若菜姫とロースハム(後編)
しょうがない、ここは奥の手。
うまくできるかわからないけど……
「……そう、でも僕は兄さんを信じている。兄さんは嘘を言っていない。もちろん僕も」
半身、僕は前に身体を乗り出し、彼の手を取る。
「な、なんだ!? 何をする!?」
「……今から僕の心を開く、そうすれば君もわかる。僕には心を読む能力があって、それで兄さんの心を読んだ時に見た君と君の師匠の話が本当だって」
そして僕は妖力を、ううん権能を集中。
僕は藍蘭兄さんの心を読んで身に着けた、いや、気付いた。
僕の中にも母さんの、八稚女の女神の権能が受け継がれていることに。
僕の能力、異空間に物資を格納できる異空間格納庫。
特定の場所、特定の人物への亜空間回廊を生成する瞬間移動。
相手の許可があった場合に限り、その心を読める真心参拝
心を通わせた相手の能力を複製する鏡の中の君。
どれもが、その権能によるもの。
何かを受け取り、それを蓄え、そして奉る。
それは物に限らず、心や気持ちも受け取り、舞踊や演武といった形のないものすら捧げる権能。
”祝詞”の権能。
物資も、心も、形の無い能力すらも習得して僕の中に蓄え、時間と空間も超えて相手に捧げる権能。
僕が今まで使っていたのは、その過程や一側面。
あれ? 一日をやり直せる”あの日をもう一度”だけはちょっと違うかも。
まあいいや、それよりも今は僕の心を、真心と記憶を彼に捧げよう。
…
……
………
心ってのは料理に似ているのかもしれない。
見た目や雰囲気で、ココアが『これって温かくて甘いやつ』ってわかったりするのと同じように、心も触れただけで、これが温かくて嘘偽りのない心だとわかるのかな。
そう考えると、心の声が真実を告げていると直感的にわかるのも理解出来る。
緑乱兄さんの心は緑の草原を思わせるように広く、穏やかな感じ。
藍蘭兄さんの心は夜の空や海を思わせる藍。
星の光と町の光、それを映し出す水平線のような、深く暗く、闇なのに青だとわかる深淵のディープブルー。
珠子姉さんの心は、春のようで麗らかで穏やかで、温かいのに、春一番のような豪風が吹き荒れたり、たまに季節外れの雹が落ちてくるような……うん、よくわからない。
だけど、僕はそんな珠子姉さんの心が好き。
僕の心は彼にどんな風に見えたのだろう。
どんな風に感じてくれたのだろう。
自分で自分の臭いに気付かないように、僕も僕の心がどんなものかわからない。
少なくとも、この心と記憶に嘘がないことが伝わる事を願って……。
僕は心の中で、あの時読んだ藍蘭兄さんと絡新婦の話を思い出す。
そして……
ウオッウォオオゥッ、オウェー
彼は吐いた。
うん、あの蛭を使った”真のブラッドソーセージ”を食べたらそうなるよね。
僕は二度目なので、何とか耐えたけど。
「あ、あたしの心に何てものを食べさせるのよ!!」
それはあの時の僕と似た台詞。
奇遇だね、僕と君は意外と気が合うかもしれないよ。
◇◇◇◇
ガッガッガッガッ
ハムハムッ、ハムッ
口直しと言わんばかりに彼は残ったロースハムにかぶりついている。
「な、なんとかあの食感が消えたわ。うぇー、しばらく葡萄とかブラッドソーセージは食べれないかも」
ふぅと息をついて彼は言う。
「……それで、どうだった? 僕が嘘を言っていないってわかってくれた?」
「ああ、お前の心と記憶に触れ、師匠が人間に転生したという話が真実だと理解した。お前の心は信じられる。そういえば……まだ名前を聞いていなかったな」
「橙依。橙に依頼の依」
「橙依、お前の心は眩しかったぞ。曇りがないどころか、曇りすら晴らす太陽の輝きだ」
ふーん、僕の心は他人からはそう見えるんだ。
「……じゃあ、もう兄さんのことは」
「ああ、師匠の仇として襲いはしない」
