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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第一章 はじまりの物語とハッピーエンド
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珠子とたまごふわふわ(前編)

 燃えている……あたしの家が。

 

 「良かった! 珠子ちゃんで店子の人は全員居たよー!」

 「そうか!」

 「不幸中の幸いだな」


 隣人たちのそんな声も聞こえるが、あたしにとっては違う。

 あそこにはあたしの大事な家族との思い出のアルバムがあるの。


 バシャッ!


 あたしは消火用のバケツの水を頭からかぶると、燃え盛る火の中に突入していった。

 ……が、止められた。


 「何してんの! 死ぬ気なの珠子ちゃん!?」

 「はなして! どうしても取ってこなくちゃならないのがあるの!」


 大家さんと店子のみんなに押さえられてあたしは叫ぶ。

 あっ、消防士さんも加わった。


 「危ないから離れて下さい!」

 

 あたしはずるずると引きずられ、規制線の外に追いやられる。


 「大丈夫だよ、珠子ちゃん。ちゃんと店子のみんなには保険に入ってもらっているから」


 賃貸には入居条件に火災保険への加入が条件になっている。

 違う、それも重要だけど違う。


 「通帳とかは銀行に行けば再発行してもらえるから」


 それはとっても重要だけど違う。

 あたしの父さんと母さんと、おばあさまとの思い出。

 心の中にはいつもあるけど形としても残していたいもの。

 それ(・・)は炎の中に消えていった。

 あたしは涙した。


◇◇◇◇


 街を歩くと通りすがる人がこちらを見る。

 理由はわかっている、あたしの手足は濡れた(すす)で真っ黒で、黒くよごれた顔には涙のあと、手には高熱で変形した手提げ金庫。

 あの、アパート全焼してしまうような大火事で、あたしの部屋の焼け跡で残っていたのはこれだけだった。

 通帳も焦げていたが原型はわかる。

 月曜日になったら銀行に行こう。

 まずは、どこか落ち着ける所で休まなくっちゃ。

 そう思ったあたしの足は『酒処 七王子』に自然と向かっていった。

 さすがに通行人の視線が痛い。

 あたしは普段通っているの大通りを避け、裏通りルートで向かう事にした。

 

