天神様と過橋麺(後編)
ここで間違えるわけにはいかない。
あたしは数秒の間を置いて口を開く。
「はい、それは”初心”と”思い出”です」
「もう少し詳しく」
あたしの答えに天神様はさらに一歩踏み込む。
「天神様は人知を超えた叡智と、偉大なる神力をお持ちです。望めばまさに天上の饗宴でも思いのままでしょう」
「うむ、その通り」
「そんな方の心に響くもてなしはひとつ。未だ知らぬもの、知ってははいたけど意外な組み合わせなもの、それを示し、決して取り戻せぬ素晴らしいものを思い出して頂くのが一番かと思いました」
あたしは少し視線を上げ、月を瞳に、風を肌に纏う。
「世界の全てが初めて見る不思議と未知という宝物であふれていた時、世界の全てが愛と慈しみに包まれていると信じて止まなかった幼き時、それは世界の荒波に色あせてしまったけど、その思い出があれば、再び心に甦る。それはあたしも、天神様もお持ちの、唯一無二にて同一の宝であると信じて、今日の次第と致しました」
今日のコンセプトは天神様が11歳の時に作った漢詩『月夜に梅花を見る』。
その時の心を料理とシチュエーションで思い起こさせる。
そして、その初心の時が幸せな時間であったなら、それはたとえ神の心でも動かすと思ったのだ。
「娘よ。珠子と言ったな」
「はい、『秋月珪の如し』の天子より下賜される珪とは違う。ただ丸い珠です」
「そうか、あるがままで美しい珠か。その心を映したような良い名じゃな」
「ええ!? あたしって自分の心はそんなにピュアではないと思いますけど」
あたしの心はよく迷うし、怒ることももあれば、失敗だっていっぱい。
天神様にそこまで褒めめられるとは思えない。
それとも、あたしってひょっとして”あやかし”にとっては珠玉のように魅力のあるビジュアルをしているのかしら。
真の魔性の魅力を持っているのかも、ぐへへ。
「己の心に素直で、それを体現しているのも魅力のひとつじゃよ」
おおう! 天神様ってひょっとして心が読める能力があるのかしら。
「よき答え、そして、よきもてなしであったぞ。儂も久しぶりに初心に帰れた」
天神様の表情が丸く、子供のような無邪気さすら感じられるようになっているのは、きっとあたしのもてなしが成功した証。
天神様は最期は左遷先で悲しみの中に没してしまったけど、その少年時代は偉大な父と愛情あふれる母の下で幸せに育ったの。
それはその死を悼んだ天神様の詩から現代に伝えられているのだ。
「さて、儂の知識を授けると言ったが……、ここまで機知に富んだ娘ならわかっておろう」
「はい。だから、それに対するあたしのメッセージも今日のもてなしに込めました」
あたしの望みは失われし八稚女の七柱の行方を知ること。
それがあっさりとわかるはずがない。
だけど、天神様はあっさりとそれに関する知識を授けると言った。
智慧ではない、知識をだ。
それが意味する所は……
「やはり……、天神様でもご存知ないのですね。七王子のみなさんのお母様の行方は」
「ああ。恥ずかしながらな」
天神様があっさりと知識を授けるといった理由はここ。
”答えなし”それが今の天神様の答え。
だけど、それは”解なし”ではない。
「天神様、無礼を承知でお頼み致します。あたしは天神様に架け橋になって頂きたいのです」
そう言ってあたしは深々と頭を下げる。
橋を渡って食事を届けた過橋米線、カップの縁に橋をかけたようなムスタッシュカップ、海を越えた日本の陶器オールドノリタケ、時を渡って似た製法に行き着いた三種糟とみりん、どれもが渡るという意味が込められている。
「よかろう。ここまでのもてなしを受けたなら、それの返礼が”知らず”のひと言だけでは学問の神の名折れ。国津神界方面から当たってみよう」
「ありがとうございます! いやー、よかった一番可能性の高い所が駄目だったので、次はどこを探そうかと悩んでいた所なのですよ」
一番可能性が高いあそこは先客がいたのだ。
「一番可能性が高い所とは?」
「常世、黄泉の国です。この前はイザナミ様にパンケーキをお出ししました」
ブボッ
天神様のカップから紅茶が吹きこぼれ、飛沫が月の光を浴びてキラキラと輝く。
「そ、そうか、そんな遠方まで探しておるのだな」
「はい、でもそこは緑乱おじさんが先に訪れたみたいなんですよ」
「緑乱、八稚女の四番目の息子じゃな」
「はい、ひょっとしたら緑乱おじさんもあたしと同じ目的を持っているのかもしれません。過去に日本中を旅していたと聞きましたから」
悲しい考えだけど、一番可能性が高い失われし八稚女の行方は、既にお母様たちが死んでしまっていること。
ひょっとしたら緑乱おじさんも同じ考えに至って黄泉に逝ったんじゃないのかしら。
そして、きっとそこには居なかった。
だとすると、常世、幽世、現世のどこも可能性は低いのよね。
「そうか、だから儂に神界への渡りを取って欲しいということか」
「はい、何卒」
「うむ。任せておけ。それに儂も何かを探求するのも、何かを探求しようとする者も好きであるからな」
「さっすが学問の神様! 頼りにしていますっ!」
あたしは零れた紅茶を拭き、お代わりを注ぐ。
「でも、ちょっと困りましたね。あたしはこれからも現世方面から探すつもりですが、あてがないのですよね。天神様、何かお知恵を授けて頂けませんか?」
「欲張りな娘じゃな。神頼みもほどほどにせい。そういうのは秋月にでも聞け」
少し呆れたような口調で天神様は言う。
あー、やっぱり望みが過ぎましたかね。
あれ、秋月に?
