船幽霊と羊羹(前編)
コポコポコポポポと聞こえるのは水の音。
夜の海はふしぎ、まっくらでどっちが上か下かわかんない。
きっと、おにいちゃんたちが向かっていく方が上なんだろな。
このまま太陽が出るまでずっと海の中にいてもいいけど、ちょっとあきちゃったかな。
そろそろあーがろっと。
ザッパーン
ボクはお風呂からあがるように波の上に出る。
「ちくしょう! 沈められちまった! 釣った魚がパーだ!!」
「……緑乱兄さん、もう諦めようよ、夜の磯釣りで釣ればいいじゃん」
「このポイントが一番釣れんだよ、チヌとか石鯛とか!」
今、ボクは緑乱おにいちゃんと橙依おにいちゃんといっしょに九州旅行中。
その中で緑乱おにいちゃんはおいしくてお高い魚をつろうとしているんだけど、またしっぱい。
お船がしずめられて、お魚さんに逃げられちゃうんだよね。
「おっ、紫君無事だったか。中々浮かんで来ないからおじさん心配しちゃったぜ。溺れちまったんじゃないかと」
「……ないない、僕たち水の化身の大蛇が溺れるなんてない。河童が川に流れるくらいない」
橙依おにいちゃんの言う通り、ボクは泳げるもん。
だからおぼれたりなんてしないよ。
「それはそうと、紫君なら気付いただろ? あれは幽霊だったろ?」
緑乱おにいちゃんが言うあれってのは、さっきボクたちの船をしずめたやつらのこと。
「うん、そーだよ。あれはゆーれーだね」
ボクのママはちんこんの巫女、だからボクにはゆーれーをみる妖力がある。
もちろん、他のみんなにもみえるけど、ボクはもっとくっきりはっきりみえるんだ。
「……きっとさっきのは”船幽霊”かな。本で読んだことがある。海で死んだ死者の霊、仲間を増やそうとして船を沈める」
「よっしゃ! 正体さえわかれば対策だって立てれるってなもんだぜ。あいつらを退治して、この絶好釣りポイントを独り占めだぜ!」
「……これって物語の最後でひどい目にあっちゃうタイプ」
橙依お兄ちゃんが何だかわかったような感じで言う。
ボクのお仕事は地上をさまようゆーれーたちをゆくえにみちびくこと。
どうしてそうするかはわからない、どうしてそうしなくちゃいけないって思うかもわからない、だけどどうやってするかはわかる。
だけど、それに必要な生命力をくれる珠子おねえちゃんは、ここにはいないんだよね。
まあ、この前もらったのこりがあるからいっか。
ボクは紫君、今は夏休み!
◇◇◇◇
「おじさんは船を回収してくるから、ふたりは船幽霊の対策を頼むな」
「わかった!」
「……了解」
朝がきて、ボクたちはお宿で作戦かいぎ。
『……丸投げともいう』なんて橙依お兄ちゃんは言ってたけど。
「……ネットによると、船幽霊には底の抜けた柄杓を渡すと去ってくってあるけど」
橙依おにいちゃんはスマホでふなゆーれーをけんさくちゅう。
ボクはまだできない、知らない漢字が多いし、ローマ字とかならってないから!
「それ、だめだとおもうな。『ひしゃくをくれ~』ってやつでしょ。あいつらそんなこと言わなかったもん。それにボクは追い払いたいんじゃなく、ゆくえに導きたいの」
「……そっか、なら、お米とか餅とか、酒とか灰とか持ってく? それを海に投げ込むと消えるってある」
「うん、それがいいと思うよ」
ゆーれーをゆくえに送るには、この世での心残りを晴らすのが一番。
おなかがへってるなら食べ物を、寒いならお酒。
ああ、あとあんなものを欲しがってたっけ。
「あと、タバコももっていこうよ。あのゆーれーたち、タバコを欲しがってたよ」
「……タバコ?」
「それにようかんも!」
「……羊羹?」
「うん!」
あまいものいいよね。
あのゆーれーたちもようかんが食べたいって言ってた。
チョコとかキャンディとかクッキーとかボクだーいすき。
「……羊羹といえば不思議なことがある」
「なになに?」
「……別の部屋の客が、テーブルの羊羹に向かってお経を唱えていた」
「なにそれ~、そんなの橙依おにいちゃんの見まちがいだよ。きっとぶつだんか何かのお供え物に向かっておきょうをとなえてたんだよ」
ボクの他にもゆーれーをゆくえにみちびている人がいるのは知ってる。
あの慈道のようなお坊さんたち。
おきょうをとなえてるってことは、そんなひとかな?
