実方雀とアワビモドキ(その3) ※全5部
◇◇◇◇
「なるほど……その石の精の十六夜姫は実方さんたちの想いから生まれた存在。ですから、本物の十六夜姫でないことをずっと気に病んでらっしゃるのですね」
「そう。だからバカマツタケを買ってきたのさ。こいつでうめぇ料理を作ってくれよ。そしたら十六夜姫ちゃんも自信を持つこと受けあいだぜ」
「おじさんにしては気が利いてますね。本物のマツタケも出回り始めるころですから、それも用意しましょう。できればもう一品欲しい所ですけど……」
そう言った嬢ちゃんの視線がチラッと出来る弟へ。
「わかりました。マツタケの他に何を買ってくればいいんですか?」クイッ
ふぅ、と溜息を吐きながら蒼明が言う。
やっぱ出来るヤツは察しがいいねぇ。
「ありがとうございます! それじゃ、贅沢にもう一品はアワビとアワビモドキにしましょ! いやー、南三陸のアワビを食べてみたかったんですよ」
「アワビはわかりますが、そのアワビモドキというのは?」クイッ
「ロコ貝の事です。別名チリアワビ。アワビの代用品として冷凍物と缶詰が輸入されています。東京なら手に入りますよ」
「理解しました。少々時間が掛かりますけどいいですか?」クイッ
「はい、あたしも午後は黄貴様の所用がありますから。晩御飯で食べましょ」
「了解しました。それまでには戻ります」
「んじゃ、俺っちたちは実方たちの勝負に加わるとするか。今日も引き分け時間切れにしようぜ。俺っちと紫君が別々の組に加勢してさ」
「うん! 勝ったり負けたりだね。でも、ボク負けないよ!」
「そいつは楽しみだ。いい機会だからよ、俺っちの得意な遊戯ってのも見せてやるぜ」
末の弟はわかってるようでわかってなさそうだねぇ。
ま、俺っちだって本気出しゃ負けたりはしねぇけどな。
◇◇◇◇
「ちっくしょー! そんなんありかよ! サッカーで空を飛ぶなんて! 漫画でもそんなんねぇよ!」
「そうです! 卑怯です!」
どっちが本物で偽物かを決める実方決定戦、二日目。
『げんだいのけまりをしようよ! サッカー!』という紫君の提案で始まった実方(神)&俺っち VS 実方(雀)&紫君は俺っちたちの敗北。
だってよ、実方(雀)は『中間形態でち!』とか言っちゃってさ、鳥人間になっちまったんだぜ。
そりゃねぇよ。
「サッカーのルールブックに『空を飛んではいけない』って書いてないでちよ」
「橙依お兄ちゃんのマンガにも鳥の翼を付けて空飛ぶサッカーチーム出てきたよ」
マジかよ……
まあ、負けちまったもんはしょうがねぇ。
次は頑張るとするか。
「よっし、次は喧嘩凧で勝負といこうじゃねぇか!」
「なにそれー!? おもしろそう!」
「喧嘩凧ってのは凧の糸を絡ませて、相手の糸を切った方が勝ちの勝負さ。凧がクルクルクルーって回って上がって落ちて楽しいぜぇ。4つあるからひとりひとつずつな」
「さっきは現代風独楽回し、次は現代蹴鞠、続くは現代凧上げですか。紙老鳶と呼ばれていた風流な凧上げも今や野蛮な争いになってしまっているのですね。自分は悲しいです」
「というか、攻撃的過ぎでち! キンキンっとぶつかり合って弾き飛ばす独楽とか、タックル上等の蹴鞠とか、糸を切る凧とか! それになんでちかこれは、糸にガラスの粉がまぶされてるじゃないでちか!」
「こいつで敵の凧糸を切るんだよ。スパッとね」
平安のころから、ちょいと攻撃的に改変された遊びの数々を体験して、実方(神)はシクシクと、実方(雀)はプリプリと文句を垂れる。
喧嘩凧は江戸時代からの遊びなんだが、こいつらにとっては自分自身が生きていた時代より遥かに未来の遊びなんだよなぁ。