最初に見た固い彼の表情は消え、今は柔和な微笑み。
よかった、誤解が解けた。
「あら、うまくいったようね」
「橙依おにいちゃんすごーい。よかったー」
『誤解が解けたようで良かったです』
ガサリと草をかき分けて、藍蘭兄さんと紫君が登場。
そして、兄さんの頭にはタブレット画面に映った珠子姉さんの姿。
「……見てたの?」
「聞いてただけよ。風向きと乙女の地獄耳を活かしてね」
そう言って兄さんはパチンとウインク。
「勘違いするな。あたしが信じたのは橙依の心だけだ。だから復讐は止める。だけど、お前を信用したわけではない。この混沌の申し子め」
彼の表情が再び固くなり、兄さんに鋭い視線。
それは、兄さんが混沌大好きってことも、彼に伝わっちゃったから。
でも、僕は知ってる、信じている。
兄さんの混沌好きは、そういうごった煮感が好きなだけで、決して邪悪じゃない。
「……うん、今はそれでいいよ。何も生まない復讐だなんて虚しいだけだからね。君もここを新たなスタート地点としてハッピーエンドの道を進むといいよ」
僕は彼に手を伸ばし、彼もそれを握る、握手。
「そうだな、あたしも橙依の心に触れて目が覚めた。これからは新しい幸せの道を進むとしよう。お前とのイチャイチャハッピーエンドの道をな!」
彼はそう言うと、握手の手に力を込め、僕を引き寄せ、その胸に抱く。
「はあぁ!? どうしてそういう話になるのさ!? それに僕は男で、女の子が好きなの!!」
そして、一番好きなのは珠子姉さんなの! と言いたかったけど、珠子姉さんの前で言うのは恥ずかしかったから止めた。
「あたしが女の子だからそういう話になるのさ!」
へ?
彼、ううん、彼女はその着物の胸元を乱れさせると、僕の頭を鷲づかみにして、僕の視線をそこに誘導。
見えた、小ぶりだけど確かにある胸。
「はぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁあああ!? き、君ってば、女の子だったの!?」
「あら、橙依ちゃんってば、気付いてなかったの?」
「なかったのー?」
『なかったんですか?』
みんなが口をそろえて言う。
「みんなは気付いてたの!?」
「当たり前でしょ、アタシは伊達や酔狂でこんな格好をしていないんだから」
「たましいの形をみればわかるよー」
『そりゃ蜘蛛の術を使う九州の侍って情報を与えられちゃったら気付きますよ。橙依君はわからなかったのですか? せっかくヒントにプリンスメロンを使ったレシピを教えたのに』
プリンスメロン?
「ぷ、プリンスメロンに関係する蜘蛛の”あやかし”って!?」
「おやぁ、あたしをご存知ない!? だったら魅せてあげましょう! その正体!」
『見せて下さい! その姿!』
ポポン、とどこからともなく鼓の音が聞こえ、彼女の姿が糸にくるまれる。
ポポン
音の主は器用にも鼓を叩く蜘蛛。
そして、糸の繭が弾け開き、その中から着物姿の女の子が現れる。
ついでに、僕の身体も弾け飛んだ糸に絡み取られ、蜘蛛の網の上。
「その姿は荘厳にして華麗! 時には豪胆な侍、時には叛逆の海賊の頭、そして時には亡国の麗しき姫! かの戦国大名、大友 宗麟の忘れ形見! 九州を舞台に、たまに京都に出張する! 西国一の蜘蛛使い! 若菜姫とはあたしのことよ!」
ポポポポンと鼓の音に合わせて、彼は、いや彼女は、いやいや若菜姫はポーズを決める。
『若菜姫さんは江戸時代末期から明治時代にかけて書かれた草双紙”白縫譚”に登場する主人公です。白縫譚は歌舞伎の人気演目のひとつなんですよ』
なるほど、男装の姫だからプリンスメロン、そして、この芝居がかった口上は歌舞伎。
「にっくき菊池家の打倒と、ついでに九州の海賊を打ち倒し!」
えっ!? 海賊の頭目じゃなかったの!?
