ようかいさんと黄金餅(中編)
「あの”ようかい”を部下にするためのもてなし料理を作れ! 懐石だ!」
「黄貴様、それではダメだと思います。ようかいさんには別の料理の方が良いと思います」
「それには及ばぬ、料理はおまけなのだ。この我の人望と大望であの”ようかい”を部下にしてみせようぞ」
「だから、それにはふさわしい料理があると思います」
「いやいや、懐石意外なかろう」
「だから話を……むぐっ」
あたしの口は黄貴様の指で塞がれる。
「よいのだ、よい、女中は我の命に従っておればよい。なーに、誰もお前を責めぬ、我の命に従った事を責める者がおれば我が粛清する。何も心配いらぬ、我が女中を守ろう」
えっ!?
トクン
黄貴様の声にあたしの動きが一瞬とまる。
うーん、イケメンに『守ろう』なんて言われると、少しときめいてしまうじゃないか。
「そして首尾よくあの”ようかい”を我が臣下に迎えられたら特別ボーナスも出そう!」
えっ!?
トクゥン
特別ボーナスという言葉にあたしの心がときめいた。
「ではな、任せたぞ!」
そう言い残して黄貴様はまたその姿を消した。
橙依くんのような瞬間転移のような術を持っているのだろうか。
「あらま、また兄さんの悪い癖が出たわね」
「悪い癖って?」
「人材確保よ、兄さんは家臣を集めようとしているの”あやかし”のね。妖怪王になるためのね」
妖怪王になるとは、こらまた難儀な。
「それは大変ですね。”あやかし”は自由気ままが好きな方が多いですから」
「そうね、未だに一度も成功していないわ。あ、でも、珠子ちゃんが第一号かも」
「金で雇われた部下ですけどね」
あたしはお給金が出るからここに居る。
もし、給料が出なければ……あたしがオーナーになってでも……あれ?
◇◇◇◇
というわけであたしは黄貴様の言いつけ通り毎日懐石を作っているのですが……
きっと失敗するだろうなぁ。
ようかいさんは、この料理は好きじゃないとあたしは思う。
「それ以前に来るのかしら?」
藍蘭さんが疑問を口にするのも無理ない、あれから三日、ようかいさんは来店していないのだ。
無駄になった懐石は毎日あたしの夜食になっている。
「きっと来ますよ。あのようかいさんは言った事を違える事はないと思います」
あたしは確信を持って言う。
カラン
「御免」
そしてあたしの確信の通り、ようかいさんは来店されたのです。
「来たみたいだな」
うわっ、また現れた!?
「よく来たな、ようかいとやら! 今日はお前のために饗宴を用意した! さあ、思う存分食べるがいい! さあ、女中! 我のスペシャル懐石を持て!」
「娘さん、今日のおすすめは何かな」
「ボラの塩焼きが良いかと」
「ふむ、それをもらおうか。あとは麦飯と香の物と中汲み……、いや諸白を燗で」
「かしこまりましたー」
あたしは台所へ向かい調理に取り掛かる。
「おいこら! 我を無視するな!」
ごめんなさい黄貴様、お客様のオーダーを無視する事は出来ません。
ようかいさんは奥のテーブルに座り、その向かいに黄貴様も座る。
「こうして会話するのは初めてであるな。我の名は黄貴、かの妖怪王八岐大蛇の嫡男にて、未来の妖怪王である」
「左様であるか」
黄貴様の正体に動じた様子もなく、ようかいさんは言う。
「我は未来の妖怪王であるが、王たる我には臣下が必要だ。そこでだ、我の臣下にならんか?」
「断る」
黄貴様の申し出は一蹴された。
カウンターの藍蘭さんも『やっぱりね』というように肩をすくめる。
「お待たせしました! ボラの塩焼きです! あと、スペシャル懐石」
あたしはようかいさんのご注文の通りのボラの塩焼きと、黄貴様には懐石膳を持っていった。
ボラの皮はジュジュジュと音をたてて魚の脂が焦げる良い匂いを立てている。
「ほほう、これは美味そうじゃな」
「こっちも美味いぞ、旬の刺身と揚げ物に加え鯛の吸い物もついておる」
ほらほらと黄貴様は自らの料理を勧めるが、ようかいさんは見向きもしない。
「まあ、良いこうやって親交を深めるのが目的なのだからな、なあ美味いだろ、我の女中の飯は」
「美味い、間違いなくな。お主にはもったいないくらいじゃ」
そう言ってようかいさんは上品に麦飯を口に運ぶ。
そしてその手がちょっと空を切った。
「お客様、こちらはあちらの方からのサービスです」
あたしはカウンターの藍蘭さんを指差して汁物、ただの味噌汁を追加で出す。
