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あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第七章 回帰する物語とハッピーエンド
168/409

雲外鏡とハンバーガーチェーン看板メニュー(後編)

◇◇◇◇


 あたしはひとり鍋の前に立つ。

 ポトンと卵とバターで()られた小麦粉のタネを油に入れると、それはジューという音を立てながら軽く膨らむ。

 要するにこれは揚げドーナッツの一種。

 

 「珠子様、こんな感じでよろしいでしょうか? どこか変じゃありません?」


 あたしが粉砂糖とシナモンパウダーを振っていた時、後ろから串刺し入道さんの声が掛かる。

 

 「とってもお似合いですよ。では、こちらの配膳をお願いします」

 「はい、かしこまりましたわ。うふっ」


 大皿を受け取り、串刺し入道さんがみなさんの所へ向かっていく。

 

 「どぁははっっ! なんじゃその姿は!?」

 「あら? どこかおかしいかしら?」

 「おかしいって、ははっ、なんだよその顔と姿はお化けかよ、いや”あやかし”だけど」


 聞こえてくるのは笑い声。

 でも無理もありませんね、串刺し入道さんはデデーンとマスカラと頬紅、そして厚く塗られた口紅で化粧されているのですもの。

 あたしは春に仕込んだ花酒を取り出しながら、みんなの表情を、その笑い顔を想像する。


 「あっ、珠子ちゃん。見てみなよ。こいつの顔を」

 「うふふ、あたしキレイ?」


 そう言って、串刺し入道さんはクルンと一回転。

 尼頭巾(あまずきん)が遠心力でふわりと揺れる。


 「あら、素敵な衣装ですね」

 「そうでちゅね、あまさんのおべべでしょうか。そして、これは”あまさんのへ”でちゅかね」くいっ


 流石は蒼明(そうめい)さん、察しがいい。

 お坊さんが垣根を跳び越える、仏跳醤(フォーティャオチァン)

 高僧すら気絶する、パトゥルジャン・イマム・パユルドゥ

 ならば、と次に続くこの料理がそれ関係だと予想した。

 見た目は普通の揚げドーナッツなんですけどね。


 「ええ、串刺し入道さんが持ってきた料理は、愉快なお名前料理シリーズ第四弾! Pet()de()nonne(ノンヌ)! ”尼さんの屁”という意味のフランスのお菓子ですね」

 「へぇ、だけどこいつは屁みたいな感じはしないぜ」

 「そうね、食べると気泡の中から甘い香りが出てくるわ」


 イソポとシュマリのコロボックルさんが食べているのは、このぺ・ド・ノンヌの中でも一番小さいサイズ。

 だけど、その大きさはふたりの顔くらいの大きさがある。

 うん、蒼明(そうめい)さんの顔がものすごく優しいというか、緩んだ顔になっているのは見なかったことにしましょう。


 サクッ、カリッ


 他の”あやかし”さんのみなさんもぺ・ド・ノンヌを軽快な音と共に食べるけど、そこから生まれるのは屁とは真逆の甘い香り。


 「ぺ・ド・ノンヌの名前の由来は、フランスの修道女がこれを作っている時にお偉いさんの大司教が通りがかり、緊張のあまり放屁したからと伝えられています。その様子はフランスらしく詩的に伝えられているんですよ」


 そして、あたしはオペラ歌手のように片手を胸に、もう片手を高らかに掲げ歌うように言葉を発する。

 

 「突然! 響き渡る! 奇妙でリズミカルな、ながーい、ながーい、震えるオルガンのような音! その音は! 回廊を舞うそよ風のため息のようなうめき声は! 修道女たちに(あき)れと! 怒りをもたらした! ゆえに、この菓子の名は”尼さんの屁”!」


 そう言ってあたしは串刺し入道さんの手を取り、ふたりでクルクルと踊るように部屋を回る。

 行きつく先は鏡が掛かっている壁の隣の窓辺。

 

 「それは! まるで! このような!」


 ブボッ、プピィ~~~~~ププププププ


 屁の音が部屋に響き渡る。

 どっちが出したかは内緒。


 「ぷ……」

 「ははあはっ、はははっ!」

 「はははっ、おい窓あけろ! 換気だ換気!」


 真面目な顔をポーズを決めるあたしたちから距離を取り、みなさんが他の窓に殺到する。

 夜風が部屋の中を通り抜け、ほんの少し冷たい空気が部屋の空気を爽やかなものに変えていく。

 

