ヌエとエクレア(その4) ※全4部
◇◇◇◇
「どういうことだ!? お前たち人間はヌエとは異形の怪物で正体不明や中身がわからない物だと思っているのではないか!?」
「せや”政治の世界にはヌエが棲む”なんてTVで言うとった。そうでなければ何やと思うの?」
珠子の”中身のわからないものはヌエの本質ではない”、そんな発言にヨルとヌエが戸惑う。
「あたしの認識は違います。それはヌエさんたちの本質の一側面でしかありません。ですが、それを説明する前に……ごめんなさい!」
そう言って珠子は深々と頭を下げる。
「どうしたん珠子ちゃん。珠子ちゃんって、このふたりに何か悪いことでもしたん?」
「いいえ、わたしは直接はやっていません。ですが、人間のひとりとしておふたりに謝罪します。本当に申し訳ありませんでした!」
珠子の頭が再び下がり、謝罪の言葉がヨルとソラへ向けられる。
「人間がどうしたというのだ。源頼政がヨルを退治したのを謝っているのか?」
「その通りです。ヨルさんだけでなく、ソラさんを退治した名も無き宮仕さんの分もです。ヨルさんもソラさんも何も悪いことをしていないのに、ただ鳴き声が不気味という理由だけで、退治してしまいました」
「そうなのか?」
ヌエが都に出現した時期は俺様が源頼光と戦った時より後の世。
俺様は幽世で療養中のため、その事情に疎い。
「そうです。平家物語に記載がある源頼政の鵺退治も、室町時代の看聞日記の北野社に出現した怪鳥”|&x9D7C;”を宮仕が射落とした話も、どちらもヌエは鳴いただけです。退治されるような悪いことはしていません。貴族の娘をさらった酒呑さんとは違います」
珠子の視線が少し痛い。
「娘。お前が謝ることはない、千年近く前のことだ。それに実は……あれには”あやかし”も一枚絡んでいるからな」
「ヨルの言う通りや。ウチの時もそうやった。どちらも時の施政者の裏にはあの女狐がおったせいや」
女狐?
初耳だ。
ヌエに関する人間の文献でも見た事はないし、今までヨルとソラからも女狐のは聞いた事はない。
だが、それを口にしたということは、珠子の謝罪でヌエたちの心が少し開いたということか。
「ああ、あの女狐か。ウチも全国を逃亡中に噂だけは聞いたことがあるで。えろう別嬪やが、腹黒の女やて」
大江山酒呑童子一味の当時の唯一の生き残り、茨木はその女狐に心当たりがあるようだ。
そして俺様の推察も、その正体にたどり着く。
「なるほど、白面金毛九尾狐、玉藻か」
「そうだ。オレが退治された時代、鳥羽上皇の寵姫として内裏に入り込んでいた女だ。この女狐が鳥羽上皇や当時の近衛天皇の心の不安をかき立てた。心神耗弱となっていた帝の命を受け、源頼政はオレを退治したのだ。本人はあまり乗り気ではなかったようだぞ」
「ウチもそうや。ウチの時は全国に散らばった殺生石が各所で暗躍しとった。ウチのことも目障りと思っておったみたいやね。あの時、女狐の分身は、ウチを射落とした腕っぷしだけの宮仕に取り入ってたみたいや。柄でもなく」
俺様が幽世で療養していた間、この日本では戦乱と騒乱が続いたと聞く。
その裏に玉藻とそれが封じられた殺生石の欠片たる分身がいたとも。
「なるほど、あの日本三大妖怪として有名な玉藻前はヌエさんの本質を見抜いていたのですね。それでヌエさんたちが邪魔だったと」
珠子は言った、ヌエの本質は中身のわからないものではないと。
それは本質の一側面でしかないとも。
そして、このえくれあたわぁ。
…
……
「なるほど、万葉集か」
俺様はヌエの本質にひとつの結論を見出し、その手掛かりを示唆する。
「は? 万葉集がどう関係あるん?」
「万葉集だけで鍵が足りぬなら、柿本人麻呂だ。茨木も知っているはずだぞ」
母様が幼き俺様のためにと集めた書物にそれはあった。
