遺言幽霊とハンバーグステーキ(前編)
天国のおばあさま、お元気ですか。
珠子は今、夢心地です。
……というか、夢の中にいます。
大悪龍王さんの居城でここが夢の世界だと看破した後、あたしはアリスさんと大手を振って脱出した。
アリスさんはどこか西の方に行きたいそうですが具体的な道がわからないそうですので、目下の目的はこの道の先に見える町です。
ブチッ、プチッ、プチュ
「うわぁ、珠子ちゃん。これって普通の枝豆とちがって甘味があって、濃厚な味ね」
ほんのりと薄紫色の斑点が見え始めた枝豆を口にして、アリスさんが顔をほころばせる。
「丹波の黒大豆の枝豆ですよ。昔は地場だけの特産でしたけど、バブル期の料理アニメなどで紹介されたことがきっかけで今や準メジャーくらいになっています」
あたしはたちは江戸時代よろしく莢が枝についたままの枝豆を、ブチッともいでプチッと出して、ブチュっと食べながら歩いている。
「あたしそのアニメの黒大豆の枝豆の回、テレビでみたことあります。へぇ、テレビでは全体的に褐色だったけど、本物は斑点状になっているんですね」
「あれは作品上の演出でそうなったんですよ。実際は一部が赤紫色になって、やがて全体が黒くなります。枝豆にしておいしいのは、緑の莢に斑点が出始めた時期なんですよ」
あたしはそう言って肩にかけた枝から莢をひとつ取って食べる。
普通の大豆より芳醇で、爽やかさと甘さを兼ね備えた深い味わい。
あたしの想像通りの味。
ここは夢の世界、なんでもあたしの想像通りになる。
あたしが枝豆の殻をポイッと地面に捨てたら、あたしの想像力で生まれたルンバ(オフロード仕様)がそれをスポッと吸い込む。
「すっごーい、こんなテレビのCMでもやっていないようなメカが新発売されてたなんて、あたしは知らなかったわ。珠子ちゃんってばお金持ちさんなのね」
家庭用自律型自動掃除機”ルンバ”の発売は2002年、アリスさんの最後の記憶より遥かに未来。
そうです、おばあさま。
信じられないかもしれませんが、このアリスさん(自称15歳)は昭和53年生まれで、この夢の世界をずっと彷徨っているみたいなんです。
あたしの計算だと実に25年もの間。
そしてあたしも、この夢の世界から脱出できないんです!
ああ、博識なおばあさま……ご存知でしたら答えて下さい。
この夢から覚める方法を。
□□□□
状況を整理しましょう!
あたしは心の中で誰に言うでもなく叫ぶ。
ここは夢の世界。
あたしの想像力で何でも生み出せる世界。
だけど、あたしだけの世界じゃない。
アリスさんのような放浪者も居れば、大悪龍王さんの所で聞いたように夢を見ている他の人間がやってくることもある。
橙依君がやっている複数のプレイヤーがサーバー上の仮想空間でプレイするMMOみたいなものかしら。
大悪龍王さん曰く、この夢の世界から脱出するには現実世界で目を覚ませばいいだけ。
普通は半日くらいで出て行くらしい。
でも、あたしはそうじゃなかった。
体感時間ではもう2日は経過している。
現実世界でのあたしの肉体がどうなっているかが心配だわ。
”あやかし”の仕業なのか事故なのかわからないけど、目が覚めない状態になっているみたい。
”あやかし”の術とかだといいんですけど、事故で昏睡なんてごめんだわ。
もうひとつわかったことがある。
ここは夢の世界。
だから何でも思うがまま。
だけど、あたしの想像力以上のものは生み出せない。
美味しいものはいくらでも出せるけど、新しい味に出会えない。
そんなのやだ!
あの新作スイーツも!
今年の新酒も!
未だ出会えぬ未知の料理にも出会えないなんて!
まっぴらごめんだわ!
