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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第七章 回帰する物語とハッピーエンド
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火の車と焼酎鶏(前編)

 秋……、それは収穫の季節。

 あたしの目の前に広がる家庭菜園は今年の役目を終えた。

 蔵には(かご)いっぱいのジャガイモとサツマイモ、玉ねぎが保管されている。

 だけど、秋は同時に春への準備をする季節でもあるの。

 来年に向けて、家庭菜園の拡張をしなくっちゃ。

 

 「……珠子姉さん、はいこれ」

 「ありがとー」


 橙依(とーい)君の異空間格納庫(ハンマースペース)から大量のビニール袋が投下される。

 中身はこの前の日曜日にあたしの実家近くの権助おじさんからもらった籾殻(もみがら)だ。


 「……こんなのどうするの?」


 んふふ、彼の目からするとこれは明らかにゴミかもしれない。

 だけど、あたしにとっては畑を広げるスーパーアイテムになるのです。


 「じゃーん! 籾殻燻炭器(もみがらくんたんき)ー! パーパ、パーパ、パパレパー」


 秘密アイテムに定番の効果音を叫びながらあたしは台座の付いた金属の筒を取り出す。


 「……なにそれ?」

 「これはね、籾殻の山に埋めて火を付けると、その山をじっくり焼いてくれる優れものなのですっ! ほいズボッっと」


 あたしの胸くらいまである籾殻の山を崩し、あたしは籾殻燻炭器(もみがらくんたんき)の筒を立てる。


 「あとは、新聞紙で着火したら少しずつ籾殻をかけて山にしていけば完成ー! ちょーかんたん、だけど火の用心、火の用心っと」


 白い煙を出す筒を見ながらあたしはバケツに水を用意する。

 もし、これが火の山になったらぶっかけなきゃ。

 

 「ほう、珍しい匂いがすると思ったら籾殻の炭焼きではないか。懐かしい物を作っておるな」


 ザッと音を立てて現れたのは、あたしと同じく黄貴(こうき)様の部下の鳥居耀蔵様。


 「鳥居様、ご存知なのですか? この籾殻燻炭(もみがらくんたん)を」

 「知らぬはずがなかろう。かの吉宗公も(たた)えた筑前藩の宮崎安貞(みやざきやすさだ)が記した『農業全書』にも書かれておればな。籾殻を炭にしたものを土に混ぜれば土が肥える。珠子殿は春に向けて畑を広げようとしておるのであろう」


 相変わらず鳥居様の慧眼(けいがん)は鋭い。

 身分の高い武士は農作業の苦労なんてそっちのけで、農民を搾取して贅沢三昧をしたなんてイメージがあるけど、この方は林家の出身で質素倹約を旨にする徳川吉宗の政策を継いだ方なのよね。

 日本最古の農業指南書『農業全書』を把握していてもおかしくないわ。


 「ご明察の通りです。このまま一晩くらい経って、この籾殻の山が黒くなれば籾殻燻炭の完成です。あとは、畑に混ぜてひと季節も過ぎれば、春には立派な畑のでっきあがりーですよ」


