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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第八章 動転する物語とハッピーエンド
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実方雀とアワビモドキ(その4) ※全5部

 「あ、どっちもいい匂い」

 

 お椀によそわれたふたつの炊き込みご飯を前に十六夜姫ちゃんが鼻を鳴らす。


 「香りは互角ってとこかな。では味はどっちがうめぇかな」


 コリッ、キュッ


 俺っちがアワビ炊き込みご飯を口に運ぶと、やわらかいおまんまの中からアワビの身がその存在を主張する。

 磯の風味と貝の旨み、それはしっかりと飯に吸収され、上に載せられた三つ葉の香気と共に口に広がる。

 さすがにうめぇな。

 では、こっちのアワビモドキの炊き込みご飯の方はどうかな。


 ホロッ


 刺身の時の硬さはどこへやら、アワビモドキの身は驚くほどの柔らかさで口の中でほどけていく。

 それだけじゃない、その身の中からはさらなる旨みがあふれ出しくるじゃねぇか。

 どっしりとした旨みの結晶。

 そんな言葉がこの貝には似合うぜ。


 「あ、ボクこっちの方がすきー。やわらかくっておいしいんだもん」

 「そうですね。旨みの総量はアワビモドキの方が上でしょうか。アワビとは違い、貝の甘さと旨さがたっぷりですね」クイッ

 「酒にも合うねぇ。出汁の味と米の甘さが酒でもう一度広がるぜ」

 「ええ、アワビモドキの炊き込みご飯と日本酒の、チリと日本の見事な国際マリアージュですよね」

 「へへーんでち。どうでちか!? 偽物のアワビモドキの方がおいちいでちよ」

 「ぬぬぅ。確かにその通りだが、なぜ……」


 今度は実方(雀)が満面の笑み。

 

 「秘密は缶詰ですよ。日本に輸入されるアワビモドキは冷凍か缶詰です。缶詰の中でアワビモドキは時間を掛けて柔らかくなり、さらにその汁に旨みを出します。缶詰の汁を使って炊き込むことで、この炊き込みご飯はアワビモドキの旨みを余すことな味わえるのです。逆にアワビは熱の通し過ぎで身が硬くなってしまい、旨みもその身の中に閉じ込めったっきりになっちゃうんですよね」

 「理解しました。月日をかけてこそ際立つ味もあるということですね。ですが、これで一勝一敗。次の料理で勝負といきましょう。実は自分はあの蒸し器が気になっていまして」

 「ウチもでち! 松茸は平安の時からの秋の味覚でちたから」

 「はい、そろそろ食べごろですから。アチチ」

 

 熱気に押されながら嬢ちゃんは土瓶を取り出し、その持ち手に布を巻いて俺っちたちの前に置く。


 「ねえ、緑乱(りょくらん)お兄ちゃん、これってどうやって食べるの?」


 土瓶を前に少し困った声で紫君(しーくん)が俺っちに聞く。


 「なんだい、紫君(しーくん)は土瓶蒸しを食べるのは初めてか?」

 「うん、こういう料理って大人っぽくってボクの好みじゃないもん。おっさんっぽいよね」


 おっさんぽいって言葉に嬢ちゃんが少しクススと笑う。

 最後のひと言は余計だが、ま、いいさ。

 年長者として末の弟を導いてやるとするか。


 「じゃあ、将来のために覚えときな。これは最初にこの猪口(ちょこ)に土瓶の出汁を注いで、その香りを楽しんで飲むのさ。くふぅー、いい味だぜ」


 マツタケの土瓶から注がれた出汁は、ほんのりと森の香りがして、そこから出た出汁はふんわりとマツタケの旨みと香りが凝縮されている。


 「出汁を堪能したらさ、土瓶の蓋を開けて、このスダチを少々絞ってさ、もういっかい蓋をして数分待つ。そしたら中の具を味わって、最後にもいっかい出汁を飲む。この変化していく味が楽しみなのさ」


 俺っちはジュッとスダチを絞り入れた土瓶に再び蓋をする。

 そしてやってみなと紫君(しーくん)に目配せ。

 促されるように紫君(しーくん)はキュッと出汁を飲む。

 

