退魔尼僧と椿餅(後編)
日本酒の詳しい作り方なんて知りゃしないよ、そんな様子の築善さんにご主人さんが作り方を説明している。
「日本酒は米麹から作る。米麹を作る伝統的な手法は、蒸し米に麹菌を加えて醸すのだが、そこに雑菌が入る事もあったのじゃ。そのために蒸し米に木灰を入れてアルカリ性にしてから麹菌を加える手法を採っておった。麹菌はアルカリに強く、雑菌はアルカリに弱いのでな。そして、その木灰に最適なのが椿の灰なのじゃよ。今はこの手法は使われず純粋培養した麹菌と徹底した衛生管理で米麹を作るのが主流じゃな」
ご主人さんの言う通り、伝統的手法では麹菌の繁殖に木灰を使う。
そしてそれに最適なものが椿の灰と伝えられているのだ。
「このラベルにも記されているクラシック麹は1970年の大阪万博にタイムカプセルに入れられていたものです。2000年に開封され、その中にあった麹菌を使ってお酒を造ろうとした時、やはり伝統的な手法で作るべきとされ、椿灰が使われたのです」
あたしが生まれるずっと前の戦後復興の象徴、大阪万博。
だけどその時、未来で失われているかもしれない物を遺そうとする意思もあったの。
おかげで、それから半世紀近くたった今でも、あたしたちはそれを味わうことが出来る。
ありがとう! 昔の人!
「この酒は、米と椿から生まれた子なのじゃよ。種としての繋がりはない、じゃが、紛れもない親子じゃ。”親子なのに親子ではない”、その答えがこれじゃ」
うむうむと感心したようにご主人さんは椿餅とお酒を指す。
「なるほどね。椿の親子は椿油で揚げた椿の花で、椿と米の椿餅の子がこのお酒ってことだね。この甘酒もその酒の酒粕から作ったんだろ」
「お前さんよ、それはおそらく違うぞ。この匂いは酒粕から作るタイプの甘酒ではなく、米麹から作るタイプじゃな。きっとその米麹は米と椿灰で作った伝統的なものであろう?
相変わらずの超人的な観察眼というか観察鼻でご主人さんは甘酒の秘密を見抜いた。
甘酒の作り方は主に2種類あり、酒粕から作るタイプと米麹から作るタイプがあるの。
今日、お出ししたのは後者。
「はい、この甘酒は米麹から作っています。伝統的な手法で米麹を作っている方から頂いたものです」
「ほう! それは珍しい! いまだ伝統的な造り方をしている酒蔵やもやし屋が残っているとは」
この人の言う通り、米麹や麦麹を専門で作っているもやし屋や日本酒メーカーで、今も椿灰を使った伝統的な製法を続けている所は少ない。
というか、この小西酒造の特定のお酒だけじゃないかしら。
さしものあたしでも、この3日でそこから米麹を買ってこれない。
というか、それは企業秘密の門外不出。
仕方ないので、”こくあがり”の酒粕を入手して、その甘酒にしようかとも思っていたけれど、そこであたしは気付いた。
そうだ! あの”あやかし”なら椿灰を使う伝統的な米麹作りをしていらっしゃるかも!
そしてそれは見事に的中して、あたしは首尾よく椿灰を使った米麹を手に入れられたのです。
「この椿餅と椿の揚げ物、そして椿灰を使った米麹から作った甘酒は、見た目も美しく、それでいて”親子”というテーマ性にも優れておる。法会にもバッチリじゃ。久しぶりじゃな、儂が心から感服したのは」
「ありがとうございます。貴方にそこまで言って頂けるなんて光栄です」
銀座の名店『魚鱗鮨』の板前長はTVにもよく出演している全国の料理人の憧れの的。
彼が料理を評価する時は、良い所を褒めて褒めて、褒めて伸ばすタイプ。
だけど、満点は滅多に出さない。
最後にちょっとだけアドバイスをするの。
それがまた的確で、彼の知見の高さは全国の料理人の皆が知る所。
彼に認めてもらうのを目標にしている人も多く、あたしもそのひとり。
やったー、あの憧れの人から満点もらっちゃった。
うんうん、これで今日のあたしはハッピーエンド間違いなしです。
「そうだね、あたしは血の繋がった子はいないが、育てた子はいっぱい居る。たとえ血が繋がらなくても、あたしたちが育てた子らが素晴らしい味のある立派な大人に育った、そんな意味が込められた椿餅と、椿灰から造られたお酒が出てくるなんて、ちょっと嬉しいね」
孤児院で育ち、そして巣立っていた子らを想像したのだろうか、築善さんが少し懐かしむように言う。
「えへへ、そこまで理解して頂けるとあたしも嬉しいです。お酒は甘酒だけでも良かったと思いもしたのですが、お子さんたちが大人となった証の物もご用意したくて日本酒も用意したんですよ」
