退魔尼僧と椿餅(前編)
天国のおばあさま、珠子は今、試練に立たされています。
もし、ここにおばあさまがいたら、心強い……というよりも心配。
だって、ここにおばあさまがいらっしゃったら、真っ向から勝負を挑んでいるかもしれませんから。
「どんな料理が出てくるか楽しみですね、師匠もご主人さんも」
「慈道。今回の件を大目に見るのはウチの旦那を唸らせたらだからね」
「相変わらず厳しいなお前は。食事はもっと楽しむものじゃぞ」
今日の『酒処 七王子』のお客さんは珍しく”あやかし”ではなく人間のお三方。
ここの常連さん、退魔僧の慈道さんにその師匠の退魔尼僧の築善さん。
そして、最後のひとり、築善さんのご主人さんが問題なのです。
「ま、ウチの旦那を納得させる出来の献立、そうそうないと思うけどね」
こんなことを言われたなら、いつものあたしなら『は? この料理を食べて同じ事を言えるかな!』なんて挑戦的になる所ですけど、今日はそうはいかない。
「いやはや、名高い”魚鱗鮨”のご主人さんのお眼鏡に敵うと良いのですが……」
だって、このお客さんは銀座にその名を轟かし、日本一とも称される名店”魚鱗鮨”の板前長さんなんですもの。
この前、新宿であたしの舌を唸らせた板前さんの師匠。
東京DXテレビの料理大会で何度も優勝している凄腕の方なのです。
◇◇◇◇
「それで珠子殿、勝算はおありでしょうか……」
ここは厨房、いつもの飄々とした態度とは違い、慈道さんがしおらしい。
「胸を借りるつもりでぶつかりますよ。お口に合うといいんですけど」
事の発端は3日前、ここに入り浸って昼間から般若湯を楽しんでいた慈道さんの元へ、突然、退魔尼僧さんが来店された。
その方の名は築善さん。
慈道さんの師匠にあたる方で、最近たるんでる慈道さんの動向を見張ってたんですって。
そりゃもう大目玉。
なんせ勤務中に般若湯を飲んでたんですもの、普通の会社なら一発クビ。
そこで何を思ったのか『し、師匠。私は次の法会の献立の打ち合わせを……』なんて大嘘を。
『へー、それならその献立を見せてもらおうじゃないか』と築善さんもそれに応酬。
かくして、あたしは成りゆきで法会用のメニューを考える羽目になったの。
法会は4日後、うまくいけば大口の商談になって大儲け。
だけど、失敗すると法会の献立はご主人さんが考えて、あたしはその日はお手伝いとしてタダ働き。
ま、原因は慈道さんにあるので、金銭的にはローリスクハイリターンなのは、まあいいのですけど……、
「頼りにしていますぞ。この礼はいずれ必ずさせて頂きますから」
「まあ、それはそれで重要なのですけど……」
正直、築善さんのご主人さんがあんな大物とは思わなかった。
だけど、あたしは確かに何度も”あやかし”の舌を唸らせた自負がある。
その経験を活かして、大物料理人であっても唸らせてみせます!
