化け猫遊女とカレイの刺身(その1) ※全5部
私の名は蒼明、八岐大蛇と八稚女の五男。
世間一般には妖怪王候補のひとり、東の眼鏡大蛇と言った方が通りが早いでしょうか。
そう呼ばれるのは本意ではありませんが。
私が北の迷い家を配下に加え、北海道までその支配下に広げたことで、私のやるべきことは膨大になりました。
迷い家に囚われていた東北の”あやかし”の統括、東京への移転者の世話、私の支配下の地域で起こる小競り合いの鎮静、そして他の妖怪王候補との確執。
黄貴兄さんが相手ならば問題ありません。
基本的に同盟関係にありますから。
争うならば正々堂々と、時には手を組んで対処、そして最後のふたりになったなら決着を付けるという暗黙の了解があります。
もふっ
京の酒呑童子は難敵です。
ですが、一対一で決着を付けるならば勝てます。
……いや楽観はできませんね、互角といった所でしょうか。
ただし、相手が酒呑童子一味だとしたら話は別です。
私ひとりでは勝てないでしょう。
ですが、幸いにも酒呑童子は京の大江山から動きません、聞けば”妖怪王がいない今の状態の継続”が目的のこと。
京の酒呑童子を倒さずしては妖怪王は名乗れませんから、おそらく彼は負けない戦いを続けるのでしょう。
防御に徹した大江山を攻め落とすのは難しいかもしれません。
仲間を集め決戦を挑むか、一対一の対決に持ち込むか……後者が理想ですね。
ですが、今、警戒するべきは酒呑童子一味でもありません。
もふもふっ
西の龍王。
”大悪龍王”と名乗るその”あやかし”は正体不明で能力も不明。
龍王と名乗るからには龍種ではあるだろうと推察されますが、それも虚言かもしれません。
ただわかっているのは、その支配下では次々と”あやかし”が大悪龍王への恐怖でそれに従うか、恐怖に怯え姿を隠しているいうこと。
反逆者への粛清が行われているとの情報もあります。
早めに対処したいのは山々なのですが、焦って事を起こせば失敗するのは明白。
時には私自身も英気を養う休暇も必要でしょう。
もふもふっもふふっ
ああ、これですか?
かわいいでしょ。
猫です。
◇◇◇◇
にゅぁ~、にゃぁ~、ゴロゴロゴロ。
ああ……いやされる……
東北にはイタチやムジナといったモフモフ”あやかし”は多いのですが、やはり彼らを撫でまわすのには抵抗があります。
彼らは私の庇護者たちですから。
本当は北海道のコロボックルさんたちの住み処にメイプルタウンさんグッズでも持って記念撮影旅行に行きたい所ですが……私にも世間体や妖怪王候補としての立場があります。
ですので、このような近場で普通の猫を愛でるのは、日々の悩みを忘れて過ごせる貴重な時間。
ここは浅草浅草寺より少し北。
江戸時代、日本一の歓楽街であった吉原と呼ばれた場所。
現在はいかがわしいお店が並んでいる一角です。
といっても、吉原が日本一の歓楽街であったのは昔のこと、そういうお店の地域としては今は小さ目といえましょう。
こんな所に私の知り合いは訪れません。
珠子さんはもとより、弟たちはまだこんなとこに興味はありませんし、兄さんたちが行くならば、もっと規模の大きい歓楽街に行くでしょう。
ま、行きそうなのは緑乱兄さんくらいでしょうが。
そんな中でいかがわしい猫耳の店として経営している、ここ”カレイドキャッツ”は私の隠れ家。
私の目的はそういうことではなく、ここの女主人や従業員の方がお店で飼っている猫たち。
もちろん、”あやかし”ではなく、普通の猫ですよ。
普通の猫喫茶ならば珠子さんや弟たちが来る可能性はありますが、ここならば安全です。
心置きなく、もふもふスリスリできるって寸法です。
「しっかし、最強と名高い八岐大蛇の王子様にこんな一面があるニャンて、バレたら大変じゃにゃいの」
そう声をかけてきたのは、ここの女主人、化け猫遊女。
この吉原で約300年生き続けた”あやかし”です。
「そこは貴方を信用していますから」クイッ
「そう言われると裏切れないニャね。ま、わっちらは昔からお上には逆らわないってのが信条にゃんで、強いものには巻かれるにゃ。その証拠に昔のわっちは太夫の首にマフラー代わりに巻かれてきたもんにゃ。そこの錦絵みたいにニャ」
