雲外鏡とハンバーガーチェーン看板メニュー(前編)
ふーんふふん、ふーんふふふふ、ふふふふーんふーふふふん。
あたしは鼻歌を歌いながら今日も元気に勤労中。
働くのは好きか嫌いかと聞かれると……業務内容による!
好きな料理を作って出して”美味しい”って言ってもらって、日々の季節の変化を感じながら明日の仕込みをする。
そんな仕事は好き。
肉体的にはちょっと疲れることもあるけれど、あたしは大丈夫、まだ若いから。
まだ若いから!
裁量を与えられているので、自分のペースや判断で仕事は出来るし、お給料だっていい。
お給料がいい!
ここ『酒処 七王子』での仕事をあたしはとっても好き。
願わくば、このままずっと働きたいくらい。
ああ、もちろんそれは良好な人間関係があってのこと。
職場の人間関係ってのはとっても重要な事なんだから。
飲食ではそれに加えて常連のお客さんとの関係も。
ま、ここは人間関係より”あやかし”関係なんですけど。
さあ、今日もお店のお客さんを笑顔にすべく、珠子は頑張りますっ!
◇◇◇◇
並び立つあたしと蒼明さんの前で”あやかし”の一団がふたつに別れ道を作る。
それはさながら、エジプトを脱出するモーセが割った海のよう。
モーセのそれと違うのは、割れた海に偏りがあるって所かしら。
具体的にはあたし側の方が多い。
「決着が出たぜ! 第一回! 北の地食材グルメ対決の勝者は~~~~」
「珠子ちゃんですー!」
マイクから聞こえて来る声にあたしは片手を上げ笑顔で応える。
鏡にキラッと映る笑顔も素敵、自画自賛。
うんうん、これなら17歳でも通りそう。
「くっ、駄目でしたか……、この帆立の貝殻を使った”北の幸ちゃんちゃん焼き”は自信があったのですが」
東北のあやかしを統べた蒼明さんが、その勢いに乗って北海道まで統一したという話を聞いたのが1日前。
今日は蒼明さんと彼を王と仰ぐ北の”あやかし”たちのパーティなのです。
その中で蒼明さんがあたしに料理バトルを挑んだのが1時間前。
そしてあたしが勝利したのが1分前なの。
「いえいえ、十分美味しいですよ。帆立貝の貝殻の一方には帆立と野菜で、もう一方には鮭と野菜でレンジで北海道名物のちゃんちゃん焼きを作るだなんてあたしでは思いつきません。素直に七輪に貝殻を乗せて直火でつくっちゃいます」
「嫌味ですか」キラッ
蒼明さんの眼鏡が光を反射して白く光る。
「違いますよ。素直に関心しているんです。火の通りにくいもので一端チンして、火の通りやすいものを加えて、もう一度チンする所とか。でも、難を言うならば折角の新鮮な帆立ですので、帆立ではなく野菜を先にチンする方が良かったかもしれませんね。新鮮な帆立の貝柱とヒモは刺身でも食べられますので。あ、鮭の方はあれでいいです」
貝類は料理人泣かせの食材のひとつ。
新鮮さが失われると中毒の恐れがあるので火を通さざるを得なくなり、火を通し過ぎると固くなる。
仕入れた食材をどう調理するべきか、貝の新鮮さを見極める必要もあるの。
おそらく、蒼明さんはそこを気にせず作っちゃったみたい。
「なるほど、勉強になりました。いや、それでも貴方の料理には敵わなかったでしょう。ニシンを使うと言った時には、貴方が旬を外すミスを犯したと心の中でほくそ笑みましたが、考えてみればそんな初歩的なミスをするはずがありませんでしたね」
ニシンの旬は卵も味わうのなら産卵期の冬から春先。
身を食べるなら秋、産卵前の秋から初冬。
秋口の今は、旬にはちょっと早い。
「まさかニシンのアンチョビを使うなんてなぁ」
「でも、新じゃがと合わさってスゴク美味しかったわよ」
テーブルの上からちょっと小さい声が聞こえる。
さっきのマイクの声の主、コロボックルのシュマリさんとイソポさん。
5月のゴールデンウィークに知り合ったふたりは、蒼明さんの北海道制覇に協力したみたいなのです。
おふたり曰く、『そりゃもー、驚天動地の震える北の大地みたいな大活劇』だったらしい。
