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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第九章 夢想する物語とハッピーエンド
233/409

大悪龍王と髪菜蠔豉(中編)

 そう言って冷蔵箱の扉を開けると、中には砕けたナッツでコーティングされた山型のケーキがひとつ。

 有名なパティシエが経営する一流のスイーツのお店の看板商品だ。


 「えっ!? まさか、そんな!?」


 パクッとあたしがケーキを食べると、サクサクっとしたヘーゼルナッツとアーモンドのキャラメリゼの食感。

 その中から、コーヒークリームの(かぐわ)しい香り。

 それは、まさに年に数回の自分へのご褒美ケーキの味だった。


 「モンサンクレーヌ、もっとくれーぬ!」


 あたしの欲望の声に応えるように、ポポポポと冷蔵箱の中にケーキが出現する。


 「すごい! 本当に魔法の箱みたい!」

 「クックックッみたい、ではなく正眞正銘(しょうしんしょうめい)魔法の箱だ。さあ、乃公(おれ)を喜ばせる御馳走とやらを作つてみよ。乃公(おれ)の舌に合へば貴様を解放しよう。だが、合はなければ……わかっているだろうな」


 大悪龍王はそう言ってクックックッと(わら)う。

 うーん、きっと碌な事にならないわね。

 ちょっと離れた台所からの脱出を考えてたけど、隣の部屋じゃそれも難しそう。

 よしっ、作戦変更!

 女スパイ大脱出大作戦よりこっちの方があたし向きよね。


 「わかったわ。とっておきのご馳走を作りますので、少々お待ち下さいね」


 そしてあたしは調理場に立ち考える。

 今までの経験上、”あやかし”を喜ばせるにはその伝承や由来に基づく料理を作るのが一番。

 河童にキュウリだとか、狐に油揚げとか。

 だけど、”大悪龍王”という名はわかっているけど、彼の正体って何かしら。

 お店の噂では謎の龍種って話だけで、誰も正体を突き止めた方はいなかったのよね。


 サクッザクッ、ムシャムシャ


 あたしはモンサンクレーヌを食べながら考える。

 うーん、”大悪龍王”の正体について何か記憶の片隅にひっかかってる物があるんだけど、思い出せない。

 ちょっと甘いものを追加して考えましょ。

 この戸棚と冷蔵箱は何でも出てくるって話だけど、あれも出してくれるかしら。


 「FLAVEORの春限定”さくらエンジェルシフォンケーキ”!」


 あたしが叫ぶと戸棚の中にピンクの断面が見えるようにカットされたシフォンケーキが現れた。

 イヤッホー! これって本当に魔法の箱ね。

 春にしか売ってない季節限定のケーキも出してくれるなんて夢みたい!

 あれ? なんだか心にピンと来たような……。

 ひょっとして……。

 あたしは心の中で生まれた仮説を確かめるべく、戸棚に向かってあの食材(・・・・)を念じる。

 そして、その食材が現れた時、あたしは確信を得た。

 大悪龍王の正体と、ここがどこなのかを。


□□□□


 水で戻した干し牡蠣(ガキ)とその戻し汁に中華鶏ガラスープ加え、醤油と紹興酒を少々。

 そして、スープごと蒸し器へ。

 その間にこの秘密の藍藻(らんそう)を水で戻し、鶏油(チーユ)であえて、これも蒸す。

 蒸し上がった秘密の藍藻はトロミのある黒いモジャモジャになっているので、これを小さめの牡蠣の殻に敷き、蒸し上がった牡蠣(かき)をその上にひとつ置く。

 次は”あん”の準備。

 この干し牡蠣の戻し汁を蒸して作ったスープには日光を浴びて旨みの増した牡蠣のエキスがたっぷり。

 オイスターソースは、牡蠣を煮てそれをペーストにしたもので、濃縮した液状の牡蠣ともいえる存在。

 このふたつを合体させて、片栗粉でトロミをつけて作った”あん”はまさに牡蠣の旨みの化身。

 ああ、なんて禁断の味なのかしら。

 この”あん”だけをご飯にかけて食べたくなっちゃうくらい。

 でも、この料理は、その牡蠣の旨みの化身の”あん”を、殻の中の黒い藍藻の絨毯(じゅうたん)に置かれた牡蠣の身にかけて完成なの。

 ああ、まさにそこはカッキンダム宮殿!

