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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第八章 動転する物語とハッピーエンド
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化け猫遊女とカレイの刺身(その2) ※全5部

◇◇◇◇


 杞憂でした。

 少し想定外のこともありましたが、問題ありません。


 「いやっほー! 憧れの”魚鱗鮨”だー!」

 「わっちまで誘って頂いてありがとにゃん」

 「いいってことよ。今晩は俺っちの気前のいい弟のおごりだからな」

 「ありがとうございます! 鬼畜男前眼鏡さん!」


 そう言って珠子さんは私に一礼。

 あの後、化け猫遊女さんも連れて銀座の”魚鱗鮨”に移動した時、店の前で待ち構えていたのは珠子さん。

 緑乱(りょくらん)兄さんがどこかに電話していましたらから、そうではないかと予想していましたが、それは正解だったようですね。

 

 「でも大丈夫ですか蒼明(そうめい)さん。 この店はかなりの高級店ですよ」

 「ちゃんとクレカ持ってきたか?」


 珠子さんと緑乱(りょくらん)兄さんがそう心配するのも無理ありません。

 この店は所謂(いわゆる)高級店。

 会社役員や政治家の接待にも使われる店とネット記事に掲載されていました。

 記事曰く、おひとりあたりご予算3~5万円。

 『酒処 七王子』の10倍以上の値段ですが、銀座の一流店としては相応と言えましょう。


 「問題ありません」クイッ


 私は落ち着いた口調で言い放ちます。

 私は黄貴(こうき)兄さんほど潤沢な資金があるわけではありませんが、それなりの蓄えはあるのです。


 「さっすが蒼明(そうめい)様だ。俺っちもこの店は何度か行ったことはあるけどよ、年に数回行けりゃいい方さ。俺っちはこの店の最初期からのファンでね、ツケもきくいい店なんだぜ。築善尼(ちくぜんに)のやつさえいなけりゃな」

 「築善尼殿とは慈道殿の師匠のことでありますな。なんでも、退魔の腕は慈道殿より上だとか」

 「私もこの前お会いしました。ここの板前長さんは築善尼さんの旦那さんなんですよ」

 「そうそう、おっかねぇ築善尼と違って大将はいいやつさ。さて、築善尼のやつがいないことを祈ってっと」


 ウィーン


 自動ドアが開き店員の方が私達に声をかけてきます。

 

