大悪龍王と髪菜蠔豉(後編)
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「約束だからな。貴様を解放しよう。もつとも、もはや意味などないがな」
片方の口角を吊り上げた悪役嗤いで大悪龍王さんは言う。
「ですよねー。“夢の世界”って気付いちゃったら閉じ込めるなんて不可能ですよね。はいっ! 出でよ! どこかのドアー!」
パーパー、パーパ、パパレパー
あたしがドアをイメージすると、頭の中の想像通りのファンファーレが鳴り響き、目の前の壁にドアが埋め込まれた。
ドアは自動でガチャリと開き、そこからは外の風景が見える。
ここは夢の世界、想像すればこんなことだって出来ちゃう。
「クックックッ、見事だ。この世界を完全に把握しているな」
「ええ、わかってしまえば簡単ですね。あの戸棚と冷蔵箱だって魔法の品なんかじゃなかったんですね」
戸棚と冷蔵箱は、あたしがそう言われたから魔法の品だって思っていただけで、ここが夢の世界だって気付いちゃえば、どこからでも何でも手に入れることが出来る。
想像力を働かせれば、ほら。
あたしの手にはキンキンに冷えたビールとジュージューと焼きたての香りを放つ焼き鳥が現れる。
「ついでに隣の座敷牢の女の子も一緒に解放してもらえません? 彼女と約束したんです」
「かまわぬぞ」
あたしの申し出に大悪龍王さんが快諾する。
なんだ、名前と現実世界の噂から怖い相手だと思っていたけど、実は話のわかる良い”あやかし”じゃないの。
「大魔王様、よろしいのですか?」
「かまはぬ。それとも何か? 木魅、お前にはふたりを閉ぢ込めておきたい理由でもあるのか? どうせ半日程度で消える人間たちぞ」
「いいえ、めっそうもございません。全て大魔王様のご意志の通りに……」
木魅と呼ばれた従者はそう言って頭を深々と下げる。
「大悪龍王さん。ついでのついでにこの夢の世界から脱出する方法を教えてくれません?」
あたしは自分の頬をむにーとつまむ。
痛い。
想像通りの痛さ。
うーん、これはこの夢の世界では何もかも想像通りになっちゃうってことよね。
夢の世界で何をしても目覚められないってことかしら。
「この女、ぬけぬけとまあ!」
木魅さんが少し怒った風に言うけど、気にしない。
だってここは夢の世界なんだもん。
「教えるのはかまわぬが、既に方法はわかっているのではないか?」
「えっと、現実世界で目が覚めれば出られたりします?」
「さうだ。この世界に來た者は人であらうが”あやかし”であらうが自力で脱出は出來ぬ。だが、現実で起きれば自然と現実に戻る」
そっか、そう考えれば一安心ね。
現実で携帯のアラームが鳴ったり、誰かに起こされればいいんですもの。
目覚めたら、そこは駅舎の仮眠室だった。
なーんてことになってるかも。
……あんまり安心じゃない。
「ねえ、大悪龍王さん。貴方ってこの世界の支配を目論んでいるんですよね」
「無論。乃公の目的は真珠国王を倒すことだ。そういえば最近のあやつはやけに好戦的だな」
『アリス物語』の通り、大悪龍王さんの敵はアリスを助けた真珠国王。
大丈夫かな、原作では6行くらいで負けてたけど。
「現実世界の妖怪王になろうって気はないんですか? 結構噂になっていますよ、あっちでは」
「哈哈哈、あつちではかようなことになつてゐるのか。乃公はこの世界の惡役に過ぎぬ。迷ひ込んで來た者たちに恐怖を與へる存在でしかないのだ。おそらく、この世界で乃公が倒した者たちが、夢と現を混同して傳わつたのであらう」
「そうなんですか?」
「さうだ。この世界では、ここが夢だと氣附いた者は無敵だが、氣附かぬものは周りに流されるしかない。乃公と遭遇したならば、何とも恐ろしい惡夢を見るだろうよ」
悪夢かぁ。
悪夢を見たくらいで現実世界で謎の妖怪王候補みたいな噂になるとは思えないけど……。
あれ? ひょっとしたら……。
「ねぇ、大悪龍王さん。ここって人も”あやかし”も迷い込みますか?」
「無論、人間も”あやかし”も訪れるぞ」
「その滞在期間は?」
「この世界には旅券も査証も不要。目覚めぬ限りいつまでも滞在可能である。人間は稀に長期滞在するものも居るが大半は半日程度ですぐに出て行く。しかし”あやかし”は長期滞在が多いぞ。数日から数週間くらいだな」
”あやかし”は人間と違って毎日起きる必要はない。
いつまでも寝床でグーグーグーしててもいいのだ。
「それ!」
「其れとは?」
「その長期滞在した”あやかし”が噂の源ですよ。見た悪夢を夢の世界じゃなく、異世界からの侵略とか知らない所からの侵攻って思われてるのかもしれません」
「そふであるか。だが乃公には関係ない。乃公は現実への侵攻など考へてないからな」
「そうですか。それは良かったです。というか、大悪龍王さんって、実は良い”あやかし”なんじゃありません?」