 我ながらいい出来だわ。

 冷めないように殻の器に、これまた殻で蓋をして、伊勢和紙でくるめば今度こそ完成ー!


 「大悪龍王さん、できましたよー! ご一緒しましょ」

 「クックックッ、しばし待て」


 あたしは膳と料理を持って再び広間に戻り、どこか向かって声をかけると、黒い闇の中から大悪龍王さんが現れた。

 山高帽とマントを取ったその姿は、まさに文豪って感じ。


 「さあどうぞ、これが珠子のカッキンダム宮殿第一の御馳走ですよ」

 「クックックッ、カッキンダム宮殿とは面白いことをいふ。だが、この乃公(おれ)を満足させる料理など作れるはずがな……」


 余裕の(わら)いを浮かべていた大悪龍王さんの言葉が止まる。

 その視線の先は、蝶足膳(ちょうあしぜん)の上に置かれた紙の包み。

 それは純白ではなく、所々に縮れた黒い線が入っている和紙。

 

 「これは、この紙はよもや……」

 「うふふ、やはりお気づきですよね。その紙は伝統の海藻入り伊勢和紙ですよ。和紙の原料である(こうぞ)の他にボウアオノリとかアオサが入っているので、そんな模様があるんです。海草(かいそう)(こし)らへた紙絹(かみぎぬ)ってとこですね」


 高級料亭のお品書きにはこんな模様が入った和紙が使われることがあるの。

 この海藻入り伊勢和紙は伊勢神宮の御用紙にも使われていた歴史のある伝統の逸品(いっぴん)なのです。

 

 「海草(かいそう)(こし)らへた紙絹(かみぎぬ)とな!?」

 

 今までの余裕のある(わら)いが消え、大悪龍王さんの顔が驚きに変わる。

 ううん、吃驚(びっくり)に変わるって表現の方がいいかしら。


 「では、それをお開け下さい。中には貴方(あなた)の想像通りで、想像出来なかったものが入っていますよ」

 

 あたしが言葉を終えるより早く、大悪龍王さんはバババッと紙の包みを解く。

 中には小ぶりの牡蠣の殻。


 「小さな(かひ)……」

 「はい、(かひ)を開けて見ると、親指ほどな食物(たべもの)が入っているだけです」


 殻を開けるとそこには牡蠣の旨みの化身の”あん”で彩られたプリッとした身。

 干し牡蠣から戻された牡蠣の身が、黒くて細い藍藻の絨毯の上に鎮座していた。


 「こ、これは……」

 「そのまま生ガキを食べる要領でお召し上がり下さい。牡蠣の殻に口をつけて、ツルッっと流し込む要領で。これが見本ですよ」

 「あっ、おい、この大魔王である乃公(おれ)より先に口をつけるとは」


 そんな大悪龍王さんの声も聞かず、あたしは自分の分の牡蠣の殻を口に当て、あおるように上を仰ぎみながら流し込む。


 トロッ、シャキッ、プリッ


 口の中には濃厚な牡蠣の”あん”とトロトロシャキッとした藍藻の食感、そして牡蠣の身は生ガキとは違った弾力で歯と舌を喜ばせる。

 身が弾けると、そこからは海の香りが広がって、咀嚼(そしゃく)のたびに”あん”と藍藻と混じり合い、滑らかな食感が口から喉にながれていく。


 「うーん、おいしー!」


 横目にはあたしと同じように牡蠣の殻をあおってその身を口に流し込む大悪龍王さんの姿。

 そして、その目が輝きに満ちる。


 「うまひ! これはなんという味わいなのだろう! これこそが宮中殿(みやじう)第一の御馳走の味であったか!」

 「真珠国の宮殿(みや)ではなく、カッキンダム宮殿ですけどね。牡蠣の旨みがダムに蓄えられた水のように溢れんばかりに口に注がれる、そんな感じでしょうか。あ、お代わりもいっぱいありますから。ひとつといわずに存分にどうぞ」


 あたしは身体で隠していた膳を前に出す。

 そこには、和紙で包まれた牡蠣の殻がうず高く積まれていた。


 「おお! これほどとは!」


 そう言って大悪龍王さんは和紙の包みに手を延ばし、和紙をほどいて、親指ひとつで器用に殻を開けると、そのカッキンダムからあふれる”あん”を一滴もこぼすものかと吸い込む。


