猿の手とおでん(中編)
◇◇◇◇
「なっ、不幸への覚悟を決めれば何とかなりそうだろ。これで攻略対象な珠子さんの好感度アップまであとふたつだな」
「わたしのときめき度は下がりましたけど」
「わたくしのハートも冷めましたわ」
女性陣からの冷ややかな目が俺を襲う。
「さすがです赤好さん! 自らの体を張るあなたこそ男の鑑」
「男の勲章がまた増えましたね」
男どもの評価は上々だが、その勲章ってのは俺の目をパンダにした痣のことかよ。
ま、少なくとも俺の作戦は正解のようだ。
こんな感じでいけば、残りふたつも楽勝さ。
「それで、次の願いは何になさいますの?」
ちょっぴり冷めた目でつらら女さんが俺に尋ねる。
「その前に何か頼もうや。練り練り珠子さんにつらら女さんが来るって伝えておいたから、きっと君でも楽しめる料理があるはずだぜ」
「えっ、それはちょっと嬉しいですね」
次の願いはちょっと時間がかかる。
だから、その間をもたす料理が必要なのさ。
俺の振る手を見て、勤労店員の珠子さんが溜息をひとつ吐いて、俺たちのテーブルにやってくる。
「はーい、ご注文をどうぞ~」
俺にちょっと嫌そうな視線を向けた珠子さんが伝票を片手に言う。
「この”鍋ごとおでん”と……、あったぜ!」
「ホントだ! 冷やしおでん!」
この『酒処 七王子』には雪冷系の”あやかし”も訪れる。
冬が本格化するこれからの季節は特に。
気配り上手な珠子さんがそれを失念するはずがない。
「よしっ、それじゃ”鍋ごとおでん”と”冷やしおでん”を鍋ごとで」
「はーい、”鍋ごとおでん”と”冷やしおでん”ですね。つらら女さんからのオーダー承りました」
俺が言ったのに俺とは目を合わせず照れ屋な珠子さんは復唱する。
彼女が厨房に消えて数分、彼女は大きな平鍋がふたつ載ったワゴン車を押しながら再び現れた。
「お待たせしました”鍋ごとおでん”と”鍋ごと冷やしおでん”です」
テーブルの上にIHクッキングヒータが置かれ、パワフルな珠子さんが平鍋に手をかける。
「手伝うぜ」
「結構です! またラッキースケベを発動されると困りますから」
俺の言葉をピシャリと切ると、パワフル珠子さんはふたつの鍋をドンドンとテーブルに置く。
「あっ、こっちの”冷やしおでん”の方は鍋が二重になって、隙間に氷水が入ってますね」
「ええ、つらら女さんへの特製メニュー、冷たさ長持ちキンキン冷やしおでんですよ」
ピッとIHクッキングヒータのスイッチを入れながら冷笑の珠子さんが言う。
こっちはいつまでも熱々おでんの方だな。
「うわぁ、どっちも美味しそう」
鍋の蓋を取ると、湯気と冷気があふれ出す。
「では、ごゆっくりー」
ガラガラと音を立てて押し車な珠子さんは厨房に戻っていった。
「んじゃ、早速食べようぜ。この練り物はホームメイドな珠子さんの手作りなんだぜ」
「ああ、それでこの黒はんぺんは魚の皮が多めに混ぜてあるんですね」
さっそく取り箸で灰色のはんぺんを取り出したあかなめが言う。
こいつは垢が好物だが、皮もいける。
魚の皮の料理はこいつの好物のひとつだ。
「黒はんぺんってなんですの?」
「静岡の名物で青魚のすり身を揚げて作るはんぺんですよ。白はんぺんよりもさつま揚げの方が近いかもしれません。僕は各地の温泉巡りをやっていまして、静岡の熱海はよく行くんですよ」
あかなめにとって温泉地≒グルメタウンだ。
温泉は日本各地にあるので、地方名物とかは詳しいんだろうな。
「あっ、だったらこっちもお口に合うんじゃありません? 仙台名物のさんま団子です。秋刀魚のつみれですね。東北では結構定番なんですけど、東京でこれが入っているおでんが食べられるなんて嬉しいな」
つらら女さんが箸を伸ばしているつみれは、鰯つみれのような灰色のすり身団子。
どうやらこれは日本各地のおでんの具を集めた鍋らしい。
「うまそうだな。俺もひとつもらっていいかい?」
「どうぞ。というか、私はこんなに食べきれませんよ。みなさんで食べましょ」
つらら女さんの言う通り、冷やしおでんの量は一人分より遥かに多い。
四、五人前くらいはあるんじゃないか。
「それじゃ、俺はさんんま団子と、フレッシュなトマトと青菜をもらおうかな」
俺は冷やしおでんの鍋から3つのおでん種を取ると、まずはさんま団子に口を付けた。
ジュワッ
弾力のある外側に歯を立てると、その中からおでんの旨い汁があふれ、ホロホロプリプリとしたすり身が俺の舌の上で踊る。
青魚特有の味はするが、混ぜられた皮の脂がそれを優しく包み込み、それがアクセントとなって旨みが口の中に広がる。