大悪龍王さんの態度は悪役のそれだけど、あくまでも悪役のそれ。
本当の悪なら、相手の言葉に耳など貸さずに自分の欲望を押し付けるはず。
だけどそうじゃない。
話に乗ってくれるし、話せばわかる。
そんな”あやかし”をあたしは悪だとは思えなかった。
「クックックッ、乃公は眞珠國の領分を荒らした大魔王、惡龍大王だぞ。よくも乃公の正体を見破り、美味なる御馳走を食わせてくれたなあ。お禮に殺すことだけは許してやらう。さあ、どこへなりとも行くがいい」
そう言って、悪そうな笑みを浮かべた大悪龍王さんはあたしをドアへと促す。
そこが貴様の還る場所だと言わんばかりに。
やっぱり良い”あやかし”ね。
「ありがとう。じゃ、あたしはおとなりさんを連れてこの世界の見物して帰ります。またね」
「ああ、またこの世界で逢はうぞ」
そう言う大悪龍王さんは、ほんの少し優しそうな顔を見せた。
まるで、初めての理解者に出逢えたかのように。
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「おっまたせー! 助けにきましたよ、おとなりさん」
あたしは出たときとは打って変わった明るい笑顔で座敷牢に戻る。
「まあ! 新人さん! いったいどうしたの? そんなにウキウキした顔で」
「ま、夢見が良かったというか、夢見ている最中だからかしら」
そんなあたしの台詞におとなりさんは格子の向こうから首をかしげる。
「それは追い追い説明するわ。んじゃ、その格子を破るからここから出かけて観光にでも行きましょ」
「まあ、新人さんったら、ここがホテルみたいな事を言うのね」
そうね、あたしは今ホテルでぐっすり眠っているのかもしれないわね。
目が覚めるまで、あと数時間くらいかしら。
「はい、ちょっと下がって下さい」
おとなりさんが格子から下がったのを確認すると、あたしは右手に想像力を込める。
「たまこダイナミック! 斬!」
橙依君が見ているスパイスメーカーみたいな名前のヒーローの真似をして手刀を振るうと、ぶっとい角材で出来た格子がスパスパっと斬って落とされる。
「うわー、すごーい。宇宙刑事みたーい」
パチパチと拍手が聞こえ、いままで格子越しでハッキリ見えなかったおとなりさんの姿がよく見えた。
あら、美人さん。
細身の体に雪のように白い肌、流れるような漆黒の黒髪は腰まで伸びて、深窓の令嬢って感じ。
どちらかというと健康的な体型のあたしとは大分違うわ。
この子もあたしと同じで夢の世界に迷い込んだのかしら。
「初めまして、おとなりさん。あたしは珠子。この真珠国の名が形となったみたいな珠子です」
「すごいわ新人さん、ううん、珠子さん。あたしはアリス、有栖院アリスよ。ケセラセラみたいな響きの面白い名でしょ」
「うふふ、主人公みたいな素敵な名前ですね。アリスちゃんって呼んでもいい?」
あたしの申し出にアリスちゃんは少し口を尖らせる。
「うーんと、アリスさんって呼ばれた方が好きかな。だって、あたしはもうすぐ高校生になるんだから」
「あっ、ごめんなさい。アリスさんがあんまり可愛らしかったから、ごめんね」
そっか、発育的には小学生かなとも思ったけど、来年には高校生になるくらいの子なのか。
うーん、あたしの半分くらいの年齢かー。
「いいの。でも、あたしは珠子さんのことを珠子ちゃんって呼んでもいいかしら?」
「いいけど、どうして?」
「うーんと、なぜだかそう呼ぶのがしっくりくるの。なぜかしらね、ふしぎだわ」
そう言ってアリスさんは口に手を当ててフフと笑う。
可愛い。
守ってあげたくなるような可愛さ。
「よしっ、それじゃあたしと一緒に物分かりのいい大魔王の魔の手から脱出しましょ!」
「ええ!」
あたしはアリスちゃんの手を握り、広間を駆け抜け、大悪龍王さんに手を振って、あたしの想像力で作った扉の先へと進む。
「うわー、すっごーい。きれいなそらー」
「こりゃまたアメリカンなケーキの空ですね」
扉を抜けてあたしたち見た風景は、見渡す限りの草原、その先に見えるのは、地方都市、お花畑、歓楽街、鬱蒼とした森、妖怪大バトル、そして虹色のサイケデリックな空。
まさに夢の世界。
「じゃ、行きましょ。これからちょっとの間の不思議な旅へ」
「ええ、珠子さん
そしてあたしたちは旅に出た。
夜明けまでのほんの数時間の予定の旅へ。
…
……
………
あれ?
あたしは草原を走り回ったり、お花畑で花冠を作ったり、あたしの想像力で創った有名パティシエのケーキ三昧を楽しんだり……。
体感時間で丸一日は遊びまくったつもりだけど、遊べども食べども、この夢の世界に終わりが来ることはなかった。
え? どうして?
いくらなんでも現実のあたしって眠り過ぎじゃない!?
もしかして、現実のあたしは何か事故とか病気とかで昏睡状態なのかも!?
