退魔尼僧と椿餅(中編)
◇◇◇◇
「ういー、あたしもね、そりゃね、ちょっとまずったとおもったのよ」
「うんうん、わかるぜわかるぜ」
「だって、とうぜんじゃない。目めのまえのたべる人をしやわせにしたいとおもうじゃない」
「うんうん、そうそう」
「ねえ、ふたりともちゃんときいてる?」
「「きいてるきいてる」」
この新生『酒処 七王子』にはあたしも含めたみなさんのマイルームがある居住館がある。
嫌なことがあったりしたときは、そこでくだをまくの。
そんなあたしのおともはたいてい、赤好さんと緑乱おじさん。
他の方は不在だったり、ぐっすりおやすみだったりする。
「でもね、それよりたいへんなのは、これから”親子”をテーマにした法会でもふさわしいメニューを考えなきゃいけないってこと」
「法会ってことは生臭は駄目か」
「そうでーす、でもね、親子の食材だと同じ種類になっちゃうの」
「同じ? 親子なら同じ種類の食材なのは当然じゃないのかい?」
「そうそう、蓮の実と根とか。そんな植物をしかないと思うぜ。おっ、からし菜の葉と種とかどうだい?」
からし菜の葉はサラダに加えるとピリッとして味のアクセントになり、その種は辛子やマスタードの原料にな
る。
おじさんにしては珍しい的確なアドバイス。
「おっ、それならこのカシューナッツの実とかもいいんじゃないか。食べれるって話を聞いたぜ、歯ごたえ十分な珠子さん」
赤好さんが言うカシューナッツの実の部分、カシューアップルは確かに食べられる。
カシューナッツが成る姿は、果実からナッツが飛び出ていてインパクト十分。
フレッシュなカシューアップルは日本では入手困難だけど、冷凍ペーストやジュースなら手に入る。
でもね、それじゃだめなの。
「だからー、あたしは血のつがらない親子をひょうげんしたいんだってば。それで接ぎ木がベストだって思ったんだけど、自然じゃないって言われると、そうなのよねぇ」
接ぎ木の技術はトムテトのようなびっくり物から果樹まで様々な植物に応用されている。
その中を探せば実や茎、根や種、それらが食べれる植物を探せるのだけど、やっぱり人工的で不自然。
それに、今が旬のものじゃないと。
旬じゃないと不自然と指摘されちゃいますから。
「そいつは難儀だな。ひいじいちゃんの妹なら食事のあと『あたしを親子ともどもたべて』みたいなことができるんだが」
「なんだいそりゃ?」
「ひいじいちゃんの妹の大宜都比売さ。なんでも、身体の中から食いもんを出せるらしい。どこから出したのかは聞かないでくれ。つまみの味が変になっちまうからさ」
オオゲツヒメ様は日本神話に登場する神様で、その身体から様々な穀物や料理を取り出せる神様。
この方もイザナギ様、イザナミ様の神生みから生まれているので、八稚女の子である七王子のみなさんとは親戚なのよね。
ちなみにこのオオゲツヒメ様は乙女にはとても言えない所から食べ物を出す所をスサノオに見られてしまい、スサノオに殺されちゃったりしている。
もし、現世にスサノオが現れたなら、共同戦線を張れるかもしれない。
「あたしは神様じゃありませんから、そんな芸当は出来ませんよ」
「そっか、似ているものなら出来ると思うぜ。ほら、一昨年あたりに流行った映画にも出ていた”口噛み酒”とか」
赤好さんのその言葉にあたしはブボッと噴き出す。
「はははっ、そりゃいいや。いつもの嬢ちゃんだったら『逆転の発想!』なーんて言っちまって出しそうだしな」
「だろ?」
そう言ってふたりもハハハと笑い合う。
んもう、ふたりとも酔いが回ってきたみたいですね。
古代の酒造りの手法、口噛み酒。
それは米を口で噛んで、それを吐き出したものから作る。
現代では麹菌がやってくれるデンプンを糖に変える発酵作用を、唾液中のアミラーゼが行ってくれるのだ。
でも、口噛み酒は神事で使われることはあっても、法会で出せるものじゃない。
慈道さんを見ていると平気なように思えますが、不飲酒戒は仏教では守らなくてはならない大切な戒律ですから。
「ダメですよそんなの……」
あれ?