「テーマは『親子』でしたよね」
「はい、次の彼岸の法会は親子の愛情の尊さを説く会です」
親子をテーマにした料理なら鶏と卵の親子丼、鮭とイクラの海鮮親子丼などが頭に浮かぶ。
だけど、法会の献立としては不適切。
だって、僧職の方の集まりで生臭系の料理なんて出せない。
だから今日の献立は野菜の親子。
「大丈夫ですかの?」
心配そうに問いかける慈道さんに、あたしは「ふっふっふっ」と不敵な嗤いで返す。
「任せて下さい! 今日はびっくりどっきりの親子食材を仕入れましたから!」
あたしが用意した食材はふたつ。
そのひとつはきっと模範解答。
だけど、もうひとつは人類の叡智が生んだ、新しい解答なのよ。
◇◇◇◇
「お待たせしました。蓮の親子ワンプレートです」
大皿の上に載っているのは蓮の葉。
そこに炊き込みごはんとキンピラとサラダ。
「ほう、蓮の実の炊き込みご飯と蓮根のキンピラと蓮のサラダじゃな」
「なかなか旨そうだね。このサラダは蓮の茎だね」
「はい。蓮の実と茎と根、そして葉。それを余すところなく盛り込みました。名づけて”蓮の一蓮托生盛り”ですっ!」
蓮は仏教の中で特別な花。
仏様の台座に蓮華座が使われるくらい特別なの。
「なるほど、運命を共にするという意味の一蓮托生ね。しかし味はどうだい」
築善さんと、そのご主人さん、そして慈道さんが各々に蓮の料理を口にする。
シャキッっと音を立てたのは蓮の茎のサラダ。
パリッと音を立てたのは蓮根のキンピラ。
そして、ホクッいう食感が蓮の実から伝わっているはず。
「ほう、レモングラスか」
蓮の茎の白さとトマトの赤さで彩られたサラダを食べたご主人さんが口を開く。
スゴイ! 一口で見破られた。
柑橘の何かと勘違いしてもおかしくないのに。
「さすがですね。ご指摘の通りレモングラスです」
レモングラスはその名の通りレモンに似た香りを出す草。
あたしはそれを少量サラダに混ぜたの。
「東南アジアでは蓮とレモングラスの組み合わせは鉄板であるからの」
「相変わらず料理に関しては鋭いね。あたしなんかトマトの他にもうひとつ酸味があるくらいしかわからないってのに」
モグモグと蓮の実の炊き込みご飯を食べながら築善さんが言う。
少しご飯が赤みがかっているのは、一緒に炊き込まれたトマトのせい。
「でも、あたしにだってわかるよ。この蓮の実が新物だってくらいは」
「この季節は若い実が出ますから。それを味わいたいですよね」
蓮は青くて若い実ならそのまま生でも食べれるくらい柔らかい。
黒く熟しても、皮を剥くと真っ白! それを焚き込むとホコホコとした食感になるの。
栗と銀杏の中間のような味で、出汁と醤油が利いたご飯と相性バッチリ。
「このキンピラもパリッ、シャキッとした食感と、薄切り馬鈴薯のサクッホコッとした食感が見事ですな。付け合わせの揚げミニトマトも良い味ですぞ。いやぁ、珠子殿の料理はいつも最高でありますなぁ」
ちょっとわざとらしいですね、慈道さん。
「しかし解せぬな。この”蓮の実の炊き込みご飯”も”蓮の茎のサラダ”も”蓮根のキンピラ”も、全てにトマトとジャガイモが加えられておる。最初は旨みを足すだけかとも思うたが、ここまで徹底すると何か裏があると感じずにはいられぬ」
ご主人さんの指摘の通り、この”蓮の一蓮托生盛り”の各々のメニューには、全てにミニトマトとジャガイモが加えられている。
蓮の実の炊き込みご飯には、具にトマトと賽の目切りのジャガイモが。
蓮の茎のサラダには、フレッシュトマトと軽く火が通った細切りシャキシャキジャガイモが。
蓮の根のキンピラには、揚げトマトと薄切りポテトフライが。
もちろん、偶然じゃない、これには意味がちゃんとある。
「それはですね。今回のテーマが”親子”だからですよ。このトマトとジャガイモも親子なんです」
「親子? このトマトとジャガイモがかい? そんなはずがないだろう」
「いえいえ、親子ですって。今、証拠をお持ち……」
親子のはずがないと否定する築善さんにジャジャーンと見せつけようと、あたしが証拠の品を鶏に厨房へ戻ろうとした時、
「なるほど、Thompson & Morgan社のTomTatoであったか」