「んじゃ、実方さんたちは休んどきなよ。喧嘩凧は俺っちたちが代理で戦うからさ。やろうぜ紫君。たのしーぞー」
「やったー! ボクこのタコにするー!」
「や、やらないとは自分は言っていないです!」
「そうでち! やったるでちよ!」
あんなことを言ってはいたが、現代の男の子の心をガッチリつかんだ遊びの数々は気に入ったらしい。
ふたりは凧を手にバランスがどうとか言っているからな。
「うふふ、父様たちったらとっても楽しそう」
分身の石を通じて勝負を眺めているのだろう、十六夜姫の小さな鈴を鳴らすような笑い声が懐から聞こえる。
「お前さんも楽しいかい?」
俺っちは小声でその石に話しかけた。
「ええ、こんなに無邪気な父様たちを見るのは初めてですもの」
「そうかい、そりゃよかった。思い出話ってのはどうしても湿っぽくなりがちだからよ。たまにゃこういうのもいいさ」
「はい、貴方様のおかげございます。ありがとうございます賢人緑乱様」
「いいってことよ。賢人とか様付けってのはこそばゆいから、緑乱かおじさんでいいぜ」
「わかりました、おじさま」
おおっと、なんだかもっとこそばゆくなっちまったぜ。
まあ、いいけどよ。
「おにいちゃーん! はやくー! ボク、先にやっちゃうよー」
「ああ、今、行くぜ」
俺は軽く胸を叩き、喧嘩凧の輪に加わった。
もちろん、勝ったさ。
けっこうギリギリだったけどな。
◇◇◇◇
「きょ、きょうの所はこのくらいにしてやる」
「い、いったでちね……、明日こそは白黒はっきり付けてやるでち」
今日も今日とて”実方決定戦”は引き分け。
フラフラになったふたりを抱えて俺っちが宿に帰ると、嬢ちゃんが広間で食事の準備をしていた。
「あら、おかえりなさーい。その分だと今日も引き分けみたいですね」
「ああ、首尾はバッチリさ。食材とか食事の準備の方はどうだい?」
「問題ありません。マツタケもアワビもアワビモドキも買ってきました」クイッ
「宿の方に厨房の一部と調理道具をお借りする算段を付けましたから、お料理の方も大丈夫ですよ」
そう言ってふたりは指でOKマークを作る。
嬢ちゃんの後ろには食材と食器の数々が並ぶ。
「珠子さん、それは何ですか? 先ほどからマツタケとかアワビとか言っていましたが」
「そのふたつずつあるマツタケとアワビの籠と何か関係あるんでちか?」
”実方決定戦”の疲れで俺っちの肩でだらんとしていた実方(神)と実方(雀)がむくりと頭を上げ、嬢ちゃんに尋ねる。
「へへー、実方決定戦にちなんで、今晩の料理のテーマは”本物と偽物”にしました! このふたつのマツタケはマツタケとバカマツタケ! こっちはアワビとアワヒモドキ! この本物と偽物を使った料理をご馳走しますね」
「ふふん、本物の方が味が良いに決まっている」
「いや! 偽物でも本物に勝つこともあるでちよ」
そう言ってふたりは睨み合う。
やれやれ、自己嫌悪って言葉はあるけどさ、ちっとは自分自身と仲良くなれないものかね。
「それじゃ、あたしはちょっと貝の下ごしらえしてきますね。すぐに戻りますから」
そう言って嬢ちゃんはアワビとアワビモドキを手に広間を出て行った。
(偽物が……本物に勝つ……)
「どんな料理になるか気になるかい?」
俺っちは小声で懐の石に語り掛ける。
(ええ、少し……)
「だったら、今が約束の時さ!」
急に大きくなった俺っちの声に部屋のみんなの視線が集まる。
「約定に従い現れ出でよ! 我求めるは石の精霊! 十六夜姫なり!」
(えっ!? なにを!? きゃぁ!)
