実方雀とアワビモドキ(その2) ※全5部
◇◇◇◇
嬢ちゃんが最後の力を振り絞って宿の温泉に入って、俺っちも末の弟とひとっ風呂浴びて、日は暮れた。
いつもなら、旅の夜はこれからが本番ってな具合に宴でも始まる所だが、嬢ちゃんは何だか別件が入ったらしい。
『ちょっと黄貴様に呼び出されちゃいました』
なーんて言って外出していった。
実方たちや、弟たちはみんな疲れたらしい。
お布団でグースカピーさ。
こんな夜は月を友に酒を呑むのが風流ってもんだが、生憎と俺っちはこれからが本番さ。
眩しいくらいの月の光を浴びながら、俺っちは外に出る。
昼に感じた、きっとベッピンさんのあの子の視線を辿りながら、夜道を進む。
ガサッ
実方の墓から西へしばらく。
名取の町を見渡す愛宕山、その中腹にその女の子はいた。
「ど、どなたですの!?」
「あやしいもんじゃないさ。今日は良い月だからさ。お前さんと話をしたくて来たのさ。千歳山からの旅で疲れただろう。そんな時は酒を飲んでぐっすり休むのがいいのさ。どうだい一杯?」
千歳山。
その言葉に女の子の目が大きく開かれる。
「わたくしのことを知っているのですか?」
「ああ、知ってるさ。お前さんと関係あるふたり……いや、ひとりと一羽の事もな。十六夜姫ちゃん」
「わたくしの名まで存じていらしゃるとは!? 貴方様はどちらの賢人でいらっしゃいますか?」
十六夜姫。
それは藤原実方が遺言の中でその身を案じた女性の名って話さ。
その姿は、遺伝ってのの恐ろしささえ感じるくらいの美人さん。
実方の面影さえなければ、口説いてるかもしれねぇくらいの。
その出自は実方とその初恋の相手、ゆきのとの間に生まれた実方の娘。
「俺っちの名は緑乱。賢人なんかじゃない、ただの酒飲みの……お節介屋かな」
そう言って笑う俺っちの姿を見て、
「まあ、あなたがあの有名な!」
「おや、俺っちはそんなに有名だったかな?」
うーん、兄ちゃんや出来の良い弟や素直な弟に比べると、あまり名は知れてねぇはずなんだが。
「ええ、緑乱様、いいえ、貴方様のかつての名をわたくしは存じておりますの。それにとっても嬉しいですわ。だって、わたくしはお節介さんを探していましたのですから」
男なら一発でコロリってなるくらい魅力的な顔と姿で、十六夜姫は笑いかけたのさ。
◇◇◇◇
十六夜姫の伝説ってのは、ちょこっとマイナーでなこんな話なんだ。
藤原実方が左遷だか何だかで、陸奥国の国司になった時に時の帝から受けた命が『歌枕を見てまいれ』。
この『歌枕』ってのが和歌に出てくるような名所のことでね、東北にも”阿古耶の松”って伝説がある。
阿古耶姫の悲恋伝説に出てくる松の精霊ってのがいてね、伝説の中で松は切り倒されちまうんだが、その伝説の最後に阿古耶姫が植えた二代目の松があってな、それが阿古耶の松。
平安時代には結構有名な伝説だったんだぜ。
その伝説の松をひと目見ようと実方は陸奥国を探索するんだが、やっとそれを千歳山で見つけた帰りに落馬しちまって、その怪我が原因で命を落としちまう。
死の淵の遺言が『私の死を都のゆきのと私の娘の十六夜に伝えてくれ』ってやつだったのさ。
聞いた従者はびっくり仰天。
実方は京の都では知らない者がいない程のプレイボーイでね、浮いた噂は山ほどあった。
だけど『ゆきのと私の娘の十六夜』だなんて初めて聞いた話でね、『まだ誰も知らない妾と隠し子がいたのか!?』ってな展開になって大慌てさ。
まあ、遺言だから仕方ないと、ゆきのと十六夜姫に伝えたら、この姫さんは『父の墓にお参り致します』と旅に出ちまってな、七転八倒の旅路を越えて、名取にある実方の墓にやってきたのさ。