「この黒大豆の枝豆って、味が濃くって、それなのに枝豆のスッキリ感は失われてなくって、初めて食べたけど、とっても美味しいわ」
だけどだけど、他人の想像力が生み出したものなら、その限りじゃない。
あたしが出した黒大豆の枝豆を食べたアリスさんの感想からそれがわかる。
あたしの舌には毎年10月頃に食べる旬の味。
想像通りの味。
だけど、アリスさんにとっては初めての味なのだ。
あたしの想像力が生み出した食べ物は、あたしの想像力の通りの味があって、それは他の人にも伝わるみたい。
「ああ、他の誰かがあたしに新しい味を教えてくれないかしら。この黒大豆の枝豆も美味しいけど……」
そう呟きながら、あたしは溜息を吐く。
「えっ、珠子ちゃんって新発売の食べ物が食べたいの?」
「ええ、新しい美味との出会いはあたしの生き甲斐ですから」
「よしっ、それじゃあ、あたしが出したげる」
「えっ!? できるんですか!?」
「まっかせて! ここでは何でも出せるって教えてもらったから、あたしにだって出来るわよ。ほいっ!」
アリスちゃんが念じると、彼女の前にポンッと箱が現れた。
「はいっ、開けてびっくり玉手箱ー!」
アリスちゃんの手がその箱を開くと、中にはココアパウダーのふりかけられたケーキがひとつ。
「うわー! ティラミスだぁー! これって1990年に大流行したナウなヤングにバカウケのスイーツですよねー!」
「そうそう、近くのパーラーでおばあちゃんが買ってきてくれたやつなのー。はい、どーぞ」
あたしは玉手箱を受け取り、ティラミスをわしづかみにしてムシャムシャ食べる。
おいしい。
これって、本場というか本場のレシピ通りに作ったマスカルポーネチーズとカスタードクリームの味。
そういえば、おばあさまが作ってくれたティラミスってこんな味だったわね。
最近はクリームチーズで作ったティラミスが多いから、少し懐かしい。
「うーん、おいしー。何度も食べたけど、やっぱりおいしいものはおいしいわ」
「でしょー! 次はもっとバッチグーよ! ナタデココー!」
「うっわー! ナタデココは1993年に大流行したスイーツですよね。当時はイカの刺身みたいだって言われてたけど、そんな悪評をものともせずにイケイケギャルたちに大人気になったんですよ。イカは猫は食べれませんけど、ナタデココなら大丈夫、なめんねこも大好きー!」
1990年代前半はバブル末期、あたしはアリスちゃんのバブル言葉に合わせてノリノリの死語で応える。
「やっだぁー、珠子ちゃんったら『なめ猫』なんてふっるーい。それってあたしが小学校低学年の時に流行ってたやつよ」
嗚呼……天国おばあさま。
人生経験の豊かなおばあさまだったらご存知でしょうから教えて下さい。
自分より10歳年上の方に『それってふっるーい』っと言われる気持ちを。
□□□□
町に入ると、そこは時代錯誤の町だった。
ううん、時代錯綜の町って表現の方が正しいかな。
だって、街並みや人のファッションがごちゃ混ぜなんですもの。
右を見れば、肩パットがバリバリ入ったワンレンボディコンのイケイケOL。
左を見れば、籐で編まれた買い物カゴを持つエプロン姿の若奥様。
エプロン装備で外出する人の実物は初めて見ました。
てっきり昭和ドラマの中だけの存在だと。
ま、ここはドラマの中じゃなくって、夢の中なんですけど。
この町はそんな人々でごった返していた。
「うわぁー、ここってスッゴクオッシャレな町ね。あ、珠子ちゃん、あっちには黒い肌のピンク色の隈取りをしている女の子がいるわ。海外のお相撲さんの真似かしら」
「あれはヤマンバギャルという絶滅した人種ですね。世紀末前後に生息したと伝えられています」
「そーなんだ。あっかぬけてる~」
年代がこちゃまぜなのは、きっとここが夢の世界だから。
きっと、この人たちは記憶や思い出のファッションをしているからだと思う。
「ねぇ、ちょっとお伺いしてもいいですか?」
「え? なーにー?」
あたしがGパンにGジャンという現代ではレアなファッションをしている女の子に声を掛けると、屈託のない返事が返ってきた。
「今って平成何年ですか?」
「えっと、29年だったかしら」
よかった、この人は夢の国を長年さまよっている人じゃないみたい。
「ここってどこですか?」
「やーねー、原宿の明治通りじゃないの」
「素敵なお洋服ですね。お若いころの服ですか?」
「あら? いやだわ、わたしったら年甲斐もなくこんな服なんて着ちゃって」
あたしの質問を受けると、少女のような顔だった女の子が、みるみると老けていく。
「いやねぇ、もう、わたしったらアラフィフって歳なのに。でも似合ってた?」
少し白髪交じりのふくよかな女性の姿になって、ちょっとおちゃめにそのオバサンは笑う。
「うん、原宿ホコ天の竹の子族みたい。小さいころのあたしのあこがれだったわ」
「そう? あたしはそこのホコ天で踊ってたのよ。完晩狂のキョウコっていえば、知らないヤングはいないくらい有名だったんだから」
「あー、知ってる。瑠美異から分裂して出来たグループですよね。雑誌で見ました」
「あら、何の雑誌? アンアンとか?」
「ポップティーンです! 10年くらい前に創刊された。あたし小学校高学年の頃から読んでいます」
「まあ、懐かしい。そんなのあったわねぇ。でも、小学生には刺激が強すぎない? このおしゃまさん」
なんでしょう……オバサンと会話が成り立ってるアリスさんが少し頼もしく見えます。
そんな会話を続けていると、オバサンの首がグルリと斜め上を向いた。
「あらやだ、ウチのダーリンが呼んでるわ。あの人ったら最近朝が早くって。昔は寝坊助さんだったのに。わかったー、いまおきるわよー。ごめんね、まだ昔話に花をさかせたいけど、そろそろ起きなくっちゃ」
オバサンはそう言うと、スゥーっと姿が薄くなり、消えた。
大悪龍王さんが言った通り、現実世界で目が覚めたのだろう。
周りを見ると、何人かは同じように姿が消えていく。
きっと朝が来たのだ。
「なんだか寂しくなってきわ」
「そうですね。ここは夢の世界ですから、夢を見ている人が減るとこうなってしまうんですね」
あれだけ多かった人たちは、まばらになって、町のネオンだけがピカピカグルグルと……
あれ? グルグル?
