天邪鬼とオムレツサンド(後編)
「在庫一掃に協力してください!」
翌日、あたしは橙依くんと藍蘭さんと緑乱おじさんに申し入れをしていた。
「……なんの?」
「素麺ですっ! これから冬が本格化したら食べにくくなります!」
素麺でもにゅうめんにすれば冬でも食べられるが、それでは大量に消費できない。
「いいわね、暖房の試運転も兼ねて部屋を熱々にして食べましょうか」
「いーね、夏を思い出すね~」
「……わかった」
「よかった! じゃあ、ちょっと待っててね。すぐにできるから」
了解を得たので、あたしは台所に戻る。
素麺はお湯さえ沸いてあればすぐできる。
ゆで上がるのに1分、流水で締めるのに30秒、盛るのに1分。
インスタントラーメンより早い。
薬味も具も、つゆも、特製つゆも、最終兵器つゆも準備してある。
あとは運ぶだけ。
「へいお待ち! つゆの薬味と具はお好みでね」
薬味には定番のワサビ、ショウガ、大葉、ネギの他に山椒や粉カツオ節を用意した。
具にはキュウリと錦糸卵、桜でんぷ、ほぐした鳥ささみ、細切りハム、豚角煮を準備している。
「あら、おいしそうじゃない」
中央の大テーブルいっぱいに並べられる料理を前に藍蘭さんのテンションが上がる。
「さ、食べましょ! 薬味と具は各自で好きに取ってね! いただきまーす」
「いただくわ」
「いただくとするかね」
「……いただきます」
そしてみな、思い思いの薬味と具材で素麺を食べ始めた。
あたしは早速最終兵器つゆで素麺を食べる。
ズズッ、ズルルッ
うん、おいしい。
「あら、珠子ちゃん、それは何かしら?」
「藍ちゃんさんもこのつゆで食べてみますか。これ煎り酒ですよ」
あたしは蕎麦湯入れを藍蘭さんに渡す。
その中に特製つゆ『煎り酒』が入っているの。
それは、実はあたしが食べている最終兵器つゆとは違う。
あたしが食べているのは、隣の容器のつゆなの。
「おっ、煎り酒とは粋だねぇ」
「……それなに?」
どうやら橙依くんは煎り酒を知らないらしい。
「煎り酒は醤油が普及する江戸時代以前の調味料なの。お酒に鰹節と梅干を入れて煮立たせたら一晩冷蔵庫で冷やせば出来上がり。橙依くんもどう?」
そう言ってあたしは特製つゆ『煎り酒』を蕎麦猪口に入れてみんなにふるまう。
チュルチュルチュル
かわいい音を立てて素麺が橙依くんの胃に吸い込まれていく。
「……こっちがいい」
橙依くんはこっちのほうがお気に召したようですぞ。
「うん、この方が素麺の味が引き立っていいわね」
煎り酒はめんつゆほど醤油の味が主張しない。
だから麺の小麦の味が引き立つのだ。
この『酒処 七王子』の素麺は上等品だからねー、あたしもこれなら煎り酒派だ。
安物の素麺ならめんつゆの方が良いが。
「……ん? これって」
緑乱おじさんが鼻をひくひくさせる。
やばい!? 気づかれた!?
しーっ! しーっ!
あたしはジェスチャーで黙ってのポーズを取る。
「ああ、そういことか」
おじさんはあたしの作戦を理解してくれたらしい。
さすがダメ”あやかし”。
あたしは食べるペースを速める。
よしっ、気は十分に高まった。
「ねぇ橙依くん、あたしあなたに言いたい事があるの」
「……なに?」
「あたしの心を読んでもいいのよ」
あたしの申し出に橙依くんの顔を一瞬こわばる。
「……なんでわかったの?」
「うーん、いろんなひとの話や人間関係から何となくかな」
あれだけの特殊能力を持っているなら、きっと相手の心を読む能力もある。
だけど、彼は優しい子だ。
他人の心を無闇に読んだりしない。
それとも過去に誰かの心を読んで裏切られたのかもしれない。
だから、彼は自らに枷をかけた。
その人の合意が無ければ心は読まないと。
そして、心で彼と通じ合えて初めて、彼と仲良くなれるのだ。
唯一の例外が友達の天邪鬼。
橙依くんの唯一の友達が天邪鬼なのは、彼だけが自分の心を素直に出すから。
いや、心を天邪鬼に出すからかな。
彼だけはその”あやかし”の習性上、橙依くんや周りに素直じゃない態度を取る。
だから、彼だけが彼の能力に気付かずとも友達になれたのだ。
「……すごい、あってる」
おおう!? さっそく読まれ始めた!
「すごいわね、この短期間で気づけるなんて、アタシは何十年もかかったのに」
「おじさんでも十年はかかったのにさ」
「えへへ、ふたりのヒントのおかげです」
へー最初に気付いたのはおじさんの方だったのか。
ちょっと意外。
「……緑乱兄さんは僕をよく見ててくれたから」
うーん、おじさんの評価があたしの中で上がっていくぞ。
「じゃあ、聞くよ。……僕のこと好き?」
来た! きっと聞かれると思っていた言葉!
この返事を言うためにあたしはこの作戦を立てたの!