「お嬢さんが儂らのことをそこまで考えていてくれたとは。感服の先の脱帽かもしれぬな」
「アンタがそこまで認めるなんねぇ。いいさ、今回はあたしの負け。このバカ弟子がここに通うのは大目に見てやるよ」
「本当ですか! 師匠! 珠子殿、ありがとうございます。これでまた、般若湯を飲みに来れます!」
ポカッ
「ほどほどにしときな。今回は大目に見てやるけど、今度酔っ払って帰ってきたら破門だからね!」
「はいっ!」
あー、慈道さんってばそんな事までしてたのですね。
そりゃ、大目玉くらうわけだ。
「まあ、それはさておき、料理を楽しみましょう。珠子殿の腕は確かでありますからな。おおっ! この椿の揚物はサクサクした食感と甘みが良いですなぁ」
よかったよかった、大団円とばかりに慈道さんはザクッと椿の花の揚物を食べる。
これは揚げた後に粉砂糖をまぶしているの。
ドーナツのように揚物と砂糖はとっても相性がいいのよ。
「この椿餅も甘酒も美味しいねぇ。この椿餅の餡は甘さが控え目なのに、甘さがしっかりと口の中に優しく広がるような……」
「これは発酵小豆餡じゃな、小豆に米麹を加えて、麹菌の作用で小豆のデンプンを糖に変えて甘味を出しているのじゃ。砂糖を加えていないので、優しい甘さなのじゃよ」
これは予想通りといった風でご主人さんが解説する。
「へぇ、そういや最近、発酵餡が流行ってるってTVで聞いた事があるね。しかし美味しいねぇ、この椿餅も甘酒もさ。しかも、何だかご利益というか功徳すら感じるような……」
「はい、師匠。おいしゅうございます。拙僧もここから滋味というか慈愛を……」
椿餅と甘酒を堪能している築善さんと慈道さんが、何かに気付いたように言葉を詰まらせる。
「珠子さん。もしよろしければ、この米麹を仕入れ先を教えて頂けぬかな?」
ふたりがそんな様子になっているなんて露知らず、ご主人さんがあたしに尋ねる。
この人にとって、これは普通に美味しい甘味。
もちろん、あたしにとっても。
「はい、いいですよ。入手先はですね……」
あたしは一瞬の間をおいて、
「甘酒婆地蔵様ですっ!」
とーってもにこやかに言った。
ポトッ
あっ、ふたりの手から椿餅が落ちた。
パクッ
そして、拾って食べた。
「なんてものを食わすんだい!?」
「おお、御仏よ、御仏よ!!」
築善さんは大声を上げ、慈道さんは天に向かって祈っている。
だって、甘酒婆地蔵様は菩薩の一尊で、これはおふたりにとっては超上司からの賜り物にあたるのですから。
「だーって『不自然なものが法会に相応しくない』って言われたら、逆転の発想! とばかりに『なら、超常で法会に相応しいものを食わせてやんよ』なーんって思っちゃうじゃないですかー!」
これはトムテトが不自然だとダメ出しされたお返し。
「ふさわし過ぎて逆におかしいわー! 普通の法会でこんな畏れ多いものを出せるかー!」
「過ぎたるは及ばざるが如しを地で行く料理とは……おお、御仏よ、御仏よ」
ふたりの気持ちはよくわかる。
あたしも”素敵な器でワインを飲もう会”で器に聖杯を渡されたら、畏れ多くて、ワインを楽しむどこじゃない。
法会で地蔵菩薩からの賜り物を出したりなんかしちゃったら、説法なんて二の次になっちゃう。
「あらま、それは残念ですね。でもコンセプトはご理解頂いたようですし、明日の本番ではこの”こくあがり”の酒粕を使って甘酒にするといいでしょう。椿餅もご主人さんなら、お手の物でしょうし」
トンとテーブルに置かれた酒粕を見て、築善さんと慈道さんは胸を撫でおろし、ご主人さんは任せておけと胸を叩く。
「ですが……」
「ですが、何でございましょうか珠子殿」
まだ何かあるのか、といった風情で慈道さんがあたしに尋ねる。
「いやぁー、明日の法会のために既に椿餅と甘酒を沢山作っちゃってるんですよねー」
あたしが奥のテーブルに欠けられたクロスを取ると、そこにはうず高い椿餅の山と、寸胴鍋いっぱいの甘酒が積まれていた。
「残念だなぁ、法会で出せないとなると破棄しないといけないなぁ。ありがたーい、この椿餅と甘酒を。あーあ、誰か買って食べてくれないかなぁ」
あたしのニヤリとした笑いに、ご主人さんは「お前の完敗じゃ、買うてやれ買うてやれ」と言いながら、腹を抱えて笑っている。
築善さんと慈道さんは顔を見合わせて、財布の中身を数え始めた。
天国のおばあさま、ご覧になっていますでしょうか。
この前は敗北を喫してしまいましたが……
今日はあたしの完全勝利です! ブイッ!