茨木も見ているはずなのだが……。
まあ、こいつはそれが好きではあっても得意ではないからな。
直線的過ぎる。
「あいっかわらず酒呑さんの頭の冴えは一流ですね。その通りです。では、ヌエさんたちの本質は酒呑さんから説明してもらいましょー!」
「断る。恥ずかしいからな。説明はお前がしろ珠子」
「えー、あたしもちょっと恥ずいんですけど。まあいいでしょ。ヌエさんの本質は……」
そう言って珠子は息を整える。
次の言葉がとても大切かのように。
いや、大切なのだろう。
「それは、誰かを恋しく愛しく思う気持ち……つまり”愛”ですっ!!」
ほんの少し頬を紅潮させながら、珠子はいつの世でも人の間で最上の物として扱われている言葉を口にした。
◇◇◇◇
「万葉集の中に『飛ぶ鳥の 明日香の河の 上つ瀬に』で始まる柿本人麻呂の長歌があります。長めなので要点を言いますと、その先に『しかれかも あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま』という部分があるんです。これは天智天皇の娘、明日香皇女の殯、今でいう葬式の席で、柿本人麻呂が明日香皇女の夫の忍壁皇子が妻の死を悼む気持ちを代弁して詠んだ挽歌です。この歌を発端として以降”ぬえ鳥の”は”片恋づま”の枕詞となりました」
和歌には決まった文言の前に置かれる枕詞というのがある。
珠子の言う通り”ぬえ鳥の”は”片恋づま”の枕詞だ。
その他にも”うらなけ”や”よどのふ”という言葉の枕詞でもある。
どれもが、今、ここに居ない妻や恋人を想う寂しさを表現する言葉だ。
ここらへんに俺様は全く興味はなかったが、母様に叩き込まれた。
将来、殿上する時に必要になると。
必要なかったが。
「ヌエさんの名前の由来は鵺鳥の鳴き声に似ている所からです。それはヒューッ、ヒューッと笛のようで、遠くにいる愛しい相手を想いを届けようとしているような。そんな優しい声を出す”あやかし”が悪い存在とはとても思えません」
ヨルとソラは珠子の言葉に聞き入る。
笑い飛ばさぬ所を見ると、やはり正解か。
「だからあたしは考えたのです、ヌエさんの本質は誰かを恋しく愛しく思う気持ち、つまり”愛”だと。これは言葉ではひと言で表わせますが、それは多様な面を持ち、つかみどころがないものです。そしてそれを人に思い起こさせようとして鳴くのでしょう。ひょっとしたら、おふたりはそういう”あやかし”ですか?」
どうせ恥ずかしいなら巻き込んでしまえとばかりに珠子はふたりに問いかける。
なるほど、玉藻は男の心に美貌と欲情を以って付け入ると聞く。
そんな玉藻が”愛”を想起させるヌエの声を疎ましく思うのは当然。
「まいったなソラ」
「ええ、まいっちゃうわヨル」
「「その通りだ」よ」
珠子が言ったこっぱずかしい”愛”の一側面には相互理解もある。
誰かに己を理解されるということは、ふたりにとって極上の味らしい。
ふたりの顔からは厳つさや、威嚇といった相手を拒絶する表情が消え、柔和な笑みが浮かんでいた。
◇◇◇◇
「さー、しめっぽかったり、ぱずかしい話はここまで! このエクレアタワーであたしが表現したかったのは”愛”!」
すっかり数が減り、最下段のひとつだけになってしまったえくれあたわぁを示して珠子が息を巻く。
「”愛”は最初は甘酸っぱく、時に味わい深く、時に辛い、いや辛い、山葵の効きすぎで涙だってちょちょぎれちゃう時もある。だけど……」
そう言って珠子は最後のえくれあを指さす。
米とかすたぁどむぅすの甘味だ。
「その根底にあるものは、甘くて大切で、どこか懐かしい。そんな味を表現してみましたっ!」
パチパチパチと周囲から拍手が起きる。
ヨルもソラも、大江山酒呑童子一味も、無論俺様も。