味は濃いのに、さほどしつこくないのはキンキンに冷えた温度のせいだな。
「うん、うまいな」
「ええ、このさんま団子を食べた後に、冷やしおでんのトマトやカボチャを食べると、口がすっきりしますよ」
つらら女さんに勧められた野菜が旨いのは食べずともわかっている、食べるけどな。
冷やしおでん鍋の中で出汁を吸ったトマトは、酸味の中から旨みが染み出てくる。
そして、茹でた青菜の出汁漬けが旨いのはあたりまえさ。
そういえば、うまみ大好き珠子さんが『トマトには昆布と同じうまみ成分のグルタミン酸が含まれています。トマトと昆布は山と海の旨みの合体なんですよ』って言ってたっけ。
納得の旨さだ。
「わたしはちくわぶが好きです。プルプルンモチモチしてて美味しいですけど、東京以外だとあまりないらしいですね」
「そういや雨女さんは東京出身だったっけ」
「ええ、ですからこの関東風の味つけや定番のおでん種は嬉しいですわ」
俺もちくわぶは好きだ。
うどんやすいとんといった小麦粉を練って茹でたものがあるだろ。
ちくわぶはあれと同じように小麦粉と塩で作っているんだが、長時間煮られて中まで出汁が染みたもっちりとした食感は他に代えがたい。
「そういえば、黒龍さんの出身は信州でしたよね」
「はい、長野県ですよ、北部の方ですね」
「長野には特徴的なおでん種ってあります?」
魚の皮がたっぷり入った静岡名産の黒はんぺんを食べながらあかなめが黒龍に尋ねる。
「そうですね、定番のおでん種の他には焼き豆腐や高野豆腐がありますね。あとは、信州は蕎麦の名産地ですから、蕎麦やそばがきが入ることもあります。でも、これには入っていないようですね」
厚揚げにゆで卵、大根にがんもどき、蒟蒻に巾着、このおでん鍋には様々な種が入っているが、蕎麦やそばがきが入っている様子はない。
「でも定番でも美味しいですよ」
そう言って黒龍は中まで出汁が染みた大根を箸で割り、上品にそれを食べる。
ん? 待てよ。
あの気配り上手な珠子さんが、黒龍の出身地である信州名産のおでん種だけを入れていないなんてあるだろうか。
そんなはずがない。
俺の視線が鍋の一点に集中する。
ああ、そういうことか。
「ほいよ、黒龍」
俺は鍋から巾着を取り出し、黒龍の皿に盛る。
「赤好さん、これは?」
「いいから食べてみな」
「ええ、別に巾着は嫌いじゃないですけど……」
黒龍は油揚げの袋を箸でつまむと、それにかぶりつく。
「ん? これは!?」
巾着からあふれる汁をズッと吸うと、黒龍は一気にそれを口の中に入れてモグモグと口を動かす。
「これは餅入り巾着ではありません! 中身はそばがきです! いやぁ、これはいい!」
黒龍は嬉しそうにそう言うと、追加で巾着をもうひとつ皿に取った。
「ああ、そばがきは煮込み過ぎると餅のように煮崩れてしまいますからね。でも、そばがきなんて久しぶりですわね。わたしも頂きましょう」
「わたくしも」
雨女さんとつらら女さんも巾着に箸を伸ばす。
雨女さんはそのままホットで頂き、つらら女さんは冷やしおでん鍋の中で「まだかなー」と言いながら冷やしている。
そばがきは蕎麦粉を湯で練って団子状にした料理だ。
素朴だけど、蕎麦の風味がしっかりと感じられる料理さ。
だけど、餅のように長時間煮ると煮崩れちまう。
だから工夫好き珠子さんは、巾着に入れたんだね。
そんな事を考えながら俺もそばがき入り巾着を食べる。
餅入り巾着に似た食感だが、蕎麦の風味と出汁の旨み、そして油揚げのコクが合わさって、極上のモチモチキツネ蕎麦が口の中に現れるような味だ。
「こいつはうまいな」
「ですよね。まだまだあるみたいですし。いっぱい楽しみましょう」
そっか、やけに巾着が多いと思ってたけど、これは自信満々な珠子さんのせいだな。
「それにしても、このおでん鍋は相当ボリューミーですね。ゆっくり食べましょうか」
黒龍の言う通り、このおでん鍋のボリュームは異常だ。
きっと、お調子者の珠子さんが調子に乗り過ぎて大量に作っちまったんだろうな。
「さて、それじゃあそろそろ二つ目の願いを叫ぶとするか」
おでん鍋が半分ほどなくなった所で、俺は再び”猿の手”を握りしめる。
「どんな願いを叫ぶつもりですか?」
「あ、わたしはこのおでん鍋が満タンになると嬉しいです」
「わたくしもー」
雨女さんとつらら女さんはそう言うが、それはダメだ。
俺の予想というか、予知だとその場合は店全体に不幸が見える。