 籾殻ははっきり言って栄養が無い。

 それは籾殻燻炭に加工しても同じ。

 だけど、土にそれを混ぜることで、土壌をアルカリ性に近づけたり、その空気を通しやすい構造で畑を柔らかくしたり、土壌微生物の繁殖を促すには有用なのだ。


 「うむ、籾殻の炭を混ぜた畑は土壌が柔らかくなり過ぎる。大豆のような根の浅い物を植える時には気をつけるのだぞ」

 「ええ、そこら辺は任せて下さい。これで第二号の畑の準備はバッチリですよ。鳥居様、何か植えて欲しい物はありますか?」


 あたしのチョイスだと食べられる野菜が多くなりがち。

 でも、畑に彩りが欲しい気持ちもある。

 鳥居様なら素敵な日本庭園風の植物を教えてくれるかも。


 「そうであるな。畑を長年占有してよいのであれば、芍薬(しゃくやく)牡丹(ぼたん)百合(びゃくごう)などがいいな。珠子殿にピッタリであろう」

 「え、それって……」


 トクン


 あたしの胸が少しときめく。

 百合(びゃくごう)とは百合(ゆり)の漢方用の別名。

 鳥居様は丸亀藩での幽閉中に漢方の心得を()かして、漢方に使える薬草の栽培と、漢方による領民への治療を行ったって逸話もあるから、そう言ってしまったのかしら。

 そして、『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』という(うた)は美女を褒める意味がある。

 まあ、この好々爺(こうこうや)ったら、とんだ好き者ね。

 それとも、あたしの魔性の魅力が悪いのかしら、ぐえっへっへ。


 「……また、珠子姉さんがロクでもないことを考えてる」


 そう橙依(とーい)君が呟くけど、きにしなーい、うえっへっへ。

 あたしは自分の腰を反らし、腕をくの字に曲げて魅力的なポーズを取る。


 「珠子殿も三十路になると慣れぬ運動で何かと体の節々に不調が出よう。漢方にもなる植物を育てれば何かと役に立つ。ほれ、ちょうどいい所に儂の懐に当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)が……」


 …

 ……


 当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)は有名な漢方薬。

 体の血行を促進し、肌荒れや生理不順、女性ホルモンの乱れといった前更年期の婦人病によく効く!

 前更年期の!

 前更年期の!

 とても流せない単語なので、心の中で2回言いました!


 「まだ乙女の怒り! ビレッジ ジャスティース!」


 あたしの徳川への呪いの一撃が鳥居様を襲う!


 「ぬわーっ! 珠子殿! ご乱心めされたかー!?」

 

 晴れ渡る秋の日に殿中を思わせる声が響き渡った。


◇◇◇◇


 「まったくもう失礼しちゃいます。いくら江戸時代基準だと三十路は身体に不調が出始める時期だとしてもです」

 「いやすまぬ。昨今、珠子殿の体調が優れぬように感じたのでな」

 「……珠子姉さん、どこか悪いの?」

 「ううん、どこも悪くないわよ」


 あたしは最近ちょっと疲れたかなと思ったことはあるけど、どこかが悪い所があるわけじゃない。

 栄養のある物を食べて寝れば回復する。

 そう、こんな風に栄養のあるものを。

 あたしは家から持ってきたバックから銀色の包みを取り出す。


 「……それは?」

 「ふっふっふっ、籾殻焼きをするなら、これは欠かせません。これはね、採れたてのサツマイモとジャガイモをアルミホイルで巻いたものよ」


 サツマイモは濡れたキッチンペーパーとアルミホイルの二重包み。

 ジャガイモはバターと一緒に上を絞るように茶巾に包んだものだ。


 「これをズボッと籾殻の山に埋めればおいしい焼きいもとジャガイモのバターホイル包み姿煮のでっきあがりー! 後は待つだけ、ちょーかんたん。あちち」


 すっかり高温になった籾殻の山の熱さに驚きながらあたしはキャンプ用の椅子に座る。

 