 「いらっしゃいませ。ご予約なさっていた緑乱(りょくらん)様でしょうか」

 「おう、そうさ」

 「本日は座敷は満席ですので、カウンターでのご案内になります。こちらへどうぞ」


 なるほど、退魔僧の夫が経営しているだけあって、奥の座敷のいくつかの部屋から霊力の高そうな人間の気配がします。

 ここは会社役員や政治家が、人間に害成す”あやかし”に秘密の会合を設ける場所でもあるのでしょうね。


 「わっちもこの店は知ってたニャけど、退魔の連中がたむろってるので来れなかったニャ」


 生け()の魚を眺めて目を輝かせながら化け猫遊女さんはそう言います。


 「そうですね。この店なら化け猫遊女さんの気に入るカレイの刺身があるかもしれませんね」

 「あるかにゃー? あるといいにゃー」


 私はモフモフ隠れ家のお礼にと化け猫遊女さんに何度もカレイをご馳走しましたが、彼女が気に入ったカレイには出会えていません。

 ただ、私は無意識にこういった退魔の者が常駐している店を避けていましたから、この店なら可能性があるかもしれません。


 「へぇ~、化け猫遊女ちゃんは(カレイ)の刺身が食べたいのかい」

 「そうニャ。300年近く探しているけど、昔食べたあの美味しかったカレイの味には再会できてないニャ」

 「きっと今日見つかると思うぜ。なんせここは日本一の店だからよ」


 そう言って緑乱(りょくらん)兄さんは案内されたカウンターのテーブルに座ります。

 続けて私達も。


 「そう言ってもらえると嬉しいですね、緑乱(りょくらん)さん。それに今日は大人数ですね。おや、あなたは確か……」


 そう言ってカウンターに立つ初老の男。

 おそらくこの方が板前長なのでしょう。

 その姿に私は見覚えがあります。

 確か……、彼は私が串刺し入道との料理対決の時に審査員を務めた男性。

 なるほど、退魔尼僧の夫でしたか、ならばあの度胸も頷けます。


 「久しぶりですね。その節はお世話になりました」

 「いえいえ、私こそ貴重な経験をさせて頂きました」

 「なんでい蒼明(そうめい)。この大将と知り合いなのかよ?」

 「はい、福井でアウトドア料理の時に」

 「ふーん、そりゃ奇縁ってやつだな。大将、こいつは俺っちの出来る弟の蒼明(そうめい)。今日の支払いは全てこの素敵眼鏡が持ってくれるってよ」

 「ええ」クイッ


 約束を守るということは男として基本。

 その意志を私は明確に言葉にします。


 「それはそれは、ありがとうございます。では何から握りましょうか?」

 「まずは大将のおススメ盛り合わせを人数分頼まぁ。あとは個人で好きなものを頼むとしようや。それでいいかい?」

 

 緑乱(りょくらん)兄さんの問いに珠子さんたちが「はーい」ニャ」と賛同の意を示します。

 もちろん私も。

 さて、後学のために私も日本一の味とやらを堪能してみますか。


◇◇◇◇


 「らめぇ~、もうハッピーエンドにも限度ってものがあるぅ~」


 そんなゆるゆるな顔をさらしているのが珠子さん。

 彼女の表情はだらしないの一言に尽きますが、私であっても気を引き締めなくてはそうなってしまうかもしれません。

 ふんわりとした玉子、口の中で蕩けるようなトロ、戻りガツオの炙り、ふわりと口の中で酸味と旨みが広がるコハダ、柔らかく口の中で舌を包み込みようなイトヨリ、見事に骨切りされたハモ、弾力のある白身のヒラメ……。

 どれもがその一品だけで埋め尽くされた船下駄を個別に注文したくなるような美味でした。


 「これは見事な腕ですな。かつて庶民の食べ物とされた寿司がここまで成長を遂げたとは、長生きはしてみるものです」

 「美味でありんすニャ! こんなに美味しい寿司を出す仕出し屋なんてなかったにゃ」


 この味は鳥居さんや化け猫遊女さんにも大好評のようです。

 どうやら、その秘密の一端はハケで塗ったタレを変えていたり、同じネタでも出す相手の味の好みによって部位を変えている所でしょうか。

 同じトロでも脂の多い大トロは珠子さんに、より赤身に近い方は鳥居さんや化け猫遊女さんに出していたように見えましたから。


 「どうだいこの店は? 俺っちの言った通り日本一だろ?」

 「そうですね。珠子さんの味よりずっと美味しいです」クイッ


 女の子に気の利いた事を言う赤好(しゃっこう)兄さんや素直な橙依(とーい)君ならこの台詞の後に『でも珠子さんの作った方が好き』とでも言葉を続けるのでしょうが私は違います。

 事実を事実のありのままの通りに伝えることの重要性を私は知っているのです。

 

 「ひどーい。あたしだって同じ素材を使えば板前長さんの足下くらいには及ぶと思いますよ。事実なのでそのまま受け入れますが、いずれ蒼明(そうめい)さんに『匹敵するくらいおいしい』って言わせてみせます」

 「ええ、そのときはついでに『ぎゃふん』とも言ってあげますよ」クイッ


 珠子さんの物言いに私は少し挑戦的に言葉を返します。


 「あー、言いましたね。その吐いた唾を飲みこまないで下さいよ」

 「ええ、その日が来ることを楽しみにしてます」クイッ

 

 ま、私が”ぎゃふん”なんて言う日が来るとも思えませんが。


◇◇◇◇


 お手洗いに中座して私がカウンダ―に戻ると、板前長さんと緑乱(りょくらん)兄さんが楽しそうに会話しています。

 

