黄泉醜女と活け造り(その3) ※全4部
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◇◇◇◇
天国のおばあさま、とまあ、そんなこんなであたしはこの黄泉比良坂を下っているのです。
ゼェーゼェーハァハァ
「ほら珠子さん、もう少しですから頑張って」
「頑張れ嬢ちゃん。女の子にこの長い坂はキツイだろうが、もうしばらくの辛抱だ」
「あわてず、ゆっくりでいいですから。下りは膝を痛めやすいですから気を付けて下さいね」
あたしは今、ながーいながーい下り坂を降りている。
勾配は急ではないけど、一時間も経てば息は切れるし、膝もガクガク。
坂の名は”黄泉比良坂”。
幽世から黄泉の国へ続く道。
「ふぁいとー」
「おー」
あたしの隣からはチャポチャポ、ゴポゴポと水の音。
黄泉醜女のもっちーさんと、つっしーさんの肩に載せられた水槽からの音だ。
大の大人が六人がかりで持ち上げたそれを、ふたりはひょいと軽く抱えている。
ルンルン気分であたしを励ます余裕があるくらいに。
「大丈夫ですか。つらいようでしたら、わたしが前に珠子さんを抱えましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です。よっちゃんさんは電池をお願いします」
そしてよっちゃんさんは災害用大型電池を背負子で背中に抱えている。
あれって、30kgくらいあるんですけど。
「しかし、かなりの大荷物だな。炊飯器の他に何が入ってんだ?」
緑乱おじさんが背負っている段ボールの中には、炊飯器の他に、IHクッキングヒーターやその他の調理器具がいっぱい入っている。
だけど、それは秘密なのだ。
「え、えっと……、ほ、ほらポンプですよ! 水槽用のポンプの予備!」
あたしは取り繕うようにおじさんの疑問に答えた。
あたしたちは、電池を持ってきた理由を、お米を炊くためだと説明している。
でも、実は他にも理由があるのだ。
「珠子さんの言う通りです。今回の活け造りは鮮度が命ですからね。水槽エアーポンプは文字通りの烏賊の生命線です」
板前さんがあたしをフォロー。
この人も食器とかお米とか水とか他の食材とかが入った段ボールをしょっているのに、顔色ひとつ変えない。
その足取りは中の食器がぶつかり合う音すら立てない滑らかさ。
うーん、板前とは仮の姿で、実は忍者なんじゃないのかしら。
「あっ、つきましたー! あの陣幕が今日の会場ですよ。おーい! みんなー!」
「よっちゃん、もっちー、つっしー! おかえりー!」
坂が終わり、その勾配が平坦になったころ、あたしたちの行く先に純白の陣幕とテーブル、そして貴賓であるイザナミ様がおわすであろう高座が見えてきた。
高座を中心にその両横に長いテーブルが配置されている。
あれがきっと黄泉醜女さんたちの席ですね。
「人間のおふたりと緑乱殿ようこそいらっしゃいました。わたくしが、みなさまをご案内する黄泉醜女のイズミです。気軽にイズちゃんって呼んで下さい」
にこっ、と素敵な笑顔で、到着したあたしたちをイズちゃんが出迎える。
顔のいたる所に肉を抉ったような虚空の穴が見えますけど、それが笑顔だってわかる。
他の黄泉醜女さんたちも、ちょっと驚愕するような顔ですけど、よく見ると、表情が豊かで可愛らしい。
「まず、最初に注意事項についてご説明します」
注意事項? 何かな? 火の扱い方とかかな?
「あの地面に一本の黒い線が見えますでしょう」
「はい」
「ええ、見えます」
イズちゃんの指先が示すのは、高座の前に敷かれた一本の黒いテーブ。
「あれは黄泉比良坂と黄泉との境目、デッドラインです。越えたら死にますので注意して下さい」
注意ってレベルじゃなかった!
「は、はいっ! 絶対に越えません!」
あたしは直立不動のポーズで言った。
「ですので、給仕はわたしがしまーす。ほら、可愛いメイド服でしょ」
荷物の中からメイド服を取り出しそれを身にまとう。
秋葉原で見るようなミニスカタイプじゃない、伝統のヴィクトリアンスタイル。
どこで手に入れたのかしら。
「いやー、俺っちとしては秋葉原のミニスカスタイルのメイド服でよっちゃんの脚線美を堪能したかったんだけどさ、そいつは先約があってね。ちょうど蔵にあった、昔エゲレスから輸入したメイド服を用意したのさ。ま、伝統スタイルも十分にセクシーさ。見えないのが逆にいい」
おじさんの趣味だったんですか!?