 「おいしー! これってキノコとエビの味がするー!」

 「はい。美味にございます」


 ほう、と猪口から出汁を飲んで十六夜姫ちゃんもニッコリさ。


 「今日は白だしに名取川産のテナガエビを入れました。マツタケの香りと川エビの味は相性がバッチリなんですよ。いやー、宿の厨房で泥抜きされたテナガエビを見つけた時は思わずウッキウキしちゃいましたよ」

 「そっか、やけに旨いエビの味がすると思ったが、こいつはテナガエビの味だったか。しかも、ここ名取の地場産たぁ嬉しいね」


 旅の醍醐味は地場のうまいもんを食べるのが一番ってね。

 俺っちは頃合いになった土瓶の蓋を開けて、その中からマツタケとテナガエビを口に運ぶ。

 柑橘の爽やかな香りと山川の旨みがギッシリ詰まっていい味だ。


 「しかし……これはあまり差がありませんね。ややバカマツタケの方が香りが強めなくらいでしょうか」クイッ


 俺っちがゆっくりとマツタケの土瓶蒸しを堪能している間に、蒼明(そうめい)のやつはバカマツタケの方までパクパクっと食ってやがる。

 食うの早えな、さては腹減ってたな。


 「いやいや、この繊細な香りこそがマツタケの魅力です」

 「違うでち! スダチにも負けない重厚な香りを放つバカマツタケの方が上でち!」

 「どちらもおいしいです。香りの差も気を付けなければわからないくらいです」


 実方さんたちや十六夜姫ちゃんの感想を裏付けるべく、俺っちもバカマツタケの方を食うが、十全たる差があるとは思えねぇ。

 バカマツタケの方が香りは強いが、ほんの少しだ。


 「そうなんですよ。バカマツタケはマツタケと味も香りも殆ど変わりません。少し強めの香りでスダチを多めにかけても、その存在を主張する所は利点ですが……」

 「それはスダチを自分好みに調整してかければ良いだけのことですな」

 「そうなんです、実方様のおっしゃる通りです」

 「つまり……これは引き分けということでしょう」クイッ

 「偽物と同じというのは納得しきれたとは言い難いですが、そのようですね」

 「しょうがないでち。これで一勝一敗一分けでちね。だけど、ここで終わる気はないでちよ。珠子さん、次の料理は無いんでちか?」

 

 いや、あるね。

 あの嬢ちゃんのことだから、あと一品あると俺っちは見ている。


 「はい、ありますよ。そもそも、この本物偽物対決ってちょっと不公平じゃありません?」

 「どこがですか?」クイッ

 「このアワビモドキですよ。他のは日本産で()れたて()れたてだっていうのに、このアワビモドキだけは南米からはるばる旅をして来ているんです。それを日本料理に仕立て上げた料理だけで勝負だなんて不公平です」

 「なるほど」

 「そうでちね」

 「だから、最後の料理は南米ペルーやチリで愛されている料理にしました! 今、厨房から持ってきますね!」


 そう言って嬢ちゃんは広間を出て行くと、数分後にワゴンに鍋をふたつ載せて戻って来た。


 「お待たせしました! これが南米名物”Chupe(チュペ)”ですっ!」


 ふたつの鍋の蓋が開かれると、そこからブワワッっと香りの奔流が巻き起こる。

 

 「あっ、これってチャウダーのにおいだー! おいしそー!」

 

 紫君(しーくん)の言う通り、これは冬に美味しい洋風料理、海産物のシチュー、チャウダーに似た香りだねぇ。

 

 「はい、このチュペはトマトと玉ねぎのペーストにミルクとチーズを入れたスープをベースに、具を加えて作ります。キノコエビや貝が定番ですね。今回は豪勢に片方はテナガエビとマツタケとアワビを具にしました! もう一方はテナガエビにバカマツタケ、そしてアワビモドキを加えていまーす!」


 そう言いながら嬢ちゃんは海と川、山と野の香りが満載のチュペをよそう。


 「これで決着ですね」

 「ええ、白黒はっきり付けるでちよ」

 「うーん、どっちもいい香りです」

 「いっただきまーす! やっぱボクはおっさんぽいのより、こっちの方がすきー!」

 