彼女が示す壁には猫を首に巻く江戸時代の高級遊女”太夫”の絵。
にゃんこマフラー……、いい。
「その賢明な判断は好きですよ。いずれ間違っていなかったと思わせましょう」クイッ
「いうにぇ。ま、王子様が破れたら、別のやつに鞍替えするだけにゃから、わっちはどうでもいいにゃけど。でも、わっちたちの価値をわかってる者が、上に立って欲しい気持ちはあるにゃ」
「ふふふ、好きですよ、あなたのその合理的な所」クイッ
「あー、にゃめにゃめ。そんな『好きですよ』って台詞は惚れた相手にとっておくにゃ。ま、リップサービズでも嬉しいから、今日はちょっとだけサービスにゃ」
彼女がぷにぷにと肉球を打ち鳴らすと、のっそのっそと一匹の猫が部屋に入る。
いわゆるデブ猫です……かわいい。
「これは?」キラーン
「うちの新人が飼っている猫にゃ。仕事中も心配だから連れてきたって。保育所があるそういう店は少なくないけど、猫保育所がある店はわっちの店くらいにゃよ」
なるほど、流石は化け猫遊女、相手のことをよくわかっています。
「ありがたく堪能させて頂きます。このお礼はいつものでいいですか?」クイッ
「それでいいニャ。またお刺身の美味しい店に連れてってくれニャ」
私とこの化け猫遊女はそれなりに長い付き合い。
彼女のもてなしに私は安全という庇護で応えますが、その他にも彼女が要求するものがります。
彼女はお魚が好きなのです、特に鰈が。
それは、このお店の名前”カレイド キャッツ”にも表れています。
何てことはない要求ですがね。
さて……
私はこのぷみゅぷみゅしているきゅんきゅんデブ猫に向かい合います。
「ぬにゃぅぉ~」
ああ……なんて愛くるしくて愛らしい姿なのでしょう。
ここはいかがわしい店のスタッフ用休憩室。
支配人の化け猫遊女が同族の猫を慈しむ気持ちとスタッフの癒しのために、にゃんにゃんがちょうりょうかっぽする場所。
いかがわしい人間の女性は仕事中ですし、男性客がここに入ることもありません。
お店柄、防音もしっかりしており、外から覗かれることもありません。
ですが、念には念を入れて。
「時に化け猫遊女さん。今日の客の入りは?」
「満員さね。スタッフの女の子たちはしばらくは戻ってにゃいし。予約は他に1件だけにゃ。ここにはこにゃいと思うにゃよ」」
私の意図を汲んで化け猫遊女さんが答える。
にゃるほど……つまり……
思う存分、にゃんにゃんもふもふしてもいいってことですねー!
ガバッと私はデブ猫ちゃんを抱きしめ、そのお腹にきゃおをうずめ、すはすは。
うにゅ~、このにゃわらかなおにゃかで、にゃんこすはすははたまりませんね。
ああ、ちょっとつよしゅぎまちたか!?
こんどはやさしくちますきゃら、にゃ、にゃ、ちちちちち。ほーらつかまえた。
あーいいこでちゅね~。
そのままおなかをポヨポヨ。おかおをうずうず、にゃにゃにゃにゃっはー。
うにゃ~にゃ~、にゃわいい~。
ガチャ
そんな、ゴロゴロゴロと床を転がりながら猫のお腹の匂いを堪能する私の耳に聞こえたのは、扉の開く音。
見られた!?
パタン
そして閉まる音。
見なかったことにされた!?
マズイ! 私にだって世間体や妖怪王候補としての立場があります。
見たのが従業員であれば金を掴ませて口止め、男性客であれば脅してでも口止め、”あやかし”ならば脅かしてでも口止め。
よし! そうしましょう! そうすべきです!
ドガッと大きな音を立てて扉を開き、私は覗き魔の正体を確かめる。
そこに居たのはふたり。
「よ、よう蒼明。ここで会うなんて奇遇だな」
ひとりはここに来る可能性がわずかにある緑乱兄さん。
兄さんなら、深刻な問題ではありません。
交渉次第で何とかなるでしょう。
ですが、もうひとりは……
「まさかこんな所で四番目の弟君に出くわすとは。蒼明殿も男であるから当然といえば当然でありますかな」
それは、黄貴兄さんの配下、鳥居耀蔵。
彼はかつての南町奉行……、お奉行様でした。
◇◇◇◇
「どうしてここに!?」
「いや俺っちはこの鳥居さんに吉原の案内をお願いしたのさ。詳しいって話を聞いてな」
「左様。ですが、儂が知っているのはかつての吉原。現代の吉原は詳しくありませぬ。そこで旧知の化け猫遊女殿の助言を仰ぎに来た次第」
旧知?