ああ!
あたしは天を仰ぎ、裏名月を見上げ、詠う。
「春を渡り、暦を渡り、今は秋なり。
鏡の如く、珠の如く、元はこれ導なり。
故に問う、終焉に至るに。
浮雲に覆われて、何処に流れるかを」
これは天神様の遺した詩『秋月に問う』のあたし改変Ver。
元は太宰府に左遷される時の心情を詠んだこんな詩なのだ。
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問秋月(秋月に問う)
度春度夏只今秋 春を度り夏を度り 只今は秋なり
(春も過ぎ、夏も過ぎ、今は秋)
如鏡如環本是鉤 鏡の如く環の如く 本は是れ鉤なり
(君の姿は鏡のように丸くなっているが、少し前は釣り針のような三日月だった)
為問未曾告終始 為に問ふ 曾て終始を告げざるに
(少しお聞きするが、月が始まりと終わりを告げることはなかったのに)
被浮雲掩向西流 浮雲に掩はれて西に向かひて流るるかと
(君が浮雲に覆われて西に向かっているのはなぜなんだい? 私と同じで太宰部への左遷なのか?)
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あたしはそれを改変して、太陰暦から太陽暦へと暦を渡った現代の秋で、月を道標にあたしはハッピーエンドに向かってどこに行くべきかを月に問う詩を詠んだ。
問うのは月へ。
でも、あたしは知っている。
この天神様が詠んだ『秋月に問う』の詩には続きがある。
『月に代わりて答ふ』。
それは自らの問いに自らが答えたこんな詩。
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代月答(月に代わりて答ふ)
冥発桂香半且円 冥は発き 桂は香り 半ば円ならんとす ※
(その葉の数で月齢を告げる暦草は開き、月の桂の木は香り放ちだし、半月になろうとしている)
三千世界一周天 三千世界 一たび天を周る
(私は三千世界、地上の全てを一周する)
天廻玄鑑雲将霽 天は玄鑑を廻らせ 雲は霽れんとす
(やがて天が玄鏡の如き深淵を映し出すように、雲は晴れるだろう)
唯是西行不左遷 唯 是れ西に行くのみ 左遷ならず
(私はただ西に行くのだ、左遷ではない)
※冥は正しくは草かんむりに冥と書き、中国の聖人尭の庭に生える月齢と同じように葉を増やしては減らす伝説の植物、暦草
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さっきの『秋月にでも聞け』という天神様の言葉は、儂の漢詩『秋月に問う』を使って聞いてみよ、さすれば儂が月に代わって答えてやろう、という言外の意思。
あたしの視線を裏名月から天神様に移すと、我が意を得たりとばかりにその顔に笑みが浮かぶ。
そして、天神様も詠った。
「冥を拓き、梅は香り、道半ばなり。
三千大世界、天を巡る。
地を限り無く巡れば雲は晴れる。
唯だ是れ西に行くのみ左道ならず」
あたしは天神様の詩を理解しようと思考を巡らす。
冥を拓きの部分は冥府を探したことで、その時点でゴールまでの道のりは半ばという意味。
三千大世界は、地上の意味にもとれる三千世界を超えた世界全てを意味するから、ここを巡るということは、地上以外は月が、月に代わった天神様が探すということ。
そして、地を限り無く巡れば雲は晴れるとは、迷いの雲を晴らすにヒントがまだ地上にあるということで。
左道とは間違った道の事だから正解ルートは西にある……。
「つまり西を探すのが正解ということですね! 天神様!」
あたしがそう叫んだ時、一陣の風があたしの前を吹き抜けた。
ほんのりと香る梅の香り、瞬きを起こすあたしの目。
そして、その風が抜け終わった時、柔らかな笑みの残滓だけを残して、天神様の姿は消えていた。
天国のおばあさま、あたしの七王子のお母さま探索に大きな進展がありました。
西です。
きっと西日本にその手掛かりがあるということです。
でも天神様、西日本ってちょっと広すぎません!?
もっと具体的かつ丁寧に手取り足取り教えてくれてもいいのに。
あたしがそう思った時、
ゴォッ
再び梅の香りの風が吹き抜け、あたしはおっとっととバランスを崩す。
風の中からあたしをたしなめるような声が聞こえた気がした。