「ちょっとおふたりとも! さっきなんて言いました?」
ガタリと椅子から立ち上がり、あたしはふたりに尋ねる。
「ん、俺が手作り上手な珠子さんの口噛み酒を飲みたいって言ったことかい」
「違う! そんなことを言ってないでしょ!」
「えー、俺っちが女体盛りなんてどうかな? と言って、嬢ちゃんがいいですね! って言った所かい」
「そんなこともいってません! もう、ふたりとも記憶を捏造しないで下さい!」
まったくこのふたりってば。
でも、おかげで頭に血液が回って思考が冴え始めた。
お酒と発酵、それに逆転の発想……
あたしは頭の中で組み上げられたメニューを想像して、ふっふっふっと嗤う。
「おっ、元気が出たみたいじゃないか。覚醒珠子さん」
「いい考えが浮かんだみたいで、俺っちも嬉しいぜ」
「そうです! おふたりのおかげです! 逆転の発想ですよ! 旬の物が見つからないなら、1年中旬の物を出せばいい! 親子がテーマなら、親子じゃないものを出せばいい! 酒がダメなら、酒じゃないものを出せばいいんですっ!」
ふたりは禅問答を受けているような小坊主の顔になった。
◇◇◇◇
カランと扉のベルが鳴る。
あの日から3日、時間通りにみなさんはご来店されました。
もう、あの夜から準備が大変、今日のメニューに必要なものを仕入れるのに四苦八苦。
あちこちを行ったり来たり、そして金の力で揃えましたとも決戦食材を。
もし、このメニューが採用されなかったら大赤字。
だけど、今日こそは負けません!
「また邪魔するよ」
「珠子殿、お頼み申す」
「いやいや、どんな料理が出てくるか。まったく楽しみじゃわい」
築善さんと慈道さん、そして築善さんのご主人さんの登場で、店の雰囲気が一気に変わる。
特にご主人さん。
この人の出す調理力は常人のものではありません。
なーんて、橙依君が読んでいた料理バトルロワイアル漫画みたいな事を思ってみたり。
「さて、約束通り、”親子”をテーマにした法会に相応しい献立ってのを出してもらおうかね。アンタ、審査は任せたよ」
「うむ、任されようぞ」
”よくわからないことは丸投げ”
築善さんの態度はそんな風にも見えるけど、それは信頼の証であることは見て取れる。
「ええ、とびっきりの法会に相応しい禅問答メニューをお出ししますよ。名づけて”一年中が旬で、親子なのに親子ではなく、お酒なのにお酒ではない”料理ですっ!」
あっ、この前の赤好さんと緑乱おじさんと同じ顔。
「これまた面妖な!?」
「あたしはそいうのは苦手でね。お前さんはどうだい?」
「店の中の香りから”一年中が旬”と”お酒なのにお酒ではない”まではわかった。じゃが”親子なのに親子ではない”これがわからぬ」
ごふっ
あたしは胸を突かれるような衝撃を必死に隠す。
え? そこまでわかっちゃうの!?
「そんな事を言ってブラフじゃないのかい?」
「お前さんは疑り深いのぉ。では、わかっている所までを書いて伏せておくかの」
ご主人さんは筆と紙を取り出し、サラサラサラっとそこに何かを書くと、テーブルの上に伏せた。
「料理が出てきたら、これを開けるとよい。じゃが、わからぬ。最後のひとつが……」
少し悔しそうに、そして少し嬉しそうにも見える様子で、ご主人さんは首をかしげる。
「それでは料理をお持ちしますね。法会で合間に食べる間食用のメニューです」
あたしはお盆に料理を載せ、テーブルに運ぶ。
それは、葉っぱで挟まれたお餅と、揚げられて粉砂糖がまぶされた花。
そして、陶器のコップに入れられた甘酒。
「これは椿餅と椿の花を揚げたものだね。なるほど、椿の親子というわけかい。この揚げ油は椿油を使ってるんだろ」
「はい、その通りです」
椿餅は餡を餅でくるんで、椿の葉で挟んだもの。
源氏物語にも登場する、日本古来からのスイーツなのです。
そして椿の実からは油が摂れる。
椿油は美容用途が有名だけど、もちろん食用にも出来る。
ちなみに高級食用油なのよ。
「しかし普通だね。伝統の椿餅に、揚げた花の一品加えただけじゃないか。それに酒もアルコールが含まれない甘酒なら不飲酒戒にはあたらないしね。ま、この前のポムテトのような攻めた献立は止めて平凡だが及第点を目指したってとこかね。アンタもそう思う……」
築善さんの言葉が止まる。
それは、彼女が料理関係では一番信頼しているご主人さんがお盆の一点を見つめて押し黙っているから。
見つめるそこは虚空。
築善さんと慈道さんのお盆では甘酒が置いてある場所。
でもそこには何もない。
「”一年中が旬”と”お酒なのにお酒ではない”は簡単じゃった。この店内に入った時、椿の花と椿油、そして甘酒の香りを感じたからな。椿は木へんに春と書くが、夏椿や寒椿といった夏や冬に咲く種類もある常緑樹で一年中が旬じゃ。甘酒も酒と字が付くが、アルコールが含まれなければ酒ではなくなる。じゃが……」
ご主人さんが机に置かれた紙をめくると、そこには達筆な字で”椿餅”と”椿油を使った椿花の揚物”、そして”甘酒”と記されてあった。
「さすがはご主人! 見事に当ててみせましたな!」
いやぁ、おみそれしましたとばかりに慈道さんが手を叩く。
なんなのこの人! 甘酒はともかく、椿の香りってとっても仄かなのに、それがわかるなんて!