この見事な珠子の料理に称賛を送らぬ道理はなかった。
「ありがとう、そして、ありがとう! では、最後にちょっとだけおまけです」
拍手が鳴り止むと、珠子は茶目っ気たっぷりの表情を浮かべる。
「ご説明の通り、このエクレアタワーは”愛”を表現しています。だから……」
珠子はそう言うと、最後のえくれあをガブリ、ムシャッと食べる。
俺様も狙っていたのだが、まあよい。
今晩は譲ろう、他の者も同じ気持ちだろうな。
「なくなっちゃうと! とても寂しい!」
残されたのは食えぬ土台だけとなったえくれあたわぁ。
「だけど……」
珠子はバサッと台を覆うてぇぶるくろすをまくり上げると、その一瞬の間に素早く台の下の物を取り出した。
それは段こそ少ないものの、まぎれもないえくれあたわぁ
「再び逢えると! とても嬉しい!」
笑いと大喝采が起きた。
◇◇◇◇
「本当に行くのか? 京より西は大悪龍王の支配下。人間なら大丈夫やもしれぬが、お前は”あやかし”の中でもちょっとした有名人。危険があるやもしれぬぞ」
宴が終わり、朝が来ると珠子は背嚢を背負い、館の外に出る。
これから西へと探索に出るのだ。
夏の終わりに母様の前で宣言した、失われし八稚女の行方を捜す旅に。
「大丈夫ですって、慈道さんから椿餅の代金がわりに霊験あらたかな護符をいっぱいせしめましたから」
パンパンと背嚢を叩き、珠子は自信たっぷりに言う。
「本当ならば鬼道丸でも護衛に付かせたい所だが、ここの守りを手薄にするわけにはいかないのでな」
それに、誰かを護衛に付けたなら、逆に狙われかねん。
俺様の大江山酒呑童子一味は妖力の隠匿に長けた者がおらぬ。
珠子に同行させたなら、その気配を大悪龍王の手の者に目を付けられるのは必定。
ならば、いっそ一般人として旅させた方がましというもの。
珠子程度の霊力なら、人間の中にいくらでもいるからな、
ヒューッ
ヒューイッ
笛のような声とバサッと音がして、俺様と珠子の前にヨルとソラが舞い降りる。
「ゆくのか。心優しき理解者よ」
「いくのですね。心気高き、美食の担い手よ」
人の姿を取り、ふたりが珠子に語り掛ける。
「はい、今度は四国に行ってみようと思います。九州は夏に七王子の何名かが旅行していたみたいなので」
山陽、九州、四国。
大悪龍王の支配下は既にそこまで広がっている。
人間の世界では表立った動きはないが、裏で退魔の人間が動いているとの情報もある。
大悪龍王を警戒してのことに間違いないであろうな。
「危険だ。時期を変えた方がいい」
「いえ、これはあたしが決めて、あたしがやりたいと思った事ですので。ご忠告、ありがとうございます」
珠子の決意は固く、その言葉には迷いがない。
やれやれ、そういう所も俺様の好みだ。
「そうか……、そう言えば、まだちゃんと名前を聞いてなかったな。オレはヨル、猿面虎肢、夜の妖獣、夜鵺だ。
「ウチはソラ。猫面鳥身、空の怪鳥、空鵼や」
礼儀正しく、節度を以ってヨルとソラは珠子に礼をする。
「あたしは珠子。玉藻前とは違って、濁な点の付かない、王に朱いと書く珠子です」
「珠子殿か、良い名だ」
「ええ、あの玉藻とは違ってはる」
「ああ、良い名だ……」
ヨルは同じ言葉を繰り返し、少し考えこむ。
「どうした?」
「いや、何でもない、何か心に引っかかってることがあるだけだ」
ヨルは顔を上げ、ソラも珠子と向き合い、そして珠子はふたりと固く握手を交わした。
「珠子殿、オレもヨルもお前が見抜いた通り、本質は”愛”だ。だから荒事は苦手だ。だが、珠子殿の助けになればと思って贈り物をしよう。受け取ってくれるか?」
「ほんの気持ちやけど、受け取ってくれると嬉しいわぁ」
「もちろんですっ! あたしはプレゼントをもらうのもあげるのも大好きですっ!」
