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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第七章 回帰する物語とハッピーエンド
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天神様と過橋麺(前編)

 パンパン

 

 あたしはお賽銭箱(さいせんばこ)のある向拝所(こうはいしょ)で手を合わせる。

 お賽銭はあたしの割には奮発したのだ。

 ここは夏の終わりから何度も通った場所。

 江東区亀戸の亀戸天神。

 天満大自在天神てんまんだいじざいてんじん、通称天神様、菅原道真を(まつ)る神社だ。

 日本各地に天神様を祀る神社は多いけど、ここは結構有名な方じゃないかしら。

 本家の太宰府天満宮や元祖の北野天満宮には負けるけど。


 あたしは心の中で祈る。


 『天神様、どうか七王子のお母様、失われし八稚女(やをとめ)の七柱の行方をお教え下さい』


 深いお辞儀を終え、顔を上げてもそこに天神様が現れる気配はない。

 いつもの通り、当然といえば当然。

 今日も成果なしかぁ。

 夏の終わりに八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の抜け殻を見つけて父親方面からの捜索は止まってしまった。

 となると、神様方面からの捜索しかないと思って、何とか物知りな神様とのツテを作ろうと学問の神様である菅原道真を祀った亀戸天神に何度も通っているけど、姿を見るどころか声さえ聞こえない。

 『酒処 七王子』の元・貧乏神様は何にも知らない。

 うーん、手詰まり。

 仕方ない境内を散歩して帰ろう。


 祭事を外れた時期だけあって境内に人は少ない。

 ゴールデンウイークには藤が、10月下旬だったら菊が見どころなんだけどなー、再来週くらいにまた来よう。

 あれ?

 あたしは何か大切なことを思い出す。

 今って10月の神無月じゃん! 

 忘れてた、10月は島根県の出雲に神様が集まるので留守神(るすがみ)様以外は不在だった。

 ああぁー、お賽銭損した! ぐぬぬ。

 はぁ、と溜息をつきながらあたしは境内の散歩を続ける。

 池の亀は冬眠前に太陽を浴び尽くそうと甲羅干しをしていて暖かそう。

 最近、ちょっとブルッとするのよね。


 ブルッ


 あたしの身体が震える。

 あれ、こんなにお日さまポカポカするのに寒気?

 風邪じゃなければいいけど……あれ?

 あたしは何かに気付き、歩いてきた道を戻る。

 

 ブルッ


 もう一度……

 

 ブルッ


 勘違いじゃない! ここを通った時だけ寒気がする!

 これは強大な”あやかし”の気配!

 でもこの気配に心当たりがあるのよね……

 あたしは腕を組み、その感触が何だったかを思い出す。

 思い出した! 京都のあの時の感覚!

 

 あたしはその寒気の場所でドンドンと見えない扉を叩く動きを取りながら言う。


 「朱雀門の鬼さーん、あたしです珠子です。あたしも入れてくださーい。朱雀門の鬼さーん」


 何度かそう繰り返すと、


 ビヨヨヨヨーン


 あの時と同じく柔らかい何かを踏んだ感触がして、あたしは板張りの一室に躍り出る。

 その一室ではあたしの予想通り朱雀門の鬼さんが誰かと遊戯(ゲーム)をしている。


 「珠子殿か、ちょいと待っておれ、今決着を付けるのでな」


 そう言う朱雀門の鬼さんが対峙しているのは、平安初期の朝服(ちょうふく)に身を包み、木の(しゃく)とハの字の口ひげとあごひげを蓄えた壮年の男性。

 その姿には見覚えがある……肖像画や銅像で見た覚えが。


 「天神様!? 何をなさっているんですか、この神無月に!?」


 そう、その姿は菅原道真公。


 「何って、留守番じゃよ、留守番。それと暇つぶしかな」


 そう言って天神様が駒をスッっと進めると、


 「うぎゃー! またまけたー!!」


 朱雀門の鬼さんの悔しそうな声が室内に響き渡ったのです。


◇◇◇◇


 「へぇ、亀戸の天神様は分け御霊なのですか」


 パチッ


 「そうだな、日本各所にこの儂、菅原道真を祀った社は数多く存在し、そこには儂の天満大自在天神てんまんだいじざいてんじんの分け御霊がおる。儂はこの亀戸天神の分け御霊だ」