「ああ、よくいらっしゃいましたにゃ。お奉行様」
「その名はよしてくれ。儂はもう南町奉行ではない。鳥居でよい」
「はい、鳥居様」
さも当然のようなやり取りが私の目の前で行われる。
「化け猫遊女さんと鳥居さんはお知り合いなのですか?」
「左様。江戸時代、南町奉行であった儂はこの吉原の化け猫遊女と組んで岡場所の撲滅にあたりました。水野忠邦様の天保の改革の一巻として」
岡場所……大学の一般教養の歴史の講義で聞いた気がしますが、私の専攻ではないのでうろ覚えですね。
吉原と何か関わりがありのでしょうか。
「その岡場所ってのは何だい? 明治のころには無かったぜ」
私と同じ疑問を持った緑乱兄さんが鳥居さんに問いかけます。
「岡場所とは幕府公認の遊郭であった吉原とは違い、非公認の遊郭だった場所を指します。風紀の乱れや騒乱の元となっておったので、水野様が天保の改革でそれを廃すと定めました。江戸四宿の品川、内藤新宿、千住、板橋の大規模で準公認であった岡場所を除いて他の岡場所は全て吉原に移転、もしくは廃業とする定めです」
「わっちたち吉原の遊女も商売敵の排除に協力したのニャ。吉原の遊女の待遇は良いとは言えにゃかったが、岡場所の遊女はもっと酷い扱いだったニャ。岡場所を廃し、そこの遊女を受け入れることで遊女全体の待遇改善にもにゃったニャ」
なるほど、鳥居さんと化け猫遊女さんとはそういった関係でしたか。
かつての南町奉行なら吉原に詳しいのも当然でしょう。
しかし……
私は緑乱兄さんを見て「ふぅ」と溜息。
あの、だらしのない顔……。
どうせろくでもないことを考えているのでしょう。
「さっすがお奉行様だねぇ。それにさっきの話だと内藤新宿の岡場所は残ったって話だったじゃねぇか。新宿の盛り場っていえばあそこだろ。ひょっとして新宿の歌舞伎町にも詳しかったりするかい?」
ほら。
◇◇◇◇
「えー、鳥居さんでも詳しくねぇのぉ!?」
「残念ではありますが仔細承知ではありませぬ。現代で日本一の歓楽街とされる歌舞伎町は戦後に発展した町でありますゆえ。かつての内藤新宿の岡場所は、現在は新宿御苑近くの雑居ビル群になっております」
緑乱兄さんのろくでもない質問にも真摯に答える鳥居さんは流石です。
この御仁は黄貴兄さんの近臣の中で私が特に目をかける存在。
その博識さと酸いも甘いも噛み分けた人生観については一目を置かざるを得ません。
珠子さんの一芸に秀でた料理の腕、鳥居さんの広く深い知識、それは黄貴兄さんの覇道に大きく貢献しているのは間違いないでしょう。
私も妖怪王争いで負ける気はありませんが、たまに羨ましくなる時があります。
自らが認める者と肩を並べて目標に進むというのは、とても良いものですから。
ですが、私の庇護下の者たちであっても、それに劣るとは思いません。
もふっ
そう……赤殿中やタヌキさん、カマイタチさんたちや、コロボックルといったモフモフの存在から私は彼らを守るべきという使命感と、
もふふっ
なによりも癒しを受け取っているのですから。
ももふふふぅ
もふもっふもふもっも「うなぁ~~~ぉ」
「しっかしなんだな。お前さんがそんなに猫好きとは思っていなかったぜ」
「左様。儂らとの不意の遭遇があっても、手を緩めることのない姿勢には恐れ入ります」
しまった……手が勝手にデブ猫ちゃんのポンポンに……
疲れているのでしょうか……疲れているのでしょうね。
「この王子様は結構溜め込んでいるのニャ。妖怪王候補は大変にゃから」
「ハハハ、違いねぇ」
「左様、たまにはこういうところで発散するのもよいでしょう」
なんですか、その含み笑いは。
マズイですね、このままでは私が舐められてしまいます。
そんな隙は妖怪王候補にあってはならないもの。
仕方無い、少し脅しておきましょうか。
「少し、黙って、くれませんか?」
少し低いトーンで、そして高まった妖力を伴って私は口を開く。
