黒姫伝説とタン(その2)※全4部
◇◇◇◇
『事情はわかりました。でも、無理なもんは無理ですっ!』
「そこをなんとか! 人類の叡智を結集してなんとかならない?」
電話越しに聞こえてくる音声を前に俺は手を合わせてお辞儀する。
『人類の叡智ってのは、記憶と経験と理論と実践と再現実験による積み重ねなんです。前世や死後の世界の研究は、まだ一歩も進んでいません』
「そういや、人間で前世の記憶があるってやつは滅多に見ないな。というか、俺も噂で聞く程度で実物を見たことはないな」
『そりゃ、世界人口はここ100年で約17億人から77億人に増えちゃいましたからね。ほとんどの人が前世の記憶が無いんじゃなく、前世が人でない可能性が高いんじゃないでしょうか。今が輪廻1年生の方もいると思いますよ』
俺の疑問に統計学な珠子さんが冷静に解説する。
言われてみりゃそうだな。
『あと、ちょっと気になることがあります』
「なんだい?」
『あたしが知ってる黒龍と黒姫の伝説と、赤好さん経由で聞いた話が違うんですよね。あたしが知ってるのは黒姫が伝説の剣で黒龍を退治するって話です』
は?
「なんだそりゃ!? どこで恋愛浪漫譚が邪龍討伐冒険譚の話になったんだ!?」
『ちょっと待って下さいね。今、検索してみますから……』
…
……
………
待つこと数分、
『わかりましたが、、わかりません!』
矛盾した珠子さんの声が聞こえる。
「どういことさ?」
『えーっとですね、信州長野の黒姫伝説にはざっくり2パターンがありまして、あたしが知っているのが、高梨摂津守政盛の娘、黒姫に横恋慕した黒龍がアプローチかけるも失敗。黒龍はその腹いせに洪水を起こすんですが、それを退治するために黒姫が神仏の助力で名剣を手に入れ、黒龍を退治するという話です。そのまま黒姫は行方知れずになるので、相打ちという伝説ですね』
黒姫つよい……
『もうひとつのパターン、こっちが赤好さんから聞いたイメージに合っていますね。これは黒姫の父、政盛の花見の席で不意に現れた白蛇に黒姫が酌をし、それで白蛇は姫に惚れる。その白蛇の正体が黒龍で、黒龍は青年の姿を取り、誠実に政盛に黒姫様を嫁に下さいと申し込むという流れです』
「黒龍だったり白蛇だったり、黒白ハッキリしない話だな」
『ハハハ、そうですね。誠実な青年の求婚に黒姫は心を魅かれるんですけど、父、政盛は”あやかし”に娘を嫁がせることが気に入らない。それでひとつの条件を出すのです』
なるほど、試練を乗り越えるってパターンだな。
『それは”そこまで姫を想っているのなら、城の周りを儂が馬で駆ける。それについてこれたら姫をやろう”という約束なんですけど、必死に馬についていく黒龍を待っていたのは武装した家来による攻撃、つまり罠だったのです。傷つきながら、それでも最後まで馬に付いていった黒龍は、約束の通り姫を嫁にもらおうとするのですが、政盛はそれを拒否するという話です』
うわぁ、ひでぇ。
「なんだ、父親が全部悪いんじゃないか。それで最後は黒龍と黒姫のラブラブダブルドラゴンスラッシュで父親を倒してハッピーエンドって展開だな」
『もう、茶化さないで下さいよ。その後の話は、約束を破られた黒龍は怒りにまかせて大洪水を起こし、姫はそれを鎮めるために黒龍の下へ自らを差し出すって話です。そして、姫の優しさに平静を取り戻した黒龍は黒姫と一緒に幸せに暮らしたという伝説です』
なるほど、こっちの方が俺が黒龍から聞いたパターンに近いな。
それで、黒龍は天寿を全うした黒姫の転生体であるメイちゃんにご執心ってことか。
しかし……俺の心に暗雲が、とある疑念が立ち込める。
それは、さっきの黒龍との会話が嘘だったらという疑問。
”どちらの伝説が真実なのか”
それ次第では、俺のしようとしていることは復讐の片棒をかつぐことだ。
もし、黒龍が彼女の心を絶望に染めるために前世の記憶を取り戻そうとしていたら……
ここには、あの名剣も神仏の助けもないぞと、思い知らせた上で復讐しようとしているかもしれない。