 バチッ


 「神無月にこいつら全員が出雲に行くと、こいつの加護を求める人間が困るからな、毎年順番で分け御霊の誰かが留守番するのだよ」


 バチチッ


 「へー、そうだったんですか。まぁ、今の時期は中間テストとか資格試験とかいっぱいありますからね」


 パチッ


 「そうだな。昔に比べると今の人間たちは勉学に勤しむ者が多い。それに比例して苦労する者もな。ほい、これで全置きじゃ」


 バチッ


 「あ゛ー!! こいつめまたしても!」

 「あちゃー、また負けた。ふたりがかりなのに」


 あたしたちがやっていたのはボードゲームの”ブロックス・ドライゴン”。

 三角形の繋がったピースを盤面に埋めていく陣取りゲームだ。

 ルールに則ってピースを埋めていき、埋められなくなったピースの面積が少ない方が勝ち。

 そして、全部置いたら勝ちは確定なのだ。


 「ふたりがかりなら勝てると思ったのになぁ」

 「なぜだ、なぜ勝てない!」


 これは陣取りゲーム。

 だから、ふたりで協力してひとりを徹底的に邪魔すれば、少なくともそのプレイヤーを負けさせることができるはず。

 だけど、あたしたちは勝てなかった。

 これだけじゃなく、他のゲームで何度挑んでも。


 「ふたりがかりで来るとわかっておれば対策も立てれるもの。ま、お前たちのコンビ打ちの腕が悪かったのも原因だがな」


 余裕の口調で言いながらも嬉しかったのだろう、天神様はご機嫌でボードゲームを片付けている。


 「ぐぬぬ、もう一回!」

 「あー、あたしはパス。ちょっとお腹が空いたので間食を作りますよ。朱雀門の鬼さん冷蔵庫の中身を使ってもかまいませんか」

 「ええぞ、ええぞ、よしっ、次は私の得意なメン・アット・ワークで勝負だ! ヨシ!」

 「よし、受けて立とう。ヨシ!」


 あたしが立ち上がった後、残ったテーブルでは工事現場のイラストが描かれたボードゲームが立った。

 

 「よしっ!」

 「ヨシ!」


 見た感じジェンガ系の組み上げて崩れたら負けなボドゲみたいですね。

 背後から聞こえる安全確認の声を聞きながら、あたしは勝手知ったる冷蔵庫を開ける。

 おっ、豚レバとひき肉がある。

 それじゃ、天神様の加護にふさわしいアレにしましょ。

 あたしは米を研ぎ、ガラスープの素とたっぷりの水を加えて土鍋で煮る。

 豚レバーは細かく刻んでひき肉に混ぜ臭み消しのナツメグと強めの塩胡椒とつなぎの小麦粉を加え練る。

 粘りが出たら団子状にまとめて沸いたお湯の中に。

 火が通って浮かんできたら、いい匂いの立ち始めた土鍋に入れてちょっと煮たら各人の器に。

 刻み分葱(わけぎ)と針状に刻んだ生姜を薬味として載せればかんせー! ちょーかんたん!