いきなりご主人さんにネタバレされた。
「あ、あははー、お詳しいですね。さすがです、さすが……」
「なんだいそのトンプソン銃で武装したモーガン警部がトーテムポールに向かってヒャッハーみたいな言葉は」
ご主人さんに比べて、築善さんの知識は偏ってますね……
「トンプソン & モーガンは会社名でトムテトは商品名じゃよ」
「さすがはご主人。博識でいらっしゃいますなぁ」
いつもは拙僧中心といった風の慈道さんが珍しくお世辞を言っている。
あたしはその間にちょっとしょんぼりしながら厨房からトムテトを取って来た。
「これがトムテトです」
あたしが持ってきた木にも見える大きな植物には鈴生りの小さなトマトが沢山実っていた。
この部分だけを見ると、大きく育ったトマト。
だけど、その下にはゴロゴロとしたジャガイモも実っているのです。
「これは!? トマトとジャガイモが同時に実っている!? こんな植物があるのかい?」
「接ぎ木じゃよ。トマトもジャガイモも同じナス科じゃから接ぎ木が出来る。若い苗のうちに接いだのだ。じゃが、ここまで見事に両方を実らせる苗を販売しているのは世界広しといえども少ない。トンプソン & モーガン社はそのひとつじゃ」
あーん、あたしが説明したかった部分が全て取られちゃった。
「はい、ご主人さんのおっしゃる通りです。この料理には蓮の親子と、トマトとジャガイモの親子を表現しました。失礼ながら、おふたりのことを調べさせて頂きました」
あたしがふたりをもてなすにあたり、慈道さんから色々聞いた。
ふたりの間に子供はなく、養子がひとり。
そして、築善さんは危険な退魔の仕事の報酬の大半を使って孤児院を経営しているって事も。
「かまいやしないよ。どうせこのバカ弟子の入れ知恵だろ」
「儂も平気じゃよ。隠しておるわけでもないからの」
ふたりの言葉にあたしは胸をなでおろす。
必要以上にプライベートに踏み込んだ料理は諸刃の剣。
そこが心に染み入る方もいれば、過度な侵入に怒る方もいるから。
「ここの料理にはふたつの”親子”を込めました。ひとつは蓮の実と根とそれを繋ぐ茎、確固たる繋がりを持つ家族を。ふたつはトマトとジャガイモという別の種であっても、ひとたび繋がったなら、豊な実りをもたらす繁栄を。それぞれに表現したのです」
世の中には不幸にも血のつながる両親から別れてしまう子もいる。
だけど、血の繋がらない関係であっても、幸せな実りある人生を送れるってあたしは示したかった。
「血の繋がりと地の繋がりとまでかけているたぁ、若いのになかなかやるじゃないか」
「うむ、この味には十分な修練が感じられる。将来有望な若手じゃの」
「あははー、ありがとうございます。最近あまり若いって言われないから嬉しいです」
アラサーがモロサーになるタイミングが近いからか、七王子のみなさんは、最近は年の話がでるとバツが悪そうに会話を逸らすのよね。
「いやー、味もそこに込められた意味も上々でございますなぁ。ねっ、師匠、これで拙僧がサボリではなく法会のためにここに通っていたとおわかり頂けたでしょうか」
「仕方ないねぇ、ま、今回だけは……」
よしっ! なんとかなった!
「待て、お前さんは気が早い」
「おや、アンタはこれが気に入らないと?」
「そ、そんなご主人。これは味も演出も、込められた意味も良き料理ではありませぬか」
ご主人さんの『結論はまだ早い』という言葉に築善さんと慈道さんが疑問の声をあげる。
「珠子さんと言ったな」
「はい、真珠の珠のような子の珠子です」
「美しい良き名じゃの。それに腕も良い、機知にも長けている。聞けば『人類の叡智』が決め台詞とな」
「はい、確かに『人類の叡智』という台詞はよく言いますが……」
「うむ、珠子さんからは若さと未来への可能性が感じられる。それだけに惜しい」
ほんの少し下を向き、残念そうな口調でご主人さんは言う。
いったいこの料理のどこに不備があるのかしら。
これって結構な自信作なのに。
「なんだいアンタ、もったいぶってさ。はっきりとお言い」
「珠子さんは儂らを”親子”のテーマの料理でもてなす事に心を砕き、重要な事を失念しておる。……これは法会用であるぞ」
あ!