 「ほう、かつて甘藷(かんしょ)は藁灰作りの時に入れるのが定番であったが、籾殻の炭焼きでも上々の出来になるであろうな」

 「ええ、きっとおいしく出来上がりますよ」


 しれっとあたしの横のキャンプ椅子に鳥居様が座る。

 きっとご相伴(しょうばん)に預かりたいのでしょう。

 安心して下さい、いっぱいありますから。


 「……これってどれくらいで出来上がるの?」

 「うーんっと、3時間くらいかしら」


 さっきはあちちなんて言ったけど、この蒸し焼き状態の籾殻の温度はさほど高くない。

 火傷するくらいの温度であっても、焚火(たきび)みたいに炎が上がるくらいの温度じゃないの。

 でも、低温でじっくり温めることで、サツマイモは甘味が増すし、ジャガイモはバターが内部まで染み渡るの、じゅるり。

 あたしは心の中でよだれを垂らす。

 うーん、あたしってば、涙は見せずに心で泣く美しい乙女みたい。


 「……涙とよだれでは大分違うと思う」


 ふぅ、と溜息をつきながら、橙依(とーい)君はスマホを取り出した。

 どうやら長丁場に備えて暇つぶしでもするみたい。

 きっと橙依(とーい)君も一緒に食べたいのよね。

 わかるわ。


 時折、パチッと弾ける籾殻の音と鳥の声以外は何も聞こえない。

 今日は風も穏やかで、筒から昇る薄い白煙は真っ直ぐに秋の青空に溶けていく。


 「しかし牧歌的じゃのう」

 「いいですよね。たまにはこんなのも。()()びですよね」

 「……詫びサービスはよ」


 あたしたちは思い思いの事を呟きながら、秋の昼下がりを過ごした。


◇◇◇◇


 秋の日はつるべ落とし。

 そのつるべが下がり始めた頃、あたしはスコップで籾殻の山をかき混ぜ、その中からアルミホイルの包みを取り出す。


 「よしっ、それじゃいただきましょう! うーん、いい匂い」


 アルミホイルを開くと、そこからはサツマイモの焼けた特徴的な香りと、じゃがいもとバターの香りが広がる。

 サツマイモは焦げ目もなく均一に焼き上がり、ジャガイモは皮が少しめくれるくらいしぼんでいて溶けたバターに濡れて輝いていた。


 「うむ、うまい。栗よりうまい十三里(じゅうさんり)とはよく言ったものだ」

 「そうですね。(九里)より(四里)を合わせて十三里の看板で焼きいもを売るだなんて、江戸の人は洒落てますよね」


 十三里は言葉遊びが大好きだった江戸時代の方が付けたサツマイモの別名。

 たしかに、この甘さとボリュームは魅力的。


 「この甘藷は儂が生まれる前の南町奉行、大岡忠相(おおおかただすけ)越前守が時の将軍吉宗公に勧め多くの民草を救った。やはり南町奉行は傑物(けつぶつ)揃いであるな」

 「あれ? 青木昆陽(あおきこんよう)じゃなかったですか?」


 あたしが読んだ歴史の教科書ではそうなっていたはず。

 暴れん坊将軍と大岡越前がタッグを組んでサツマイモの栽培を勧めたなんて聞いたことがない。


 「魚屋のせがれごときが将軍様に拝謁(はいえつ)できるはずがなかろう。だが、青木は才覚のある男で、それに目を付けた大岡殿が甘藷の栽培を上申したのじゃ。それを受け青木は畑で実務を行った。その働きは見事であったと伝えられておる」


 へー、そんな関係があったんだ。


 「……このじっくりじゃがバターみたいなのも美味しい」

 「あっ、それって良いネーミングね。あたしはジャガイモのバターホイル包み姿煮って呼んでたけど」

 「……珠子姉さんのネーミングセンスは微妙」

 「うーん、そうかしら?」

 「……そうだよ。妙に冗長なネーミングはラノベだけでいい」


 うーん、若者のセンスってばそういうものかしら。

 いけない、いけない、若者のセンスなんて思っちゃったら、あたしが若者じゃないみたいじゃない。

 男の子のセンスってそういうものかしら。

 これでよしっ!


 「……ふぅ」


 理由はわからないけど、橙依(とーい)君が溜息をつく。

 

 「この清太夫(せいだゆう)芋の牛酪(ぎゅうらく)煮も美味いな。あやつ(・・・)も愚かな真似はせずに、この芋の普及を進めることに精を出しておれば、あんな最期は迎えなかっただろうに」


 清太夫(せいだゆう)芋?

 牛酪はバターの昔の呼び方ってわかるけど、清太夫(せいだゆう)芋って何かしら?