 「ヨ……ヨシ! じゃなーい!」


 ちょどいいタイミングで朱雀門の鬼さんの声とガラガラガッシャっと何か崩れる音が聞こえる。

 どうやらまた天神様の勝ちみたいです。


 「勝負も決したみたいですし、ここらでちょいと休題といきませんか」


 あたしはお盆に3つの椀を載せ朱雀門の鬼さんと天神様に声をかける。


 「くそっ、食べたらまた再戦だからな!」

 「ああ、受けて立つぞ。しかし、勝負の途中から漂っておったが、良い香りだの」

 「中華粥ですからね。本当なら鶏出汁から作りたい所ですが、今日は簡易版でガラスープの素を使いました」


 そう言ってあたしはレバー入り肉団子が浮かんだお粥をテーブルに置く。


 「ほう、休題(きゅうだい)だけに及第(きゅうだい)粥か」

 「ええ、天神様に相応しい料理をと思いましたので」

 「なんじゃ、その及第粥とは?」


 テストとは無縁の朱雀門の鬼さんが尋ねる。


 「かつて、中国で科挙という試験が行われていた時に、これを食べて合格したという逸話から及第粥と名付けられた料理だ。日本風に言えば合格粥だな」

 「はい、栄養のある豚レバーの肉団子が入っている所が特徴ですよね。天神様も生前は日本版の科挙に合格されたと聞きました」

 「”対策(たいさく)”じゃな。科挙ほどではないが狭き門であったぞ」


 へー、そういう名前なのですね。

 この及第粥に入っている豚レバーは栄養満点。

 そして消化の良いお粥は胃腸に優しい活力をもたらす。

 合格には勉強も重要だけど、健康対策も重要なの。

 うーん、これぞ対策粥、なんちて。


 「そう言えば北野のお前からそんな話を聞いたな。さて、この及第粥の味のほどは……」


 ズッ


 レンゲでお粥と肉団子が朱雀門の鬼さんと天神様の口吸い込まれる。


 「ほう! これは淡泊なはずのお粥なのにコクがあって、肉団子はレバーの臭みもせず食べやすい」

 「うむ、薬味もいい刺激で口を爽やかにして、食を進めてくれるの」

 「レバーは苦手とする方も多いけど、こんな風にひき肉と混ぜてミートボールやハンバーグにすると食べやすいんですよ。お子さんにもお勧めです」


 そう言ってあたしも及第粥を口にする。

 水ではなく出汁で煮る中華粥は米にはしっかりと味が付いていて、肉団子を噛むごとに溢れる肉汁と胡椒の刺激がさらに舌の上で旨みを強調する。

 濃すぎると思った時に針生姜を食べると、味覚がリセットされて次の匙を受け入れる準備を整える。

 うーん、我ながらいい味。

 

 「しかし驚きました。亀戸天神にお参りに来たら天神様と朱雀門の鬼さんがゲームしていらっしゃるなんて。おふたりはお友達なんですか?」

 「腐れ縁じゃよ、腐れ縁。文字通りな」

 「こいつはな、紀長谷雄(きのはせお)の先輩だ」

 「ああ、朱雀門で朱雀門の鬼さんと双六をした紀長谷雄(きのはせお)さんですか。天神様の後輩だったのですね」

 「生前の話だ。彼は儂と歳は同じくらいであったが、儂の仕事の後任を良く務めた。才気溢れる心優しい男だったぞ」


 朱雀門の鬼の伝承に登場する紀長谷雄(きのはせお)

 朱雀門の鬼さんとの双六勝負に勝った彼は死体のパッチワークで出来た絶世の美女を送られた。

 だけど、彼は100日間はその女に触れてはいけないという朱雀門の鬼さんとの約束を破ってしまい、その絶世の美女は崩れた液体になってしまったの。


 「約束を破った長谷雄に私の怒りをぶつけようとした時に助けたのがコイツだ。正確には北野のコイツだ。まだ怖い時のな」


 朱雀門の鬼さんの指がちょんちょんと天神様を指す。


 「あれは儂も長谷雄に悪い点があると思ったから加減をしておいたではないか」

 「お前の加減は並の”あやかし”なら即死なんだよ」

 

 自分だから平気だった、そんな風情を朱雀門の鬼さんは見せる。


 「天神様はお強いんですか? 学問の神様なのに」


 天神様の見た目はにこやかな初老の男性。

 強大な”あやかし”はその存在だけで圧を感じることもあるけど、天神様からは何も感じない。

 神様だからかな。


 「コイツは火雷天神(ほのいかづちてんじん)でもあるからな。おまけに武道の腕も立つ。現代は学問の神の面が表に出て来ておるが、一級の武神でもない限りコイツには荒事では勝てんよ。酒呑童子もコイツの前では赤子同然じゃ」

 

 へー、天神様に雷神の面があるのは知っていたけど、そんなに凄かったのですね。


 「おまけに、ここ半世紀は人間の受験戦争とやらで信仰を大量に集めておる。毎年百万人単位で加護を求められ、事が成った暁に感謝のお参りがあるのはコイツくらいだ。しっかも、必ず一定の合格者が出るという安定収入付き。チートだな、チート!」

 