 「ああ、なんといふ御馳走! 真珠国の彼奴(きゃつ)らは乃公(おれ)が閉じ込められている間に、こんなにも贅沢(ぜひたく)の限りを尽くしていたのか!」


 彼の手はもはや止まらず、やがてカッキンダム宮殿は中身を全て失った(から)っぽの器と化した。


 「クックックッ、貴様、やるではなひか。これは何といふ料理だ?」

 「これは中国伝統の広東料理、髪菜蠔豉(ファーツァイホウシー)です。中のモズクみたいな藻は髪菜(ファーツァイ)という植物です。蠔豉(ホウシー)は中国語で干し牡蠣を意味します。日本的に説明すれば”戻し干し牡蠣の髪菜あえ”でしょうか。これは商売繁盛を意味する發財好市(ファッチョイホウシー)と音が似ているので、縁起物の料理としても有名なんですよ」


 あたしは最後の髪菜蠔豉(ファーツァイホウシー)を味わいながら説明する。


 「髪菜はプルンとした寒天で覆われたモズクのような藻で、内モンゴルのような乾燥地帯に生育します。ですが縁起物として需要が高いので、とっても希少なんですよ。干し牡蠣は作るのも戻すのも時間がかかります。三日といわず、もっと日数が掛かっていると思いますよ。あの物語(・・・・)に書かれた以上に」


 あの物語(・・・・)

 あたしが強調して言ったその言葉に大悪龍王がピクンと反応する。


 「クックックッ、そふであつたか。これは『海藻で作られた紙絹に包まれ、中の貝を開けると親指ほどの大きさの食べ物。作るのに三日も手間が掛かり、其上(そのうえ)材料(たね)も少なく大量に集め難い、宮殿(みや)中第一の御馳走』という記述の通りの料理なのだな。さすれば、貴様は乃公(おれ)の本当の正体がわかつたと」

 「ええ、これなら乙ではなく、甲の答えだと思いますよ。大悪龍王(・・・・)さん」

 

 あたしは彼の目をじつと見つめ、続けて口を開く。

 

 「大悪龍王さん、あなたの正体は明治末に永代静雄(ながよしずお)によって日本で初めて翻訳された『不思議の国のアリス』、『アリス物語』に登場する永代オリジナル部分の敵役(キャラクター)。”大悪龍王”ですね」


 大悪龍王の正体について”あやかし”の間で色々な噂があったけど、実は単純だったの。

 彼は最初から本当の名を名乗っていただけ。

 明治から大正にかけての文豪、永代静雄(ながよしずお)によって創作された、”大悪龍王”というキャラクターの名を。

 

 「さうだ。甲をやらう」


 大悪龍王さんは今までギロリと見つめるようだった目を緩め、少し嬉しそうにそう言った。


□□□□


 「見事であつたぞ。今まで數多(かずおお)くの”あやかし”や人間を捕らへもしたが、乃公(おれ)正體(せうたい)を見事に()てたのは貴樣が初めてだ」

 「大悪龍王さんはマイナーですからねー。『不思議の国のアリス』の後発の訳本は原版に忠実に訳されているので、永代静雄版のオリジナル要素なんて消えちゃいましたから。あたしも天国のおばあさまと一緒に大正時代に発行された『アリス物語』を読んでいなきゃわかりませんでしたよ」


 『不思議の国のアリス』は少女の心をつかむ素敵な物語。

 小さいかったおばあさまも例外ではなかった。

 でも、おばあさまが普通の女の子と違ったのは、『不思議の国のアリス』にはまったら、原版から各種訳本まで集めちゃった所。

 日本初の訳本『アリス物語』をコレクションしないはずがない。

 そして、その『アリス物語』には原版にはない永代静雄のオリジナルの章が存在する。

 真珠国を舞台にし、大悪龍王を敵とするアリスの冒険譚が。


 「ほう、よき祖母を持つたのだな。呵呵呵(カカカ)、愉快愉快」


 そう打笑いながら、大悪龍王さんはバンバンと尻尾を床に打ち付ける。


 「そう、それとアレ(・・)に気付いたのが大きかったわ。アレ(・・)であたしは確証を得たんです」

 「アレ(・・)とは何だ?」

 「その髪菜(ファーツァイ)よ」


 あたしはチョコンと牡蠣をのせている黒いモジャモジャを指さして言う。


 「ご存知の通り、永代静雄オリジナルの部分、真珠国編には『真珠国一の御馳走』という料理が書かれています。この髪菜蠔豉(ファーツァイホウシー)は、あたしとおばあさまが『それは何かしら?』って考えて作ってみた料理なんですよ」