 事情を話してお風呂を借りよう。

 あの店の奥は七王子さんたちの住居になっている。

 入った事はないけど『風呂上りの一杯』と言って緑乱(りょくらん)おじさんが店に入ってくるし、フルーツ牛乳を飲みに蒼明(そうめい)さんもたまに来る。

 そんな事を考えながら、あたしは裏路地を歩く。


 「久しぶりだな」


 あたしが今、一番聞きたくない声が聞こえた。

 声の主はあたしが前に勤めていた会社のセクハラ・パワハラ上等のクソ上司だった。


 「何かご用ですか?」

 「お前にやられた下あごがうずいてなぁ! ずっとお礼の機会を伺っていたんだよぉ」

 「それはそれはご愁傷様。ですが、結構です」


 あたしは、元クソ上司の横をすり抜けようとする。

 が、あたしの体はがしっと掴まれた。


 「なんの真似です?」


 あたしはいつでもクソ上司を投げ飛ばせるよう重心を下げた。


 「あの火事は災難だったよなぁ」

 「なっ!?」


 その言葉にあたしの頭に血の気が昇るのがわかった。


 「火元はお前の部屋のあたりだってなぁ。しかも放火だって話じゃないかぁ」

 「なんでそれを、もしかして……」

 「そうだよ! 火を付けたのは俺さぁ! 夜中なのにお前が居なかったのが残念だったが」


 あたしの怒りが頂点に達し、あたしは拳を振り上げた、がその手は別の誰かに掴まれた。


 「よう、この女ですかい?」

 「ああ、たっぷりと痛めつけてやってくれ」


 あたしの手を掴んでいるのは大柄の男。

 見た目からも清廉潔白な紳士と対局にいるのがわかる。


 「へぇ、顔はまあまあじゃないですかい。痛めつけたあとのお楽しみもありですかい?」


 さらに追加でごみ溜めにでも住んでいるのではないかと思わせる異臭を放つ小男も現れた。


 「ああ、いいぞ好きにしてくれ! 一生の心の傷にるくらいにな! いや、ショックのあまりその場で自殺したくなるくらいでもいい!」


 やばい、男3人はやばい。

 あたしの護身術は一対一なら何とかなるレベルであって屈強な男に勝てるレベルではないのだ。

 あたしは自分の運命に恐怖し、ガタガタ震え始めた。


 「この女、震えていますぜ」

 「いいから口を塞げ、ヤる事はそれからだ」

 「へい!」


 あたしの口が分厚いタオルのような物で覆われる。 

 お願い、誰か助けて!

 あたしは心の中で祈った。

 

 シャリーン


 錫杖の音が聞こえた。


 「ふむ、何やら良くない気配を感じてみれば、人外ではなく、ただの外道であったか」


 そう、いつだって英雄(ヒーロー)と呼ばれるのは(ひと)なのだ。 


 (慈道さん!!)


 西日を背に現れたのはお店の唯一の人間の常連、慈道さんだった。


 「おや、先を越されたようだぞ」

 「もう、兄さんがグズグズしてるからでしょ」

 「藍蘭(らんらん)が早すぎるのだ。王者たるもの歩みは優雅で荘厳でなくてはならぬ」

 「乙女は魚と同じで足が速いのよ」


 そして人気(ひとけ)の無い路地裏に人外の者が現れるのも至極当然なのである。


◇◇◇◇


 「ハーイ、珠子ちゃん。無事とは言えないみたいだけど、ギリギリセーフって所ね」


 軽い口調で藍蘭(らんらん)さんが言う。


 「なんだぁ! おめえらぁ!」

 

 兄貴と呼ばれた大男が藍蘭(らんらん)さんに近づく。


 「まあ、お下品。アタシを誘うなら年の数のバラでも用意して欲しい所だわ」

 「止めろ藍蘭(らんらん)。この顔と同く心も下品な男と口を利く必要はない」

 「なんだぁ、ジジイに、オカマに、優男(やさおとこ)で俺たちに喧嘩でも売ろうってのか!?」


 大男の怒号が飛ぶ。


 「あら、顔と心だけでもなくオツムもお下品なのね」

 「そうだな、こいつは頭も悪いらしい。我が優しそうに見えるなどど……」


 黄貴(こうき)様がこう言うと路地裏一帯に黒い気配が集まっていく。

 あたしは直感的にわかった。

 あ、これヤバイやつだ。

 

 『(ひざまづ)け』


 黒い気配があたしの横を走ったかと思うと、


 ゴチッ


 大男と小男とクソ上司とあたしは地面にキスをしていた。


 「ちょ!? 珠子ちゃんまで跪いているじゃないの!? 兄さんちょっとストップストップ」

 「止めろと言われても一度術に掛かったら、10分は解けぬぞ」 


 頭の上から藍蘭(らんらん)さんの声が聞こえるが動けない。

 体が石にでもなったように五体投地のポーズを()いられている。

 え、ちょっとあたし10分もこのままなの!?


 シャリーン


 あたしの背中が何か棒のような物で押された感覚があった。

 するとあたしの体を支配していた圧力は消え、あたしはガバッと体を起こした。


 「無事であるか? 珠子殿」


 あたしに肩を貸してくれたのは慈道さんだった。

 この人は動けるんだ。

 さすがプロは違うなー。


 「ありがとうございます、慈道さん」

 「礼にはおよばぬ。これもまた人の道よ」


 優しい声で慈道さんはそう言ってあたしが立ち上がった事を確認すると、未だ倒れている3人の手足を紐で縛り始めた。


 「さて、こいつらの始末だが……どうするのが良いかな? 鳥居よ」


 黄貴(こうき)様の横から鳥居様が現れた。


 「火付けは大罪、即刻打ち首がよろしいかと。それに……」


 打ち首という声に大男と小男がビクッと体を一瞬動かした。


 「それに、この男は会社の金を横領しておった前科がございます。盗みは金額に応じて罪が増える物。金額を鑑みるに、即刻打ち首がよろしいかと」


 クソ上司を指差しながら紙の束を取り出して鳥居様が言う。

 あのクソ上司、給料の割に羽振りが良いと思ったらそんな事をしてたのか!