 「そっかー、築善尼のやつは仕事中か。そいつはよかった」

 「はい、明け方には戻ると思います」

 「そっか。うんうん」


 何かに安心したように緑乱(りょくらん)兄さんは頷きます。

 その築善尼とは、そんなに恐ろしい退魔僧なのでしょうか。

 まあ、私の敵ではないと思いますが。


 「ふぃ~、みごとだったにゃ~。これにゃら期待できるニャ! カレイの一番おいしいのを頼むにゃ! 刺身で!」


 次に化け猫遊女さんが注文したのは、彼女が長年追い求めている一品。

 カレイの刺身を彼女は注文します。


 「はい。それでは城下(しろした)カレイはいかがでしょうか」

 「城下カレイ! あたしも食べたいですっ!」

 「ほう。かつては早馬で江戸城へ届けられていた城下カレイであるか。楽しみであるな」

 「その城下カレイというのはどのようなカレイなのですか?」

 「大分の別府湾で採れるブランドのカレイですっ! 肉はピチピチと弾力があって、脂がのっているのに淡泊で上品な旨みが満載のちょーおいしいカレイですよ!」

 「左様。かつて江戸では(カレイ)は庶民の魚として親しまれておりました。しかし、城下カレイは別格であります」


 なるほど、これは期待できそうですね。


 「ではそれを人数分頼みます」クイッ

 「わかりました少々お待ちください」


 ザバッと生け簀からカレイが引き上げられると、それは板前長さんの手でみるみるうちに締められ、捌かれ、刺身へと姿を変えていきます。


 「お待たせしました。城下カレイのお造りです」


 大皿に盛られたそれは、純白でありながらも皿の文様が見えるほどの薄さと美しさ。

 見事ですね、しばらく眺めておきたいくらいです。


 「いただくニャ」

 「いっただっきまーす!」

 

 ですが化け猫遊女さんと珠子さんはその美しさを堪能などせず、それを口に運びます。

 やれやれ、食い意地が張っていますね。


 「おいしいニャ。早く食べないと無くなってしまうにゃよ」」

 「うっまー! こりゃ将軍様も目をつけるだけあるわ! ほら、蒼明(そうめい)さんたちも早く食べないと無くならせますよ!」


 そう言って珠子さんはズサーと三枚くらいいっぺんに口に運ぶ。

 やれやれ、貴方という人は、もう少し色気のある言い方とか食い方は出来ないのでしょうか。

 しかし彼女たちに食べ切られてしまうのも悔しいですね。

 今日は私の(おご)りなのですから。

 私も箸を取り、城下カレイの刺身を一枚口へ。


 コリッ


 その弾力は歯が弾き返されたと思うほど、その味わいは純粋培養された旨みの塊ではないかと錯覚するほど、舌だけではなく口の中の美味なる空気が鼻に旨みの風を感じさせるほど。

 それほどまでの美味。


 シュパッ


 「あー、蒼明(そうめい)さんったらそんなに早く食べないで下さいよ」

 「早く食べろと言ったのは貴方でしょうに」クイッ


 早く次が食べたいという気持ちと、この美味を舌の上で堪能したいという感情のせめぎ合いの中、私は箸を進めます。

 そして、この極上の美味は数分と経たずに空となりました。


 「いやはや、これは美味しいですね」

 「だろ」

 「左様であろう」


 緑乱(りょくらん)兄さんも鳥居さんもこの味に満足した様子。

 これなら、化け猫遊女さんの願いも叶ったのではないでしょうか。


 「確かに美味しいカレイだったにゃ。でも……これでも、わっちの求める味ではなかったにゃ」


 満足と不満足の入り混じった声で彼女はそう言います。


 「化け猫遊女さん。その求める味ってどんなものですか?」

 「私も興味があります。お客様の満足のいく食事を出すのが料理人の本懐。どこが違うのか教えて頂けないでしょうか」


 珠子さんと板前長さんがズズイと化け猫遊女さんに詰め寄ります。

 ここらへんは料理人特有の気質というものでしょうか。

 ”おせっかい”とも呼ぶかもしれませんが。

 そんな”おせっかい”に化け猫遊女さんは少し考える素振りをみせると、


 「わかったでありんす。でも、そんなに大層な話ではニャいですのよ」


 そう言って彼女がなぜカレイを求めるかを話し始めました。

 300年以上も前の、とある遊郭の少女と猫の話を……。


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