飛縁魔LV1と豚の角煮(中編)
「くうぅ、うらやましいねぇ。黄貴兄だけじゃなく、俺っちのとこにも来て欲しいもんだねぇ」
「お主では器が足りぬわ。妾たち傾国の女に見込まれるなら、それなりの器ではないとな」
「で、でもお金はどうするんですか?」
「んーとね、アタシのプランだと……、彼をそそのかして、彼の会社の株の一部を残して売却。その対価と配当で暮らすよてー。ま、アーリーリタイアってやつぅ」
「妾の見立てだと、数億の現金と数百万の配当って所かの。ああ、残す株式保有率は単独否決が出来る33.4%としたい所じゃが、権限があり過ぎると仕事に戻ってしまうからの、10%前後で社内政治に利用されるくらいがお勧めじゃ」
「わかっぴー、讃美ねぇアドバイスありー」
さ、最近の傾国には資本主義知識とかも豊富みたいですね。
「それで、ふだんは慎ましく、年に何回かはフィーバーするくらいのお金で、大望も将来の不安もなくしちゃって、ずーっともふもふイチャイチャするの。ねっ、ナイスじゃんでしょ?」
「え、ええ、それを聞いて安心しました。傾国といっても殷の紂王と妲己みたいにはならないんですね」
傾国の美女の例として有名なのは白面金毛九尾狐が太古の中国で滅ぼしたと伝えられる殷王朝滅亡の話。
かいつまむと、紂王は死ぬ。
「……かいつまみすぎ」
あたしの心の声に橙依君が的確なツッコミを入れる。
「ならんならん。あれは傾国の失敗例じゃ。ホレ、妾たちは傾国じゃろう。滅国ではない。国に寄生して傾けるからそう言われるのであって、滅ぼすのが目的ではないのじゃ」
「言われてみればそうですね」
まあ、そういう事なら。
でも、どうやって教えようかしら。
口で言うのは簡単なんですけど、どうせなら料理で教えたい。
そういえば、冷蔵庫に特別仕様の角煮があったわよね。
「赤好さーん、ちょっと来てもらえますかー!」
あたしは大声で居住館へ声を掛ける。
「なんだい、ランチタイムな珠子さん」
一瞬の間の後、赤好さんが本館に入って来る。
「ちょっと角煮を食べて欲しいんです」
あたしの申し出に赤好さんは鼻をピクリ。
「うーん、その申し出は是非とも受けたいが。悪りぃな、俺は八角が苦手でさ」
飛縁魔さんの角煮には八角が入っている。
赤好さんはその八角が苦手なのだ。
「大丈夫ですよ。赤好さんの分は八角抜きの物を準備していますから」
あたしは厨房に向かい、今日の晩御飯用に作っておいた特製角煮を冷蔵庫から取り出し、電子レンジに入れる。
チーン
数分で角煮は温まり、皿に盛られてテーブルに置かれる。
「はい、珠子特製”四香粉角煮”です」
「四香粉? 五香粉じゃないのかい?」
「ええ、五香粉から八角を抜いた、丁字、肉桂、花椒、陳皮のブレンドです。八角が苦手な赤好さん向け特製ですよ」
昨晩、お店の豚バラ肉が余ったので大量消費のために角煮を作ったのだけど、赤好さんの好みも考慮して、八角は抜いておいたの。
入れちゃうと『俺は外で食べるぜ』なんて言いかねませんから。
「八角抜きとは嬉しいね。角の丸い珠子さん」
赤好さんの箸が角煮に伸び、その手が止まる。
「どうした、赤好兄。うめぇぞ」
「……和風ぽくっておいしい」
八角は強い香りと甘みを出す。
特に日本の食材とは違った中華風の香りが特徴。
それを抜くと、豚の角煮は一気に和風に近づくの。
ガタッ、ガシッ
赤好さんが角煮の皿とあたしの腕をつかみ、みんなのテーブルから少し離れたテーブルに連れて行く。
「うん、甘味とその中の酸味と生姜の香りが素晴らしいね。俺好みの珠子さん」
「ありがとうございます」
テーブルに座り、角煮を味わいながら赤好さんが言う。
「赤好兄、抜け駆けたぁやるねぇ。俺っちたちと一緒より嬢ちゃんだけの方がいいってか」
「……赤好兄さん、ズルい」
少し離れたテーブルからふたりの声が聞こえてくる。