うーん、俺の印象では黒龍はそんなヤツじゃないと思うのだが……
「なあ、名探偵な珠子さん。その伝説のどっちが真実だと思う?」
人間の伝承ならば同じ人間に聞くのが一番。
そうとばかりに俺は問いかける。
『さあ?』
俺の問いかけは、けんもほろろに切って捨てられた。
『でも……』
「でも、何だい?」
『赤好さんの話で、気になる所があるんです。赤好さん、もう一度、話を聞かせてくれませんか』
「いいぜ、なんならシャネルの5番香る珠子さんとピロートークと一緒にね」
ブッ……ツーツーツー
通信が切れた。
「ちょっ、電波状態良好な珠子さん!?」
俺はあわてて、携帯を再接続する。
ブッ……ツーツーツー
ピロリン
再接続は一瞬で切られ、一通のメールが届く。
【TV電話モードじゃないと話してあげません】
しょうがない。
俺はTV電話モードで珠子さんのアドレスをクリックする。
『ぷっ、ははっはっ、なんですか赤好さん。その顔!』
「いいじゃないかそんなこと。ただの男の勲章さ」
俺はガーゼと絆創膏で埋まった顔をさすりながら言う。
黒龍との大喧嘩でついた傷さ。
傷は男の勲章さ。
恋愛沙汰で傷ついた顔なら尚更なんだぜ。
◇◇◇◇
俺は駅前の雑踏の中から目的の相手を探す。
男を探すのは趣味じゃないが、仕方がない。
将を射んとする者はまず馬を射よだ。
……いた。
「いよう、この前は世話になったな」
しまった、これじゃチンピラっぽい物言いじゃないか。
「誰だね君は……いや、先日の男か」
俺が声をかけた相手はメイちゃん親父さんだ。
「先日はすまないことをしてしまったね。そうだクリーニング代をお支払いしなくては」
そう言って親父さんはは胸のポッケをまさぐる。
「いや、金はいい。それよりも少し話がしたいんだが、ちょっと食事にでも付き合ってくれないか」
「食事……まあ、いいが……。この前の詫びに私が飯代は持とう」
「そりゃよかった、ちょっと値が張る店なんでな」
「値が張る……いったいどんな店なんだい?」
値が張るという言葉に親父さんの声に少し警戒の色が混じる。
「なに、あんたにとってはちょっと懐かしい店さ」
そう言って俺は親父さんを連れて珠子さんが紹介してくれた店に向かった。
◇◇◇◇
「なるほど、ここは少し懐かしい。今時、鯨料理の店とは」
「だろ、昭和生まれの黒火さんならこの味を憶えていると思ってな」
「そうだな、私たちの世代は給食で鯨の竜田揚げを食べた最後の世代だからな」
年齢不詳説のある珠子さんが言うには鯨は種の保全の関係で、40年近く前からは調査捕鯨とやらしか行われていないらしい。
その調査捕鯨で採れた肉の一部しか食用に回っておらず、鯨料理屋は今はほどんど残っていない。
ここは数少ないそのひとつという話だ。
「さあ、好きな物を頼んでくれなよ。俺は俺んちの料理人がおススメのやつを注文するからさ」
「やはり竜田揚げは外せんな。あとは……おっ、串カツがあるじゃないか!」
「それじゃ、俺は刺身系にするぜ。一緒に食べようぜ。おおーい、店員さーん」
俺たちが注文して数分後には注文の品がテーブルに揃った。
鯨の竜田揚げに串カツ、赤身の刺身に白いもこもこの刺身、それに軽く湯通しした脂身が多めの肉だ。
バリッ
親父さんんが軽快な音を立てて竜田揚げを食べ始める。
「うん、久しぶりだけどうまい! 小さいころは母がよく作ってくれた。竜田揚げだけじゃなくて、鯨の肉はよく食卓に上がったもんだ。この刺身も父が晩酌によく食べていた」
「へぇ、そうなのか」
俺も鯨の串カツをバリッと音を立てて口に入れる。
味わいとしては牛肉が近いかな、牛より獣くさい感じもするが不快じゃない。
むしろ野趣あふれる感じだ。
「母が作ってくれた串カツはおろし玉ねぎに漬け込んで揚げていてな、柔らかかったんだよ。これも同じ下ごしらえをしているようだ。うん、うまい」
言われてみれば、この串カツは柔らかい。
玉ねぎで柔らかくするってのはシャリアピンステーキと同じ方法だな。