「新じゃがとニシンの旬が合わないというならば! 人類の叡智で合わせればいいのですっ! 保存食品とそれを美味しく料理する技術には、人類一万年の努力と工夫と試行錯誤が詰まっているのですよ」
イギリスのノンフィクション作家”スー・シェパード”先生の著作『保存食品開発物語』はあたしのバイブルのひとつ。
それにはエジプト時代から現代まで、人類がいかに食べ物を保存しようと考えていたのかが記されている。
「ホントにおいしいわ。このニシンのアンチョビと新じゃがのグラタン」
「それはですね、スウェーデンの家庭料理”ヤンソンの誘惑”という料理なのですよ」
「”ヤンソンの誘惑”? おっもしれー名前だな」
「はい、名前の由来はグルマンとして有名でした19世紀の人気オペラ歌手Pelle Janzonさんが好んだからとも、20世紀前半の人気映画”Janssons Frestelse”にちなんだからとも言われています。Janssons Frestelseの意味は料理名そのものズバリ”ヤンソンの誘惑”ですね」
名前の由来は、他にベジタリアンのヤンソンさんもこの料理の魅惑には抗えなかったという説もある。
「まったく、人間は料理に愉快な名前を付けるのがお好きなようですね。それで、何でしょうか? 私への罰ゲームは」
あたしはこの料理勝負で賭けをした、まずは負けない賭けを。
あたしは貞操を、そして蒼明さんはちょっとした罰ゲームを受ける賭けを。
「ちょっとしたことですよ。蒼明さん、あなたは今晩の間、赤ちゃん言葉で会話して下さい」
あたしは知っている。
彼がとぉーーーーーっても可愛いもの好きだってことを。
その鉄の理性は誰もみていない時に崩壊し、でちゅよ言葉になるってことを。
北の”あやかし”はキュートな”あやかし”が多い。
蕗の下の小人”コロボックル”は言うに及ばず、キツネやムジナ、テンやエゾリスの”あやかし”といったモフモフ系まで。
あたしも調理が終わったら思う存分なでなでするつもり。
「んもー、ちょうがないでちゅね。いいでちゅか、これはバツゲームでしかたなくやってるんでちゅからね。プンプン!」
口ではそう言いながらも、いい笑顔ですね蒼明さん。
◇◇◇◇
ピリリリリリリッ
壺の本体と蓋の間の目張りに使った紙が剥がれて隙間から芳しい匂いが漏れ始める。
鼻をくすぐる海鮮の旨みたっぷりの香り。
「それじゃあ、愉快なお名前料理シリーズいっきまーす! 第二弾! 仏跳醤!」
開け放たれた蓋と同時に部屋の中に爆発するような香りの奔流が巻き起こる。
「うっっひゃー! こりゃスゴイぜシュマリ!」
「ええ! 匂いだけでお腹がなりそう!」
「くーでちゅ!」くいっ
ちょっと遠巻きに見ていた”あやかし”さんもガタガタッと席を立ち壺の周りに集まる。
「はーい、いっぱいありますから順番ですよー」
あたしが器によそう度に伸びてくる手。
そして聞こえる「うめえ!」の声。
「これって、とっても美味しいですね。それに何か馴染み深い感じがします」
迷い家さん(人間形態)が落ち着いた佇まいでスープを飲む。
飲めるんだ……、館なのに。
「迷い家さんがそう思うのも当然ですっ! 仏跳醤は干しアワビや干し貝柱、干しキクラゲ、金華ハムなどの中華食材を入れた壺を蒸して作る中華スープです。ですが、この奥羽山脈仏跳醤は、東北と北海道の干しアワビ、干し烏賊、山形産の金華豚で作った金華ハム、干し椎茸に干し舞茸などを詰め込んだ珠子特製なのです! なんと! 気仙沼のフカヒレまで入っていてボリューミー!」
「仏跳醤は禁欲の僧でさえも垣根を跳び越えて食べに来てしまうほどの美味から名付けられたと聞いています。確かにこれは奥羽山脈を越えてでも食べに来たくなりますね」
迷い家さんがウンウンと頷きながら、仏跳醤の名の由来を説明した時、
ガラッ
窓が開いて僧衣を来た髭面のお坊さんが現れた!