そこで実方の霊から『私の遺品を千歳山萬松寺に奉ってくれ、そこから私は阿古耶の松を見続けたいのだ』と伝えられて、十六夜姫はまた旅に出るのさ。
この千歳山への道がまた大変なんだぜ、なんせ現代の山形市にあるんだからさ。
紆余曲折の末にやっと萬松寺に辿り着いて、遺品を奉納した十六夜姫は、その地で尼となって実方の菩提を弔い続けたって話さ。
その萬松寺には藤原実方と十六夜姫の墓が今も残っている。
「それで、俺っちにやって欲しいお節介ってのは何だい?」
「何ということではございません。ただ、この石を持って、明日も父様たちの傍に居て下さらないでしょうか?」
そう言って十六夜姫ちゃんはひと欠片の石を差し出す。
「それくらいはお安い御用さ。だが、お前さんが直接出向いた方が良くないかい? 不安なら俺っちが一緒してやるよ」
「その申し出はありがたいのですが……事情がございまして、わたくしは父様たちにお逢いすることは出来ません」
何か事情があるような憂いを帯びた表情を浮かべながら十六夜姫ちゃんは言う。
男なら誰でもお節介どころか、身を投げ打ってでも彼女を笑顔にしたくなるような、そんな顔さ。
もちろん俺っちも例外じゃない。
その憂いの事情を知っているから尚更さ。
「その事情ってのは、お前さんが偽物だってことかい?」
「どうしてそれを!? いいえ、知っていてもおかしくありませんわね。貴方様はかつて日本中を巡られたかの有名な八尾比丘尼であらせられたのですから」
”八尾比丘尼”、その言葉に俺っちの心臓がちょいと波打つ。
ああ、俺っちのもうひとつの名を知ってるって言ってたのはその名のことか。
「『どうしてそれを!?』ってのは俺っちの台詞だぜ。どこで聞いたんだい?」
「萬松寺を訪れる何人もの旅の僧のお話から推察いたしましたの。それに一度、お逢いしたことがあるような気がいたします」
「あちゃー、あの時か。確かに俺っちはずっと昔の物見遊山で阿古耶の松と萬松寺に行ったことがあるけどよ、その時は生まれてもいなかったお前さんが憶えていたとは迂闊だったぜ」
あの時は誰もいないと思ってたからな、俺っちも油断していたってわけか。
”あやかし”には上出来に、人間相手には上々に、俺っちは正体を隠し続けたつもりだったが、こんな所に罠があったとは。
その時は魂が宿ってなかったこの姫さんが、石のころの記憶を持っていたとはね。
「今度はわたくしの方です。どうして十六夜が偽物だっておわかりになりましたのでしょうか?」
「見ればわかるさ。お前さんは元は人間じゃないだろ、その気配はどっちかっていうと精霊寄りだからな。お前さんの正体は十六夜姫の魂が”あやかし”になったものじゃなく、十六夜姫の墓石から生まれた”あやかし”だろ。石の精霊ってとこかい?」
「まあ! なんてことでしょう! そこまでおわかりになられていたのですね。賢人様のご明察の通り、十六夜は石の精霊でございます。神となったした父君の藤原実方と、雀と化したお父様の実方雀が、この千年の間、何度も萬松寺を参りました。そして十六夜姫様の墓前で思い出話を聞かせて下さったのです。その想いから十六夜は生まれた”あやかし”でございます」
なるほど、死んだ子の人形に語り続けた結果、魂と意識を人形が宿すみたいな話ってとこかね。
考えてもみりゃ本物の十六夜姫さんは有名な伝承も無ければ、恨みや未練が残って死んだわけじゃない。
神や妖怪のような”あやかし”になんてなってないだろうよ。
きっと、そっちの方の十六夜姫さんは往生の果てに悟りに至ったか、転生でもしているんだろうな。
「この石はお前さんの分身ってとこかい?」
「その通りでございます。少しでも父様たちの傍に居させて頂きたく、何卒お願い致します」
「繰り返しになっちまうが、やっぱり直接逢うってのは駄目かい?」