あたしは自分のミスに気付いた。
「法爾自然……」
「左様、自然法爾ともいう、あるがままを表した親鸞の教えのひとつじゃ」
「あれ? 親鸞さんの師匠の法然さんの名前の由来から来た言葉じゃなかったですか?」
あたしがおばあさまから聞いた話だとそう。
法爾自然も自然法爾も言葉の順番は違えども意味は同じ。
仏教の教えが由来の四字熟語だ。
「そうなのか?」
「そうなのですか?」
あたしたちは本職のふたりに顔を向ける。
「どっちでも一緒さね。誰が言い出しっぺかなんて知りゃしないよ」
「はて、年のせいか最近、物忘れがひどくっての」
仏の教えは忘れちゃだめだと思います、慈道さん。
「まったく、お前さんときたら。本職なのだから、少しはありがたい教えのひとつでも若い者に説かぬか」
「いいのさ、あたしはね若い子らの安全を担保し、飢えも乾きも暑さも寒さも、怒りや悲しみ、寂しさや無念、そういったものから守り抜くのがあたしの使命だと思ってるからね。あとは、そういうのが得意なやつと御仏が導いてくれるってもんさ」
「みほっとけならぬ、みはっとけ、というやつですね師匠」
ポコッ
「バカなことを言うんじゃないよ。このバカ弟子が」
うーん、この築善さんと慈道さんって結構いい師弟コンビかも。
「すまぬ、話が脱線した」
「いえ、法爾自然。あるがままの姿という事ですね。あたしの料理ではそれが欠けていると」
「その通り。このトムテトは人の生み出す物としてはあるがままじゃ。常に知識と可能性を探求し、叡智を高めようとする人の道としてはな。じゃが、自然界では歪じゃ。自然との調和を尊ぶ法会としては少々不適格かの」
返す言葉もなかった。
このご主人さんの指摘は至極もっともで、この料理が持つ法会への欠点を的確に突いていた。
「おっしゃる通りです……ここはあたしの負……」
あたしは頭を下げて負けを認めようと、
「そこでだ、この料理は蓮の親子だけの構成とし、トムテトは除いて、別の品を加えるのがよかろう。間食用の甘味などがよかろう」
あれ?
「お前さん、何を?」
「何をも何も、儂は最初から法会にふさわしい料理を作るのに協力を求められたから、ここにおるのじゃぞ」
いたって当然。
そんな風にご主人さんは築善さんに言う。
そっか、あたしはこの料理をご主人さんに認めてもらうかどうか勝負と思ってたけど、実は違うんだ。
この人は法会を成功させることを第一に考えてたのだ。
「それに少し嬉しかった。日本でこのトムテトの入手は困難じゃ。珠子さんは四方八方の手を尽くして、これを栽培している者と交渉したのじゃろう。儂らを新しい栽培技術の可能性とその豊かな実りで喜ばせようとする心が料理から伝わってきた。少々の驚きをスパイスにな。その気持ちに応えるのが先人の努めであろう」
「料理から心を感じるなんて、アンタも相変わらずわけわからん能力があるねぇ」
一流の料理人に言葉は不要。
『料理を食えば全てがわかる、その料理人の心も人生も、秘めた気持ちさえも』
そんなことをこのご主人さんは雑誌のインタビューで言ってたけど、眉唾だと思っていた。
だけど、本当かも。
そう思わせるくらい、ご主人さんは料理に込めたあたしの気持ちを代弁してくれた。
かなわないなぁ、天国のおばあさま、あたしはまだまだ未熟みたいです。
「儂に言わせりゃ、お前さんの”錫杖からビーム!”とか”数珠から散弾!”の方がわけわからんぞ」
「あんなん簡単さ。御仏の愛を感じて収束したり拡散して放つだけさ」
いや……それって簡単とは思えません。
あたしもご主人さんと同意見。
まだ、料理から心を読む方が理解できる。
だから、あたしは分かる。
ごの人が、何を求めているかを。
この人もあたしと同じく、料理を通じて食べる方の心に喜びと、ちょっとした驚きを与えたいと思っている。
そんな人がここで求める言葉はただひとつ。
「わかりました。3日です」
「うむ、3日だな」
あたしたちは何かを理解したように互いに頷き合う。
「3日後に再びここに来てください。その時は”親子”をテーマにした法会にふさわしい甘味をお出ししますっ!」
あたしはいつか料理の達人に言ってみたい台詞No.3を宣言し、
「よかろう! 楽しみにしてやる!」
この人もノリノリでそれに応えたのです。