「そっちのテーブルは皿から八角の匂いがプンプンしてんだよ。そんな所じゃ、折角のこの角煮の味が狂っちまうじゃねえか」
もうひとつの角煮を頬張りながら赤好さんが言う。
「そんなら俺っちもそっちで食べるぜ」
「……僕もそっちのテーブルの方がいい」
ガタガタと椅子が鳴り、ふたりがこちらのテーブルにやって来る。
「おやおや、珠子殿も隅に置けぬの……」
「珠ちんってば、やっるぅ……」
それを見て、はやし立てようとしていた讃美さんと飛縁魔さんの口が止まる。
「なるほどの。香りじゃったか」
「うぇー、アタシってばマジしっぱーい!」
うん、角煮の謎に気付いてくれたみたい。
「ん? 香りってどういうことだい?」
「……ああ、そういうこと」
「なんの話だい?」
あたしの角煮を食べながら3名の男の子たちが思い思いの感想を口にする。
「そうです”香り”です。香りは料理の味の重要な要素なのはご存知の通りです。ひっまーさん、あなたは彼の家での食事の時、香水とか付けてません? 息子との食事に香水を付けている母親なんて滅多にいません、せっけんの香りくらいです。もしそうでしたら、その香水が違和感の素なのだと思いますよ。これは角煮に限りません、カレーやハンバーグでも同じ事が起きます」
ま、これは限りなく確信に近い予想ですけど。
だって、飛縁魔さんは自分の身体をクンクンと嗅いでいるんですもの。
「でもでも、しかたないじゃん。彼の家にお呼ばれしたら、彼にプレゼントされた香水を付けないなんてありえないじゃん」
あー、やっぱり。
確かに、意中の相手に香水をプレゼントされたらそれを付けないわけにはいきませんよね。
「そうじゃないかと思いましたけど、やっぱりそうでしたか。だとしたら、ちょっと工夫が必要ですね」
あたしは額を指で押さえながら少し考える。
「工夫って何だい? 香水を控え目にするとか、料理に合った香水を揃えるとかかい? 安心しな、男ってのはプレゼントした香水の匂いがどうかなんて覚えちゃいねぇよ」
気楽に笑いながら緑乱おじさんはそう言いますけど、それが真実であったとしても、意中の相手のプレゼントを身に付けるのは最低限の礼儀。
というか、誠意。
「それもひとつの手ですが、あたしはその手に疎いので、料理の方で工夫しましょう。ひっまーさん、ちょっと厨房まで来てもらえます」
「えー、さすが珠ちん。何かグッドなアイディアとかあっちゃう? あっちゃうの?」
「ええ、ありますよ。鼻から入る別の匂いへの対策も」
あたしは大きく鼻で空気を吸い込み、そして出す。
「逆転の発想です! 鼻から匂いが入るのが邪魔ならば!」
「おしゃまにおじゃまなら!?」
「鼻から匂いを出せばいいのです!」
ふんす!
あたしは鼻から息を出しながら言った。
◇◇◇◇
「さーて、ここにひっまーさんの作った角煮の煮汁がありまーす」
厨房に移動したみなさんの前で、あたしは鍋の中に残った煮汁をお玉に取る。
「この一部を煮詰めまーす」
お玉の中身を別の鍋に入れ、火を付けるとグツグツと音を立て、それは粘りのある煮ツメになる。
「さて、ここで登場するのが薄切り豚バラ!」
「薄切り? 角煮を作るんじゃないのかい?」
「今回作るのは豚バラの角煮じゃなくて、薄切り豚バラ肉のミルフィーユ角煮でーす」
「ミルフィーユ? おっしゃれじゃん!」
「はい、ミルフィーユカツが有名ですよね。薄切り肉を一枚並べたら……」
まな板の上に置かれた一枚の豚バラの上にあたしはハケで煮ツメを塗り、その上に豚バラを重ねる。
さらにその上に煮ツメを塗ると、さらにさらに豚バラを重ね、さらにさらにさらに煮ツメを塗り、それを繰り返す。
「なるなる、煮ツメと豚バラをかさなれりっ!」
「今回は彼のお母さまの味を活かすので煮ツメを挟みますが、ピーラーで作った薄切り大根でミルフィーユにしても美味しいですよ。潰した梅干も良く合います」