「美しい少年の心の光を捧げられ、目覚めたあたし! プリンセス若菜!」
……なんだか目覚めてはいけないものを目覚めさせた気がする。
「心を捧げられたなら、あたしは身体を捧げてそれを返す! もう止まらない! たまらない!」
こっちはたまったもんじゃない。
「そんなのいらないから! 早く放して!」
僕はジタバタと暴れるが、蜘蛛の網の上では無駄。
しょ、しょうがない、自力でなんとか……
ゴロゴロゴロゴロッ
僕は権能を集中させ、自らに雷を……。
稲妻に乗って敵を切り裂く”雷鳴一閃”の構えを……。
あれ? 帯電しない?
「うふふ、今度は地面につながる糸も用意した。それがアースの役割を果たし、電気を大地に逃がすのだ」
地面につながる糸を指でピンと弾き、彼女は蜘蛛の網の上を進行。
「ちょ! こないでよ!」
「よいではないか、よいではないか。あたしは遊郭遊びも嗜んだこともある。手練手管もお手の物よ。ほうら、お姫様にまかせなさい」
彼女の欲情で血走った瞳は僕の眼前。
「ら、藍蘭兄さん! た、たすけてー!」
珠子姉さんに情けない姿は見せたくないけど、ここは仕方がない。
僕は兄さんに助けを求める。
「うーん、どうしましょうか珠子ちゃん?」
『えっと、この倒錯した場面を脳内キャプチャするのも悪くないですけど、やっぱ子どもの目がありますしね』
「え~、ボクみたーい」
『だめですよ、もうちょっと大きくなってからね』
「いいから早く!」
僕は必死にもがくけど、蜘蛛の網は揺れるだけでビクともしない。
そ、そうだ! 藍蘭兄さんの活殺自在の権能をコピーすれば!
あれ? どうして? 上手く使えない!?
「というわけよ、若菜ちゃん。橙依ちゃんを離しなさい。さもないと……」
藍蘭兄さんの権能が膨れ上がり、語気が強くなる。
ありがとう! 藍蘭兄さん!
「フフフ、怖い怖い。わかったわかった、今日はここまでにしよう」
そう言って彼女は僕の頭を抱く。
最後に彼女は僕の耳元で小声で囁き、チュっと僕の頬に唇の感触を残して、彼女はその掌から糸を放つ。
「また逢おう! あたしの網にかかった麗しいハニー! 今度は江戸でな!」
ハハハと高笑いを残して、若菜姫は糸を使って、飛ぶように木々の間へ消えていった。
江戸で、って言ってるけど、東京までやってくる気かな。
僕の心を読ませたので『酒処 七王子』の情報も知ってるよなぁ。
正直、勘弁して欲しい。
『あらあら、橙依君ったら今日もモテモテね』
タブレットからは珠子姉さんのニシシという笑い声が聞こえていた。
◇◇◇◇
「ガタンゴトン……ガタンゴトン……」
色々あったけど、僕らの旅行は終わり、今は新幹線で東京に移動中。
お土産も買ったし、きっと珠子姉さんは喜んでくれる。
ガタンゴトンというよりは、シュ―という風を切る音を聞きながら、僕は車窓を眺め、彼女の最後の言葉を思い出す。
『これはあたしの勘だけど、君の兄さんはやっぱり怪しいわ。気をつけなさい』
そんなことを言ってたけど、それはきっと杞憂。
藍蘭兄さんの心を読んで、僕は兄さんが嘘を言っていないことを確信。
そして知っている、兄さんが僕だけでなく、珠子姉さんも含めた家族を好きだってことも。
ああ、これは家族としてって意味だから、安心。
だけど、少しだけ僕の心に引っかかる言葉がある。
……ねえ、藍蘭兄さん。
大悪龍王様って誰さ。




