです。夢枕に立ったおじいさんと一緒に。そこで珠子さんから、とっても美味しい昭和風ハンバーグステーキをご馳走になりました! どうしてもまた食べたくて、お店の名前で検索して電話したんです!」
…
……
いったい何をやっているのさ。
夢の中の珠子さんは。