「んもう、緑乱様ったら~」
緑乱おじさんのセクハラ発言を広い心でよっちゃんさんが受け止める。
このふたり、仲いいですね。
「えー、よっちゃんが配膳するのー」
「ドジって転ばないでねー」
「もー、みんなひどーい。大丈夫ですよ。ちゃんと練習したもん。ねっ、緑乱様」
「おう! 蔵にしまっていたそいつを引っ張り出して、特訓したからな!」
そう言えば、準備の時に何やら皿の割れる音が聞こえてましたけど、そんなことをしていたんですね。
「さて、珠子さん。我々もそろそろ準備と下ごしらえを開始しましょう」
「はいっ」
みんなの輪の中で楽しそうにスカートをクルクルさせるよっちゃんさんを横目にあたしたちは準備に取り掛かる。
炊飯器で米を炊き、あとはこっそり持ってきたIHクッキングヒーターとフライパンや泡だて器を取り出しやすい所に置く。
米が炊き上がった頃、あたしは何か巨大な気配を感じた。
『酒処 七王子』のお客さんなんて目じゃない、蒼明さんや酒呑童子さんすら霞む、無限の大地の広がりを思わせるような気配。
「イザナミ様が参られます。みなさん、ご準備を」
「兄ちゃん、嬢ちゃん、こっちだぜ。ここで俺っちと平伏、平伏」
高座より少し離れた、デッドラインの手前に正座した緑乱おじさんが手招きする。
あたしたちは、そこに正座し、頭を地面に伏せるポーズで待つ。
ジャッジャッ
玉砂利を進む足音が聞こえた後、高座に気配を感じる。
それは、あまりにも巨大。
だけど、たおやかで優しい気配。
「緑乱、久しぶりですね」
「はい、ひい……イザナミ様もご壮健で」
イザナミ様が緑乱おじさんに声をかける。
そして次に、その気配はあたしたちへと向いた。
「そちたちが”活け造り”を供してくれるという料理人か。よいぞ、面を上げよ」
あたしたちが頭を上げると、イザナミ様の姿が見える。
弥生時代? ううん古墳時代かしら?
古の上着”衣”とスカートのような”裳”。
それらは、白と薄紫の縞模様の倭文布で装飾され、そこからは気品と温かみのある体つきが見て取れた。
ただ、その顔は肉と皮がうっすらと付いた付いた髑髏のようで、その双眸はどこまでも昏い深淵が浮かんでいた。
「驚きも恐れもせぬのだな」
その顔に釘付けになるあたしたちの視線を感じたのか、イザナギ様は言う。
「畏れながら、大地や山々を見て恐れる者がおりましょうか。ひとたび自然の怒りに触れたなら、私ごとき人間は泡のように消える儚い存在だと知っていても、そこに雄大さと慈愛を感じぬ者はおりません」
「はい、どんな風貌であろうとも、大地の豊かな恵みに感謝こそすれ、恐れることなどございません。あっ、でも想像よりでーっかい大根やおイモが取れた時は驚いちゃうかも」
板前さんは厳かに、あたしはちょっとコミカルに口を開く。
イザナギ様は今は黄泉の神だけど、元は国生みの大地母神。
そこから感じるのは死の気配だけじゃない、雄大な大地の気配。
その気配を感じたら、怖くなんてない。
「ぷっ、はははっ、はははっ、あはははははっ! あーおかしい。面白い人間たちね、ヨミの話した通りだわ」
あたしたちの言葉が気に入ったのか、真っ白な歯をキラリと見せて、イザナギ様が笑う。
ヨミはきっとよっちゃんさんの名前。
「だめね、久しぶりに生きた人間に逢うのだから、権威ある神様っぽくしようとしたけど、こっちの方が楽だわ。あなたたちも楽にしていいわよ」
「それは……無礼講ということですか?」
「無礼講も何も、大地と黄泉は全て分け隔てなく優しく受け止めます。例外は夫だけです」
そう言ってイザナギ様はクスクス笑う。
やっぱり、事前によっちゃんさんから聞いた通り、優しくて素敵な女性。
あの須佐之男が黄泉のイザナギ様に逢いたくなっちゃうのもわかるわ。
「ごめんなさいね、わたくしがうっかり『活け造りが食べたい』なんて無理を言ってしまって。でも嬉しいわ。新鮮な海の幸は中々手に入らないから。あの泳いでいる烏賊がそうなのね。とても美味しそう」
あたしたちの背後でゴポゴポとエアーの音を立てている水槽を眺めて、イザナミ様が嬉しそうに言う。
「ええ、ピチピチ新鮮なイカをご提供いたします。それでは早速ですが」
「はい! 調理に取りかからせて頂きます」
「ええ、お願いね。黄泉で”活け造り”は無理ですが、新鮮な海の幸を楽しみにしています」
”無理”
イザナミ様がそう言い、黄泉醜女さんたちも頷く中で、よっちゃんさんとあたしたちだけが”道理を通して、無理を引っ込める!”と思っていた。
◇◇◇◇
キュポキュポ、シュッシュッとイカと手、そして包丁が重なり合う音が黄泉の静寂に響く。
透明なイカの身が、流れるように細切りのお造りに仕立て上げられ、その内臓は胴体から一刀の下に切り離され、いわゆる肝臓の中身だけが醤油の中で溶かれていく。