 「まったく、げひんでちゅね。ひんせいをうたがいまちゅ」くいっ

 「あはは~、失礼しました」

 「ごめんなさいね~」

 

 あたしたちは笑いながら席に戻る。


 「それじゃ、お詫びとして良い香りの花酒を振舞いますね」


 ドンと果実酒用の保存瓶がテーブルに置かれ、その衝撃で中の花が揺れる。

 それは細長い白い花弁。


 「これはハクモクレンでちゅかね……、いやちがいまちゅね、このちょっとちいさいのはコブシでちゅか?」くいっ

 「お見事! 正解ですっ! これは”コブシ”、モクレン科モクレン属のコブシの花です。春に咲いたのを仕込んでおきました」


 すごいなー、白木蓮(ハクモクレン)辛夷(コブシ)を見分けるのはかなり難しいのに。

 ちなみに、花弁が全開に開いて、花のサイズが小さい方がコブシなの。

 保存瓶の蓋を開けると、柔らかいレモンのような香りが流れ出す。


 「おお、柑橘にも似た良い香り」


 周囲の”あやかし”さんからもそんな声が漏れる。

 あたしは柄の長いステンレスのミニ柄杓(ひしゃく)でコポッっとショットグラスにコブシの花酒を注ぐ。


 「さあさあ、みなさんどんどんどうぞ。こぶし(・・・)()いた歌声のあとは、コブシの香りの()いたお酒を楽しんで下さいね」


 この花酒を作るのはとっても簡単。

 汚れを取ったコブシの花やつぼみをホワイトリカーに漬けるだけ。

 3か月くらいで飲めるようになるの。


 「はいどうぞ、蒼明(そうめい)さん」

 「……」


 蒼明(そうめい)さんが無言で受け取ったのは、彼の視線がコロボックルのふたりに注がれているから。

 この店で一番小さい器をご用意したのですけど、それでもふたりにとってはバケツ並。

 キュートにングングッと花酒を飲んでいる姿からは目が離せませんよね。


 クックックッ

 「ぷは~っ!」

 「いい香り、爽やかでとっても飲みやすいわ」

 「ああ、良い匂いだぜ、とってもイケてる……」


 そう言ってふたりは顔を見合わせ、ニシシと笑い、


 「「屁の香りだぜ!」だわ!」


 ブホッ

 

 あ、蒼明(そうめい)さんが吹いた。


 「ふ、ふたりとも何を言うのです!? これが屁の香りだなんて!?」


 飛沫(しぶき)で汚れた眼鏡越しに蒼明(そうめい)さんは尋ねる。


 「おいおい、罰ゲームをわすれてんぞ」

 「ふ、ふたりとも、なにをいうのでちゅ!? こりぇは、おならのにおいなんでちゅか!?」


 そして、言いなおした。


 「なんだ知らないのか? このコブシって植物はアイヌ語で”オプケニ”って呼ぶのさ。”放屁する木”って意味さ」

 「”オマウクシニ”とも言いますけどね。これは”良い匂いを出す木”って意味です」

 「同じコブシを示すアイヌ語でも、二通りの言い方があるのも不思議ですよね」

 「「「ね~」」」


 あたしと、コロボックルのふたりは声をハモらせた。


 「にゃるほど、”あまさんのへ”には、”へ”のおっちゃけですか。まったく、やってくれたもんです」


 そう言って蒼明(そうめい)さんは眼鏡をふきふきしながらも微笑む。


 「今日のコンセプトは愉快なお名前の料理ですから。さ、まだまだ、いきますよー! 次はアフリカの郷土料理、クスクスでーす! こんな感じで朝まで盛り上がっちゃいましょ-!」

