珠子と七王子と今大江山酒呑童子一味(その6) ※全6部
◇◇◇◇
”神便鬼毒酒”
それは人や神には薬となり、鬼には毒となる神仙の酒。
かつて、酒呑童子さんの体内でその身体を蝕んでいたその成分を、あたしは瀉血で血を抜くことで治療した。
その時の血から興味本位で精製したのが復刻版神便鬼毒酒。
「ダメです! 酒呑さん! こんなのは平和な”飲み比べ”じゃありません。酒呑さんの失格です!」
「おや、俺様はルールに抵触した憶えはないぞ。暴力は使っておらぬし、神便鬼毒酒は立派に酒ではないか」
「それはそうですが……」
「安心しろ、かなり薄めてあるので数日もすれば治る。それに俺様も公平にそれが混じった酒を呑んでおる。ま、耐性が違うがな」
カカカと高く嗤う酒呑童子さんの前で、七王子のみなさんはグロッキー中。
あれ? 平気そうなのがふたり。
赤好さんと藍蘭さん。
「卑怯な真似をするとは言ってたが、こんな手に出るとはね。見損なったぜ。だが、勝負は勝負。俺はここでリタイアするぜ」
あ、赤好さんの杯が減ってない。
飲まなかったんだ。
「ほう、三番目の兄者は勘が鋭いらしい。それに口をつけぬとはな」
「ああ、こう見えても運と警戒心は強いほうでね。それに……」
「それに何だ?」
「俺は誰が勝つかわかっちまったんでな」
何か思わせぶりな台詞を言って、赤好さんは立ち上がり、その杯をカウンターのテーブルに置く。
「誰が勝つのかだと!? はっ、それはこの俺様、酒呑童子に決まっている!」
「そいつはどうかな。少なくとも、まだやる気のあるやつはふたりいるぜ」
赤好さんが示す先は平然としている藍蘭さん。
「お生憎さま。アタシには効かないわよ。珠子ちゃんのアドバイスが一瞬遅れたらヤバかったけどね」
「……僕は負けない。お前のようなヤツに珠子姉さんは渡さない」
そして、苦悶の表情を浮かべながらも、必死に耐えている橙依君。
蒼明さんはトイレに向かい、黄貴様は「毒殺されるのも王道。ならばよし……」なんて呟きながら、ダウンしている。
「橙依ちゃん、あなたヘロヘロじゃないの。ここはアタシに任せなさい。安心して、負けないから」
心配するように藍蘭さんは橙依君に語り掛けるけど、彼は首を振ってそれを拒絶する。
「……ありがと。だけど、次は僕のターン。ここで決める。珠子姉さん、シャンディガフをピッチャーで」
「う、うん。すぐに作るけど無理しないでね」
シャンディガフはビールにジンジャーエールを加えたカクテル。
アルコール度数は弱いし、爽やかで飲みやすい。
だけど、ピッチャー?
ちょっと量が多くないかしら。
「はい、お待ちどうさま」
ピッチャーがドンと置かれると、橙依君はそれを一気にガブガブと飲む。
「おや、毒消しのつもりか? 水分で薄めるのもひとつの手だが、効果はあまり期待できんぞ」」
「橙依ちゃん、そんなに慌てなくてもいいのよ」
既に空になった橙依君のピッチャーを横目に酒呑童子さんと藍蘭さんはゆっくりとシャンディガフを飲む。
「そのままでいいから聞いて。僕の名は橙依、八岐大蛇の六番目の息子」
「知っておる。何やら多種多様な術を使うとか。石熊から聞いておる」
勝負の行方を見守る”あやかし”たちの酒呑童子一味さんの中から『頑張ったんだしー』という声が上がる。
「そして、僕の能力の中にはコピー能力がある」
「それも知っておる。お前の友の能力が使えるというものであろう」
これまた”あやかし”たちの一角から、『まけないでー』、『頑張るでござるよー!』という声と『無理するなー!』という声が上がる。
橙依君のお友達の声援。
あれ? ひとり覚君だけはお腹を抱えて何かをこらえているみたい。
「あれがお前の友か。見た感じ大した妖力を持つ”あやかし”はおらんな。あんな雑魚どもの能力をコピーした所で俺様には効かぬぞ。たとえ俺様の心や身体を操る術を持ってたとしても。妖力の絶対量が違うからな」
「そうです、心神喪失傀儡の術があったとしても、妖力の差が歴然であれば通じません。よほど強力な、条件付けでも必要な能力でもない限り」くぃー
うわっ、蒼明さん!?
いつの間にやらトイレから戻って来た蒼明さんが、あたしの隣で解説する。
「卑怯な手でも使って勝とうとする君は正しい。珠子姉さんもたまに使うし、そうしなければならない時があるのも理解できる」
「そうだな、珠子の策は俺様もどうかと思った時があったぞ」
ちょっと言い方が身も蓋もなくありません?
そりゃま、ちょっと卑怯かなーって思ったことが無いとはいいませんけど。
「だけど、それでも珠子姉さんは誰かのために、笑顔のハッピーエンドのために手を尽くすんだ。だから、君の卑怯な手は間違っている。珠子姉さんが好みの卑怯な手はこういうやつ」
あたし好みの卑怯な手って……まさか!?