 「ねえ、鳥居様。清太夫(せいだゆう)芋って何ですか?」

 「馬鈴薯(ばれいしょ)、今で言うジャガイモの別名じゃよ。かつて甲斐の代官であった中井(なかい) 清太夫(せいだゆう)救荒作物(きゅうこうさくもつ)として甲斐の国で栽培を勧めたのじゃ。儂の生まれる少し前の話であるな」

 「ああ、鳥居様は甲斐守でもありましたね」

 「左様、清太夫芋は民草の飢えをしのぐのに役に立った。それは儂も認める所」


 確かにジャガイモは寒冷地や山地でもよく育つ。

 北海道ばかりかと思っていましたけど、言われてみれば、甲斐の国、今の山梨県で栽培されていてもおかしくない。


 「……あやつ(・・・)って?」


 橙依(とーい)君の問いに鳥居様は少し顔を曇らせる。


 「あやつ(・・・)とは高野(たかの) 長英(ちょうえい)のことじゃよ。儂が蛮社(ばんしゃ)(ごく)で捕らえ、永牢、今で言う終身刑に処した男じゃ」

 「……知ってる。授業で習った。当時の言論弾圧の件」


 あたしも学校の授業程度しか知らないけど、蛮社の獄は当時の外国船への幕府の態度を批判した渡辺崋山(わたなべかざん)高野長英(たかのちょうえい)たちが捕まった事件。

 あれって、鳥居様が取り締まる側だったんだ。


 「あれは幕府の方針に口出ししたのが悪いんじゃ。じゃが、儂は長英がひとかどの人物であることは知っておる。蘭医学に通じ、この清太夫芋の耕作を勧めるなど、民草のことを考える人物であったこともな」


 へー、高野長英ってそんなこともしてたんだ。


 「当時は儂も頭に血が昇っておって、あやつを永牢に処したが、さすがに罪が重すぎたかと思うこともあった。じゃから、牢屋敷の者に『もし、偶然牢屋敷の火災があって罪人を緊急放出したならば、罪人に素直に戻って来たならば罪一等減ずると言え』とも言づけたのじゃが……」


 あれ? ちょっときな臭い?


 「……そして首尾よく牢屋敷で火災が起きたと」

 「偶然じゃよ偶然」


 うわー、ものすごくきな臭い。


 「あやつは火災の時、一時的に牢屋敷から放出されたが戻っては来なかった。その後、儂は失脚し、人吉藩や丸亀藩にお預けの身となった。あやつの最期を知ったのは明治になってからじゃな」

 「……そいつはどうなったの?」

 「そりゃもう、脱獄は重罪じゃ。薬で顔を焼いてまで逃げ回っておったが、最期は奉行所の役人に踏み込まれて抵抗した挙句にその場で死んだそうじゃ。まったく、お上に逆らわず、自らの手の届く範囲の者たちを仁術で救うことのみを考えておればハッピーエンドを迎えたものの。ま、あやつの自業自得じゃ」


 そう言って鳥居様はカカカと(わら)いホフホフとじっくりじゃがバターを口に運ぶ。

 うーん、さすがは稀代の悪代官として名を馳せた鳥居耀蔵様。

 (わら)いが堂に入ってるわ。

 

 「!?」


 鳥居様の箸が止まる。

 そしておもむろに立ち上がると、あたしの前に背中を見せて立ちふさがった。


 「止まれ。用があるのは儂であろう。儂は逃げも隠れもせぬ……なぬっ!? 珠子殿に用だと!?」


 鳥居様がチラリとあたしの方を振り向き、再び前を向く。


 「珠子殿、逃げよ! ここは儂が食い止める!」


 鳥居様はそう叫ぶけど、ちょっと視線をずらして鳥居様の前を見るけど、あたしの目には何も映らない。

 透明人間でもいらっしゃったのかしら。


 「鳥居様、どなたがいらっしゃったのですか?」

 「そうか、おぬしらの目には映っておらぬか……牛頭(ごず)馬頭(めず)を連れてはおらぬが、こやつらは地獄の使い、死神と火の車じゃ!」


 鳥居様はそう叫ぶと何か(・・)に向かって突進して行き、


 べしゃ


 地面にスッ転んだ。

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