安い赤身ステーキ肉を買って、懐に優しい料理が大好きな珠子さんがよく作っているやつだ。
「それじゃ、こちらの刺身も頂くとするか。おっ、この赤身の刺身もうまい! わさび醤油と良く合う。そして、この酢味噌で食べる白いボコボコしたのもさっぱりしていける。おっ! このポン酢で食べる豚の冷しゃぶに似たやつは、濃厚な脂の味が水菜とポン酢の爽やかさで中和されて、くどくなくて旨みだけがおいしく食べられるな!」
味わいながら串カツを堪能する親父さんを横目に、俺も鯨の刺身を食べる。
ザクッ、シャリッ、トロッ
赤身の刺身は、最高級の厚切りローストビーフのような食感で、そこから肉の味があふれ出す。
白いもやもやの刺身はシャキッとした歯ごたえと酢味噌の味が上等の貝を思わせるよう。
そして脂身のようにもみえるやつは、ポン酢でスッキリとした味が舌をまず襲い、、続けて濃厚な脂の旨みが広がっていく。
例えるならば、最高級ステーキの脂身からくどさを無くしたような味。
「彼女に聞いていた以上に美味い! こいつはビールが進む」
グビグビと俺の喉をビールの苦みが通り抜け、旨みで充満していた口内を洗い流す。
そしてまた、次の旨みで口内を満たしたくなる。
ゴキュゴキュ、グヒュ、プハァー
「くふぅ! やっぱ夏にはビールだよなぁ」
「そうだなぁ、鯨は独特の臭みがあるが、それはそれで味わいがあるってもんだ」
俺たちは互いにジョッキのビールで喉を鳴らす。
「それはそれとして、これってどの部位の肉なんだろな。メニューには”さらし鯨”と”さえずり”って書いてあったけど」
俺はメニューを眺めながら、半分以上消えた肉を指さす。
「あっ、それはな、”さらし鯨”は尾の身で別名……」
親父さんは、白い少しもこもこした肉を指さして、そして言葉を詰まらせた。
「どうしたんだい?」
「いえ、なんでもない。そしてだな、”さえずり”は……」
「さえずりは?」
俺の問いに親父さんは再び言葉を詰まらせた。
…
……
………
「君、やはり気付いているのだな」
少しの間が空いて、親父さんは口を開く。
「ああ、そうだ。政盛さん」
「いつから気付いていた?」
「この前、水をぶっかけられた時の『二度も娘をやらんぞ!』という台詞からな。前世の記憶があったからそう言ったんだろ」
「そうか……、この”さらし鯨”は鯨の尾の身で別名”尾羽毛”とも呼ぶ。また、”さえずり”は舌の部位だ。舌は、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるという逸話から、嘘の象徴とされている。”おばけ”と”舌”、君があえてこの料理を選んだ意味は、君は”あやかし”で、私の嘘を見抜いたという事なんだな」
その通り。
俺は実はこの”さらし鯨”が”尾羽毛”とも呼ぶことも、”さえずり”が舌の部位であることも知っていた。
珠子さんの入れ知恵でな。
「ま、そんなとこだな。やはりあんたにはあるんだな、前世の記憶、高梨摂津守政盛の記憶が」
「ああ、その通りだ」
話が早くて助かった。
親父さんが自分でゲロしなかったら、俺が問い詰めなきゃならなかったからな。
俺に男に迫る趣味は無い。
「娘はどうかは知らないが、私には前世の記憶がある。あの黒龍の求婚に対し、結婚の承諾という約束をダシに無理難題をふっかけ、さらにそれを反故にした記憶が」
「そうかい、信州、長野に伝わっている伝説の真実の方は政盛が約束を守らず、怒りのあまり洪水を引き起こした黒龍を鎮めるために、黒姫が自らを差し出したって方か」
「ああ。なぜ、黒龍が強引に娘を手に入れようとして退治されるという伝説が伝わっているかはわからない。だが、真実は私の狭量のせいで私たちは黒龍の怒りを買い、娘はそれを鎮めるために黒龍の下へ嫁いだという事だ」
黒姫伝説は黒龍が強引に姫をさらおうとして伝説の剣を手に入れた黒姫に退治されるパターンと、誠実に姫に求婚した黒龍が父親の難題をクリアしたにもかかわらず、父親が不誠実に約束を守らなかったパターンがある。
