大悪龍王と髪菜蠔豉(前編)
目が覚めると、そこは座敷牢だった。
…
……
………
は? へ?
ここは独鈷? 今は汝? あたしは珠子!
いけない、ちょっと混乱しているみたい。
冷静になって深呼吸をして、スーハ―スーハ―。
よしっ、ちょっと落ち着いた。
この部屋をもう一度確認しましょ。
フカフカの蒲団に畳敷き、奥の間には洗面所と……よかった、トイレもあった。
ここはいったいどこなんだろう。
あたしの予約した旅館は、こんな和風アルカトラズ刑務所みたいなコンセプトホテルじゃなかったはずなんですけど。
そう思いながらあたしは壁の一面に陣取った木の格子を眺める。
やっぱ座敷牢よねぇ。
「最近疲れが溜まっているのかしら。攫われても起きないだなんて」
あたしは誰に聞かせるでもなく呟き、ぐいーと伸びをする。
いつものように肩がバッキバキと音を立てた。
「ねー、誰かいませんかー!?」
格子に顔を押し付けながら、あたしが叫ぶと、
「よかったー、だれかいたー!」
あたしの隣の座敷牢から女の子の声が聞こえた。
「こっちこそよかったですー! ひとりじゃ不安だったんですよ」
格子の隙間から手を伸ばすと、隣からも伸びた手の先が見える。
声の主はちょっと小ぶりの女の子みたい。
「ねえ、おとなりさん。ここがどこか知りませんか?」
「新人さん。あたしもよくわからないんですけど、ここに来る途中で“ここより真珠国”って看板を見たわ。困ったわ、あたしはいかなきゃいけない所があるのに」
真珠国?
それってどこかしら、少なくともあたしの知っている国名にそんなのはない。
三重県や愛媛県は真珠の養殖をやっているから、そこのレジャーランドかしら。
いちご狩りみたいに”海に潜ってアコヤ貝と真珠をゲットしよう!”
そんなレジャーランドってあったかな?
それとも、珍しい牡蠣真珠を売っている地域かしら。
瀬戸内海での養殖といえば牡蠣だけど、その牡蠣にも真珠はある。
天然だと1万個に1個くらいの確率だけど。
牡蠣の養殖は何十万、何百万という単位で行われるから、そこから採れる天然真珠を扱う店があって、ここはそのお店のエンタメルーム……なわけないか。
「新人さん、新人さん、あなたもさらわれてきたの?」
「そうみたいですね」
あたしの最後の記憶は四国行きの電車に乗った所まで。
ビールとつまみを買って、車窓を眺めながら、うつらうつら。
攫われても目が覚めなかった理由は、電車の振動と勘違いしちゃったのかな。
でも、あたしはこんな所で虜囚に甘んじている暇なんてない。
七王子のみなさんのお母さま、失われし八稚女の七柱の手がかりを見つける旅の途中なんだから。
有給を使っての!
有給を使っての!
「ねえ、おとなりさん。あなたも旅の途中なんでしょ」
「ええ、あたしには行かなきゃいけない所があるの。それがどこかはわからないけど、大体の方角はわかるの」
「じゃあ、一緒に逃げだしましょ」
「まあ、心強いわ。あたしはずっとふたりでひとりの旅だったから、ちょっと心細かったの」
「はい? ふたりでひとり?」
「あ、違ったかしら。ひとりでふたり、ふたりでふたり、それともひとりでひとりだったかしら」
どうやらおとなりさんは混乱しているみたいですね。
無理もありません、うら若き乙女がこんな座敷牢に入れられたら混乱するに決まっています。
ええ、あたしも混乱していますよ、うら若き乙女ですから! うら若き乙女ですから!
信じて下さい! 私は異常です!
うーん、普段ならこんな心の声を張り上げたら、心を読んだ橙依君が『珠子、あなた疲れているのよ』なんてボソッとツッコミを入れに登場してくれるのに。
やっぱこれは七王子のみなさんのサプライズじゃなくって、本当にあたしは攫われているみたい。
それに、こんなに幼い女の子も攫うだなんて許せないわ。
こんな所、あたしの知識を尽くして脱出してやるんだから。
ふんす!