足は二本の触腕と硬い吸盤だけが取り除かれる。
丼のご飯の上に大葉を敷いて、そこに細切りのお刺身をのせ、最後に頭と足だけになったその身体を立つように置けば完成。
「「「おまたせしました! ”活イカの踊り丼”ですっ!」」
ひとつの丼に1パイのイカで作られた海鮮丼。
それが9つ並んでいる。
「イザナギ様どうぞ」
メイド姿のよっちゃんさんがお盆に丼と醤油差しを乗せて、”活イカの踊り丼”を運ぶ。
そして、7名の黄泉醜女さんたちと、自分の席にも。
「醤油は肝臓を溶いたワタ醤油です。回しかけてお召し上がり下さい」
「まあ、嬉しいわ。新鮮だからこそ味わえるのね。それでは、みなさん頂きましょう」
イザナミ様の声に「「「はーい」」」と合わせて、黄泉醜女さんたちが醤油差しを取る。
そして……
「キャッ!」
「「「キャー!!」」
乙女たちの悲鳴が上がった。
「動いてる! 動いています!」
「なんて! これ死んでるのに! 肉の塊のはずなのに!」
悲鳴を上げるのも当然、丼の上のイカが足をくねらせているのですから。
「歩いてる! これ、逃げようとしていますわ! あっ、おちたー!」
中には丼の端から落ちて、お盆の上で動いているイカも。
「これは……どういうことですか?」
お盆に落ちたイカを持ち上げ、再び丼に戻しながらイザナミ様があたしたちに尋ねる。
「どういうことも何も、”活け造り”をご所望でしたので、お望みの物をお出ししただけですよ」
「確かにそれを望みましたが、このイカの魂は既に黄泉の中に……」
そう言うイザナミ様の視線は、イカの蠢く足に見入っている。
「種明かしをしますと、魂は失われても、生きている筋繊維が醤油の中のナトリウムイオンと反応して収縮しているだけです」
「そうなの?」
「はい、科学の一部門、生理学におけるただの反射行動です。ですが、死後硬直の発生していない新鮮なイカだからこそ起きる現象です」
「なるほど、あなたたちの言う生理学的にはまだ生きているイカの筋肉細胞だからこそなのね」
「ご明察の通りです」
あたしはちはうやうやしく頭をたれ、彼女たちの次の行動に注意を向ける。
その視線に気づいたのか、イザナミ様の箸が丼に移り、その中の刺身を一片、口に運ぶ。
コリッっと歯と身の弾力が奏でる音が聞こえた。
「おいしいっ! これって身が弾けるくらいの歯ごたえなのに、サクッと切れて、お醤油の中からも濃厚な味が広がっていくわ」
「それは肝臓を溶いたワタ醤油の味ですね。時間が経つと臭みも出ますが、新鮮なワタは純粋な旨みの塊です」
板前さんの説明に、我先にと黄泉醜女さんが追加で醤油をかけると、さらに足が動きだす。
「そのイカの足も料理用のハサミで切ってお召し上がりください」
あたしたちは立ち上がり、キッチンハサミをみなさんに配る。
もちろん、デッドラインの先はよっちゃんさんに任せて。
「おいしーい。こんなの初めて!」、「ゲソの吸盤が口の中に吸い付いてきますわ」、「ねぇねぇ、大葉でご飯とお刺身を巻いて食べると最高ですわよ!」といった称賛の声があがり、やがては丼を持ち上げて掻き込む姿すら見えた。
トンッ
イザナミ様の丼がお盆と触れ合う音が聞こえる。
「おふたりともお見事でした。とても美味で、わたくしもこの子たちも大いに楽しめましたわ。わたくしの”活け造り”という無理難題に、科学の叡智で応えるとは。確かに、科学現象で動くこれは、立派な”活け造り”と言えますね」
「ありがとうございます。そのお言葉だけで、料理人冥利に尽きるというものです」
板前さんが深々と頭を下げ、あたしもそれに続く。
緑乱さんは少し下がった所で安堵の溜息。
さすがのおじさんでも、イザナミ様という超大神の前では少し緊張するみたい。
「はい、イザナミ様やみなさんに驚いてもらえて光栄の至りです……が」
「それではおふたりに褒美を……、が? ”が”ってなんですかー!?」
頭を垂れた体制で「フフフ」と笑うあたしたちから何かを感じたのか、よっちゃんさんが少し困惑の声を上げる。
「取ったぞ言質を!」
「はい! 確かに聞きました! 『科学現象で動くのは”活け造り”と言える』と!」
あたしたちはお互いの腕を交差させ、その交差点を軸に回転を始めた。
「人類の叡智たる自然科学で! その生理学的現象で動く料理を”活け造り”と認めてもらったら!」
「そこに付け込むのは人間の奸智!」
フハハと高笑いであたしたちはクルクル回りつつ口上をあげる。
「ちょ!? おふたりとも! 何をするつもりですか!?」
あたしたちの声に、よっちゃんさんは慌て、緑乱さんは頭を抱えた。
「何をするだと!? そんなことは決まっている!!」
「その通り! 料理人がやることといったら、ただひとつ!」
「「料理だ!」よ!」
イザナミ様だけが、楽しそうに拍手をしていた。