 「「「「「おー!」」」」」


 あたしの声に呼応して、北の国の”あやかし”さんたちが拳を突き上げる。

 コブシの花酒を飲んだだけに。


 「やれやれ……」


 この”あやかし”たちのリーダーの蒼明(そうめい)さんは”仕方がないですね”といった様子を見せて、


 「おーでちゅ!」


 と拳を突き上げた。

 ノリノリのようにも見えますけど。


◇◇◇◇


 「パーティは過ぎたようじゃの」


 朝日が昇り、あたしが閉店した店内をひとりで片付けていた時、その人は来た。

 この店の数少ない人間の常連、破戒僧の慈道さん。


 「はい、今はあたしと彼だけですよ」


 あたしは慈道さんをカウンターに案内して、一杯の水を出す。


 「珠子殿、ここはウェルカム般若湯を出す所では?」

 「時間外料金になりますが、よろしいですか?」


 あたしはニシシと笑いながら言う。


 「いい笑顔じゃの。この商売上手め。ほれ」

 

 キィーンと音を立てて、硬貨が回転しながらあたしに飛んでくる。


 「毎度ありっ! それじゃ、慈道さん向けのスペシャル器でもてなしますね」


 あたしはドンと上の部分が凹の切り込みが入った太い竹を置き、その上に茎の付いた一枚の葉を乗せる。

 (はす)の葉だ。


 「ほう、象鼻杯(ぞうびはい)か!?」

 「はい、蓮酒とも呼ばれる縁起の良いお酒ですよ」


 葉から伸びた茎が象の鼻のように見えるから、象鼻杯(ぞうびはい)

 その中でも蓮の葉を使ったものは蓮酒とも呼ばれる。

 葉と茎の結合部には切り込みが入れてあり、葉にお酒を注ぐと、茎をストローのようにして飲む事が出来るの。

 蓮の茎は蓮根(レンコン)と同じように穴があいているのよ。

 この蓮の葉を器に、茎を(くだ)にして酒を飲む催しは、蓮を育てている寺院や庭園では定番の季節イベント。


 「まさか、ここでこれが飲めるとはの」

 

 慈道さんはトトトとあたしが出したお酒を蓮の葉に注ぎ、チューと茎を使ってそれを飲む。


 「ふぅ、御仏の味がするわい」

 「蓮が好きな”あやかし”さんが来るかと思って準備したのですけど、残念ながらいらっしゃいませんでした」


 死神さんとか白澤様とかが来てくれれば良かったのに」


 「そうか、ま、それで儂がこの蓮酒にありつけるようになっているからの。ここは御仏に感謝じゃ」


 そう言って、慈道さんは窓から差す朝日に向かって手を合わせた。


 「”お酒が飲めてありがとう”って仏様に感謝するお坊さんもどうかとおもいますけど」

 「そりゃそうじゃの、ハハハ」

 「そうですよウフフ」

 「それで、あやつの様子はどうじゃ?」

 「バッチリですよ。雲外鏡(うんがいきょう)さーん」


 あたしの呼びかけに壁の鏡がピカッと光を放ち、それが収まるとそこには晴ればれとした顔の青年がひとり。

 真実の姿を映すという鏡の”あやかし”、雲外鏡さんだ。


 「おお! 曇りが完全に取れておる! みごとじゃ!」

 「えっへん!」


 一週間前、この雲外鏡さんが『酒処 七王子』を訪れた時、彼の顔はどんよりと曇っていた。

 本体の鏡も同じように曇りが見られたの。

 真実の姿を映し、あやかしの正体を暴くこの鏡は退魔僧の方々の中で重宝される重要アイテム。

 慈道さんの『この鏡の曇りを祓う妙案はないか』という相談に、あたしは胸を叩いて請け負った。

 『お任せ下さい! あたしにグッドアイデアがあります!』と。

 その結果はご覧の通り!

 今や雲外鏡さんは朝日を浴びて、明るく輝いている。


 「いったいどうやったのだ? 高野の高僧が何度も(はら)ってもダメじゃったのに」

 「そりゃま『酒処 七王子』のスペシャルメニューをいっぱい食べさせて」


 ?


 あたしの言葉に慈道さんの頭に(ハテナ)マークが浮かぶ。


 「何を食べさせたのじゃ? こやつは鏡の”あやかし”ぞ。飲食なぞせぬはずなのだが……」

 「それは、駅前のハンバーガーチェーンのメニューにも載っているものですよ。慈道さんもご存知のはずです」


 ??


 慈道さんの頭の(ハテナ)マークが増えた。


 「『酒処 七王子』のお値段設定は資本主義のチェーン店にだって負けません。お値段はハンバーガーチェーン店と同値でご提供させて頂いています」


 そう言ってあたしは笑顔で人差し指と親指で丸を作る。

 

 !