「大丈夫ですっ! 安心して下さい、あたしがあなたを連れてここから脱出しますから。台所にさえ辿り着ければ、爆発のひとつやふたつくらい起こしてみせますっ!」
「まあ、頼もしいわ! まるで、モノリスさんみたい!」
天国のおばあさま怒らないで下さいね、これは緊急事態なんですから。
「うるさいぞ女! 元気があるのはありがたいがの」
あたしたちの騒ぎを聞きつけたのか、ガチャっと音がして誰かが入って来る。
その姿は初老の男性。
だけど、その着流しの服装は現代のファッションと大きく違う。
そうではないかと思ってましたが、これは”あやかし”の仕業ですね。
その姿を見てあたしは胸をなでおろす。
だって、変なテロリストや変質者よりも、こっちの方が慣れているんだもの。
「現れましたね黒幕! さっさとあたしたちをここから出しなさい!」
あたしは強気の姿勢で叫ぶ。
「威勢がいいな娘。お望み通りにしてやる、ただしお前だけだが。ありがたーく思え」
その男はそう言うと、ギャリギャリギャリと鎖の延びるハンドルを回す。
あたしの前の格子の一部が上昇した。
「出ろ。声を震わせてな」
「言われなくても出るわよ」
あたしが格子の外に出ると、隣の座敷牢から声が聞こえてくる。
「新人さん、気を付けて」
「大丈夫よ。必ず助けに戻ってくるから」
そう言って、あたしは隣の座敷牢に向かって手を振った。
「早くしろ、ありがたくも大魔王様がお呼びだ」
大魔王?
”あやかし”とは違ったファンタジーな名前ね。
でも、どんなやつが相手でも説得するか、隙を付いて逃げ出してやるわ。
それにいざとなったら……
死んだ後に死神さんやイザナミ様に言いつけてやるんだから!
ちょっと後ろ向きなことを考えながら、あたしは座敷牢を出た。
□□□□
「間もなく大魔王様がお見えになる。頭を垂れよ」
男に案内された広間はちょっと不思議な空間。
コンクリートみたいな床に、白い煙。
これってドライアイスの煙よね。
そして何よりも、部屋の中段くらいまで伸びた意味の無い階段。
なんだか橙依君の好きそうな特撮のセットみたい。
コツコツコツと足音が聞こえ、頭を上げると階段の檀上に影が見えた。
ひょってして、この階段の反対側をえっちらおっちらと登ってたのかしら。
ドライアイスの雲の上に立つ何者かの姿は、文明開化を思わせる山高帽に小袖の着物に短いマント、そのファッションは明治末から大正を連想させる。
左右刈り上げの短い髪にハの字の髭、スラリとした鼻筋を持つ顔は当時の文豪っぽい。
尻尾と角が生えてなければ。
彼の目は大きく見開かれ、あたしを値踏みするようにギロリという視線を向けていた。
「クックック。よく来たな人間の女よ。木魅、今日の人間はこれだけか?」
「はい、その通りです」
木魅と呼ばれた初老の男はそう声を返す。
「女、名はなんといふ?」
「珠子。真珠貝のように口が堅い珠子よ」
『酒処 七王子』の看板娘であるあたしの名は”あやかし”の間でかなり通っている。
そのネームバリューを前面に出せば脱出の糸口がつかめるかも。
「知らぬな」
「大魔王様、珠子といえば、”あやかし”への料理ともてなしで有名な東京の『酒処 七王子』の人間。これは拾い物ですぞ」
素っ気ない口調で階段上の”あやかし”は言い放ち、木魅さんは少し驚いてそれにフォローを入れた。
あれ? この方たちってあたしをターゲットにして攫ったんじゃないのかな。
てっきりそうかと思ったんだけど。
「それで、貴方はどちら様ですか?」
「はつはつはつ、乃公をどちら様だといふのか。だが、生憎と簡単に名乗りはせぬぞ。誰だかわかるかな?」
「大悪龍王ですか?」
尻尾は緑で鱗付き。
角は鹿に似てるけど尖っていない。
そしてハの字の髭。
その特徴は龍。
それとあたしを拾い物と言ったことを考えると、西の妖怪王候補として名が上がっている謎の恐ろしいあやかし、”大悪龍王”の可能性が最も高い。
