絡新婦(じょろうぐも)とブラッドソーセージ(その0) ※全5部
フェリーの旅は快適。
島原から熊本まで一時間もかからない。
「橙依おにいちゃん、きもちいーね」
「……うん」
僕たち大蛇の化身はある程度の寒さは平気だけど、蛇だけにやっぱり夏がいい。
真夏の潮風が身体を温めてくれる。
『まもなく、長洲港ターミナルです。市街地へのアクセスはバスまたはタクシーで長洲駅……』
長崎で緑乱兄さんと別れて、僕たちは熊本城観光へ進行中。
紫君が『おしろみたーい』って言ったから。
ふぅ
「おにいちゃん、どうしたの? おふねによった?」
「……なんでもない、平気」
僕が溜息をついたのは、フェリーで酔ったからじゃない。
隣に珠子姉さんがいないから。
京都の滞在が早めに終わるようだったら、僕たちの九州旅行に合流しないかと誘うつもりだったけど、そう上手くはいかないみたい。
『あははー、なりゆきで8月末までここに居ることになっちゃった』
なんて楽しそうに言ってたけど、そんなに酒呑童子とやらの家は居心地がいいのかな。
ううん、珠子姉さんが居るだけで、そこはきっと居心地が良い所になると思う。
だけど、その中に『僕も仲間にいーれて』なんて言えない。
仕方ない、熊本名産でも買って、新学期になったら珠子姉さんを誘おう。
「とーちゃくー」
そんな僕の心なんて知らずに、紫君はフェリーのタラップを降りる。
ここは熊本市から少し離れた玉名市の長洲港。
「……さて、どーする?」
「ボク、なにかたべたーい」
太陽は天中、今はお昼時。
そう言えば、お腹が空いた。
『いいですか! 九州は美味しいものが沢山ありますが、その中でもラーメンは外せません。九州ラーメンとひとくくりにしがちですが、北九、博多、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島とどれも特徴があります。中でも熊本ラーメンの起源とも言える玉名ラーメンは訪れるならば外さないで下さい。お土産は火の国ラーメンがいいです!』
僕は珠子姉さんの言葉を思い出す。
「……わかった。玉名ラーメンを食べよう」
「はーい」
『美味いラーメンの店が知りたきゃ、タクシー乗り場で聞きな。そのままタクシーに乗って案内してもらうといい』
昔聞いた緑乱兄さんのアドバイスに従い、僕たちはタクシー乗り場で聞く。
やれ、あっちの龍がいいだの、こっちの龍の方が旨いだの。
何だか龍にちなんだ店名が多かった。
ズッズッズズゥー
プハァ
僕たちは最後のスープを飲み干し、大きく息を吐き出す。
「おいしーい!」
「……いける」
この玉名ラーメンはトンコツスープをベースに焦がしニンニクがたっぷり、ジャンクな味。
身体がほんのりと火照るのはきっとニンニクのせい。
「ごちそーさま」
「……ごちそうさま。ちょっと道を教えてもらってもいい?」
「まいどありっ! よかよ、どこいきっしゃる」
「……熊本城へのバスか電車」
「ああ、それならバスの方がよか。駅前から熊本バスターミナルへのバスが出とるっしゃよ。降りたらすぐ城たい」
「……ありがと」
ラーメン屋のおじさんのアドバイスの通り、僕たちはバスに乗って熊本城へ。
快適な旅……のはずだった。
「……ねぇ、紫君も感じる?」
「うん、わかるよー」
バスの進行方向から、妖力を感じる。
しかもかなり強くて知り合いの妖力。
「……これ、藍蘭兄さんだよね?」
「そーだね」
『酒処 七王子』の荒事担当といえば、藍蘭兄さんと蒼明兄さん。
大抵は藍蘭兄さんだけで対処できるけど、手に負えなくなったら蒼明兄さん。
だけど、僕は藍蘭兄さんがピンチになった時を見たことがない。
めんどくさいから蒼明兄さんに押し付けている感じ。
その藍蘭兄さんが戦ってる!?
ピンポーン
『次、停まります』
僕が降車ボタンを押すとアナウンスが流れる。
「……降りるよ」
「あー、ボクがおしたかった~」
そんなことを言ってる場合じゃないって僕は言いたかったけど、そんな場合じゃない。
僕はバイパスから外れ、田んぼの用水路に駆け込む。
「……ここから跳ぶ」
「はーい」
僕の瞬間移動は僕と特定の場所か、僕と特定の誰かをつなげる亜空間回廊を創る妖力。
ここから今は誰も居ない『酒処 七王子』をつなげることも出来るし、珠子姉さんの所へつなげることも出来る。
ただし、特定の誰かは僕と過去に心を通わせた相手に限るけど。
以前、僕は藍蘭兄さんの心を読んだことがあるから、そこまで瞬間移動可能。
用水路に黒い大きな穴が開き、そこに僕らは突入。
パン!
空間を引き裂く音がして、僕は潮の香りのする崖に躍り出る。
「師匠のかたきぃー! かくごぉー!」
そこで僕が見たのは刀を振りかぶった侍。
「あら、橙依ちゃん。そこ、危ないわよ」
へ?