 言われてみれば、全国にある天神様を祀る神社には受験生や試験合格を願う人々が参拝する。

 そして、その願いは必ず(・・)一定数叶えられるのだ。

 その願いの叶った人々の感謝の念を信仰として集めたとしたら……うん、チートですね。


 「ほっほっっ、そんなに褒めるな照れるではないか。それにいつもは儂への悪態だらけなのに、今日は違うではないか」

 「何の事はない、どうせ負けたのなら強い相手に負けた方が気が楽になるだけだ」

 「で、でも、朱雀門の鬼さんは造形が得意じゃないですか。そっちで挑めば……」


 あたしの言葉に朱雀門の鬼さんは「ふぅ」と溜息。


 「コイツの作った道明寺の木造十一面観音立像は国宝だ。まったく、筆だけでなく彫り物の腕も立つとはけしからん。実にけしからん」


 おおう……

 天神様が和歌や漢詩、筆に長じているのは知っていたけど、彫刻も凄いとは……


 「ま、最近は珠子殿が教えてくれたボドゲで何回かは勝ちが拾えている。サイコロと器用さが勝利の要素のボドゲで数回だがな」

 「ち、ちなみに戦績は?」

 「今年は私の8勝192敗」


 うーん、率からすると大敗に見えるけど、相手が相手だからなー、実はすごいのかもしれない。


 「今月は北野のやつが出雲に出かけておってな、私も関東ボドゲ会で人間と遊んだついでにここに寄ったのだよ」

 「儂も北野から話は聞いててな。留守中の暇つぶしにと遊興に励んだのじゃよ。うん、実際にやってみると面白い。双六も進化したものだ。ごちそうさま、味は及第だな」


 天神様が上品にナプキンで口周りを拭き、椀からカランと匙と器の触れ合う音が聞こえた。


 「ひょ、評点はいかがでしょうか」


 及第とは合格の意。

 だけど、あたしは合格にもランクがあることを知っている。

 この及第粥の由来となった中国の科挙にも合格ランクはあったのだ。

 ありあわせの材料で作ったこの及第粥の評点はどれくらいかしら?


 「中上(ちゅうじょう)だな。ま、ギリギリ合格点という所だ」

 「……精進します」


 うわー、厳しい。

 結構いい味だと思うんだけどなぁ。


 「珠子殿、そうへこまんでもよいぞ。中上は北野から聞いたコイツの対策の合格点だからな」

 

 そうなの!?

 天神様ってギリギリ合格だったんだ。


 「合格者は毎年ほぼ全て中上じゃったのじゃよ」

 「へー、お前の1年前に合格した都 良香(みやこのよしか)上中(じょうちゅう)で合格したと聞いたぞ」


 朱雀門の鬼さんがちょっと意地悪そうに言う。

 たぶん、言葉の意味からして上中(じょうちゅう)中上(ちゅうじょう)より上のランクの合格よね。


 「ふーんだ、儂は出世で良香先輩を追い抜いたからいいのだ。それに良香先輩の方が10も年上。儂の方が若くして合格したのだぞ」


 なんだか浪人生 VS 現役生みたいな話になってますね。

 天神様って凄い神様には違いないんだけど、元は人間だけあって人間らしいというか、親しみやすいというか。

 よしっ、今ならあのお願いについて聞けるかも。


 「天神様、折り入ってお願いがあります」


 あたしは手を付き正座をして頭を下げる。


 「知っておる。何度も聞いたからな」


 やっぱり届いていたんだ。

 でもどうして答えてくれなかったのかしら。

 やっぱお布施が足りなかったからかな。


 「娘さん、そのお願いはあれか。失われし八稚女(やをとめ)の七柱のことか」

 「はい。天神様、どうか智慧(ちえ)をお授け下さい。この身で払える礼ならば、いかようにも致しますので」

 

 あたしは深々と頭を下げてお願いする。


 「わかった。儂の知る限りの知識を娘に授けよう」

 「ほんとですか!?」


 ガバッと頭を上げ、あたしは天神様を見る。

 やったー! 思ったより上手くいきそう。

 案ずるより生むが易しってやつよね。

 いやー、こんなに上手くいくなんて……。

 そう思ったあたしだけど、あたしは気付いた。

 天神様の言葉の裏に。

 それを考えると、次にくるのは……。


 「だがその前に噂に名高い『酒処 七王子』の看板娘のもてなしを受けてみたいの」

 

 やっぱり!

 きっとこれは試験。

 あたしが天神様の加護を受けるにふさわしいかの。


 「はい、こちらにお伺いすればよろしいでしょうか」

 「いや、儂がそちらを訪れよう。たまには外食も楽しみたい」

 「わかりました。日取りはいかがいたしましょうか?」

 「いつでもよいぞ。おぬしが良い日を選んでくれ」


 あたしの頭の中でカレンダーがグルグル回る。

 きっと、この日取りも含めて試験のひとつ。

 間違いのない日を選ばなくっちゃ。


 「では、来週の日曜。10月21日の夜でいかがでしょう。19時くらいが良いと思いますが」

 「うむ、よいぞ。ではまたな」


 フッと視界が揺れ、気が付くとあたしは甲羅干しする亀に向かって頭を下げていた。

 

 「うっひゃあ」

 

 突如の爬虫類の襲来にあたした声を上げてバランスを崩す。

 参拝の人の目が痛かった。


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