 「ど、どこにそんな証拠がある!? 火つけにも、横領にも、証拠なんてないぞ!」

 「お、俺たちはこの男に金で釣られただけなんだ!」

 「そう、そう! お願い、見逃してくれ」


 手足を縛られたまま地面を転がる三人を横目に慈道さんが鳥居様に近づく。


 「拝見してもよろしいかな?」

 「ご随意に」


 慈道さんはその紙の束を見る。


 「ふむ、これは証拠としては十分であるな」

 「罪が無くとも罪に問うたこの身ならば、真に罪がある者の証拠を手にするなど造作もなきこと」

 「ふふん、どうだ? 我の部下は優秀であろう」


 黄貴(こうき)様がふふんと胸を張る。

 ちょっと嬉しそう。

 

 「じゃあ、アタシがさっくりすっぱり切っちゃおうかしら」


 軽い口調で言っているが、黒い気配が藍蘭(らんらん)さんにも集まってくるのがわかる。

 その矛先が、もしあたしだったら漏らしてしまうほどに。


 「ちょ、ちょっと待って下さい! 藍ちゃんさん」

 「あら、珠子ちゃん、この下品ちゃんたちをかばうの?」

 「えーっと、そう言うわけじゃないけど、殺すのは行き過ぎというか、目覚めが悪いというか」


 正直、このクソ上司と大小チンピラがどうなろうとかまわないとは思うが、殺されるのは少しかわいそう。

 

 「ならば、ここは拙僧に任せて頂けぬか? こう見えても警察にも顔が利くのでの」

 「うーんと、このお下品ちゃんたちが二度と珠子ちゃんの前に現れないのならいいわよ。ね、兄さん」

 「下衆の行く末など王者が気にする事ではない。好きにせよ」

 「心得た」


 慈道さんはそう言うと、片腕で三人の男をひょいと抱えて、証拠の紙の束をもう一方の手に路地裏から消えていった。

 やっぱプロって凄いな。


◇◇◇◇


 「ただいま」


 あたしが『酒処 七王子』に戻った時、口に出た言葉がそれだった。

 

 「おかえりなさい。まずはお風呂、それからご飯、最後にア・タ・ラ・シ・イ シーツとベッドでおやすみなさいね」

 「あはは、おもしろいですー」


 あたしは藍蘭(らんらん)さんの渾身のギャグに力なく応えるのが精いっぱいだった。


 「ん? 珠子ちゃん、あなたおかしくない!? ちょっと顔も赤いし」


 そう言って藍蘭(らんらん)さんはあたしのおでこに手を当てた。


 「んまっ!? すごい熱!」


 あー、熱があるのか。

 どうりで体の節々(ふしぶし)が痛むわけだ。

 真冬に水を被ったり、焼け跡を何時間も掘り返したりしたもんね。

 ちょっと頭も回らない気がする。


 「いい、最後の力を振り絞ってお風呂で体を洗いなさい。その後に食事とベッドよ!」

 「はーい」


 風邪の時にお風呂に入るのは体力が消耗するのでいけないという説がかつてはあったが、今は清潔を保ち、体を温める効果の有効性が認められ入らない派と入る派に分かれているらしい。

 あたしは入る派だ。

 というか、この汚れた体で寝たくない。

 『酒処 七王子』の奥の間にある風呂はちょっと昭和臭のするお風呂だった。

 タイル張りの立方体風呂なんて今どき貴重よね。


 「下着は手洗いでドライヤーで乾かしておくわ。服はジャージで我慢してね」

 「はーい」


 脱衣所から藍蘭(らんらん)さんの声とブオオオーというドライヤーの音が聞こえる。

 そうだよね、女物の下着なんてないよね。

 藍蘭(らんらん)さんは前に『アタシノーブラ派なの』って言っていた気がする。   

 あたしが十分に温まって出た時には、綺麗になった下着と石鹸の香りがするジャージが置かれていた。


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