親父さんの話を聞く限りでは、真実は後者の方みたいだな。
「それじゃ、なぜ現代でも黒龍の求婚に反対しているんだい? 約束を守らなかった過去を悔いているなら、今度こそは果たせなかった約束を果たすべく、あいつの求婚を後押しするべきじゃないか?」
前世の運命を繰り返すってのはよくある話だが、それは定まっているわけじゃない。
前世は前世、今は今として運命は自分で切り開くものだ。
俺の目に宿る未来視の妖力がそれを示してきたように。
「君の言う通りだ。前世で娘が黒龍の下に行った後、風の噂でふたりが幸せに暮らしていると聞き、やがて私は彼を認めるようになった。だが、私の中には昔から変わらないものがある。それは娘の幸せを願う心だ」
「気持ちはわかるぜ。でも、それがどうしてふたりの仲を邪魔する道につながるのさ。黒姫は黒龍に心惹かれたって話だぜ」
珠子さんが教えてくれた伝説ではそうなっていたはずだ。
だが、俺の言葉に親父さんは首をふる。
「伝説では娘は黒龍の誠実な求婚に心が惹かれたとある。だが、真実どうだったのかは私にはわからないのだ。もはや確かめる術もない。私が憶えているのは、洪水に苦しむ領民に心を痛めた娘が、その身を黒龍に捧げたことだけなのだ」
言われてみれば、そりゃそうだ。
親父さんの視点からしたら、自分の不義に激怒した黒龍をなだめるために、娘が自ら生贄になったように見えるわけだから。
「だから、もし、今生でも娘と黒龍が結ばれるなら、今度こそ娘が自分の意思で黒龍に惹かれて、そして結ばれるというようにしたいのだ。私の前世の因縁のせいで、その罪滅ぼしとして、娘は今生でもその身を黒龍に差し出したというようにはなって欲しくない。だから私は黒龍の娘に対するアプローチに後押しが出来ないのだ」
この親父さんの言い分はもっともだ。
前世の自分の罪ほろぼしに、娘が現代でも黒龍にその身を差し出すなんてストーリーはハッピーエンドとは言えない。
「娘が黒龍のアプローチに心を動かされなかったなら、それもいいだろう。前世の因縁など忘れて、誰かと幸せになって欲しい。でも、もし再び娘が黒龍と結ばれるなら、前世の私の罪とは別に純粋にそうなって欲しいと願うのだ」
「それで表向きは黒龍の求婚に反対するって嘘の態度を取っているのか。あんたの心の中では黒龍を認めているってのに。親の反対を押し切ってでも結ばれるほどの愛がそこにあったなら、それを認めるという形にしたくて」
「その通りだ」
そう言って親父さんは少し暗い表情でビールをチビリと飲む。
「しかしなぜ、俺にそんなことを話すんだい? 前世の記憶なんて憶えてないってしらばっくれても良かったんじゃないかい?」
「それも考えた。だが、君は”あやかし”だろう」
「ああ、その想像通り、俺は”あやかし”だ」
「だったら、しらばっくれても、私との会話の内容が黒龍に伝わる可能性が高い。その中から私が前世の記憶を残していることが推察されるかもしれぬ。そして、それが要らぬ誤解を生むことも……」
「その誤解ってのは、黒龍が今生でも親父さんが娘との結婚に反対してると勘違いすることかい? そして怒り狂い暴れ、また娘さんが本心はどうあれ、罪を償う形で黒龍に捧げられると」
俺の言葉に親父さんはコクリとうなずいた。
「お願いだ! 私に出来ることなら何でもする! このことは誰にも内密にしてくれ! 娘の幸せのために私はこの嘘を守らなくてはいけないのだ。私は前世の記憶とは全く別に、娘の将来を心配する普通の父親でなくてはならないのだ」
俺は男に何でもしてもらうのを望むような趣味はない。
そして、俺は”あやかし”であれ人であれ、女の子の幸せを願わなかったことは一度たりとてないのさ。
「わかった。ここでのことは誰にも口外しない。だが、ちょっとだけ頼みがある」
「私に出来ることなら何でもする。で、そのお願いとは……」
「なに、大したことじゃないさ」
俺のお願いに親父さんは『なんだ、そんなことか』と胸を叩いた。