それは嫌!
だって、この世界は何でも思い通りになるけど、そんな世界は面白くないんだから。
あたしは手のビールの缶をプシュっと開け、それを飲む。
シュワとした炭酸とビールに苦みが心地よく喉に流れていく。
でも、それは想像通りの味。
あたしは、まだ飲んだことのない銘柄のドイツビールを想像して、その瓶を手に出現させる。
ついでに栓抜きも。
シュポッっと王冠が飛び、瓶からラッパ飲みでそれを飲むけど、それはあたしの記憶にあるドイツビールと同じ味。
本来ならあるはずの、新しい発見が無い味。
夢は記憶や体験の中から生まれる世界。
だから、ここでは未知の発見とかが無いのだ。
「あーん、おいしいけどおいしくないー」
何でも思い通りになっちゃう世界でも、こんな世界にずっと居たら心が無味乾燥になっちゃうわ。
「どうしたの珠子ちゃん?」
アリスさんがあたしの顔を覗き込むようにを横にかしげる。
そういえば、この子も現実世界に戻る気配がない。
あたしが来る前からこの世界に居るみたいだし、どれくらい滞在しているのかな。
「ねえ、アリスさん」
「なぁに、珠子ちゃん」
「アリスさんって、この不思議な世界にどれくらい居るのかしら?」
アリスさんはあたしの問いかけに少し考え込む。
「うーんと、いっぱいかしら」
うんといっぱい!?
「あ、アリスさん。アリスさんって15歳ですよね」
「ええ、そうよ」
「何年生まれでしょうか?」
「昭和53年生まれよ。珠子ちゃんったら変なことを聞くのね」
ええと、昭和53年は1978年だから……、15歳の時は1993年で……。
あたしの頭の中で元号と西暦の計算が回る。
…
……
天国のおばあさま……今日、あたしに新しい友達ができました。
夢の世界で25年も不思議な旅をしている、あたしより年下の昭和生まれの女の子。
アリスさんですっ!
さん付けせざるを得ませんっ!
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◇◇◇◇
女中がおらぬと、こうも静かなものか……
我は閉店中の『酒処 七王子』の店内にひとり佇む。
女中は有休で旅行に出かけ、藍蘭は長期旅行。
女中が来る前は、こんな時は蒼明が電子レンジで料理を出していたものだが、蒼明も留守。
おそらく、大悪龍王対策に奔走しているのだろう。
大悪龍王の支配地域は畿内にまで達しているという話だからな。
無論、我も妖怪王を目指す者として動かぬはずがない。
だが、情報が足りぬ。
我が配下の誰かを斥候に向かわせるには、あまりにも危険。
我自身が向かうのも早計というもの。
だが、そろそろ危険を承知で向かわねばならぬ時期かもしれぬな。
そんなことを思案しながら、我は我の愛用の酒、King of Kingsを飲む。
木の香りと熱い酒の刺激が鼻と喉を抜け、その余韻を楽しんでいた時、何者かが来た。
ドンドン
ドンドンドン
扉を叩く勢いが、これは有事だと我に告げる。
我は扉を開け、音の主を確かめる。
居たのは赤い羽織を着た狸。
「赤殿中ではないか。そんなに震えて何があった?」
赤殿中は蒼明の近臣。
蒼明は単独行動を好むが、誰も寄せ付けぬ訳ではない。
この赤殿中は蒼明とその支持者を結ぶ連絡・広報役を務めておる。
「こ、こ、こ、こ、黄貴様、黄貴様、助けてでんちゅ。蒼明様が大変でちゅ」
風はまだ肌寒い程度であるのに、この毛皮の主は今が極寒の地であるかのようにブルブルと震える。
「『落ち着け』、蒼明に何があった?」
「そ、そ、そ、蒼明様が負けたでんちゅ、ままま、負けたでんちゅ」
蒼明が何者かに遅れを取った!?
いや、それ以前に我の王権の権能が効いてない!?
「そ、そ、そそ、蒼明様はでんちゅを何とか逃がして、ひとりで残って……」
「うむ、よくぞ伝えてくれた。蒼明の忠臣よ。それで『どこで』『だれに』やられた」
我は赤殿中の身体を優しく撫で、渾身の権能を込めて問う。
「だ、だ、大悪龍王の手がかりをつかんだ、で、で、でんちゅは蒼明様と四国に行って、そ、そこで遭遇したでんちゅ! だ、大悪龍王に!」
四国は化け狸の多く棲む地域。
故に、蒼明はきっと、地の利に明るい赤殿中を同伴させたのであろう。
「分かった。蒼明は我が救出に向かう。大悪龍王の特徴を教えよ」
我がそう問いかけた瞬間、赤殿中の目が焦点を失い、見えぬものに怯えるように全身を大きく震わせ始めた。
「ああ、ああ、ああ、あんなのに絶対かてないでちゅ、あんなのにあんなのに……」
そして、震えながらも最期の胆力を振り絞って赤殿中は口を開いた。
「あ、あいつは、山のように大きく、赤く光る眼と、八ツの首があったでんちゅ! ああ! とてもこわい!!」