「それは……十六夜は偽物でございますから。わたくしは父様たちをお慕いしておりますが、父様たちがどれだけ本物の十六夜姫様を愛しているか存じています。本物と思ったら偽物だった、そんな失望を与えるのだけは避けたく……お願い致します」
そう言って十六夜姫ちゃんは頭を深々と下げる。
健気だねぇ。
あの実方にはもったいないくらいさ。
「わかったぜ。お前さんのお願いの通りこの石を、お前さんの分身を預かっておくさ」
「まあ! ありがとうございます! 十六夜は果報者ですわ」
「その代わりひとつだけお願いがある」
「はい、何なりと」
「一度でいい。俺っちが呼んだら、俺っちの傍に来てくれないかい? 意味はわかるよな」
おおっと、少し卑猥な物言いだったかねぇ。
でも、意味は通じたみたいさ。
その可愛い頬がほんのり紅に染まっているからね。
「はい……承知いたしました」
「よしっ、取引成立。いいかい、俺っちが呼んだら、すぐに来るんだぜ」
「はい、緑乱様のおっしゃる通りに……、ですから……」
少し恥ずかしそうに、そして懇願するように十六夜姫ちゃんは俺を見上げる。
わりぃな、その表情に普通の男ならコロッとかデレェといっちまう所だが、俺っちは違う。
この姫さんを喜ばせることと幸せにすることは違うってことを知っているのさ。
そうだろう、八百比丘尼。
◇◇◇◇
「もー、おにいちゃんったら夜どこに行ってたの? ボク、ちょっとさびしかったんだから」
空が白み始めた頃、宿に戻るとそこには頬を膨らませた末の弟がプリプリして待ってた。
「わりぃわりぃ、ちょっち一杯ひっかけてた」
「珠子おねえちゃんも帰って来たのは夜中で、そのままおねんね。もう、つまんなーい」
むきーっと両手を上げて抗議する末の弟の隣で、当の嬢ちゃんはグースカピーと布団で色気の無い寝息を立てている。
「うーん、むにゃむにゃ」
おっ、起きたかな。
「嬢ちゃん。黄貴兄ちゃんの用って、結構大変なのかい?」
「ふわわぁ~、おはようぼざいます。いいえ、黄貴様の御用はお菓子作りで、大したことはありません。でも、その関係で今日の午後もちょっと外出します」
ただの菓子作りか。
嬢ちゃんを見ても不穏な様子はなさそうだし、だったら大丈夫だな。
「どこまで行くんだい? 足が必要なら俺っちが送ろうか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。昨晩は蒼明さんに送って頂きましたから。今晩もお願いするつもりです」
「これは結構な貸しですから」クイッ
「うぉう! びっくりさせんなよ」
俺っちの後ろから突如現れた蒼明に俺っちはちょっち驚いた。
「で、どこまでドライブしたんだい?」
「あの程度ならレンタカーを借りるまでもありません。ちょっと南の福島県の近く、亘理郡までです」キラッ
秋の朝の晴天が蒼明の眼鏡に反射する。
その物言いだと、車じゃなく担いで行ったみたいだな。
ま、いいけどよ。
「ありがとうございました。そろそろ借りがたまっていますね。どうにかして返さないと」
「でしたら、ひとつだけお願いを聞いて頂けません? それで貸しはチャラということで」クイッ
「どんなお願いですか? あたしを料理で倒すために師匠になって欲しいとかですか。なんだか燃える展開ですね」
橙依君が読んでる少年漫画の師弟対決ようなノリで嬢ちゃんは言う。
そういや、最近、店の一角に橙依君の漫画本棚が出来てたな。
「それもいいですが、私の願いは単純ですよ。『もし、私が料理勝負することになったら、私の味方をして欲しい』それだけです」クイッ
「なーんだ、それくらいお安い御用ですよ。でも、そんなんでいいんですか?」