 あ、?マークが!マークに変わった。


 「なるほどな、御仏がいつも儂らに与えてくれているものじゃったか」

 「そうでーす! スマイル(ゼロ)円! 『酒処 七王子』の看板メニューのひとつでーす!」


 あたしはその看板メニューを慈道さんに提供しながら言う。

 それは世界一のハンバーガーチェーンの看板メニューでもあるの。


 「聞けば、この雲外鏡さんは悪事を働く”あやかし”を見破る仕事をずっとやらされてたって話じゃありませんか。いつも正体を見破られて驚きや怒りに震える”あやかし”の姿ばっかり映していたら、雲外鏡さんの心だって曇るに決まってます。鏡さんだって映すなら笑顔の方がいいに決まってるじゃありませんか」


 あたしの隣で雲外鏡さんもウンウンとうなずく。

 この一週間、あたしは面白い名前と愉快な料理でお客さんをもてなした。

 笑顔でお店があふれるような、そんなおもてなし。


 「こりゃまいったの。珠子殿の言う通りじゃ。仏の道を進む儂らだって、悪意ばかりに(さら)されれば顔も(いか)つくなるというもの。それを癒すのは御仏のような笑顔ということか」

 「ま、お釈迦様とまではいきませんが、あたしやお客さんたちの心からの笑顔を笑い声をたっぷり浴びせました。雲外鏡さんの心も晴れたようで、あたしも嬉しいです」


 あたしの笑顔に合わせて、雲外鏡さんもにこやかに笑う。

 これは跳ね返ったものじゃない、雲外鏡さんの心の笑顔。


 「感謝するぞ珠子殿。これは約束の報酬じゃ」

 

 慈道さんから差し出された、ずっしりと重い封筒をあたしは受け取る。


 「まいどありー。またお暇な時にはお食事に来て下さいね」

 「ああ、また極上の般若湯を用意しておいてくれ。では行こうかの」


 慈道さんは一歩進み、雲外鏡さんの手を取る。


 パシッ


 あっ、払われた。


 「嫌だ、僕はここにいる。もう働きたくない」

 「ちょ、珠子殿!? これはどういうことじゃ」

 「えー、あたしが受けた仕事は雲外鏡さんの曇りを取ることで、彼の職場環境の改善は受けていませんけど~」


 雲外鏡さんの気持ちは理解出来る。

 鏡として生まれたのに、また厳重に包まれて、たまに開けられたと思ったら、悪事を働く”あやかし”の正体暴きの仕事の日々なんて、あたしもゴメンだ。


 「しょうがないのう……、上には浄化は順調じゃが、少々時間が掛かるとでも報告しておくとするか」

 

 何やら上司への言い訳を考えているような事を呟いて、慈道さんの顔がニヤリと笑う。


 「慈道さん……、ひょっとして『酒処 七王子』に来る業務上の理由が出来たなんて考えてません?」

 「いやいやいや、拙僧は仕事熱心なだけじゃぞ。雲外鏡の曇りを祓うのに笑顔が必要というのなら、それを与えるのも仏の道というもの。そして、笑顔に必要なものといえば……」


 慈道さんはあたしに目配せをチラリ。


 「わかってますって、おいしい食事と般若湯ですよね」

 「うむ、今日は利休流(りきゅうりゅう)般若がいいかの」

 「梅利休流(リキュール)とか桃利休流(リキュール)とかですね。わびさびですよねー」

 「そうそう、わびさびじゃ」


 あたしと慈道さんはニヤリと笑い合い、そして「「ハハハ」」と笑い始めた。

 その隣で「アッハハハハ」と雲外鏡さんも笑い始めた。


 「それじゃぁ、時間外ですが雲外鏡さんと慈道さんのために特別開店といきますか!」


 あたしは扉を開き、表の看板に手をかける。

 扉のOpen Closeの札がカランと音を立てた。


 天国のおばあさま、今日も『酒処 七王子』に新たな常連さん、というか常駐さんが出来ました。

 普段は壁に掛かっている、真実を映す鏡。

 みんなの笑顔が大好きな鏡のあやかし”雲外鏡”さんですっ!

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