脂っこいものには大根や梅干といった和風の食材が合うの。
口の中がサッパリさせてくれますから。
「7~8枚の肉を重ねたら、ひと口大の幅になるように刻みます。そして、片栗粉をまぶしたら。油を多めひいたフライパンで表面をカリッとなるまで焼きまーす」
四角い形になった豚バラミルフィーユが片栗粉で白く染まり、油の上で揚げ焼き風になっていく。
「えらく手間が掛かるんだな。ひとつの塊を六面焼くんだろ」
「家族の分くらいなら余裕ですよ。逆を言えば料理店ではメニューに入れづらい料理です。そういった意味では家庭料理向きですね」
時間はかかるが、大鍋で煮続ければいいだけの角煮と違い、この豚バラミルフィーユの角煮風は火の前に立つ時間が長い。
ひっまーさんの彼はお金持ちって話だから、きっと高級料理店を食べ歩いた経験があるはず。
だから、こういった家庭風の料理の方がウケるんじゃないかしら。
「最後は残っていた煮汁に入れて軽く煮れば完了です。5分くらいですね。さて、その間にあたしは赤好さん用の豚バラミルフィーユの角煮風でも作りますか」
赤好さんは厨房に入っていない。
ここには八角の匂いが強く漂っているから。
そんなに八角の香りが苦手なのかしら、日本人になじみはありませんから、最初は面食らうかもしれませんけど、慣れるとむしろ無い方が物足りなくなるんですけど。
そんな事を考えながらあたしは赤好さんの分の角煮風を作った。
◇◇◇◇
「お待たせしました! ”豚バラミルフィーユの角煮風”ですっ! あ、赤好さんの分は八角抜きのこちらを」
再びテーブルに戻りあたしは大皿と小皿を置く。
「うっ……、カスタマイズな珠子さん、俺だけ特製ってのはウェルカムなんだが、ちょいとこっちの臭いは頂けないわ。俺はひとりで別のテーブルで食べるとするよ」
そう言って席を立とうとする赤好さんをあたしはガシッと掴む。
「まあまあ、そう言わずに。ひと口だけでもいいですから、一緒に食べましょ。ご飯もありますよー」
「……はいこれ」
ちょっと遅れて厨房から来た橙依君がみなさんにご飯を配る。
うんうん、心を読まれるってのはちょっと恥ずかしいこともあるけど、こんな時は便利よね。
以心伝心ってやつよね。
「……僕の能力は僕をいいように使うためのものじゃないのに」
ブツブツ言いながらも橙依君は手伝ってくれる。
いいこ!
「飯があるっていってもな……、俺は八角の臭いが苦手だっての」
ぶつくさ言いながら赤好さんは特製角煮を口に運ぶ。
ゴッゴッホッ
あっ、むせた。
赤好さんはガッガッとご飯をかきこみ、水でそれを飲み下し、少し漏れた鼻水をティッシュでふくと、
「ちょいと刺激的な珠子さん。今日はいつもより刺激が強くないかい」
ポーズを決めながらそう言った。
これがプレイボーイ仕草ってやつかしら。
「どうです? 辛子が効いていて美味しいでしょ」
赤好さんがむせた原因は薄切り豚バラを重ねる時に間に塗った辛子のせい。
「そりゃま、角煮には辛子がつきものだけどさ……」
そう言う赤好さんの視線が再び特製角煮に向かい、喉が鳴る。
「ま、わかっていたら何てことない刺激だけどさ」
赤好さんは今度は角煮を少な目に齧り、その刺激を堪能しながら、ご飯を口に運ぶ。
そして、その角煮に伸びるふたつの箸。
「おっ、こりゃいいねぇ。甘辛い醤油の衣をかみ砕くとその中からツンと辛子の刺激と豚肉の甘味があふれてくるじゃないか」
「……これはご飯が進む」
箸の主、緑乱おじさんと橙依君も特製辛子入り角煮を食べてご飯をパクパクと口にする。
「おい! おめえらの分はあっちだろうが!?」
「いいじゃんか、嬢ちゃんの愛情はこんなんじゃ減らないぜ」
「……珠子姉さんの料理の愛情は∞」
「精神的に満たされても物理的に減るんだよ。おめえらのはあっち!」
とまあ、隣で起きている角煮争奪戦は置いておくとして、本題はどうかな。