懐から取り出した石に神力を込めると、そこに召喚陣が現れる。
これは人間の陰陽師とか僧とかが使う、契約した”あやかし”を召ぶ召喚の術さ。
見よう見まねでやってみたけど、出来るもんだねぇ。
石は畳を転がり、ピカピカッと光と闇の点滅を起こす。
それが収まった時、その中心にカラフルな色の衣を重ね着した女の子がちょこんと。
平安風女房衣装ってとこかな。
「おっまたせー! さあ! 下ごしらえも万全! これから調理に入りますよ!」
タイミングよく、嬢ちゃんも戻って来た。
「あー! 誰ですか!? このなんて素敵な美人さんは!? まさか、緑乱おじさんが話されていた!?」
「は、はじめまして、十六夜です」
うひょーシャパネスクジャパネスクー! と喜んでその周囲を飛び跳ねる嬢ちゃんをチラチラと見ながら、この十六夜姫ちゃんは深々と頭を下げた。
◇◇◇◇
嬢ちゃんはもうもうと湯気を立てる蒸籠を横目に、ウキウキとアワビとアワビモドキのお造り作っている。
片方の蒸籠ではマツタケとバカマツタケの土瓶蒸しがが作られている。
うん、うまそうで心が躍るねぇ。
でも、こっちはあんまり踊るような気分じゃなさそうだねぇ。
なにせ、十六夜姫ちゃんと実方さんたちは、じっと見つめ合ったまま、黙っているんだからよ。
…
……
………
「い、十六夜なのですか?」
「ほ、本物の十六夜なのでち?」
「いいえ、申し訳ありません。わたくしは本物の十六夜姫様ではありません」
やっと口を開いた実方さんの問いを十六夜姫ちゃんは否定する。
素直だねぇ。
「わたくしは萬松寺にある十六夜姫様の墓の石の精でございます。おふたりが墓石に語り続けた十六夜姫様への想いから生まれました」
「なるほど……であれば自分の思い出の十六夜と瓜二つなのも道理」
「そうでちか……本物ではないのでちね」
「はい、偽物のわたくしでは十六夜姫様の美しさに及ぶべくもなく……申し訳ありません」
うーん、困ったな御三方の表情が暗くなっちまったぜ。
「そんな事はありません! 偽物だって捨てたもんじゃありません! それをこれからこの料理であたしが証明してみせます!」
シャキーンと包丁でカッコイイポーズを決めて嬢ちゃんが言う。
「なるほど、今日の食材はそのためでしたか。ですが、偽物が本物に勝てるとは思えません。そこの雀が自分に勝てないように」
『偽物は本物に勝てない』その言葉を聞いて十六夜姫ちゃんの表情が暗くなる。
「そんなことはないでち! 偽物でも本物に勝てるでちよ!」
今度は逆にちょっと明るくなった。
でも、ちょっと憂いが残っているねぇ。
八百比丘尼の言ってた通りだ。
「まず一品目! アワビの刺身とアワビモドキの刺身からです!」
俺っちたちの前に出されたのは、少し厚めに切られた薄い肌色の刺身と薄切りの真っ白な刺身。
「これはおいしそうですね。厚めの方がアワビで、薄めがアワビモドキでしょうか」クイッ
「その通りです。アワビモドキはロコ貝ともチリアワビとも呼ばれ、寿司ネタに使われることもあります。コリッとした食感がアワビに似ているんですよ。あ、ちなみに現在は食品表示の関係でチリアワビという表記は使えません。ロコ貝かアワビモドキと表記しなくてはいけないんです。余談はさておき、ささっ、どうぞ」
「いっただっきまーす」
嬢ちゃんに勧められるまま、俺っちたちはアワビとアワビモドキの刺身を口にする。
コリッ
コリコリッ
コリコリシャキッ
「おいしいです! アワビの方はとっても弾力があるのに硬すぎず、アワビモドキの方は硬さはあるものの、薄切りになっているのでシャキッと噛み切れます」
「アワビの方は繊維の方向にも包丁が入っていますね。これのおかげで噛み切りやすく仕上がっているのですね」クイッ
相変わらず嬢ちゃんの仕事は見事だねぇ。
こんな肉厚のアワビだったら噛み切るのに一苦労するだろうが、この切れ込みのおかげでサクッっと歯切れ良く食べられちまう。
「アワビとってもおいしー! 海のあじがいっぱいするー!」
「アワビといえば、磯の風味と貝の旨み。やはり本物は良い」
「そんなことはないでち! このアワビモドキは舌に広がる貝の甘味と旨みがたっぷりでち! 噛むほどに沁みだす儚くも美しい味でち!」
「そうですね。今の時点では互角といった所でしょうか」クイッ
「だな。アワビにはアワビの、アワビモドキにはアワビモドキの良さがある。高級感に惑わされなきゃ好みの問題だな」
そう言う俺っちを見て、実方(神)は袖で口を隠してクススと笑う。
「その含み笑いはなんだい? 俺っちが何かおかしいことをを言ってるかい?」
「いえいえ、貴方の認識は正しいですよ。今時点では。ですが、本物のアワビにはまだ隠された力があります。珠子さん、それを」
「あちゃー、やっぱり気付かれましたか。では、アワビをより堪能して頂くために、まずはお酒からです! 宮城の銘酒! 新澤酒造の”あたごのまつ”!」
