あかなめとホットワイン(前編)
「キンタマだ!」
「胃袋よ!」
「キンタマ!」
「胃!」
「キンタマ!」
「胃!」
あたしは今、赤好さんと争っている。
あたしは平和主義だが言うべき事は言う女だ。
「キンタマだろ! キンタマが満たされなければ子々孫々の繁栄はない!」
「胃が満たされなければ明日を生きられないわ!」
「がるる」
「ぐぬぬ」
あたしと赤好さんの視線が火花を散らす。
「あ、アタシが買い物に行っている間に何が起きたの!?」
買い物から帰ってきた藍蘭さんがあたしたちの争いを見て言う。
「藍兄さん! 聞いて下さい! このかしましい珠子さんが!」
「藍ちゃん! 聞いてよ! この好色一代男が!」
あたしたちの顔が藍蘭さんにせまる。
「わかったわ、まずは事情を話してちょうだい、落ち着いて……ねっ!」
藍蘭さんの眼圧にあたしと赤好さんがちょっとビビる。
「…は、はい」
そしてあたしたちはほんの十分前の出来事を語り始めた。
◇◇◇◇
『酒処 七王子』も昼の部は人間のお客さんも訪れる。
だけど……
「立地がわるいのよねぇ」
あたしは誰に言うまでもなくつぶやいていた。
今日のランチタイムのお客さんはゼロだ。
暇なので藍蘭さんは夜用の食材を買いに出かけた。
「はーい、うるわしい珠子ちゃん、俺にランチをひとつ」
前言撤回、お客さんはひとり居た。
ただし身内だけど。
今日はめずらしく赤好さんが居る。
いつもは町でエンジョイというナンパをしている。
「いらっしゃいませー、今日はおひとりなんですね。昨日は別の女と、一昨日は別の女と居たのではないですか。見かけましたよ町で」
「ばれてたか、でもね、これには理由があるんだよ」
「どんな理由ですか?」
「エロい事がしたい!!」
ストレートで碌でもない理由だった!!
「そんな浮気症じゃあ、たとえ誰かと結ばれても長続きしませんよ」
「そこは抜かりないさ心配症の珠子さん。俺のテクでメロメロにしちゃうから」
すごい自信家だな、このイケメンエロあやかし。
でも、その態度はあたしの好みじゃない。
「その割にはひとりの女性と長続きしていませんね。やっぱり生活面で襟を正すべきでは? お料理とかどうですか? 最近は男子料理が流行りですし」
料理が出来る男はモテる。
これ豆知識な。
「いやいや、料理なんて肉欲の前には児戯に等しいよ」
「あら、男女の仲には三つの袋が必要だとご存知ですか? その中でも胃袋とお袋は鉄板ですよ。第三の袋は諸説ありますけど」
第三の袋としてよく言われるのは堪忍袋、給料袋、笑い袋、そして金玉袋だ。
「いうねぇ、金玉袋では胃袋にかなわないと」
金玉袋とは言ってません。
というか乙女にそんなん言わせんな。
「ええ、胃袋こそ最強にて最善。毎日の食事こそが男女の仲で最も重要だとあたしは思います」
「いーや、金玉袋こそ至高にして究極。生まれたからには子孫を残したい、聞こえないのかい、本能の叫びが! エロい事がしたい! と」
それはたまに聞こえるが、今は言わないでおこう。
「とにかく胃袋です! 食事は毎日のエネルギー!」
「後にも先にも金玉袋だね! 性欲は種としてのエネルギー!」
「胃袋です!」
「金玉袋だ!」
「胃!」
「キンタマ!」
「胃!」
「キンタマ!」
◇◇◇◇
「……というわけです」
こうしてあたしと赤好さんの『胃袋 VS 玉袋』が開戦したのである。
「事情はわかったわ。正直どちらの言い分もありだと思うわ」
「えっ、藍兄さんは俺の味方じゃないのか!?」
「藍ちゃんは乙女の味方じゃなかったの!?」
話をしているうちにランチタイムの終了どころか日は夕刻を迎えようとしていた。
もうすぐ夜の部の開始時刻だ。
「よーするにあたしと赤好さんは”あやかし”と人間の恋路を上の口から攻めるか下の口から攻めるかで争っているわけです!」
「珠子ちゃん、オブラート! オブラート! あなた乙女でしょ!」
はい乙女です。
ちょっと言い過ぎたと思います。
「わかったわ、だったら勝負で決めましょう」
「「勝負!?」」
「次に来るお客さんの恋の悩みを珠子ちゃんは料理でアドバイスする。赤好はエロでアドバイスする。その結果、どっちのアドバイスが役に立ったかで勝敗を決める。どう?」
「いいわよ」
「いいですよ」
あたしたちはふたつ返事でうなずいた。
「で、何を賭けます? 無謀な珠子さん」
「そうね、あたしが勝ったら赤好さんは女の人と突き合う時には誠心誠意、たったひとりに尽くして下さい」
「いいでしょう。では、俺が勝ったら敗北者たる珠子さんには俺と一晩付き合って頂きましょう。深い意味で取ってもらっても結構ですよ」
えっ!? それってそういう意味だよね!?
「怖気づいたのですか? 逃げるならそれもいいでしょう」
「逃げたりなんかしないわ! その賭け乗った!」
藍蘭さんがちょっと溜息をついた気がしたが、あたしの覚悟は負けない!