ぐえっへっへっ、と今までとは違った欲望にまみれた笑顔で珠子は言う。
「そうか、ソラ」
「はい、ヨル」
ソラの手から珠子へ渡されたのはふたつの穴の空いた三角の金属、鏃だ。
穴が空いている所を見ると、射出されると音を伴って飛来し、魔に突き刺さってそれを祓う鏑矢のようだな。
「これは? 矢の先っちょについているものみたいですけど……」
「これはオレの体内に打ち込まれた、伝説の矢の鏃、”水破”と“兵破”だ」
「もし、”あやかし”と戦う時になったら、きっと力になりますえ」
「ほう、それが音に聞く”水破”と“兵破”か。弓の雷上動より放たれれば、百発百中。射落とせぬ”あやかし”はおらぬと称される」
「はあ」
盛り上がる俺様とは対照的に、珠子は生返事。
「どうした!? これはあの憎っくき源頼光の武器で、子孫に代々伝えられて、源頼政が鵺退治に使った伝説の武器だぞ。平安物は得意だろうに」
珠子はじゃぱねすく物が好きと言っていた。
万葉集の引用など、昨晩にそれは十二分に発揮されたのに、珠子はこの水破と兵破に興味をそそられる様子はない。
「そうなんですか。あたしは平安ロマンスは得意ですけど、平安末期バトルはあんまり詳しくないんですよね。道中にいわれを調べておきます。けど、あたし弓なんて使えませんよ」
「お守りとして持っててくれればいい」
「せや、その魔を祓う力だけで、悪いモノから珠子はんを守ってくれはるから」
そう言ってふたりは水破と兵破をギュっと珠子の手に握らせる。
「わっかりました! お守りとして持っておきます。ま、荒事になったらあたしは逃げますから必要ないと思いますけど、ふたりの気持ちは確かに受け取りました」
珠子は小袋にふたつの鏃を入れると、それを懐に入れ、パンパンと叩く。
「では、行ってきます。また、帰りに寄りますから宿を貸して下さい」
「ああ、いつでも来い。何があっても俺様の縄張りにさえ戻ってくれば、珠子は俺様が守ってやる」
「ありがとうございます酒呑さん。何かがあったら全力で逃げ込みますから」
バイバーイと大きく手を振り、珠子は大江山より旅立っていった。
◇◇◇◇
珠子を見送って数刻が経ち、俺様が鬼道丸の昼餉を食べた後、館の外を見るとヨルがまだ立っていた。
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
「ああ、珠子殿の名で何かが頭にひっかかって……」
「さほど珍しくもなかろう。昔より玉藻の玉や珠子の珠は女の名によく使われていた。同じ名を聞いたのも一度や二度ではなかろうに」
母様の名も玉姫。
タマはありふれた響きなのだ。
「それだ! 酒呑、もう一度言ってくれ!」
「ん、同じ名を聞いたのも……」
「もうちょっと前!」
「玉藻の玉や珠子の珠は……」
「そこだ! 玉藻だ!」
ヨルは何か思い当たったかのように叫ぶ。
いや……
「何か、思い当たったのだな」
俺様の問いにヨルは大きく頷いた。
「単なる偶然の一致かもしれん。かつてオレが玉藻が暗躍する内裏の惨状を嘆いて鳴いていたころ、内裏の中にも玉藻の企みを阻止しようと動いた人間がいた」
「ほう。俺様の時の安倍晴明のような陰陽師でもおったのか?」
内裏に異変が感じれば安部の一族が出るのは自然。
「いや、陰陽師も動いていたが、オレが思い出したのはそれではない」
「ならば誰だ? 源の一族か? それともその時代に隆盛を始めた平家の者か?」
「違う。その者は、玉藻が取り入った鳥羽上皇の最初の妻にして中宮。名は藤原 璋子」
そう言って、ヨルは遠く遠く、平安の世を思い出すかのように遠くを見て言った。
「後宮の親しい女御の間ではこうも呼ばれていた。璋子様と」
俺様は嫌な予感に駆られ、茨木のすまほから珠子に電話を掛けさせた。
珠子は電話に出なかった。