 

 『アリス物語』の中で大悪龍王のエピソードはこんな話。

 アリスは真珠国という国にたどり着き、そこでかつて真珠国の王に叛逆した大悪龍王の封印を解いてしまう。

 だけど、大悪龍王は真珠国の老王にあっさり返り討ち。

 めでたしめでたしで、正月のお祝いといっしょに祝勝会。

 そこで振舞われた御馳走にはこんな記述があるの。

 

 『海藻で作られた紙絹に包まれ、中の貝を開けると親指ほどの大きさの食べ物。作るのに三日も手間が掛かり、其上(そのうえ)材料(たね)も少なく、大量に集め難い、宮殿中第一の御馳走』


 あたしはおばあさまと、この料理について、あれでもない、これでもないって考えた。

 『アリス物語』は明治末に書かれたものだから、その時代で永代静雄が知っているような料理……。

 西洋料理はまだ一部しか知られていなかったけど、中華料理は明治28年の日清戦争後の交易で日本にもたらされていた。

 食材や調理法も日本に馴染みのある料理なら、永代静雄も食べた経験があったに違いない。

 そう考えて、たどり着いたのが”髪菜蠔豉(ファーツァイホウシー)”。


 「貴様があの記述を基にこの料理を作ったのはわかる。だが、これに意味があるといふのか? この料理の中では脇役ではないか。どうしてこれが乃公(おれ)の真の正体への確信につながるといふのだ?」


 大悪龍王さんが髪菜を指して言う。


 「そうですね。この髪菜はシャキっとした歯ごたえはあるけど味が殆どない脇役です。でも、この髪菜がここにあるのはおかしいんです」

 「どこがおかしいといふのだ? あの戸棚と冷蔵箱は何でも望みの食材を()び寄せる魔法の箱ぞ」

 「この髪菜(ファーツァイ)は主に中国の内モンゴル地域の乾燥地帯で採れる植物です。でも、發財(ファッチョイ)と響きが似ていて縁起がいいという理由で乱獲されたんです。髪菜を採るのに熊手で表土を削りながら採るので、砂漠化が進み他の植生にダメージを与え、環境破壊が進んでしまったのですよ。ですかから、今の中国では採集と販売が禁止されています。ないはずのもの(・・・・・・・)()ぶ。いかなる魔法の箱であっても、それはありえません」


 そう言ってあたしは髪菜と書かれているビニールのパッケージを取り出す。

 

 「髪菜の採取と販売が禁止されたのは2000年です。あたしが魔法の箱に念じて呼びだしたのは髪菜の乾物でした。この魔法の箱が本物なら密採取された見たことの無い商品が出るはずです。ですが、出てきたこれは、2000年以前にあたしがおばあさまと髪菜蠔豉(ファーツァイホウシー)を作った時の物と同じ商品の袋です。いかに乾物といえども20年も前の物なら味や食感は劣化するはず。だけど出来た料理はあたしの記憶の通りでした。だからあたしは確信したんです。”ここは現実ではない”と」


 ちなみに、今でも髪菜蠔豉(ファーツァイホウシー)は代用品を使って作られている。

 海髪菜(ハァイファーツァイ)というオキナワモズクが代用品として使われているの。

 オキナワモズクは養殖もされていて環境にも優しいし味もいい。


 「現実ではないとすれば、どこだといふのだ」

 「現実ではなく、現実にはないはずの物を()べるとしたら、そんな世界はひとつしかありません。ここは”夢の世界”です。そして夢の世界から『不思議の国のアリス』、ひいては『アリス物語』を連想するのは簡単でしたよ。有名ですからねアリスの夢オチは」

 

 あたしの言葉に大悪龍王は「クックックッ、正解だ。甲をやろふ」と答えた。

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