ポコン
「あたっ!?」
僕の頭に侍の刀が命中。
ちょっと痛い。
「ほら、いきなり出てくるからそうなっちゃうんじゃない。んもう、アタシが刃と勢いを殺さなかったら大ケガするとこだったわよ」
「……ごめん」
どうやったかはわからない。
だけど、藍蘭兄さんが僕を助けてくれたみたい。
「おのれぇー! 何度も何度も面妖な術を」
「んもう、もう諦めなさいよ。あなたじゃアタシの相手にならないわ。あなたの師匠の絡新婦と同じようにね」
「うるさい! 師匠を侮辱するなぁ!」
侍の手から白い糸が飛散。
だけど、それはすぐに落下。
「あー、かみふぶきー」
紫君はそれを拾い上げ、ビローンビローンと遊ぶ。
紙吹雪って言ってるけど、クラッカーから飛び出る紙リボンみたい。
「ねえ兄さん。どうしてこの侍に襲われてるの?」
「きっとアタシが魅力的だからよ。いやーん、このまま襲われちゃって、どんな風にされちゃうのかしら」
「ふざけるな! 俺は許さないぞ! 師匠を殺し尽くしたお前のことを!」
殺し尽くした!?
「お前のせいで、師匠は現世からも幽世からも消えた! 魂すら残さず消滅させたお前を俺は絶対に許さない!!」
血走った目で侍は兄さんを見る。
その怒りは本物。
僕はまだ嘘発見の術を身に着けてないけど、それが演技ではないことくらいわかる。
「別に許されなくてもいいわ。何度でも襲ってきなさい。そして、そのたびに返り討ちにしてア・ゲ・ル」
藍蘭兄さんが僕たちの前に一歩進み、その掌を侍に向かって伸ばす。
ゴウッ
「うわっ!?」
「かぜつよーい」
僕たちの隣を突風が疾る。
その風は風圧の塊となり、侍を吹き飛ばす。
ううん、ぶっ飛ばす。
ゴッ
硬いものがぶつかる音が聞こえる。
侍の身体が防風林にぶつかる音。
「くっ!? くそっ、おぼえておれ! いつか必ず、お前の首をここに! 師匠の墓前に供えてやる!」
木の根元から土煙が飛び、それが潮風に払われた時には、侍の姿は消えていた。
「あー、にげたー」
「いいのよ別に。それよりあなたたちも旅行?」
「そーだよ。これからおしろに行くの」
「あら、アタシと一緒ね。じゃ、一緒に熊本城に行きましょ」
藍蘭兄さんはいつもの調子で話すけど、僕の心には疑念。
”殺し尽くした”
あの侍の言ったこの言葉の意味、それは死なないはずの”あやかし”を滅したということだろうか。
「……待って藍蘭兄さん。聞きたいことがある」
「ああ、さっきの術? あれはね、地の利と浜の潮風を活かしただけよ」
「……違う。あの侍が言ってた通り、兄さんがあの侍の師匠を殺したの?」
兄さんの言ってた通り、その師匠が絡新婦なら、”あやかし”であることは間違いないはず。
「そうよ殺したわ」
それが何か? とばかりに兄さんは言う。
…
……
僕の視線と兄さんの視線が見つめ合い、そして数秒が経過。
ふぅ
兄さんが視線を逸らし、溜息をひとつ。
「わかったわよ。ちゃんと説明……、ううん、この場合、真実を伝えた方がいいわね。誤解がないように。いいわよ、アタシの心を読みなさい」
「……いいの?」
「だから、いいってば」
僕の”心を読む能力”は覚とは違い、相手の同意が必要。
実はこの制限は秘密。
珠子姉さんと緑乱兄さんは『『いつでも読んでいい』』って言ってくれたから、好きな時に読めるけど、藍蘭兄さんは違う。
僕が昔、藍蘭兄さんの心を読んだ時、兄さんが言ったのがこの台詞。
『アタシの心を読んでいいわ。でも今だけよ。次に聞きたくなったら、ちゃんと許可を取りなさい』
だから僕は藍蘭兄さんの心を自由に読めない。
その時の僕の質問は『僕のこと好き?』。
返事は『あたり前でしょ。家族ですもの』。
嬉しかった。
だから僕は藍蘭兄さんのことを信頼している。
そして今も、藍蘭兄さんは僕に真実を伝えようとしている。
やっぱり藍蘭兄さんは、僕のことを大切に思ってくれてるんだ。
「……ありがと、じゃあ読むよ」
「ええ、アタシは数日前に熊本に着いて、その時に考えていた過去の出来事を思い出すわ。アタシが彼女を殺した時のことよ」
やっぱり殺しているんだ。
でも、きっと理由があるんだよね。
家族や珠子姉さんのような気に入った相手以外の命をどうでもいいなんて思ってないよね。
妖力を集中させ、僕は藍蘭兄さんの心の旅に出る。
……そして、僕は後悔した。
この数分後、
「オッオェェェェェェェェー」
僕は吐いた。