「ライクなのは間違いないわ! これがラブに変わるかはこれからしだい!」
言った、言えた、あたしの飾らない本心! すっきりした!
「……ありがと、うれしい」
ちょっと照れた顔でうつむいて橙依くんが言う。
よかった、受け入れてもらえたみたい。
「あら、よかったじゃない橙依ちゃん。人間では初めてよ」
少し嬉しそうに藍蘭さんが橙依くんの頭を撫でる。
橙依くんも笑っている。
いい笑顔だ。
「しっかし、お嬢ちゃんも無茶するよね、こんな作戦を立ててさ。おっ、思ったよりもイケる」
うまくいった事に安心したのか、そう言っておじさんは最終兵器つゆでズズズと素麺をすする。
やっぱり気づいていたみたい。
そうよね、鰹だしが効いていて梅の爽やかさと酒のコクが活きていておいしいよね。
「……えっ!? 酒?」
橙依くんが驚きの声をあげる。
そう、あの最終兵器つゆは超特製なの。
「ふふーん、あれは”煎らない酒”よ。鰹節と梅干を酒に一晩つけただけのつゆよ」
これは昔、煎り酒を作ろうとしてガスの火を付けるのを忘れてしまって出来た物。
その時、あまりにお腹が減ってたのでその”煎らない酒”で食べてみたら美味しかったの。
ただし、この味はかなり人を選ぶ。
そう! あたしは選ばれた存在!
「珠子ちゃん、あなたお酒を飲んで決心を固めたっていうの!?」
藍蘭さんがおどろいた顔で言う。
「そうよ! あたしは弱い人間よ! だから力を借りるの! 酒の力を!」
あたしは弱い。
だったら……酒の力を借りるしかないじゃないのー!!
安心して! 酒を飲んでいてもあたしはあたし、心は変わらないわ。
そして、あたしはそばちょこに残った、煎らない酒をぐびっと飲み干す。
「ぷはーっ! きくわー!」
誰だって心を裸にするのは怖い。
相手が自分の心を読めると知ったらガードを固めるのが普通。
だけど、それって本当なのかしら。
人間は誰かと心が通い合うのは素晴らしい事って言っている。
あたしもそう思う。
だったら!
さあ! みて!
あたしの心の中を!
恥ずかしい気持ちも!
自分じゃ見えない所も!
隅の隅まで!!
あれ? 自分の心をさらけだすなんて、ちょっとだけ気持ちいいかも?
ぐへへ。
「へ……へんたいだー!!」
今までにない恐怖すら感じているような顔で、橙依くんが叫んだ。
「いやー、酔うと脱ぐ女の子はたまに見るけど、心を脱ぎ始める女の子は初めてだよ」
あたしも、あたしにこんな性癖があったなんて知りませんでした。
いやーん、あたしが開発されていくー!
げへへ
「……そ、そんな経験ゼロのパラメータで、なんでそんな変態チックな事を考えられるんだよ!!」
「へっ? ゼロ? 乙女!?」
「ふーん、そうだったのか。まあ、よそーどーりだね」
経験ゼロ、その真実の暴露にあたしの顔が真っ赤になる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っー!!!」
恥ずかしさのあまり、あたしは残りの”煎らない酒”を一気に飲み干した。
ちょこじゃない、大きな容器の方だ。
「ちょっと、珠子ちゃん! そんな一気に飲んで大丈夫!?」
「ぐふふ、げへへ」
らんらんさんのやさしい声にあたしはくぐもった笑いしか出せない。
「あー、こりゃだめみたいだね」
そうです、もうだめです。
「こうなったら! きみをあたしの経験値にしてやるー!!」
「ア゛ッーーー!! たーすけーてー!!」
あたしは、いすからたちあがり、ほんのーにまかせてえものをおいかけはじめた。
「なんでにげるのほぉー!!」
「逃げない理由がある方がおかしいだろー!!」
いすはころがり、てーぶるはひっくりかえる。
おっかけっこ、たのしーなー!
「今日は臨時休業ね」
そんならんらんさんのこえがきほえたきがした。
てんこくのおばーさま、たまこはひょーもあたまがハッピーエンドれす。
◇◇◇◇
うう、頭いたい。
翌日、あたしは昼過ぎても治まらない頭痛に苦しんでいた。
二日酔いになるくらいに飲んだのは久しぶりだ。
「……ねぇ珠子姉さん、もう一度、心を読んでもいい?」
「いいわよ、あたしも昨日はどうかしていたもの」
そう、あんな痴態を読まれるくらいなら、正々堂々とさらけ出した方がまし。
それに一度読まれたら二度も三度もオムレツサンドも一緒よね。
橙依くんは『うわっ! おやじくさっ!』というような表情をしていた。
今までの無表情とは違う、豊かで愛嬌のある顔だ。
こうして、あたしと橙依は少し仲良くなった。
そして……
「……珠子姉さん、そろそろ止めないと明日に響くよ」
橙依はあたしが晩酌している時に不意に現れては忠告してくれるようになったのです。
瞬間転移ってやつかしら。
どうやら、あたしの肝臓のパラメータがイエローゾーンに突入したみたい。
こんな風に飲みすぎを注意してくれるの。
藍蘭さんの言う通り、橙依と仲良くなったら、ちょっといい事がありました。