ふっふっふっ……でも、あの最後の砦だけはわからなかったみたい。
というか、わかったらおかしいわ!
「いや、まだ”親子なのに親子ではない”の謎が解けておらぬ。そのヒントがこの空間にあると儂は見ておるのじゃが……」
そしてご主人さんの視線はまた虚空に注がれる。
「そういや、アンタの所にだけ甘酒がないね。こりゃどういうわけだい?」
「ご主人さんは僧職ではありませんから、普通にお酒をお出ししようと思っていまして。”親子般若”です」
あたしは緑のガラス瓶とお猪口を手にご主人さんに近づこうと……
「そうか! 小西酒造のクラシック麹であったか!」
ズルッ
あたしの必死に隠していた最後のネタを暴露され、あたしは盛大にバランスを崩す。
トンッ
シャリン
地球の重力に従って床に熱いベーゼをかわそうとするあたしの身体が、一本の指と一本の錫杖によって止められた。
「あぶないね」
「珠子殿、気をつけられよ」
指の主は築善さんで、伸びた錫杖の主は慈道さん。
力点はとても小さいけど、それは微動だにせず、あたしの身体を支えていた。
「あ、ありがとうございます……。というか! なんですかー!? あなたー!? 絶対わからないようにラベルにも目張りしてたってのに! なんでわかっちゃうんですかー! 頭おかしいですよ!」
このお酒と椿の秘密の関係は絶対にわかるはずがない。
あたしはそう思っていて、相手が”親子なのに親子ではない”の秘密が解けずに降参した時、ジャジャーンと種明かしするつもりだったのに。
「人の旦那に向かって”頭おかしい”とは随分な物言いだねぇ」
「だって、おかしいですよ! 普通はわかりません! 普通じゃなくてもわからないはずです!」
もはや接客のことも忘れて、あたしはわめき立てる。
「すまぬすまぬ。いやでも、珠子さんも十分おかしいと思うぞ。これが出てくるとは思わなんだ。儂は今日の献立について『儂だったらどう作る?』という答えをいくつも考えておったが、お嬢さんの献立はそれを遥かに凌駕しておる。心の中で”やられた!”と思うたのは3年ぶりくらいじゃ」
「は~、そうですか~、それでは御開帳でーす。はーい、これは小西酒造のクラシック麹を使った『こくあがり』でしたー」
ご主人さんが褒めてくれるけど、あたしの気勢は削がれたまま。
あたしはやる気なくペリリと瓶の目張りを剥がす。
そこには”こくあがり クラシック麹仕込み”の文字。
「ははは、そんなにはぶけるな。若く有能なお嬢さん。正直見事だぞ、その若さでここまでとは思わなんだ」
「え? あたしってそんなに凄い?」
「そうじゃそうじゃ、若くて美人で、それでいて有能だとは恐れ入った。いやー、儂が40年若ければ放っておかん所じゃ」
「その通りですぞ、料理においては珠子殿は拙僧の知る限り最高のうら若き美女でありますから」
ご主人さんと慈道さんが手を叩き、あたしを褒める。
ちょっとお世辞が入っているかもしれないけど、やっぱ気分がいい。
「そ、そうですかー? やっぱこの『酒処 七王子』を1年近く切り盛りした自負もありますし、あたしって結構イケてると思ってたんですよー」
うん、あたしは凄い。
この人がおかしいだけ!
「アンタがそこまで言うのなら、この娘の腕は確かなんだろうね。でもなぜこれが”親子なのに親子ではない”なのかい? あたしはちっともわかりゃしないよ」
「そうじゃろな。ま、一献もらってから説明しようか」
ご主人さんはあたしからお猪口を受け取ると、そこにコポポと注がれた透明なお酒の香りを一瞬楽しむと、キュっとそれを飲み干した。
「濃厚な味わいの中にキリッとしたキレ、甘味やコクは十分なのに飲んだ後はスッキリとしておる。うむ、良い酒じゃ」
「へぇ、うまそうじゃないか。あたしも一杯もらおうか」
「いいんですか?」
「酔わなきゃいいのさ」
ちょっとクスッとした笑いで築善さんが言う。
この人も破戒尼僧でしたか!
クッ
あたしが渡したお猪口を手に築善さんも”こくあがり”を飲む。
「いい味だ。1年ぶりくらいだけど、酒……般若湯はいい」
「し、師匠。拙僧も呑んでもよろしいでしょうか」
「仕方ないね。ほどほどにしときなよ」
「はいっ、それはもう」
慈道さんはいつもだったら当然のように般若湯を所望するのですけど、お師匠さんの前だとそうもいかないようです。
「さてお前さん、これが旨い酒だってのはわかったけど、どうしてこれが”親子なのに親子ではない”のさ。あたしゃさっぱりだよ」
「簡単な話じゃよ。酒は何から作る?」
「米と水と麹だろ。あたしでもそれくらい知ってるさ」
「ではその麹はどうやって作る?」
…
……
少しの間が流れ、
「さあ?」
築善さんはちょっとお茶目そうに言った。