その光はグニャーと歪み、ビルの姿も空も昏い色で覆われていく。
「ねぇ、珠子ちゃん。なんだか怖いわ」
「ええ、あたしもです……少し不気味ですよね」
電柱に口が浮かび、ビルの窓ガラスが顔のような表情になって声をあげる。
アア……ウラメシイ……、ドウシテ、アイツバッカリシュッセシテ……
アノトキ、リーマンショックサエナケレバ……、カイシャモトウサンセズニ……
ドウシテ、ドウシテ、ドクシンダッテウソヲ……
アノトキ、アノイッキュウサエ、アレハゼッタイニボールダッタ……
形を歪ませながら、恨み節を言い続ける町の様子は、おとぎ話で読んだ不気味の森のよう。
そしてさらに、その町を歩く人影が見える。
「ねえ、珠子ちゃん。あの人って足が……」
アリスさんの指さす先を見ると、その人には足が無かった。
まるで、ではなく、モロに幽霊のように。
ツタエタイ、トドカナイ……
イワナクッチャ、サイゴニ……
アノコト、ダケデモ……
その幽霊は何かを訴えかけるような口調で、そう言い続けている。
「ねぇ、珠子ちゃん。あたし、ここ嫌だわ」
「あ、あたしもです。ちょっと戻りましょう」
不気味な町とその住人に少し怯えたあたしたちは、夜とは様子が打って変わった町を出て、来た道を戻った。
「ハァハァ、ちょっと不気味でしたね」
「一体なんだったのかしら。あの町と幽霊っぽい人たちって」
ここは夢の世界。
だけど、あの町は悪夢みたいだった。
「ちょっと大悪龍王さんに聞いてみますね」
あたしは想像力を働かせて、スマホを取り出す。
誰とでも会話できる魔法のスマホだ。
連絡先リストの中には”大悪龍王”の名がしっかり。
きっと、大悪龍王さんの所にもスマホが出現しているはず。
はい、ピポパのぴっ。
「あっ、それってモノリスでしょ! 珠子ちゃんもモノリスさんと会話出来るんだ」
え? モノリス?
その言葉にあたしが反応する前に、スマホの先から声が聞こえてくる。
「やっほー、大悪龍王さん。聞こえますか。あたしです、珠子です」
『貴様か。何用か? またこの夢の世界にやってきたといふのか』
「それがですねー、出れないんですよ、この夢の世界から」
『そふであるか。現実での貴様に何かあつたのかも知れぬな。乃公にはどうしようもないが』
「そうですよね。大悪龍王さんは夢の中のキャラクターですもんね。他の人は朝になると出れるんですよ。しかも、何だか町が不気味になっちゃうし。大悪龍王さん、何か知ってません?」
『なんだ、貴様知らんのか?』
「何をです」
『この世界が何で出来ておるのかを』
「夢で創られた世界じゃないんですか?」
『そふだ。だが、それだけではない。この世界を構成するのは主に三つの要素で出来ている。第一は記憶や経験から生まれる眠っている時に見る夢と、その夢を見ている者たち。第二は……』
そこで大悪龍王さんは言葉を濁らせる。
「第二は……、何ですか? それがあたしたちが見た不気味な町と関係あるんですか?」
『察しがいいな。そふだ、あの町の昼は第二のモノで出来ている。それは人が望み描く夢。大望というやつだ』
「それが何であんな風になるんです? 出世したーいとか、大人になったら素敵な結婚をしたーいとか、お金持ちになりたーいとか、希望に満ちて良い夢じゃないですか。あんなに不気味なモノじゃないと思いますけど」
あたしにだって夢はある。
お金をいっぱい稼いで、億万長者になって、おばあさまの夢だったあの店を……。
「あ!」
おばあさまの夢を思い描いた時、あたしは気付いた。
どうして、ここには不気味な夢しか残っていない理由を。
『察したようだな。未来への大望の夢は、それを叶えてしまったら現実となる。夢ではなく、辿り着ける未来へと変わるのだ。夢ではなくなったものは、夢の世界には残れない。残るのは……』
「はい、何となくわかりました。例えば、”野球選手になりたい”という少年の夢は、その少年が成長して野球選手になったらもはや夢ではなくなってしまうのですね。だとしたら、この世界に残っているあれは……”叶わなかった夢”ですね」
『そふだ、人はそれを”妄執”とも呼ぶ』