「そして、これはあたしからのサービスです」
さらにあたしは小鉢うどんを追加する。
麺だけだ、つゆはない。
「おい、これではつゆが無いではないか。客人に対して失礼であろう」
黄貴様が声を上げるがあたしは動じない。
「ふむ、何のつもりかな?」
「味噌汁は先日非礼のお詫び、そして小鉢うどんはあたしの料理へ”うまい”とおっしゃったお礼です」
そう言ってあたしは一礼する。
「相変わらず賢しい娘よ。じゃが、その分だと儂の名もわかったようであるな」
「はい鳥居耀蔵様、うどんはお好きでしょう」
鳥居耀蔵が失脚して幽閉された先は四国の丸亀藩。
丸亀うどんや讃岐うどんで有名な所だ。
「最初は好かんかった、じゃが20年以上もおるとな愛着も湧く」
そう言ってようかいさんはズズズと一口味噌汁をすすると、残りの汁に小鉢のうどんをいれてズルルッと吸い込んだ。
「味噌汁にうどんを入れて食べるなど下男のする事、じゃがあの時はこれでもましじゃった」
少し懐かしむようにようかいさんは椀を見る。
「どうだ、美味いだろ。そこでだ鳥居とやら、我の臣下にならんか? さすれば山ほどの黄金も名誉も思うがままだ。今なら第一参謀の座を用意しよう」
「興味ない」
「な、ならば女はどうだ。この女中の体を好きにしてよいぞ」
おい待て! 何て事を言うの!!
「興味ない」
ふぅ、助かった。
でも、ちょっと釈然としない。
あたしの魅力ってそんなに低いかなー。
「黄貴様、鳥居様は質素倹約と質実剛健を重んじるお方、それではこの御仁の心は動かないと存じます」
そう、悪役で有名な鳥居耀蔵だが、一説にはそれは私利私欲ではなく、増加していく諸外国の脅威から幕府守るため、幕府の中枢を立て直そうとしたという説がある。
「ふむ、小娘の方が良くわかっておるではないか。儂は人の上に立つ者こそ規範となるべきと説いた。じゃが、幕府の馬鹿者どもは儂に同調するどころか排除しおった。自らが贅沢をしたいばかりにな」
少しの憤りと悲しみを込めてようかいさんは言う。
「鳥居様、みながみな鳥居様のようにお強い心と高い志を持っているわけではありません。鳥居様の敗因は人の弱さを見誤った所だと思います」
江戸時代後期、老中『水野忠邦』の指示の下で行われた天保の改革では華美な贅沢はことごとく禁止された。
これが江戸の庶民の不興を買い、奉行として取り締まりを厳しく行った鳥居耀蔵も影で非難された。
それが”ようかい”と言われるようになった原因。
「無論、あたしも弱い人間です」
自慢じゃないけど、心の弱さには自信があるのよ、えっへん。
「ふむ、知ったような口を利く娘じゃが、それが真実だったのであろう。儂はせめて庶民はともかく、幕臣くらいは権現様の家臣並みの志を持って欲しかったのじゃが」
そう言ってようかいさんは猪口の酒をぐいと飲み干す。
「まあ、あんな幕府は滅んで当然じゃな、その後の明治政府とやらも自滅しおった。今の政府も何年続くやら、250年を超える幕府を作った権現様の偉業を乗り越える事はなかろうて」
明治維新から太平洋戦争終戦まで75年少々しかない。
終戦から現代までも同じくらい、あたしは平和な時代に生まれたけど、この平和があたしが死ぬまで続く保証はない。
そして歴史を紐解けば続かない可能性は十分あるのだ。
「それではお主は我の臣下になる気はないと言うのだな」
「くどい」
「この女中の料理が食い放題と言ってもか?」
その言葉にようかいさんはちょっと迷いの表情を浮かべる。
「正直魅かれるが、それなら正式に金を払って食べにくれば良いだけのこと。それに武士は二君に仕えぬ、儂は徳川様以外に仕える気はない」
それが儂の信念なのだと言わんばかりにようかいさんは答えた。
黄貴様は少し渋い顔をしている。
よしっ、それならこの珠子さんが黄貴様のために一肌脱ごうじゃありませんか。
「鳥居様、それでは黄貴様が妖怪王となった暁には徳川幕府再興に力を貸すという事ではどうでしょう。あやかしの世界は黄貴様が、人の世界は徳川様が王となる形ではいかがでしょう」
徳川家の子孫は今も存命していると聞いた事がある。
「ふむ、それなら……」
やった、これで黄貴様のあたしへの評価も上がるぞ。
そして! 特別ボーナスゲット!
「だめに決まっておろう。我はあやかしの王にも人間の王にもなる存在ぞ」
ちょ、せっかく話がまとまりかけていたのに!