「げぇー! 串刺し入道!」
窓を乗り越えて部屋に入ろうとする”あやかし”の姿を見て、叫び事があがる。
無理もありません、だって串刺し入道さんはこの前まで東北の”あやかし”さんたちを捕らえて自分の妖力の源にしていたって話なのですから。
串刺し入道さんは窓格子をジャンプ一番と跳び越え、あたしたちへと近づくと、
「すまなかったあぁー! 以前の事は謝る! この通りだ! だから、俺も仲間に入れてくれ! そして、そのスープをぉぉぉぉー!」
勢いよくその頭を床にこすつけた。
うーん、ダイナミックジャンピング土下座。
「すげぇ……本当に僧が奥羽山脈を跳び越えてきたぜ」
「ホントね。でも、あたしだってこのスープのためなら日高山脈を超えちゃうわ」
串刺し入道さんの被害を受けていないコロボックルのイソポさんとシュマリさんが冷静に言う。
その小さい体で日高山脈越えは大変だと思います。
「だそうですけど、どうします? リーダーの蒼明さん」
そう言ってあたしは蒼明さんに向かって目配せ。
蒼明さんならきっとこれで気付くはず、これがあたしの仕込みだってことに。
あたしは何日か前から串刺し入道さんに頼まれていたんですよね、何とか蒼明さんの仲間に許してもらうように取り計らってもらえないかと。
そんなあたしの目配せに蒼明さんは、ふぅと溜息とひとつ。
「かまいまちぇんよ。また、おイタをするようでちたら、つぎはころちゅまでです」くいっ
「ああああ、ありがとうございます! 蒼明様! この串刺し入道、貴方様に忠誠を誓いますぅぅぅー!」
「よかったですね。はい、どうぞ」
あたしは湯気と香気の立つスープを差し出し、串刺し入道さんはそれを涙ながらに受け取る。
「うまい! うまい! 特にこのフカヒレはスープの旨みをたーっぷり吸い込んでいて、うまさ格別じゃぁ!」
『うーまーいーぞー』とばかり、口や目から光を放ちながら串刺し入道さんが叫ぶ。
串刺し入道さんはコピー能力を持っているって話ですけど、何の能力をコピーしたのでしょうか。
ホタルイカとかでしょうかね。
「さーて、次の面白お名前料理はー! 第三弾! トルコの名物料理! ”パトゥルジャン・イマム・パユルドゥ”!」
あたしは厨房に戻り、次の料理を運んでくる。
縦に切り込みが入った茄子に炒めたトマトやキュウリ、青唐辛子が詰められた姿。
鏡に映ったその画すらもSNS映えする色鮮やかな料理。
「うおぅ! なんて良い香りじゃぁ! 儂はもう耐えられぬ! バタンキュー!」
あたしがテーブルに料理を運ぶと、大袈裟な身振りで串刺し入道さんが床に倒れる。
「はい、この料理の名前はその旨そうな匂いのあまり坊さんが気絶してしまったという言われの料理でーす! パトゥルジャンは茄子を、イマムはイスラム教の高僧を、パユルドゥは気絶を意味します。“高僧卒倒茄子“でーす!」
「へぇ、おもしろい名前だな」
「ええ、串刺し入道さんの大袈裟なリアクションも面白いわ」
「入道だけに、大袈裟が堂に入っているてか。ハハハッ」
イソポさんとシュマリさんの笑いと共に、周囲からも笑いが漏れる。
「ささっ、これは冷製ですから、温かいスープと交互に食べると美味しいですよ」
この”パトゥルジャン・イマム・パユルドゥ”は茄子に炒めて具を詰めて煮た後、冷やして食べる。
作り置きが出来るのでパーティ料理に向くのです。
ガブッ、ジュワッ
みなさんが茄子にかぶりつくと、そこから茄子の身に染みた煮汁があふれ出す。
「これは爽やかで美味しいですね。煮汁にはレモンを加えているのかしら? トマトとレモンの酸味の中に青唐辛子のピリッとした刺激が食欲を増進させてくれますわ。今度、家でも出してみようかしら」
そっか、迷い家さんは素敵な館と美味しい料理でお客さんを癒す”あやかし”。
だから、その研究のために人間形態で食事が取れるのですね。
迷い家さんだけでなく、他のキツネやタヌキ、イタチやテンといった動物系の”あやかし”さんにも好評。
うんうん、本来なら入っているはずの玉ねぎやニンニクを抜いた甲斐がありました。
”あやかし”はどうかは知りませんが、ペットの犬や猫には与えていけない食材ですから。
「それじゃあ、次の料理をお持ちしますね、揚げ物なので少々時間が掛かります。あ、串刺し入道さん、ちょっと手伝ってくれますか」
床にチーンと横たわる串刺し入道さんがガバッと起き、「もちろんですとも珠子様」と揉み手をしながらあたしに続いた。