きっと、この鍋からおでんが満タンどころか店からあふれるくらいに湧きだしちまうんだろな。
俺が”猿の手”を握りしめて、何かを心の中で叫ぶたびに、俺の視界のどこかに不幸が見える。
誰も不幸にならない願いはこれだ。
「因果を曲げたり、過ぎた願いは身を滅ぼすんだろ。だったら、起こって当然のことを願えばいいのさ」
俺は”猿の手”を握りしめ、叫ぶ。
「朝までこいつらの惚気話が聞きたい!」
猿の手がビクンッと動き、俺の目の前のヤツらの目の色が変わる。
「いやぁ、そこまで言われてしまうとねぇ」
「ええ、願われなくても話すつもりでしたし」
「では、どなたからいきましょうか。ここは僭越ながらわたくしから」
「僕も語りたいです、まずは順番を決めましょう」
「「「「じゃーんけーん」」」」と手を突き出す姿を見ながら、俺はこれから日の出までの時間を確認する。
8時間か……、ま、これくらいなら大丈夫だろ。
◇◇◇◇
甘かった……生クリームに粉砂糖を振ってバーナーで炙って表面をキャラメリゼするより甘かった。
「それでですね、やっぱスポーツなんですよ。僕の彼女は何でも出来るんですが、スポーツも万能でしてね。適度な運動により活発になった新陳代謝で出る瑞々しい垢の味が……、ねぇ聞いてます赤好さん」
「お、おう、聞いてるぜ」
何度言ったかわからない台詞を俺は吐く、砂と一緒に。
「というわけで、楽しいスポーツも素敵な恋人と一緒だと楽しさ倍増、三倍増ですよ。赤好さんも早く結ばれるといいですね」
「お、おう」
これだ。
これが、痛い。
惚気話を聞くのはそれほど苦じゃない。
だけど、話の締めを「赤好さんも早く幸せになるといいですね」とか「結ばれると世界が変わりますよ。赤好さんも早くこっちにいらっしゃいな」とか「必ず結ばれるから運命の人なんです。赤好さんの運命もすぐ近くにありますよ」とか、最後に俺に振られ続けると、さすがに閉口する。
日の出まで、残り2時間。
このままじゃ、俺の頭が甘々の砂糖漬けになっちまう。
ん? もしかしたら次の願いを”猿の手”に願えば、この甘美嬌歓地獄は終わるかも!
よしっ、予定よりちょっと早いが最後の作戦といくか。
俺は厨房の働き者珠子さんに向かって手を振る。
「はい、何かご注文ですか?」
みんなの惚気話が止まったのは、俺が惚気話に当てられて、愛の告白でもすると思っているからだろうか。
だけどな、残念だがそうじゃない。
「思慮深い珠子さん。俺じゃどうしても”猿の手”への最後の願いが思いつかなくってさ。代わりに君に考えて欲しいのさ」
「それって、あたしが考えて、赤好さんが願うってことですか?」
「察しがいいね。その通りさ、この”猿の手”がもたらす不幸は俺が受ける。だから君の望みを教えてくれ」
テーブルの皆だけでなく、店内の”あやかし”たちからも「おおおっ」という声が上がる。
「なんと男らしい。赤好さんは男の鑑ですね」
「ええ、惚れた女性のために自らを犠牲にするなんて、中々出来ませんわ」
そんなに褒めるなよ、照れるじゃねぇか。
「さようなら、赤好さん。どうか死なないで」
「あなたの御恩は僕が幸せになることでお返しします」
お前ら、俺が無事だったら覚えてろよ。
「ふぅ、しょうがないですね。ではちょっと失礼して……」
その間に何かを考えていた珠子さんは少し屈みこむと俺の下半身をまさぐる。
「おいおい、羞恥心に欠けた珠子さん。ちょいと大胆過ぎないかい?」
ぺしっ
俺の頭が茶色い何かではたかれる。
俺の財布だ。
「変なことを言わないで下さい。おっ、結構入っているじゃないですか、ぐへへ」
まるでカツアゲをしている不良のように俺の財布から札束が抜き取られる。
いや、まるでじゃないな、まさに、だな。
そして、イービル珠子さんは”猿の手”の掌に俺の金を握らせ、俺にそっと耳打ちした。
「…… …」
ああ、そうかい、そういうことか、そりゃいいかもな。
俺は”猿の手”を握りしめ、叫ぶ。
「”猿の手”よ! この金を今ここで使い切ってくれ!」
ビクビクビクンッ、グシャ
今までにない勢い”猿の手”は痙攣し、その掌の札束が握りつぶされた。
バッっと俺の手から逃れた”猿の手”は、入り口近くのホワイトボードに取り着くと、器用にペンのキャップを外し、キュキュッっと何かを書く。
『今日はこの”猿の手”のおごりだぜ!!』
その書き文字と共に札束がレジに放り込まれた瞬間、店内の”あやかし”から歓声が上がった。
「「「イヤッホォー!! ”猿の手”さん! ゴチになりまーす!」」」