「……見間違いじゃない。なんなら確かめてみる?」
「うん、いーよー!」
そう言って、ボクとおにいちゃんはお宿をトコトコ。
おくの部屋に近づくと……何かが聞こえてきた。
『ひとのこのよはながくして、かわらぬはるとおもいしに……』
そしてボクとおにいちゃんはおくのふすまの前でお顔をピタッ。
「……のぞいてみな」
ふすまをほんの少しあけて、おにいちゃんが言う。
ボクはそのスキマからこそっと。
……みえた、おにいちゃんのいう通り、おばあちゃんのお坊さんがようかんに向かって何かをとなえている。
テーブルの上には大き目に切られたようかんがお皿の上。
ボクはちょっと角度を変えてみたけど、おにいちゃんの言う通り、ぶつだんとかは見えない。
だけど、もうちょっと、もうちょっと角度を変えて……
ドンッ
「こりゃ! 悪餓鬼ども!」
「あ゛~~!?」
「わぁ!?」
びっくりしたぁ~。
いきなりせなかをおされるんだもん。
「……どうして? そこにいるのに?」
後ろからボクたちをおしたのは、おばあちゃんのお坊さん。
あれ? おへやにいるよね。
おへやには、まだおきょうをとなえるおばあちゃんのすがた。
「ほいっと」
おばあちゃんが指をパチンとならすと、おへやのおばあちゃんがボンッ。
いちまいの紙になっちゃった。
「……同じことを繰り返す3枚のお札」
「おや、鋭いね。あたしは人形って呼んでいるけどね。で、”あやかし”のふたり、のぞき見の目的は何だい。なんか用でもあるのかい?」
おばあちゃんは”あやかし”なんて見なれてる、そんな感じで言う。
「……特に用はない、ただあの羊羹が気になっただけ」
そう言って、橙依おにいちゃんはふすまを開けて、テーブルの上のようかんを指さす。
「そーだ! あのようかん、ボクにくれない? ゆーれーを導くのに使うんだ」
ここでほったらかしにしておくよりも、ゆーれーを導くためにつかった方がいいもんね。
「幽霊? それは毎年、この時期になると沖に出る船幽霊のことかい?」
「そうだよ! あのゆーれーさんたちは、ようかんが食べたいっていってたんだ。ボクにはわかるんだ」
ゆーれーの声はとても小さくて、なかなか聞こえない。
だけど、ボクには聞こえるんだ、おにいちゃんたちにも聞こえない声が。
これって、きっとちんこんの巫女の力だよね。
「ほう、お前さんはあたしらが何年もかけて聞き出した船幽霊の望みがわかるのかい。こりゃスゴイねぇ。だけど、答えはダメさ。この羊羹をあげるわけにゃいかないよ。まだ熟してないからね」
「……熟す?」
「ようかんって、くだものだったっけ?」
「くだものなんかじゃないさ。だけどね熟しはするんだよ。ほら、わかったらとっとと行った行った。お前らの兄ちゃんにも邪魔をするんじゃないって言っといてくれ」
手をシッシッとして、おばあちゃんはボクらを追いはらう。
いいもんね、ようかんならそこのコンビニで買ちゃうから。
◇◇◇◇
チャポチャポって波がゆれる音がする。
「へえ、俺っちがこのボートを直している間にそんなことがあったのかい」
今は夜、ボクたちはおふねの上。
「……うん、それにあの尼僧、なんだか兄さんを知ってるっぽかった」
「へ? 俺っちの知り合いの尼僧……、うへぇ、あいつかぁ」
緑乱おにいちゃんは、あのおばあちゃんに心あたりがあるのか、あたまをかかえている。
「……知り合い?」
「知り合いも何もって、橙依お前も以前会ってるぞ。俺っちはその後も何度か遭遇したけどな」
「……僕も会ってる?」
橙依おにいちゃんの頭には?マーク。