嬢ちゃんが出してきたのは俺っちも好きなここ宮城の酒さ。
「新澤酒造といえば”伯楽星”でしたね。花見の時に飲んだ」クイッ
「はい、これも食中酒として優れたお酒でして、『荒城の月』の作詞で有名な宮城の詩人土井晩翠がここの酒を愛飲していたというエピソードがあります。『館山の頂開く酒むしろ 愛宕の松の薫いみじく』という和歌を残しているほど好きだったんですよ。あ、この館山は仙台の長命館城跡の周囲の地名です。今は四季折々の植物が楽しめる長命館公園になってまーす」
へー、そいつは風情がありそうでいいねぇ。
俺っちも後で行ってみようかねぇ。
「”あたごのまつ”は”阿古耶の松”に響き似てますね。自分が生前に陸奥国中を探し回った」
「やっとのことで千歳山にそれを見つけた時は心が躍ったでち。あの旅は大変だったでち」
ウンウンとふたりが同調して頷く。
「阿古耶姫と松の精の伝説ですよね。伝説の最後に阿古耶姫が植林した二代目の松を見つける探検が困難だったのは想像に難くありません。東北の太平洋側と日本海側への旅は現代でも大変ですから」
「そうでち、山越え谷越えの大冒険だったでちよ」
「では、みなさま方、僭越ながらわたくしが酌を……」
酒瓶を手に十六夜姫ちゃんが実方たちに近づき、酒を注ぐ。
続けて俺っちたちにも。
美人の酌はいいもんだねぇ。
嬢ちゃんだったら『酌は別料金になります』なーんて言っちまうからねぇ。
クピッ
口に含むとふくよかな甘味と酸味、それが口に広がるとスッと消える。
キレがあるってのはこんなんを言うんだろうねぇ。
いつまでも口に旨さの余韻が残るのもいいもんだが、食中酒としてなら、キレがあった方がいい。
次の食いもんが直ぐに楽しめるからよ。
「東北には美味しい日本酒が沢山あります。これはその中でも自分がイチオシの銘酒です。久しぶりですが、やはり旨い」
「神様なのに久しぶりなのですか? いくらでも奉納されてそうですけど」
「自分は青森の廣田神社に祀られてますから。捧げられるのは青森の地酒が多いんですよ」
「ウチもでち。雀には米をくれる人は多いでちけど、お酒はあんまちないでちからね」
神も妖怪も酒好きは多い。
だけど、それを飲む機会があるやつ、しかも全国の地酒を色々飲めるやつってのは少ないのさ。
『酒処 七王子』みたいな店はは実はかなりの例外で、それが人気のひとつなのさ。
「”あたごのまつ”の由来は全国に信仰されている愛宕信仰の神社や山が新澤酒造の近くにあるからだと言われています。ちなみにどの松が”あたごのまつ”かは不明です」
「食べ物関係で嬢ちゃんがわからないことがあるのかい?」
「わからないことだらけですよ。ちなみに”あたごのまつ”が不明なのは愛宕山が沢山あるからです。宮城県だけで11の愛宕山があるんですから」
「そいつは難儀だねぇ。しかし良い酒だ。アワビにもアワビモドキの刺身にもよく合ってさ」
海鮮と日本酒の組み合わせは最高さ。
世界には白ワインやウォッカが海鮮と合うって話も聞くが、やっぱ俺っちには日本酒が一番さ。
「これからもっと合いますよ。本物のアワビだけのもので。珠子さん、さあ、続けて本命を」
おや、実方(神)は自信たっぷりだねぇ。
何かあるってのかな。
「はい、それでは本命です。このアワビの肝醤油をどうぞ」
嬢ちゃんは台の下から醤油皿を取り出すと、それを俺っちたちに配る。
醤油の黒ではなく、茶色がかった肝醤油だ。
俺っちたちは促されるまま、チョンとアワビの刺身に肝醤油に付けて食べる。
「うわっ、おいしい海のあじがもーっとひろがったー!!」
「これはおいしいです。ともすれば臭みにもなる磯の味がこんなにも感じられるのに、全然苦くも臭くもなくって、旨みがたっぷり広がっていきます」
「そうだろう十六夜。陸奥国の海鮮は平安のころより美味と京にも知れ渡っていた。この味は偽物には出せぬぞ」
実方(神)は得意満面。
だけど、この味なら納得だぜ。
酒との相性もバッチリさ。
「珠子さん! アワビモドキにも肝はあるはずでち! こっちには肝醤油はないでちか!?」
「うーん、実はアワビモドキはアッキガイ科でアワビのミミガイ科とは違う種類なんですよ。アッキガイ科は日本ではアカニシという貝があるんですけど、この肝は身とは違って非情に苦くてエグみがあるんですよね。なのでアワビモドキの肝は食用には適さないです。輸入元のチリでの加工時に処理されてしまうので、日本に輸入もされていません」
「ふふん、わかったであろう。偽物では本物には勝てないと」
「いえいえ、これはまだ一品目ですよ。次は炊き込みご飯といきましょう! アワビの炊き込みご飯とアワビモドキの炊き込みご飯でーす!」
嬢ちゃんはひょいとおひつをふたつ取り出すと、その蓋を取る。
広間にふわーっと甘くていい香りが広がった。