「そんなんだからいいんですよ。では、この約束で貸しはチャラということで。いいですか、誰が相手でも私の味方になって下さい」クイッ
「はい、約束しましたっ! たとえ、神や悪魔が相手でも料理対決ならあたしは蒼明さんの味方ですっ!」
蒼明と嬢ちゃんの両手がガシッと握り合う。
やれやれ、そんな安請け合いしちまって大丈夫かね。
この出来る弟は、その戦闘力ばかりに目が行きがちだけど、賢い軍師タイプでもあるんだぜ。
何か裏か作戦が、きっとあるに違いねぇ。
「ところで嬢ちゃん、俺っちもちょっち相談があるんだが、いいかな?」
「その相談はあの籠から漂っている良い匂いのものと関係ありますか?」
スンスンと鼻を鳴らしながら嬢ちゃんはテーブルの上の真っ白な布がかけられた籠を指さす。
「おっ、相変わらず鼻が利くねぇ。そうさ、ちょうどいい朝市であれを仕入れたのさ」
「なにかなー?」
おやおや、末の弟は好奇心旺盛だねぇ、布をパッっと取っちまった。
俺っちがジャジャーンと登場させようとしたのにさ。
「あー、まつたけだー!」
「ほう、もうそんな季節ですか。国産の初物あたりですかね」キラーン
現れた高級食材を前に末の弟の目が輝き、出来る弟の眼鏡が輝く。
「おや? どうされました珠子さん。いつもなら『ヒャッハー! マツタケパーティだぁ!』なんて奇声を上げてもおかしくありませんが。ま、貴方はいつもおかしいですけど」クイッ
…
……
「……バカ」
少々の沈黙の後、嬢ちゃんは小声でつぶやく。
「何か言いましたか?」
「蒼明さんのバーカって言ったんでーす! そして、緑乱さんのバカ、バカバカバカバカ! バカッ……好き」
ポカポカと俺の胸を叩き、嬢ちゃんが俺を見上げて潤んだ唇を見せる。
純情な弟が見ちまったら勘違いしそうな姿。
「おっ、愛の告白たぁ嬉しいねぇ。このまま偽装結婚から本当に結婚しちまうかい?」
「いや、それはそのままで。でも、嬉しいですっ! こんなバカなキノコを買ってきてくれて! ヒャッハー! バカのパーティだぁ!」
潤んだ唇はよだれってね。
やっぱ嬢ちゃんは食い意地が張ってる時が一番可愛いねぇ。
「私のどこがバカなのです?」クイッ
「物を知らないからバーカなんですよ。これはマツタケではありません! これはバカマツタケですっ!」
「なにそれー? ボク知らないよー」
「ああ、紫君はいいんですよ。これは見た目だとほとんどわからないから」
そう言って嬢ちゃんはよしよしと末の弟の頭を撫でる。
「違うの、ですか?」クイッ
「はい。蒼明さん、マツタケが生える時期と場所はご存知ですか?」
「時期は10月~11月頃、場所はその名の通り松林でしょう。それくらいは知っています」クイッ
「その通りですっ! マツタケは本格的な秋の始まる10月頃から針葉樹の松林に生えます。ですが、このバカマツタケは残暑が残る9月~10月頃にクヌギやナラやシイといった広葉樹の林に生えます。時期と場所を間違えるバカなマツタケ。だからバカマツタケと呼ばれるんですよ。ちょっと小ぶりで赤みがかっているのが違いですね」
ピッと指を立てて嬢ちゃんがバカマツタケについて説明する。
「こんなにそっくりだと普通わからねぇよなぁ。俺っちも朝市で品札がなかったらわからねぇぜ」
「ですよね。あたしも思わずガン見とガン嗅ぎしちゃいましたから。あ、マツタケもバカマツタケは味も香りもほとんど同じですが、バカマツタケの方がちょっと香りが強いんですよ。それでご相談って何ですか? これと関係がある”あやかし”だとすれば、茸の化けとか馬鹿ですか」
「ん、残念だが違うねぇ。ちょっと偽物だって悩んでいるお姫さんについての相談さ」
そして俺っちは語り始めたのさ。
石の精の十六夜姫との出来事を……。