これは、普通の人間であれば気絶、”あやかし”であっても一目散に逃げるか、怯えて竦むほどの圧力。
「おお、こええ、こええ」
「左様、少し冗談が過ぎましたかな」
「そんなに目くじらを立てたら、素敵な眼鏡が台無しにゃよ」
ですが、この3名はそれに怯えることなく、さらりと受け流します。
「怖く、ないのですか?」
「お前さんが本気で怒りゃ怖いさ。だけど、そうじゃなければ平気さ」
「左様、蒼明殿が本気で怒ったなら、口など開かず行動に移るでしょうからな」
「ありゃ、そりゃこわいにゃ。気を付けるにゃ」
その飄々とした物言いに私の毒気が抜かれます。
いや、私には毒気など最初からなかったのが見破られたといった感じでしょうかね。
仕方ありません、普通にお願いしますか。
「失礼しました。ですが、ここで見たことは内密にお願いできますか?」
「いいぜ、ま、ロハとは言わないがよ」
「緑乱王子は古い言い方をするニャね。タダって言わなきゃ現代っ子には通じないニャよ」
「それくらいは知っています。ロハとは只を分解した文字です。それを転じてロハがタダ、つまり奢り意味を示すのでしょう。昭和の本にもそう載っていましたよ」
1970年から1980年代の作品にそういう記述があったのを私は知っているのです。
「ぐはっ!! 止めてくれ、そう言われると俺っちのハートが痛い」
さっきの妖力には全く意に介さなかった緑乱兄さんが、なぜかダメージを受けたような素振りを見せます。
不思議ですね。
ですが、お金で解決するのなら問題ありません。
「では、ここの支払いを私が持つという事で手を打ちませんか?」
「止めてくれ、弟の金で女を買うほど俺っちは落ちぶれてねぇよ」
「左様。儂とて人の金で吉原で遊んだ男の末路がどうなっていくかくらいは知っております。遊ぶならば己の金で遊ぶべきかと」
「ふたりともわかってるにゃ。人の金で分不相応の遊びを覚えたにゃら、それ以降も借金とか友人の金を拝借して遊びを続けるようになってしまうにゃ。そんなんにゃと、碌なことならないニャ」
「なるほど、ではどういったのがお望みでしょうか?」
「俺っちたちにお高い店で飯でもおごってくれ。そいつでいいさ。鳥居さんもそれでいいだろ?」
「左様。それがよいかと」
なんだ、そんなことですか。
問題ありません。
「わかりました。どこに行きます?」クイッ
平静を取り戻し、私はいつものスタイルで尋ねます。
「緑乱殿、八百善などはいかがでしょう。聞けば、現代まで残っているという話です」
「お奉行様、その茶漬け一杯が一両二分、現代換算で10万円くらいした江戸時代の高級料亭”八百善”は今は料亭事業をやってないニャ。今はデパートで高級総菜を売ってるだけニャ」
「そうであったか。では、緑乱殿にお任せしましょう」
鳥居さんの問いに緑乱兄さんは少し考える素振りを見せます。
「よっしゃ! 俺っちの知り合いの店に行こうぜ。銀座の”魚鱗鮨”って店さ」
その店なら私も知っています。
TVでちらりと見た料理大会で優勝した店。
高級店の証である星を持つ、銀座で長年経営を続けている名店です。
高いのは予想できますが、さほど心配はないでしょう。
うっかりボッタクリの店を兄さんが選んでしまうという悪い可能性を想定していましたが、”魚鱗鮨”は星を持つ店。
そこで請求される金額は”まっとうな高級店の額”。
でないと、銀座で長年店を構え続けるなど出来ないはずですから。
これなら問題ありませんね。
「わかりました。今晩の支払いは私が持ちましょう。それでいいですね」クイッ
「ああ、俺っちもそれで秘密は守るさ。ちなみに、そこは高っけぇぞ。心の準備とクレカの準備をしとくんだな」
そう言って緑乱兄さんはニヒヒと笑います。
これは珠子さんがたまに見せる悪だくみの顔に似ています。
なんでしょう……何かよからぬことを企んでいる予感がします。
杞憂に終わるといいのですが……。