そう考えて、あたしはその名を口にした。
「ほう、少々吃驚したぞ。貴様の言う通り乃公こそはこの国の半分を手にし、さらに残りを手に入れよふとする大魔王、惡龍大王だ。だが、その答えでは乙だ。甲には及ばぬ」
やっぱり、大悪龍王だったのね。
でも、答えが乙ってどういう意味かしら。
おばあさまが子供の頃は甲乙丙丁で成績が付けられたって話を聞いたことがある。
”乙”ってことは、あたしの答えでは完璧でなく不十分ってことかな。
ちょっと物言いが古臭いわね。
「そうですか、貴方が”あやかし”の間で噂になっていた大悪龍王でしたか。それでご用件は何でしょうか。出張料理がご希望でしたら、事前予約して頂かないと困ります」
「よい度胸をしている。これなら木魅の耳に入るのも道理」
「大魔王様、この者を餌とすれば、数々の敵をおびき寄せられます。決して解放してはなりませぬ」
「この娘は真珠国の征服に有用だと申すのか。木魅よ」
「そ、その通りでございます」
数々の敵って、きっと他の妖怪王候補のことよね。
黄貴様に蒼明さん、そして酒呑童子さん。
ああ、そう言えば橙依君もそれに祭り上げられているって聞いたかしら。
あたしは彼らのお気に入りと言われればそうですけど、餌になるかと言われれば……。
……餌になるとちょっと嬉しいかも。
こんなヒロインポジションにも憧れていたのよねー、ぐふふ。
「ほうほう。この状況でもそのにやけた面構えとは、噂以上に肝っ玉の据わつた女だな」
いけない、いけない、顔に出てしまった。
でも、ヒロインポジションには憧れるけど、みなさんの迷惑になるわけにはいかない。
何とかしなくっちゃ。
「ねえ、大悪龍王さん。ここはどこです? 真珠国って聞きましたけど、何県ですか?」
「その問いに意味などない」
そうですよね、人質にここがどこかなんて教えないわよね。
となるといつもみたいに。
「では、あたしをここから解放してくれませんか? お礼に素晴らしいご馳走をご用意しますから」
台所の排気口は外に繋がっている。
そこからの脱出も考えて、あたしはそう申し出た。
「木魅よ。この娘は料理ともてなしで高名な人間だつたな」
「はい、その通りでございます」
「よからう、何か作ってみせろ。それが乃公の舌と心を打ったなら、解放してやろう」
「だ、大魔王様、よろしいのですか?
「よい。在処に意味などないことは木魅も良く知っておろう」
「は、はい。仰せの通り……」
よしっ、わりとあっさり申し出を受けてくれたぞ。
さて、この大悪龍王さんに相応しい料理は……。
って違う違う! あたしはここから脱出するためにこの申し出をしたんだから。
いつもの癖でもてなしの料理を考える所だったわ。
「それでは、調理場に案内してくれません。そして材料を買ってきてくれませんか?」
その隙に脱出しますから。
あたしは心の声の後半部分を切って、そう申し入れる。
「クックックッ、大馬鹿娘よ。乃公を騙そうとしてもさうはいかぬぞ」
「えー、でも、調理場と材料が無いとご馳走が作れませんよ」
「はつはつはつ、調理場ならそこだ」
大悪龍王さんが手をかざすと、暗い部屋の壁にドアが出現し、それが自動で開く。
中に見えるのは戸棚と、あれは冷蔵箱かしら、上段に氷を入れてその冷気で冷やす戦前の冷蔵庫よね。
なんだか戦前のハイカラな台所みたい。
「材料ならその戸棚と冷蔵箱に入っている。それらは魔法の箱で、何でも思ひのままの食糧が入っているのだ」
「へ? まっさかー」
「嘘ではない。疑ふのなら、欲しいものを念じて扉を開けてみよ」
うーん、”あやかし”の宝にはスゴイ物があるって聞いたことはあるけど、そんな北風のくれたテーブルかけみたいな宝物なんてあるのかしら。
でも、ちょっと気になるからあたしは台所に移動して叫ぶ。
「自由が丘のモンサンクレールのモンサンクレール!」