「そっか、もう半世紀近く前だもんな。あいつさ、樹木子の時の」
「……ああ!」
橙依おにいちゃんは手をポン。
「……だいぶ老けてたからわからなかった」
「老けてたなんて、あいつに言うなよ。後が怖えからな」
そう言って緑乱お兄ちゃんがふるえる。
あれ、ふるえてるのはそのせいだけじゃない。
「緑乱お兄ちゃん、引いてるよ!」
つりざおからのびた糸はピンとなって、あわてて緑乱お兄ちゃんはさおをガシッ。
「おっ、さっそく来たか! やっぱ、この時期のこのポイントは入れ食いって噂は本当だな」
グルグルグルとリールをまき、ザバッっとお魚がお船に上がる。
「うひょー! 大物の石鯛だぜ! こいつはうめぇぞ!」
シマシマもようのお魚を見て、緑乱お兄ちゃんは大よろこび。
ピチピチとはねるお魚のとなりで、つぎのエサをしかけてる。
「ほいっと」
ポチャリとまた緑乱お兄ちゃんが投げ込むと、
「おっ!? また来たぜ! こりゃすげぇや!」
キリキリキリと糸がまかれて、シマシマのお魚がお船にビタン!
「おーっ、こいつはさらに大きい! やったぜ! このままジャンジャン釣って、売って、旅の軍資金を大儲けだ!」
緑乱お兄ちゃんはおおよろこび。
ここまではきのうと同じ。
「……そう上手くはいかない。来るよ」
「そーみたいだね」
ボクたちのお船の先にゆらゆらとゆれるかげ。
「はっ、港のやつらが言ってた『この時期のこの釣りポイントは入れ食いだけど、船幽霊が出るので船を出しちゃいけない』ってのは本当みたいだな。一日だけなら偶然かもしれんけど、二日連続ともなりゃ必然ってやつだね。頼んだぜ! 紫君」
きのうも見たゆーれーたち。
耳をすますと、ゆーれーたち声が聞こえる。
カエリタイ……カエリタイ……フルサトハブジカ……
サケハアルカ……タバコハアルカ……
アノ、ヨウカンハアルカ……
カエリタイ……カエリタイ……ミンナノトコロ……
「うん、やっぱりきのう聞いたのと同じ。お酒とタバコとようかんをほしがってるよ」
ユーレーをゆくえに導くには、命のあかりがひつよう。
だけど、それだけじゃダメなこともある。
この世の心のこりってやつを晴らさなきゃダメな時も。
「よっしゃ! 今日は準備は万端だぜ! 橙依君!」
「……はいはーい」
橙依お兄ちゃんがお空にあなをあけて、そこからお酒とタバコとようかんを取り出す。
「ほりゃ! これで未練ともおさらばってね! あとは紫君の燈火でおしゃかよ! 成仏だけにってね」
ポイポイっとお酒とタバコとようかんを海にほうりこんで、緑乱お兄ちゃんは手をパンパンとたたく。
うん、これでボクの明かりで……
ボクは妖力を高めて、残り少ない珠子おねぇちゃんの生命力を光に変えようと……
あれ?
サケ……タバコ……
チガウ……ヨウカンチガウ……コレジャナイ……
「ねーねー、なんだかゆーれーたちの心のこりが消えてないよ。ようかんがちがうって」
「へ? おい、橙依君、ちゃんと羊羹買ったのか? ういろうを間違えて買ってないよな」
「……間違えてない、ちゃんと買った」
ボクもおぼえている。
コンビニでちゃんとようかん買ったもんね。
「だとしたら……うひゃあ! またかよ!」
ボクのお船の底から水がポチャポチャ。
あのゆーれーのしわざ。
「ちくしょう! また小さい穴が大量に空いてやがる! これ埋めんの面倒だったんだぜ!」
カエリタイ……カエリタイ……
カエレナイ……ウミノソコ……
オマエラハ……ウミニカエレ!
ゆーれーさんたちのそんな大声が聞こえ、ザブンとお船がしずんだ。