その瞬間、あたしは理解した。
橙依君の卑怯な策の全容を。
彼が文字通り、自分の自尊心をかけていることも。
「よいぞ、存分に使うがいい。お前の卑怯な手が俺様に少しでも通じると思ったならな」
自信たっぷりな声で残り半分となったシャンディガフを口にしならが、酒呑さんは言う。
「じゃあ、いくよ……僕に酒を振舞ったね」
あ!
その言葉でその場にいるみんなが橙依君の作戦を理解した。
覚君はひと足早く笑い転げている。
バサァ!
彼の服がめくりあがり、その胸と腹に奇怪な文様が浮かぶ。
それは、歌舞伎の隈取りのような顔
「あ!? あれってあたしの!?」
そう、彼がコピーしたのは、彼の友達”はらだし”の能力。
はらだしに酒を振舞ったが最期! 憤怒の明王であっても抱腹絶笑は免れないっ!!
「おなかの大蛇が、おろおろ、どちどち、くねくね、くまくま、くまどりでござーい」
奇怪な文様はぁ、くるくるっと動きその表情が喜怒哀楽に満ちる。
ブッ、ブフゥー!
酒呑童子さんが噴いた。
ついでに藍蘭さんも。
ブッハァ、ブハハハァ
またまたついでに周りの”あやかし”さんたちも。
「はい、僕の勝ち」
めくれ上がったシャツで茶巾に包まれた頭の部分から橙依君の声が聞こえる。
「はひゃひゃ、そうねぇ。お酒、ふいちゃったもんね」
「ひっ、ひひょうだぞ、こんな手をぉ、つかふなんて」
口の端から最後の酒をこぼしながら、酒呑童子さんは笑い転げる。
「君よりかは卑怯じゃないさ。それともまだ続ける? あと10分と言わず一時間でも僕は踊れるでござーい」
ほーら、ほーらとお腹を見せつけるように腰を揺らしながら橙依君は酒呑童子さんに近づく。
ここが上品なパーティ会場からセクハラオヤジの宴会会場に!
「ひょっ! ひょうめろお! わかっひゃ、わかっひゃ! おまえの勝ちひゃ!」
もはや頭を上げて正面を見る事すら出来ない体制で酒呑童子さんは言う。
「ひゃ、ひゃっこう兄さん。こぉ、これを読んでたのでふかぁ!?」
「だからひっただろっ、勝つやっつっがわかるったって。やべっ、これやべっ」
酒をふるまった七王子のみなさんは特に効果が高いみたい。
もちろん、あたしも頭ではこんな事を考えていても、体は正直れすっ。
「あっ、あたしの能力がはぁ! こんなに強力だなんて。しらない! こんなのしらなひっ!」
「と、とーいひょのの、みごとなぁ作戦勝ちでぇ、ござるなぁ」
「おひっ、橙依、お前『……なんて悲しい勝利だ』っておもっひぇいるだろ」
「お前に代わって、俺が泣いてやるぜ。おーいおーい」
唯一、天邪鬼くんだけが涙を流していた。
顔は笑いながら。
◇◇◇◇
こうして、東の大蛇と京の酒呑童子の初対決の勝者は東の大蛇の六男、橙依君の勝利で終わり、パーティは笑いの渦の中で幕を閉じた。
その立役者である彼は今、あたしと一緒にモップでゴシゴシ掃除中。
「……ごめんね珠子姉さん、僕のせいで」
「いいのよ、これくらいは覚悟していたから」
”あやかし”たちが集まるパーティですもの、床が汚れるくらいは想定内。
人間の酔っぱらいのパーティに比べたら、なんてことはない。
「でも良かったの? いくら勝つためとはいえ、自分が笑い者になっちゃって」
「……いいのさ。一番笑って欲しかった人が笑ってくれたからね」
ふーん、一番笑って欲しかった方ねぇ。
いったい誰なのかしら?
「ふぅ」
少し疲れたのか橙依君は溜息をひとつ。
やっぱり神便鬼毒酒の影響が残っているのかしら。
「橙依君、疲れているみたいだから、ここはあたしに任せて休んでいいのよ」
「……へーき。それよりも約束を忘れないで」
「ああ、賞品のあたしとの逢引き権のことね。いいわよ、橙依君の都合の良い日で遊びましょ。あっ、なんなら友達も一緒に」
酒呑童子さんはみんなで東京観光するって言ってた。
橙依君もお友達と一緒の方が楽しいわよね、きっと。
「ふぅ~~」
橙依君は大きなため息を着いた。
やっぱ疲れているみたい。
「……うん、そうさせてもらう」
カタリとモップを壁に立てかけ、橙依君は新しい居住館への通路へと向かう。
「……ニブチン」
消えゆく橙依君の後ろ姿から、ボソッと呟く声が聞こえた。
「んー、なーにー? 何かいったー?」
「なんでもなーい。おやすみー」
「おやすみー」
ひとりになって、あたしはあたしの城をピカピカに磨き上げる。
カーテンを開くと、眩しい朝日が部屋を光で満たす。
ここは新生『酒処 七王子』。
昼はリーズナブルなランチメニューのお店。
そして、夜は”あやかし”たちの集う、あやかし酒場。
”あやかし”と”料理”の出会いと不思議な物語が生まれる場所。
そこで生まれる幸せな時間への期待に胸を高鳴らせ、あたしは心で呟く。
天国のおばあさま、昨日はハッピーエンドの1日でした。
珠子は今日もハッピーエンド目指して頑張りますっ!