「でも、恋の悩みなんてしている”あやかし”さんなんて来るのかな?」
この店に来る”あやかし”は基本的に能天気だ。
悩みを、特に恋の悩みなんて持っている”あやかし”なんているのかしら。
「じゃあ、来るまでこの戦争は休戦ね。はい、講和条約のあくしゅあくしゅ」
そう言って藍蘭さんはあたしと赤好さんの手を握り合わせる。
あっ、そうかそういう事か。
うまいなー、これが女子力の高いトークってやつなのね。
「ふう、藍兄さんにはかないませんね」
赤好さんも藍蘭さんの意図に気付いたのだろう、あたしの手を優しく握る。
これにて一件落着!
チリーン
「赤好さん! アカのよしみで助けて下さい! 具体的には女の子を落とすトーク術を教えて!」
講和条約は一分で破られた。
◇◇◇◇
乱入してきたのは垢嘗めさん、その名の通りお風呂場の垢をなめる”あやかし”だ。
とりあえずテーブルに座って話を聞く事にした。
でも”あやかし”の恋の悩みなんて人間のあたしに理解できるのかしら。
「はい、僕には今、好きな人間の女性がいるのです。今度その女性とディナーに行くのです……」
あら、まともだぞ。
「別の女性ともおつきあいした事もあるのですが、食事の時に会話が盛り上がらなくって、その先に進めないのです」
スゴイ! ものすごくまともだ!!
「よしっ、だったら俺の盛り上がるトークからピロートークまで、女の子との会話術を授けてあげよう。これで万事解決だな」
「はい、お願いします」
いけない、このままだとあたしの負けだ。
「ちょっとまって! その前にあたしで練習してみましょう。はいこれメニュー」
「ああ、そうですね。それではやってみましょうか」
あたしはメニューを垢嘗めさんに渡す。
「それでは、僕は焼き鮭定食にいたしましょうか」
「じゃあ、あたしも同じもので」
「お魚お好きなのですか?」
「ええ、肉より魚派です」
うーん会話はまともだ。
「はーい、お・ま・た・せ」
あたしが不在なので藍蘭さんが焼き鮭定食を作ってくれた。
「では、いただきます」
「いただきます」
この店で料理がまともに出来るのはあたしと藍蘭さんくらいなのよね。
あとは鬼畜メガネがレンチンできるくらい。
でも、垢嘗めさんのどこがいけないんだろう。
料理が来るまで当たり障りのない会話をしたけど、まずそうな所はなかったけどなぁ。
「この鮭定食は僕の好みでして、特に皮がいい」
パクリ
皮の部分を食べて垢嘗めさんが顔をほころばせる。
パクリ
続けて身の部分を食べる。
ん!?
パクリ
そしてホウレンソウのおひたしを食べる。
んん!?
「原因がわかりました。垢嘗めさん、あなた身の部分がお嫌いですね」
「なぜそれを!」
いや、あの表情を見ればわかりますって。
ものすごい渋面をしていたもの。
「そうだったの!? だったら言ってくれればいいのに」
「いやー、作ってくれた方に悪いと思って」
そう言って垢嘗めさんは頭を掻く。
いい”あやかし”だ。
食べ物やそれを作ってくれた方への感謝の心を忘れていない。
「お察しの通り僕の最大の好物は垢です」
まー”垢嘗め”さんだしね。
「だけど人間の食べ物で垢なんてありません」
そりゃそうだわ。
「それで一番お口に合うののが皮なのね」
「はい、この焼き鮭定食は一番ましなのですが……」
「うーん、焼き鮭定食はデートには不向きですよね」
そこはあたしもちょっとひっかかった。
「だったら、食事なんかせずに『君の笑顔でおなかがいっぱいだよ。デザートに君が食べたいな』って言えばいいのさ」
そう言って赤好さんはあたしのアゴをクイと上げる。
はい、アゴクイきましたー!!
「はわわ」
いきなりの不意打ちにあたしは顔が真っ赤になる。
「な? 効果はてきめんだろ?」
ぐぬぬ反論できない。
こんなイケメンに迫られれば女の子はイチコロだろう。
でも……
「それは赤好ちゃんだからよ。垢嘗めちゃんはどちらかと言えば純朴系よ」
藍蘭さんのアドバイスの通りだ。
魅力がMAXの顔ならば赤好さんのやり方でも上手くいくだろう。
垢嘗めさんも顔が悪いわけじゃない、でもどちらかといえば愛嬌系だ。
「ねぇ、垢嘗めさん。皮と身を一緒に食べるとどうなの?」
「皮だけよりかはましですが、相当皮が美味しくないとダメですね。焼き鮭ならなんとか」
そう言って垢嘗めさんは鮭の皮と身を口にする。
少し顔が歪んだが誤魔化せそうなレベルだ。
これならいける!
「原因はわかりました。垢嘗めさんは食事の時に楽しそうな表情をしていない。だから女の子に振られるのです。デートの時に必要な物は何よりも笑顔で楽しそうにする事です」
「そうでしたか、出来るだけ演じるようにしますが……ちょっと難しそうですね」
”あやかし”はどちらかと言えば感情が顔に出やすい。
「だったら、あたしが垢嘗めさんの好きそうでデートに使えそうな料理を作ってあげるわ。そしてそれがメニューにあるお店も紹介してあげる」
「本当ですか! そんな料理があれば、デートも上手くいきそうです!」
「ええ、まかせて! 料理であなたのデートを成功させてみせるわ!」
そう言ってあたしは立ち上がる。
「ちょっと買い物してくるわ。垢嘗めさん向けのスペシャルメニューのね」
「あら、今回は三日待たなくてもいいのね」
あはは、そのツッコミは少し耳が痛い。
「大丈夫ですって、今回のは普通の料理ですから」