 溢れる香りに誘われて、俺っちたちはあっつあつのチュペを口へ。

 これが勝負の最後だからと、みんなは二種類のチュペの温度が変わらないように、交互に口に運んだ。

 

 …

 ……


 そこには……主張があった。

 トマトもチーズもエビもキノコも貝も、その全てが己の味を主張していた。

 ぶつかりながらも、主張を止めない食材たちが、舌に脳に、『私を味わって』と訴えかける。

 さながら、美女に囲まれている桃源郷のよう。

 どの美女にも良さがあり、美しさがあり、そして愛おしさがある。

 だけど、その中で……、一番を主張するものがあった。

 噛んだ食感においても、噛み崩れるその身からあふれる旨みにおいても、そしてスープ全体の中でどの食材とも戦っているようで調和をもたらしているもの。

 炊き込みご飯でも味わったアワビモドキの濃厚な主張。

 全ては前フリだったってことか。


 「うわー、この貝、おいしー!」

 「ええ、全体を包み込むように主張しているのに、それでいてくどいレベルではありません」クイッ

 「しっかも、酒とも相性バッチリじゃなねぇか!」


 日本酒が洋食とも合うのは知っていたが、このアワビモドキのチャウダーみたいなチュペとここまで合うとは。

 嬉しい誤算だぜ。


 「えっへん! 日本酒とアワビモドキのマリアージュは炊き込みご飯でも堪能して頂きましたが、実は日本酒とチーズやミルクも相性バッチリなんですよ! しかも、アワビモドキもチーズやミルクとよくあうー! 結婚は一生に一回でいいですが、料理のマリアージュは何度でもオッケーですっ! うーん、おいしー!」


 これが最後の料理、だからあたしの仕事もここまで。

 そんな具合に嬢ちゃんもチュペを頬張る。


 「これは……アワビよりも……」

 「アワビモドキの勝利でち!」


 主張が激しい食材たちの中でも、そのアワビモドキの味だけは際立っていた。


 「そうですっ! アワビの代用品として扱われるので、日本ではあまり浸透していませんが、このアワビモドキ、現地ではLoco(ロコ)と呼ばれているこの貝は、非常に美味しい出汁と、出汁が出てもなお、その身に旨みを持ち続ける食材なのです! 日本で言えば、ハマグリが近いでしょうか。あれも出汁が出てもなお味が強いですから。あとはとってもボリューミー! 食いごたえが満点なのもいいですね。コスパでは圧倒的ですっ!」


 嬢ちゃんの言う通り、このアワビモドキは味の主張がスゴイ。

 アワビの方はちょっち硬くて、旨さの主張に劣ると言わざるを得ねぇ。

 これもあれだな、缶詰の中でその汁の中に旨みをたっぷり出して、それを使ったんだろうな。

 

 「どうでち! 偽物でも本物に勝てるでちよ!」

 「そうです! このアワビモドキは偽物かもしれませんが、食材としてはまだまだこれから発展途上! 代用品だけではなく、新しい食材としての可能性はアワビより遥かに上! アワビに勝てる料理にだってなるんです! この十六夜姫さんも偽物かもしれませんが、本物になろうと、本物に勝とうとする意志があれば、決して本物の十六夜姫さんに負けやしません!」


 嬢ちゃんがそう言って力説する。

 ん? ……まじぃな、これはちょっち良くねぇぞ。

 俺っちが知ってるハッピーエンドの道筋とは違っちまってる。

 うーん、俺っちのアドバイスが足りかったかもな。

 ”十六夜姫に勝つ”

 十六夜姫ちゃんが求めているのは、そういうのじゃねえんだ。


 「わたくしが……本物の十六夜姫様に勝てる……」


 ほら、十六夜姫ちゃんの顔が晴れやかどころか暗くなっちまってるじゃないか。

 ま、しょうがねぇ、ここは俺っちが一肌脱いで、十六夜姫ちゃんをハッピーエンドに持っていくとするか。


 「違うぜ嬢ちゃん。嬢ちゃんの言ってることは間違いさ。嬢ちゃんは根本的に間違えてる」


 ほんの少し、低く強めの俺っちの声にみんなの視線が集まった。


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